第6話 理玖5

 家に帰ってから、さっそく借りた詩集を読んだ。


 初めて見る名前のほうは、こういったかたちでも詩として成り立つのかとびっくりした。もしかしたら、これは詩ではないとどこかで言われているかもしれない。それくらい自由だった。

 面白くて同じ詩を何度も読んだりした。だけどこの詩をみんなの前で発表する勇気は僕にはない。


 もう一冊から素敵な詩を一つ選んだ。


 できれば一晩で暗唱して、次の日トオルさんを驚かせたかったけれど、お風呂に入ったあと、どうも眠くなってしまって、そのまま電池が切れるように眠ってしまった。



 目が覚めるともう朝になっていて、まくらの横に本が残っていた。


 それからラジオ体操に行って、朝ごはんを家族と食べると、少しだけ眠ってからお昼ごはんまでは一日のノルマをこなすことにした。


 問題集を解いて、飽きたら詩を覚えた。

 お昼ごはん前に母さんが僕の部屋にやってきて、支度するように言った。


 おばあちゃんの家にこれから行くらしい。


 母方のおばあちゃんは、ここから車で三十分くらいの距離に住んでいる。元気とはいえ一人で暮らしているから、様子を見るためによく遊びに行っているのだ。


「今日も午後は神社に行く予定があるんだけど」

「時間の約束はしているの?」

「してないけど…昨日、また明日ねってわかれたから」

「そんなに長居はしないよ。おばあちゃんお昼ごはん作って待ってるみたいだから」


 そう言われてしまえば、行かないわけにはいかない。


 僕はおばあちゃんのことが好きだし、おばあちゃんのつくるご飯も好きだ。

 料理を作るのが好きみたいなのだけれど、一人暮らしだと食欲がなくてお惣菜で済ませてしまうらしいのだ。

 だから僕たちが遊びに行ったときには、とても嬉しそうに料理を作っている。

 それを知っていると、約束があるから行けないなんて言えない。


 僕は外出する準備をした。少し迷って詩集も一緒に持っていく。空いた時間に覚えるためだ。


 車が走り始めると、あの神社がある山が遠くに見えた。森の木がこんもりしていて社は見えないけれど、僕はその山が見えなくなるまで眺めた。


 途中で洋菓子店へ寄ると、人数分のケーキを買った。おばあちゃんは和菓子より洋菓子が好きなのだ。


 おばあちゃんの家にたどり着くと、案の定、食べきれない量のご飯が出来上がっていた。


 唐揚げ、ポテトサラダ、豚汁、夏野菜の天ぷら、きゅうりの酢の物、ちらし寿司。まだまだ追加で作りかねない勢いだったので、母さんと止めてから、三人でご飯にした。


 食後にケーキまで食べてしまうと、僕は暇になった。二人はゆっくりと紅茶を飲みながら話し込んでいる。


 長居はしないって言っていたのに。


 早く神社に行きたいという気持ちが膨らんできて僕を焦らせたけれど、僕がどんな気持ちになっても二人の話が早く終わるわけではない。


 そう思うと、少し冷静になれる。


 僕は持ってきた詩集を覚えることにした。


 一行ずつ何度も呟いて、目を閉じても言えるかを確かめる。一行覚えたら、次の行を覚えて、目を閉じたら一行めと二行めを言ってみる。

 そうやって、覚えていくのが僕のやり方だった。でも、確かめるために目を閉じるから、満腹も相まって、だんだんと眠くなってしまう。



 母さんから声をかけられて目を覚ますと、もう午後の三時だった。


「ごめんね、待たせちゃって」


 母さんはもう帰り支度を済ませていた。来るときには持っていなかった紙袋を下げている。中身はきっと食べきれなかったお昼ご飯だろう。


 おばあちゃんに挨拶をして車に乗った。まだ頭はぼんやりとしている。


「どうする? 一度家に帰る? それとも神社のところで車おりる?」


 家に一度帰ってしまうと神社に着くのは夕方だ。門限が近くてあんまり神社に居れなくなるので、僕は途中でおろしてもらうことにした。


 母さんはおかずを詰めたタッパを僕に持たせようとしてくれたけれど、アレルギーがあるみたいだと断って車からおりた。


 僕が坂道を上り始めると、背後で車のエンジンがかかる音が聞こえた。


 いつもより急いで坂道をのぼる。


 神社に着くと、森に囲まれているせいで、もう夕方が始まっている感じがした。


 いつもの場所にトオルさんがいたので声をかけようとして、電話で喋っていることに気づいた。

 僕がゆっくりと近寄ると、トオルさんはこちらを見た。深刻な顔をしていたけれど、僕と目が合うと表情を和らげた。僕は声は出さずに会釈だけで挨拶をする。


 僕は離れた場所で待つことにした。


 トオルさんは低い声でぼそぼそと喋っていて、何を話しているのかわからなかった。


 十分くらいだろうか。


 電話を終えたトオルさんがこちらにやってきた。


「こんにちは。今日はこの時間なんだね」

「こんにちは。今日はちょっとおばあちゃんの家に行ってきたんです」


 そこから僕はおばあちゃんの話と、暗唱したい詩が決まったこと、そして今どこまで覚えたかの成果を披露した。


「本当はお昼ご飯を持ってきたかったんですけど…」

「気持ちだけで嬉しいよ」


 そう言ってから、トオルさんは何かを言おうとしてやめた。

 少し考えて、間を置いて、それから口を開く。


「明日からしばらくここを離れることになったんだ」

「え?」


 いきなりだ。

 夏休みのあいだは会えると思っていたのに。

 さっきの電話だろうか。

 とても真剣な表情をしていた。


「もちろん、また戻ってくるよ」

「しばらくっていつくらいですか?」

「うーん、そうだね、七月中は帰らないかな。たぶん、八月に入ってからにはなると思うけど…」


 そう言ってからトオルさんはハッとした。


「俺が留守のあいだは、この神社には来ないほうが良い。写生はもう終わってるね?」

「絵は、はい。もう描き終わりました」


 僕の困惑を見てとったのか、トオルさんは躊躇いながら「ここにいると危険かもしれないから」と言った。


「危険ってなんですか?」

「危険な人がここに来るかもしれないってこと」

「それはトオルさんを追いかけてここに来るってことですか?」

「うん、まー、そうだね」


 そう言って困ったような顔をした。すぐにわかったと僕が言わなかったからかもしれない。

 でも僕はトオルさんが心配だったし、もし本当に危険なら、もっと情報が欲しかった。

 それに子供だから言ってもわからないだろう、とは思ってほしくなかった。


 しばらく無言で向き合っていたけれど、トオルさんがふと空を見上げた。そして顔を戻すと、「少し座ろう」と社殿を指さした。


 いつものように並んで座る。


「俺が知り合いとやっていた事柄から離れて、こっちに来たって話をしたでしょ? 俺を誰かが追ってくるっていうのは、まあ、それと関連があるんだと思う」

「やっぱりトオルさんは、何か犯罪に関係していて、警察が追ってくる…」

「それは違うよ。いや、違わないのかな。やってくるのはもしかしたら警察かもしれないし」

「危険な警察官ですか?」

「いや、危険な大人か、もしくは警察がくるってこと」


 トオルさんはそれ以上説明する気はないようだった。 


「よし」


 トオルさんが気合を入れて立ち上がると、僕を見下ろす。


「もう帰ったほうが良い。しばらくは家にいて、また八月になったら会おう」

「約束ですか?」

「ああ、約束する」

「針千本飲みますか?」

「飲めそうならね」


 そして指切りをすると、僕は坂道を下っていった。トオルさんは神社の敷地の端まで来て、僕が帰るのを見送ってくれた。


 途中で振り返ると、木々の隙間からトオルさんの姿がちらりと見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る