第112話 屋根裏部屋の密会3



「魔大陸にそびえる大霊峰ベルバニア。常に雲を引っ掛ける高山は、下からでは頂を見ること決して叶わず。また頂より見下ろせば果て無き雲海が地を隠す。儂の故郷ジグルベインはそんな天と地の狭間にあった」


 鈴の様な声色は実につまらなそうに言葉を紡ぎ始めた。

 ジグルベインは何を思うのか、視線は床に置かれたランタンに固定されている。暗い室内で揺ら揺らと踊る炎を、目を細めてぼんやりと眺めていた。


「天使の外見は皆中性的でな。身体的特徴で言えば、魔力の羽のほかには両性具有であることくらいか。ドゥオルオも例に及ばず、可愛い顔して上にも下にもえげつない物をぶら下げておったわ」


「おお。あれは確かに、なかなかに立派だったな」


 ジグとシエルさんは何を思い出しているのか二人してウムウムと頷いていた。

 そして俺も驚愕にみまわれる。天使は皆股間に生えていると、ふたなりなのだと、自称天使のジグが語るのである。イグニスも疑問に思ったのか、彼女の発した言葉はまさに俺の言いたい台詞であった。


「お前生えてるのか!?」


「阿呆か、生えてとりゃせんわい!!」


 吠える様に否定するジグだが、叫んだ後でボリボリと頭部を掻いて。「まぁそれが間違いだったのかも知れんがな」と酒の入った瓶を呷る。


「儂は女であった。故に出来損ないとして扱われるのだが、も一つ問題があってな。なんと儂は強すぎたのよ。カカカ」


 自慢とも自嘲ともとれる高笑い。なんでも天使には翼の数が重要なものらしい。魔力が凝縮して出来たものだけに、力の象徴として階級の指標になるのだと言う。


 大体の天使は一対の、つまり2翼の羽が背中から生えているそうだ。

 魔獣でいう進化に当たる成長をすれば増える様だが、4翼とは天使にとっての憧れでエリート的な存在であり、6翼にもなればもはや神に等しい存在らしい。


「その赤子はなんと6翼を持って生まれたそうだ。しかし天使としては欠陥の半性である。のぉ、赤子は一体どんな扱いを受けたと思う?」


「…………」


 イグニスは答えられなかった。そして俺も同様に、声は出せなかった。

 知っているのである。ジグルベインが故郷を滅ぼした事を。そして今、その背中に翼が無い事を。


「周囲からの祝福は得られなかった。親からは名も貰えなかった。誰も彼もが恐怖が先に立ち、自分より優れた赤子など到底に認められなかったのだ。儂は羽をもぎとられ、地下深くに幽閉され、孕み袋とするべく、子が成せる身体になるまでの間、隔離された」


 ジグルベインはあくまで淡々と語るが俺の心は張り裂けそうだった。

 俺の知るジグは明るく元気な粗暴者だ。劇で故郷を滅ぼしたと知った時は一体どんな癇癪を起したのかと呆れたものだが、怨だ。彼女は明確な憎しみで故郷を焼いたのである。


 辛かっただろう。そしてこんな話をするのも苦しいだろう。

 今にこそ彼女を抱きしめる腕が無いのがもどかしい。手を重ねてさえあげれない自分の無力さを思い知る。


(ジグ……) 


「ん。まぁそんな昔話は今はいいの。してドゥオルオとは町を滅ぼしてる最中に出会うのだが。カカ。奴はもう翼もない儂を美しいと呼び、忠誠を誓った変わり種よ」


「ちなみにだ。私と同格のドゥオルオだが、奴の翼は4枚だ。6翼というのはそれだけ規格外なのさ。コイツは正しくジグルベインという町が生んだ怪物だよ」


「カカカ! さすが儂、さすわし! まぁ魔王として世界滅ぼそうと決めるのはまた別の話なのじゃが、言いたいのはドゥオは天使族ということよな」


「待て待て! 世界滅ぼそうとするくだりをさもどうでもいい様に流すな!」


 魔王の過去話に知識欲を掻き立てられたのか魔女が噛みついた。ジグは喧しいとデコピンをするとイグニスは大きく仰け反りひっくり返る。痛いと額を抑えながら起き上がった彼女の目には薄っすらと光るものがあった。


「先も言ったが、天使の本分は肉体の凌駕にある。仮にあやつが儂の肉体を手に入れたならば、蘇生よりも儂の魔力を奪うのではないかと睨んでおる」


「なるほど。あり得るな。そしてこれで僕はジグ様と一体化したんだーとか言いそうだ。言うぞ」


 茶化すシエルさんにジグは「やめい鳥肌が立つわ」とわりと本気で気持ち悪がった。

 イグニスは「ふむ」といまいち釈然としない顔持ちで口を挟む。


「羽か?」


「うむ。儂の体にアホ程魔力をぶち込み溢れさせ、翼でも育てておるのではないだろうか。ベルバニアの御山は地脈としても一等地だしな」


 やはりと言うか、通常は人間でも魔獣でも死体に魔法的価値は少ないようだ。

 魔力を貯めるならば大きさを考慮すれば鉱物のほうが優れているらしい。あくまでも損傷の無い混沌の魔王の死体だからこそ価値があるのである。


 そしてジグルベインは己の肉体にもう一つの付加価値を見い出していた。

 天使の羽。身体から溢れる魔力を高密度に圧縮して出来たそれは純然なエネルギーとして見ただけでも計り知れない価値があるようだ。


「死体ならば他人の魔力も受け入れる。いや、多少残滓が残っていたところで、長い時間をかければ融和も叶うか。引き篭もる理由にはなるな。なんだ、いよいよ黒だなドゥオルオめ」


 シエルさんは顎を擦りながらそう言い。「で、ツカサはどうするのだ」と続ける。


「魔大陸は遠く険しい。天と地の狭間なんて私でも行くのは億劫だ。それでも目指すというのなら、私も付いて行ってやるぞ」


 ジグの中の俺を見据えているのだろう。深緑の瞳は真摯にジグと目を合わせる。けれども魔王様はいらんわと一言で拒絶し、魔女も同様に同行を拒んだ。


「お前にはこのラルキルドに居て貰わないと困るんだよ。私がではなく、シャルラ殿がだ」


 イグニスは一応にそう反応をするも、赤い瞳を瞼で閉ざし眉間に皺を寄せている。ブツブツと呟く言葉の断片からは魔力、土地、体という単語が聞き取れた。今までの話を反芻しているのだろう。


 シエルさんはそうかとあっさりと身を引いた。ジグルベインは動かなくなった魔女に興味を失ったのか、視界から外して、そうだそうだと手の平をポンと打つ。


「ああ、そうじゃシエルに聞きたい事があったのだ。恐らく儂の配下の一人だと思うのだが、悪魔に誰ぞ心当たりはあるか? デルグラッドで襲ってきたからぶった切ってくれたのだった」


「悪魔なんてそれなりの数が居たし、奴らは外見がコロコロ変わるからなぁ。真体は見たのか? どんな姿だったんだ」


「ええと? あれは、猿か熊のようじゃったよなぁお前さん?」


(うん。俺にもゴリラっぽく見えたかな)


 デルグラッドで遭遇した悪魔の事だ。そういえばアイツはジグの顔も戦い方も知っていたようなので混沌の魔王とはそれなりに近い位置に居たのだろう。


 なにせ城下町に封印されていた竜の事や獣人の村の転移陣まで把握していたのだ。これがもし混沌軍であれば幹部であったシエルさんは素性を知っている可能性があるのである。


「熊猿か。……あのなぁジルグベイン、そいつはまさにドゥオルオ直属の部下だよ。よく使い走りで城まで来ていたじゃないか」


「おお、であるか! ならば納得じゃ。いや、あんな小物が何故に【軍勢】と伝手があったのかが気掛かりだったのよ。あースッキリ。酒切れたし儂もういいわ」


 ジグは土瓶を逆さにして縁を伝う一滴をペロンと舐めると、笑いながら魔力を放出した。

 ジグルベインの魂は弾かれる様に飛び出して、瞬間身体を覆っていた膜のようなものが砕けて消える。


 肉体と所有権が戻った事を左手をグーパーして確認すれば、霊体のジグがふよふよと浮かびながら俺を見つめていた。最初から最後まで彼女はどうにも自由で、だけどそんな魔王様に安堵する。


(うむ。肉体があるのも酒が飲めるで悪くはないが、やはりお前さんを眺めているのが一番落ち着くのう)


「「ああっ! アイツ言いたい事言って消えやがった!」」


「まだ何か用事あった?」


 あるならば代わるよとイグニスを見れば、なんとも煮え切らない表情で「大丈夫」だと言った。俺に戻った瞬間に僅かに間合いを詰めてくるあたり、いくらイグニスとはいえど魔王と魔王幹部に挟まれるのは重圧だったのだろう。


「で、エルツィオーネ。お前はまだ知りたい事があるのか? 切りがいいなら私もそろそろお開きにしたいところだが」


「……じゃあ最後に一つだけ聞かせてくれ。【堕天】は人間を、勇者を恨んでいるだろうか?」


 シエルさんは軽く目を見開いて、そして伏せる。


「決闘だった。ならば勝手に受けて負けたジグルベインが悪い。というのは、卑怯だろうな。事実だろうとアイツはきっと恨んでいるよ」


「そうか。今日は有意義だったよ。心から感謝する。ありがとう」


 恭しく頭を下げる魔女にシエルさんは調子を崩したのか、長い黒髪を背に流しながら立ち上がった。寝ると灯りも持たずに暗闇に消える背に、俺もありがとうございましたと感謝を伝えると、「ああ」と短い返事が聞こえる。


 愛想はないが、けれど振り返り際に見せた表情は身内にしか見せない様なとても柔らかいものだった。今回は内容が内容だけに密談となったが、次は勇者も交えて喋りたいなと思った。


「あ、鎧さんの事聞き忘れたな」


「そうだね。私だって聞きたい事はまだまだあるさ。次の楽しみにしよう」


 どうやらイグニスも同じ気持ちらしい。

 しかし結局イグニスは深淵の事をシエルさんに明かさなかった。それは自分たちで片づけなければいけない事だと思っているからなのだろうか。


 少しばかりの尊敬を胸に魔女を見やれば、イグニスは瞳に炎を宿し、今にもニチャリと効果音の聞こえそうな黒い笑みを浮かべていて。視線を切った俺は、勘違いだったかと寝て忘れることにする。


「ツカサ。おやすみ、また明日」


 別れ際に不意打ちの様に告げてきた少女に、俺もおやすみと返した。


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