第121話 閑話 それぞれの日常3
アトミスに報告を終えて家に戻れば、黒髪の少年が犬の様に駆け寄ってきた。
どうやら頼んでおいた買い出しを無事にこなしたらしく、どこか自慢気な顔をしている。そんなに判りづらい物は頼んでいないので、子どもじゃあるまいし出来て当然だと言えば、ツカサは眉をしかめて不満を口にした。
「いやいや。なんの暗号かと思って随分悩んだから」
はて何の事かと首を捻った。私は書いてある素材を買い揃える様にと言って覚書を渡しただけだ……言ったっけかな?出掛けだったので慌てて書くだけ書いて渡した様な気もしなくはない。
「あ~私さ、君に買い物してこいって言って……」
「ないよ?」
「……ごめん。それは私が悪かった」
なるほどそれでは暗号だ。ツカサから見れば何かよくわからない単語の羅列でしかなかった事だろう。
「で、フィーネに教えて貰ったわけか」
「……当たり」
一人で宿題をこなしたのでないと明るみに出てばつが悪いのか、ツカサは唇を尖らせフイと顔を背けた。その様子に私はなにも責めやしないよと苦笑してしまう。
「なんでフィーネちゃんだって判ったの?」
「覚書を理解できるのがフィーネしかいないからさ」
カノンやヴァンが見ても意味は理解出来なかったはずだ。ついでに言えばフィーネは買い出しにも付き合っているのだろう。買ってきた素材を検品すれば、中々に良い目利きがされている。私は全ての素材が揃っている事を確認してから、うんと一つ頷いて、ツカサに良く出来ましたと花丸を出す。
この男は相変わらず感情を隠すという事を知らないもので、口では当然と澄ました事を言うが、表情は何とも嬉しそうに綻んでいた。まったく可愛い奴である。
「それじゃあ着替えてくるから少し待ってなさい。回復薬の作り方を教えてあげよう」
「ポーションきたー!」
◆
確か前に傷薬を作ってあげたのはサマタイに寄った時だったか。
そうだ。あの時は薬草採取という都合のいい仕事が見つかったので、ついでに持たせようと思ったのだ。
ツカサはあれから随分と強く成長したと思うのだけど、如何せん無鉄砲ぶりだけは変わらない。変わってくれない。
普段は温厚で貴族はおろか市民にさえ丁寧な口を効き、冒険者ギルドでは自分より身長が高いとはいえ魔力も使えない男達におどおどとして。それなのに時折誰よりも勇敢になる。
いや、勇敢という言葉は相応しくないのだろう。結局は今も自分の価値を認められなくて軽い命だと思っているだけなのだ。そして私はそんな彼の事が酷く心配なのである。信用も信頼もしているのだけど、それでも、ふと目を離した瞬間に、どこか遠くに行ってしまうような危うさがツカサにはあった。
「ねえイグニス。本家のほうでも思ったんだけどさ、人の部屋としてこれはどうなの?」
「うっさいな。これが合理的なんだよ」
案内したのは私の私室だ。学院生活の五年間を過ごした部屋は、本と資料が山ほど積み上がり、機材と素材が所狭しと並んでいる。確かに女の子らしくはないかもしれない。
かろうじて寝台があるおかげで自室の体面を保っているが、ぱっと見は完全に実験室か何かだろう。我ながら人を呼ぶ部屋ではないとは思う。
言い訳をすれば、以前は別室で機材の管理などはしていたのだが、寝泊りする事が多くて結局布団を持ち込んだのだ。だから結論として自室のほうが便利なのである。下着姿で過ごしても誰にも怒られないしね。
「んで、何からしますか先生」
「そうだね。まずは買ってきた物を机に並べて、名前と効果の確認から行こうか」
んふふ。先生だって。良い響きだね。私が彼について知っている程度には、彼も私を知ってくれている。なので中々的確にツボを突いてくるものだ。先生張り切っちゃうぞー!
「これはリコという植物の葉。以前君に傷薬を渡したの覚えているかな? その時にも使った物だよ」
「ほうほう。リコの葉ね。葉っぱは全然見分けつかないんだよなぁ」
「そのうち慣れるさ。特にリコは葉自体に消毒作用や炎症を抑える作用があるから患部に貼るだけでも効果があるよ」
もの珍しそうにへぇと葉を観察するツカサに食べてごらんと促す。彼は私の言葉を疑いもせずに端を齧り鼻先に皺を寄せた。まぁそうなるだろう。なんといっても凄く苦いから。
「にっが!」
「だろうね。ついでに断面を見てみなさい。粘度のある液体が出てるだろう。すり潰して塗れば止血も出来るとても便利な葉だよ」
「苦いんですけど!?」
「だから知ってるって」
その後も素材の名前と効果をツカサに説明をする。
ロエ草、ララナの葉、サルミスの根、ロカイの茎、ブエナの実にギーアの種。
今回揃えたのは比較的簡単な回復薬の材料であり、それぞれに効能があるので薬屋にでも行けば入手も楽なものばかりだ。
回復薬とは文字通りに傷の修復をする代物である。
この程度の材料で作る物ではそこまで高い効果は期待できないが、それでも浅い切り傷程度ならばすぐさまに塞いでしまう。
「うん。そうそう。ロエ草は煎じて、サルミスの根は叩いてよく解す。ギーアの種は火の魔石を入れた水に漬けるんだ」
意外な事にツカサは初の作業にしては指示通りにテキパキと動いた。
調合の肝はなんといっても分量なので秤や計量器の扱いも教えるつもりだったのだけど必要はなさそうである。
「へぇ。君は簡単な機材なら扱えるんだね」
「まあこのくらいは理科の実験で使ったし。今机の上で分からないのはコレくらいかな」
「ああ、蒸留器。沸点の違いで成分が分離出来るんだ。気を付けるのは温度管理だけど魔力式だから放置するだけさ」
私は手は出さないで指示だけを出す。ツカサは了解と元気に頷き、熱心に作業をこなす。間に挟まれる会話は、浮かんだ疑問や工程の確認程度のもので、黙々と時間は過ぎていった。
今回、ツカサに回復薬を教えようと思ったのは、知っておいて欲しかったからだ。この先も、出来ればずっと傍には居てあげたいけれど。可能な限り手は尽くすけれど、それでも離れ離れになってしまった時に、ほんの少しでも私の知識が彼の支えになって欲しいと、そう願う。
「ねえイグニス。なんか怪我に効く素材を使ってるのは分かったけど、これで本当に回復薬ってほど効果あるの?」
「いい質問だ。ただの調合なら確かに多少怪我に効くくらいだろうね。でもこれから魔力で処理を行うんだ。フェヌア教初心者の神聖術くらいには効果あるよ」
腹に穴が開いたり腕をもがれたりと大怪我をしては回復魔法の世話になっている彼である。なるほどと神妙な顔で頷ていた。
「ついでだから言うけど、回復薬では無属性の魔力を作るんだ。素材から属性を抜いたり移したり相殺したりしてね」
「無属性? 最初から属性の無い素材じゃだめなの?」
「うん駄目。食事で摂るくらいの微量ならともかく、怪我を治すほどの濃い魔力だとどうしても属性は混じるんだ」
これは回復魔法でも同じ事が言えた。生物が持つ魔力属性はとかく複雑なのだ。認識できる強い属性の陰には必ず微弱だろうと他の属性が紛れている。当然だ、血を繋ぐというのは血を混ぜる行為なのだから。素材が植物由来なのはその為だ。
魔力を扱うといっても方法は確立されているものなので、手順に倣えばツカサでも苦労は……あまりなく回復薬が完成する。硝子の容器に溜まる薄緑の液体に「おおついに!」と感涙する少年をよそに、視線を窓へと向ければ日はとっくに落ちているのであった。
「って待てい! なんで飲もうとしてるんだ君は!」
「ええ! だってポーションといったら飲み薬だろ!」
「液体の薬の事だよ。患部を治すのに飲んだら効率悪いだろう」
一体なにが気に食わなかったのかツカサはとてもとても悲しそうな顔をする。そんなに飲みたかったのか君は。
「ええと。とりあえずおめでとう。じゃあ最後に用法と容量についてね」
「用法……容量?」
今度は表情を一転させ、そんな言葉初めて聞いたとでも言いだしそうな顔である。まさかこんな劇薬を適当に扱えると思っていたのだろうか。
年齢や体重で使用できる量は変わるし、怪我重度や状態によっては使用は逆に危険だ。例を挙げるなら骨折に使用した場合は骨を正しい位置に戻さなければ、そのまま接いでしまう。
「ま、まってイグニス。話を聞いてくれ。これはジグにも同意を得られた意見なんだけど」
「……なんだよ」
「あのね。俺の思ってたのと違う」
「知るか!」
時間を悟られぬように窓掛けを閉めた。じゃあどんなのが欲しいのだと聞けば、ツカサは美味しくて飲んだら体力が100回復する奴だと言う。
なんじゃそら。まあ体力100が何を示すかは分からないが、せっかくだし滋養強壮のある飲み物も伝授しておこうじゃないか。回復薬は使うと体力を消耗するので丁度いいだろう。まぁ苦いのだけどね。
「それじゃあ君のご要望の品も作ろうか」
また彼がイグニースと叫ぶ姿が用意に想像出来て、なんとも楽しい心持だった。
どうにもツカサは反応がいいので私まで悪戯心が芽生えているようである。
そして深夜。想像の通りに「イグニース!!」と声が上がり、その時ばかりは私もお腹を抱えて笑ってしまった。ああ、楽しいね君と過ごす時間は。
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