第122話 閑話 それぞれの日常4



(のうお前さんよ、一つ聞いてよいか)


「どうせ暇だし一つと言わずいくらでも聞いてくれ」


(それ……楽しいか?)


「……ぶっちゃけ飽きてきたんじゃ」


(ええい、そんなところで儂の真似するでないわい)


 今は王都とやらの近くに広がる湖に来ていた。ツカサは前から行きたいと言っていたがなかなか来る機会が無かったのだ。なのでふと暇が舞い込んできたこやつは、そうだ釣り行こうとウキウキで火炎娘の家を出た。


 本来ならば、火炎娘も付いてくるのだろうが、今あれは夢の中だ。

 昨晩に遅くまで回復薬を作っていた二人はその後に勢いで栄養剤作りにまで手を出した。それはまぁ分からなくもないのだが、深夜に完成品を飲んで眠れなくなったというオチはいかがなものか。阿呆じゃろ。


 なので今日は久方ぶりにツカサと二人きりの休日というわけだ。人目を憚ることなく会話をしてくれるので儂も大満足である。カカカ。


「んーそろそろ大物が掛かりそうな予感がすんだけど」


(それ小一時間前も聞いたぞ)


 ぶっちゃけ飽きてきたんじゃ。

 ツカサは朝一番に竿を買い、人気の無い岩場まで歩いた。そしてさぁ大物を釣るぞと糸を垂らしたはいいが、それから浮きはピクリとも動きはしなかった。間もなく日も真上に来るというのにだ。


 天気は良く晴れていて風も少ない。まさに絶好の釣り日和と言えるのだろうが、変化の無い水面を見続けていて面白いはずもなし。儂、もっと分かりやすい面白さが好きである。


「あーダメだ。ねっむい。……なんだかとても眠いんだ、ジグ」


(儂、そのセリフは知っとるのじゃが作品を見たことはない)


「大丈夫だよ。実は俺もない」


 そう言うとツカサはゴロリと地面に横になってしまった。

 無理もあるまい。頻繁に魚がかかるならともかく、徹夜明けにボーっと浮きを眺めているだけなのは拷問に近かかろう。釣り日和とは言い換えれば昼寝日和でもあるのだった。


 季節もそろそろ夏のはず。日差しはポカポカを通り越して暑いのだろう。時折撫でる風に気持ちよさそうに顔を緩ませるツカサを眺めながら、寝るなら寝てしまえと声を掛けた。竿が引いたら起こしてやろうかの。


「なあジグ」


(おおん?)


 油断をしているとツカサは眼を閉じたままに声を掛けてきた。

 その表情は今にも眠りに落ちそうな、なんとも気の抜けたものである。可愛い。


「俺さ、武術大会で勝てるかな?」


(勝ちたいんか?)


「んーどうかなぁ。騎士団は出れない大会だからレベルは低いって聞いてるけど、ヴァンが出るだろ。アイツは今も剣振ってるんだろうなって考えると、むしろ出ていいのかなとか思う」


 これである。ツカサはこの世界にきた時と比べれば腕っぷしは強くなったが、気持ちがいまだに戦士ではない。それは仕方がないのだろう。ツカサは魔獣くらいにしか剣を向けて来なかったのだから。というか儂の役目が無くなるのでこのままでもよい。


(武術というからには武を競うのだ。構わず蹂躙してしまえい。俺TUEEEするチャンスであるぞ)


「はは、そりゃ気持ちよさそうだ。するとなおさら魔剣技が完成しなかったのが残念だな。どうせなら必殺技をお披露目したかったよ」


(ああうん……あれではのぅ)


 ツカサは魔力を光属性に性質変化させる事を習得した。しかし光は光るものという先入観か、ツカサが変化させた魔力はただ発光するだけなのだった。


 剣に魔力を流し「ライトセイバー!」などと一発芸をしたあげく悲しみに膝を折った姿は哀愁が凄かった。儂でさえなんて慰めようかと言葉を悩んだほどだ。


「いいんだ。俺はそのうちビームを習得するんだ。剣士を名乗るならビームくらい打てないとな」


 「父さんに自慢出来るな」と溢すニヤケ顔のツカサを見て、心の奥がムズムズするような心境になった。そしてつい「お前さんはまだ帰りたいのか」と口が滑ってしまう。


 儂とて、出来るものならばツカサには地球という平穏な世界で相模司として生きてもらいたい。だが、だ。異世界への帰還。なんとも果て無く遠い旅路だ。そして旅の果てに答えがあるとも限らないではないか。その道が困難であるならば、ツカサには辛い思いをして貰いたくはなかった。


「そうだね。正直、前ほど帰りたいとは思ってないよ。つか帰るなんて目的を忘れる時もある。そのくらい今の生活は楽しい」


 ポツリと告白があった。瞳は閉じて、普段の豊かな感情は顔を潜めている。それでも気負いない声色が本心であると伝えてくれる。


「お金もなんとか稼げるし、友達も知り合いも、もう地球より多いんだ。これもイグニスのおかげなのかな」


 たった数か月の生活で追い抜いてしまったとツカサは自嘲した。部屋に引き篭もっていたとは聞いたが、それほどに地球の生活では人付き合いがなかったのだろう。


 どうやら視線に怯えていたらしい。こいつにとって、他人の存在しない自室だけが、唯一の聖域だったのだ。


 儂はこの件に負い目がある。儂が別れ際に目を合わせたのが理由なのではないかと考えてしまうのだ。ツカサはもう少し大きくなってからだと否定したが、ツカサに残る儂の残滓がいよいよ消えようとしていたのを本能的に理解したのではないだろうか。


「でも思うんだ。こっちって電波ないじゃん。ネット出来ないアニメ見れない漫画読めないはオタクにとって結構致命的なんだよな。俺、ひとつなぎの大秘宝の正体を知るまで死ねないんだけど」


 そうだ。フィーネちゃんを見習って、帰ったらこの世界の経験を生かして小説家にでもなろうかな。いや、俺なんかが主人公の話じゃうけないか。なにか感情を誤魔化す様に饒舌で、そして早口で。


(お前さん……)


「ごめん。違うんだジグ……。父さんと母さんに元気でやってますって伝えたいなって考えたら自然と……」


 やはり帰りたいかなどと聞くのは失言だったのだろう。

 ツカサはツカサなりに郷愁の思いを封じ込めていたのだ。迂闊に突いて、溢れさせてしまった。涙を。


(良い。良いのだよ、お前さん。お前さんが地の果て天の果てまで征くと言うのなら、儂とて何処までも付き合うさ)


「……うん。迷惑かけるな」 


(なんの。元はと言えば儂が元凶よ)


「そっか。それもそうだ。じゃあ責任取って最後まで付いてきてくれ」


 黒曜石の様に輝く瞳と目が合った。姿は大きくなったのに、赤ん坊の頃からまったく変わらない綺麗な瞳だ。儂はこの目に頼まれたら断る術を知らなくて、ついつい全肯定したくなってしまう。

 

(んむ。って、あー! 引いとる! 竿引いとるぞお前さん!)


「ついに来たか! マグロか! サーモンか!?」


 何釣ろうとしてたのだコヤツ。常識的に考えてマグロはおらんじゃろ。湖ぞここ。

 ツカサは勢いよく身を起こし釣り竿に飛びついた。糸の暴れは少ないが、竿は大きくしなり、それなりに大物が掛かった事が予想出来た。これには儂も大興奮である。


(おお! いけいけ! グイっとグイっと!)


 儂の声援を背に、ツカサは魔力を込めて一気に引き上げようと腰を入れる。

 その判断は正解だろう。魔獣が掛かる事を想定された釣り具は地球の物に比べれば頑丈であるが、しょせんは安竿だ。ツカサは手応えから耐久力に不安を感じ取ったのだろう。


「フィーッシュ!!」


 かくして竿はメキメキと亀裂が走りながらも本懐を果たした。

 水中より飛び出してきたのは、40センチ程度の貝だった。尖った貝からウネウネと触手が生えている烏賊貝である。影を見て魚ではなかったかとガッカリするツカサだが、儂はその後ろで跳ねる影を見ていた。


(カカカ! これはこれは!)


 予想の通り烏賊貝は空中で消える事になる。水面より現れた魚に食べられたのだ。証拠にとその魚の牙には竿の糸が引っかかっていて。ツカサは壊れた竿を捨て慌てて糸を手づかみした。


「ちょちょちょ。何? アンモナイトが釣れて食われて、何が釣れたのあれ!?」


 その生物は黒く太くそして長い。表面はツルテカといやらしく照り、なにより多頭で蠢いていた。


(八つ尾鰻だな。なんかこう、妙にエロいの!)


「あ、だよな。俺にも完全にいやらしい触手に見える。けど、鰻か。美味そうだな」


(美味そう……か?)


 あれを見て食欲を覚えるあたり、もう完全にこちらの流儀に馴染んでいるようだった。


 ツカサは鰻の大きさを見て釣り上げる事をあきらめたのか、糸を片手にヴァニタスを引き抜いた。仕留める気らしい。


 やたらと上達した投擲術は表面の粘液をものともせずに刃を身に差し込んだ。攻撃をくらい八つの尾をブンブンと振る姿は実に卑猥であるわな。


 そして暫く格闘する事になるのじゃが……。


「ジグ! 交代! 交代してー!」


(……いやじゃ)


「こんなに頼んでもだめかな!?」


(いやじゃ!)


 すまんな。いくら

お前さんの頼みでも、水に引き落とされてヌメヌメプレイしてる最中はちょっと……。なお、鰻はちゃんと狩り美味しく食べていた。儂には分けてくれんかったがのカカカ。


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