第17話 理玖16

「この声が気になるかな?」


 公主がそう尋ねてきた。


 気になっている。正直に肯定しても良いのかわからなくて、思わずトオルさんを見てしまった。


 トオルさんはこちらを見て、器用に片眉だけを上げてみせた。でもその仕草の意味が汲み取れなくて、公主のほうに視線を戻す。


 公主は小首を傾げたまま待っているので、僕は小さく頷いた。


「僕はこの姿のまま成長しないんだよ。子供の頃に吸血鬼になってしまったからね。もう中身はじゅうぶん大人になっているとは思うのだけど」


 公主は自分の両手を見て、指を動かした。小さな手だった。


「車に乗っていれば車体は見えないけれど、エンジン音は多少気になる、というところかな」


 よく理解できなかった。きっと声だけ大人にしている理由なのだろう。

 吸血鬼ならば声を変えるということも、簡単にできそうだ。


「さて、僕のことはいいんだ。きみのことを話そう」

「はい」

「トオルは僕の眷属だったからね、子供のような存在だ。だから彼の不始末は僕の責任でもある。大変な目にあわせてしまって申し訳ない」


 公主はそこで頭を下げた。


 僕は驚いてしまった。自分は命を助けてもらったのだと認識していたから、謝られるとは思っていなかった。


「えと、そんな、あの、大丈夫です。僕は助かりました。死んでしまうかもしれなかったんです」


 あの夜のことはもう夢のように遠い気がする。本当にあったことだろうかと疑ってしまうくらいに。でも、まだほんの数日しか経っていない。


「基本的には、子供を眷属にすることは許されてないんだ」

「はい」

「危険が伴うからね。想像以上の不自由を強いることにもなるし。しかも、本人がそれに気づくときには、もう後戻りできなくなってしまっている。きみもまだ、気づいていないだろう?」


 僕は今不自由だろうか。


 そうは思っていない。

 みんな優しくしてくれるし。びっくりすることも多いけれど。


 僕は答えなかったけれど、公主は小さく頷いた。


「きみたちは危ない橋を渡ったんだ。理玖はまだ戻れるけれど、トオルにとっては戻れない橋を」


 僕はトオルさんを見上げた。トオルさんはこちらを見なかった。


「大丈夫。そこまで深刻な話でもないんだ。きみが無事に人間に戻れさえすればね。トオルは……そうだね、これまで出来ていたことが出来なくなったり、逆に出来なかったことが出来るようになったり」


 トオルさんが昼間に出歩けなくなったことを思い出す。


「そういう変化が起こっただけだ。僕にとっては子供が成人したようなものだから、喜ばしくもある。本物の吸血鬼の仲間入りしたってことだ」


 トオルさんの身体が緊張したのが見なくてもわかった。


 公主はそれには気づいていないように椅子からおりる。一時的に机の向こうに姿が消えた。


「本物の吸血鬼というのはこういうこともできる」


 そう言って机の影から公主が身体を起こした。もう、子供の姿ではなかった。


 具体的な年齢はわからないけれど、その声に似合った姿だった。

 服装もさっきとは違っていて、上等そうなスーツだ。


「魔法みたいだろう? こうやって姿が変えられる。仲間だって増やせるんだ」


 公主は僕のほうへやってくると、身体をかがめて僕と視線を合わせた。


 怖い目だった。


 でも視線を外せない。まばたきもできない。


「眷属と本物の吸血鬼の違いというのは聞いているかな?」

「いえ…」

「あの」


 トオルさんがそこで初めて声を出した。

 公主がトオルさんのほうを見る。ようやく僕は目を閉じることができた。


 静かに息を吐いた。


 気づかないうちに呼吸を止めていたのだ。


「門限があるんです。病院に入院しているものですから」


 そろそろ帰らせてくれという意味だろうか。来たばかりなのだから、苦しい言い訳だ。


「ちゃんと話したほうが良いと僕は思うけどな」


 そう話しながら公主は僕らから離れた。


 僕はトオルさんの顔を見て、それから公主のほうを見る。椅子に腰掛けた公主は、子供の姿に戻っていた。


「これ以上は負担をかけられないので」


「そうだね。すまない。余計なお世話だった……そうそう、神様がきたんだって? 大変だったね」

「ええ」

「よく帰ってこれたね。それとも戦ったりしたのかな?」

「いえ、それは理玖が」

「ああ」


 公主は頬杖をつくと、目を閉じ、上品な仕草でドアを示した。


 トオルさんは無言で頭を下げると背を向けて扉に向かう。僕は「お邪魔しました」と言って後につづいた。


 扉が閉まる寸前に、公主と目が合いそうだったので、お辞儀をして視線を逸らした。


 閉まった扉の前からしばらく動けなかった。


 公主は僕に話したいことがあるみたいだった。でもトオルさんはそれを秘密にしておきたいようだ。


 眷属と本物の吸血鬼についてだと思う。

 僕に負担をかけたくないとはどういう意味だろうか。


 トオルさんと一緒に怒られるつもりで来たのに、謝られてしまった。拍子抜けしたといっても良いけれど、ひどく疲れてしまった。


 トオルさんが掠れた声で何か言った。きっと帰ろうとか、戻ろうとか、そういった単語だと思ったから、「はい」と答えた。僕の声も掠れていた。


 それからもときた道を逆に辿った。


 途中、明かりがついている教室があった。来たときは暗かったはずだ。前を通ると、中にいた二人がこちらを向いた。

 制服をきた女の人と、私服の男の人。女の人は高校生だろうか。


 トオルさんは前を見たまま通り過ぎてしまったので、僕は会釈だけした。

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