第123話 閑話 それぞれの日常5
フェヌア教、マーレ教、ダングス教。この三つが俗に三柱教と呼ばれているものだ。
緑の衣を纏い、精神と肉体の健全なあり方を説くフェヌア教。
青の衣を纏い、祈りと道徳を説き、魂の救いと安寧を願うマーレ教。
白の衣を纏い、真理を探求し、英知を薫陶するダングス教。
それぞれ違う神を崇める我々ですが、かと言っていがみ合う事も争う事もありません。
なぜならば教えこそ違いますが志は一つなのですよ。我らの神は元は一つの集団だったのです。
始まりの勇者と共に世界を救った勇者一行こそが、武神フェヌア、癒神マーレ、知神ダングスであると伝えられて。なので宗派は違っても聖典の最後に書かれる一文は必ず『勇者と共にあれ』で締めくくられているの。
「はっ。フェヌアの連中はどうして揃いも揃って汗臭いのだか」
なので白い外衣を纏ったダングスのヒョロガリに何か言われようと、私はこの程度ではピクリとも動揺しません。大地の様にどしりと構えてこそのフェヌア教よ。だいたい私は鍛錬後には汗を拭くくらいはしているし。……匂わない……はず……だし。
「姐さん、こいつやっちまいますか?」
「カノン様が臭いだなんて許せませんね。これは鉄拳案件」
「なんで私だけが臭いって言われたみたいになってるのよ!?」
しかし私も立場上何も言わないという事は出来ないだろう。フェヌア教の名誉とこの少年の未来の為だ。
「君、バリスって言ったっけ。あのね、あまり人を貶める発言は感心しないわ」
「はん。事実を言われて怒るとはそれこそ浅はか。賢き者はこれを教訓に清潔を心掛けるものです」
完全に見下されていた。いや、それは少しばかり違うのだろう。これはあれだ、この糞ガキは調子に乗っているのだ。入信したての初心者にはよくある事である。
何せ聖職者は神の力の一端が授けられるのだ。その全能感に溺れ、自分が選ばれた者であると勘違いしてしまう人間は殊の外に多い。
「そうね。気を付けるから貴方も口に気を付けるといいわ。私は人を貶める発言は感心しないと言ったの」
私はため息交じりに生意気な少年の額を指で弾いた。手加減したというのに体重の軽い男子はそれだけで宙を舞い地面に倒れこんでしまう。嘘でしょ。どんだけひょろいんだ。
「はぁ。ちょっとは協調性のある人間送ってきなさいよねダングス教め」
あの教団にそれを持っている人間が少ないのは知っているが、これはあんまりだ。
私は倒れた白衣の少年を無視しして大鍋をかき混ぜる。ダングス教の仕事は魔法売り。こんなガキでも火と水を出すのくらいは役に立ったが、料理が出来てしまえば煩いだけの奴はもう要らない。
「おらー正拳突きあと10回! 声出していけー!」
「100回終わった人からご飯受け取ってくださいねー! 回数誤魔化したり順番守らない人はぶっ飛ばしますよー!」
三日に一度、王都の外にある裏街では炊き出しが行われている。それを行うのは無論我々宗教関係者達だ。貴族といえば税金を納めていない裏街の人を住民と数えては居ないので、そこに税金が使われる事は無い。むしろ目障りだと判断されたら明日にでも更地にされるのではないか。
なので我々が手を指し伸ばすわけであるが、我々は施すだけを良しとはしない。
フェヌアでは運動を、マーレでは祈りを、ダングスでは勉強を対価に食べ物を配るのだ。
仕事と報酬は人間としての最低限の規律である。無料で配りそれを受け取る事が当然と思われるのは教会の意思ではない。
「んー。三人くらいかな」
「え、カノン様なにかおっしゃいました?」
「ううん。なんでもないわ」
裏町の住人に混じってどうやら余計な人間が入り込んでいるようであった。
服は継ぎ接ぎ、肌も髪も薄汚れているが歯が綺麗だ。まだ来てから日が浅い?いやいや気配消しすぎなんだよお兄さん。
目的は分からないが嫌な感じだ。こんな所に人を忍ばせるのは事件の兆候だろうか。
一応フィーネには報告が必要だと判断する。私個人としては、食料を必要としている人に行き渡らないのが腹が立った。上手く紛れたいのは分かるが並んでるんじゃねーよ。こいつらの分は少なめに配ってやろう。
「なんか、少なくないですか?」
「気のせいよ。はい次の人ー!」
今日の鍋には鰻がたっぷりと使われていた。鰻といえば精力が付く食べ物として有名だ。せっかくの善意なので多くの人の口に入って貰いたいものである。
この食材を提供してくれたのはツカサという男の子だ。イグニスに攫われてしまったけれど、一度は教会で受け入れる話もあり、気持ち的にはすでに私の弟分だった。
昨日は本当に驚いたのよね。
教会で稽古中に知り合いが訪ねてきたと呼び出された。うちの荒くれ共が珍しく狼狽していると思いきや、「姉御に客なんですがね、それが半裸で、ヌメヌメで……ええと」と要領を得ない事を口していて。
まずは会ってみたら、まさしく半裸でヌメヌメの少年が半泣きで鰻を抱えていたのだ。これは一体どんな絵なのか。とりあえず生臭いので身体を洗って貰う事にした。
落ち着いたところで話を聞けば湖に釣りに行ったら予想外に大物が取れてしまったようだ。水に入り仕留めてきたらしい。はて、釣りとはなんだったか。とりあえず美少年の半裸は眼福であった。よく引き締まっていて、あれなら主フェヌアもニッコリであろう。
「ちょっと大きすぎるんでカノンさんにお裾分けしようかなと。いやー運ぶの大変でした」と少年は語ったがそれはそうだろう。長さだけで4メトルはありそうだった。おまけに尾は八つある。重量だってかなりあったはずだ。
万年金なしの教会としては有難い話だった。けれどこれだけの大物だ。ハンターギルドにでも持っていけばかなりの収入になるのではないか。私は本当にいいのかと少年に確認をした。ツカサは定職についていないのだからお金は貴重なはずだった。
「ふふ。まったく損な性格よね」
ツカサは金になると聞いて明らかに考え込んだ。それでも、稼ごうと思って釣ったわけではないからみんなで美味しく食べようと置いて行ってくれたのだった。昨晩は私含め教会のみんなで有難く食べさせてもらいましたとも。
「ぼ、暴力だ! 僕に暴力を振るったな! これは教団間での大問題になるぞ!」
「ちっ。うるさいのが目を覚ましたわね」
白い服を着たガキが額を抑えながらギャーギャーと喚いていた。せっかくの思い出が台無しである。一応弁護させて貰うが、ダングス教というのはけしてこの様な男ばかりではない。正しい信徒は、学びを善しとし、素朴な疑問だろうと真摯に回答する良き教師である。
「僕は同期で誰よりもダングスの加護を得たダングスに愛された男なんだ!」
「へぇ、そう」
全くもって嘆かわしい話である。
信仰の果てに加護を授かることこそが本懐であるのに、加護を授かる事を目的に信仰して何になるというのだろう。
私達の本質はここに食事を貰いに並んでいる者たちと変わりはしない。教えを守る対価として、主より力の一端を授かっているだけなのだ。特別な者どころか恵を施されている立場に過ぎない。
「フェヌアの分際で僕を傷つけたんだ。頭を下げて謝罪しろ!」
「よーしテメェ歯ぁ食いしばれ」
本当に馬鹿だなコイツ。なんでフェヌア教の炊き出しに手伝いに来てて主を馬鹿に出来るのか。いや、そもそも自分にも主が居ながら何故、自分の主が馬鹿にされた時の気持ちを理解出来ないのか。
他の者に任せたらうっかり殺してしまいそうだから、仕方ない私がやろう。
デコピンであのざまなのでグーは許してあげた。それでもビンタで3回転くらいしてまた地面に沈む。
「もう面倒だしダングス教に捨てて来なさい」
「りょーかいっす! ついでに戦争ですか?」
「ええ。やる気なら徹底的にやるぞって言っといて」
ならないだろうけど面子って大事なのよね。
恐らくこの子は矜持が高すぎて面倒だから鼻っぱしらをへし折る為に炊き出しに参加させられたのではないか。あいつ等の事だからのびた少年を見てやはりこうなったかと、いい勉強になっただろうと言うに違いない。
「とりあえず聖職者らしく祈っておきますか」
あの少年の未来となんか怪しい動きのある裏街を思い、良き未来があるようにと祈りの拳を突き出して、ついでに美少年の半裸を思い出しながら、感謝の正拳突きをもう一発繰り出した。
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