第111話 屋根裏部屋の密会2



「儂もシエルの過去には興味があるのう。聞かせてくれいよ」


 ジグルベインは傾けていた土瓶から口を離すと、ぷはりと息を継いで、満足気にそう言った。


 瓶の中身は言わずもがな酒である。最近は俺が勇者一行と行動を共にしていた為にめっきり交代をする機会も無かったので、久しぶりの飲酒に少しばかりはしゃいでいるようにも思えた。


 酒の出所はイグニスだ。最初からこの密会を計画していた彼女は軽い夜食を用意してくれていて、その時一緒に持ち込んだのだと思う。ジグはそれを嗅ぎつけたのである。


 魔女は魔王のおねだりに仕方なしにコップに分け与えるが、次の瞬間には瓶ごとひったくられ、今は唇を尖らせながらチビチビと大事そうにコップの葡萄酒を飲んでいた。イグニスは「そういう事するのか」と怒気を見せたがジグルベインならばそういう事をする。


「とは言っても、たぶんお前の面白がる話でもないぞ?」


「カカカ。構わんさ。シエルの話が聞きたいのだ」


 ほれと土瓶を突き出すジグ。シエルさんは哀愁混じりにそれを受け取って、一口喉を湿らせた。


「思い出すな。大陸制覇の記念に行った大宴会を」


「おお! 国中の宝物庫を漁って全部酒に変えたやつな! あの時は大陸の酒が全て儂の下に集まったと言っても過言でなかろうや! カカカ!」


(なにやってんだよお前は……)


 聞けば本当に大きな宴だったようで、国や人種はおろか、種族をも超えて無料で酒を振舞ったようだ。数え切れない人数が当時の王都であるデルグラッドに集い、手土産や祝儀でも酒は増え続け。はた迷惑な飲み会は一月に及び長らく国の活動を麻痺させたらしい。


「その逸話は聞いたことがあるな。確かろくでもない結末だったはずだが」


「ああそうだ。乱痴気騒ぎはジグルベインと人蛇の長との飲み比べで終わるのだが。フフ、コイツ、最後の最後で鯨の潮吹きの様に吐き戻してな」


「カカカ。いやさ、あれはナルガさんに釣られたのじゃて!」


 ジグは胡坐組む膝を手で打ち鳴らし、声を弾ませ記憶を引き出す。

 飲み比べ王者決定戦で二人は吐しゃ物を壊れた蛇口の様に噴き出して、その匂いと光景は連鎖で見届けていた周囲の人にまで吐き気を誘ったという。


 一か月も食って飲んでのお祭りをしたツケだろうか。それを皮切りに町中の至る所で貰いゲロが続き、それはそれは臭く汚い大惨事だったとか。


 ちなみに飲み比べの勝負の行方はといえば、ジグルベインは頑として同時だったと負けを認めないが、この魔王様が人をさん付けで呼ぶのだからきっと魂は屈しているのだろう。


「懐かしい話よ。ナルガさんはどうしてるかのぅ」


「逝ったさ。最後まで混沌軍として立派に果たしたそうだ」


 ジグは「であるか」と笑った。強がりではなく事実を飲み込んでいた。

 果たして400年。恐らく今日を生きる知人の方が彼女には少ないのである。友の最後を知れて、それも恥じることない死ならば悲しむ必要が何処にあるとの事だ。


「おい。話が脇にそれすぎだぞ。これじゃあ朝になってしまう」


 談笑をするシエルさんとジグにイグニスが割り込む。魔女にしては声が硬く、恐る恐るという感じで。ギロリと魔王と魔王幹部の二人から視線を集めた少女は、下唇を噛みながらも赤い瞳に強い意志を宿し抗議した。


 意外にも手助けをしたのはジグルベインだった。自分も散々に無駄話をしたくせにシエルさんに真面目にやれと説教をかましたのだ。シエルさんは苦笑をしながら「話を戻す」と言い、イグニスは安堵の息を溢す。


「里帰りと書いてあったのなら、きっとジグルベインが居なくなってすぐの頃の話だろうな」


 魔王城での乱戦でシエルさん含む四天王達は散り散りになったのだという。

 とりわけ大暴れしたのは【軍勢】の魔王が引き連れてきた古竜の死体だったそうだ。混沌に一族を滅ぼされた竜は魔王に魂を渡し、不死の竜として場を掻きまわしたらしい。


「竜を一匹あしらうのはわけないが、流石に死なないのは面倒だった。なので人間に押し付けてやったら存外良い働きをしたものさ」


 シエルさんはカラカラと笑うが、イグニスは頬を引き攣らせていた。

 その竜はきっとデルグラッドの城下町に封印されていた骨竜の事に違いあるまい。勇者が不在で倒せなかったと聞いていたが、どうやら当時は想像以上の脅威だったようだ。


「まぁそんなこんなで命こそ繋いだがね。私は言わば大戦犯だ。もうこの大陸に住まう場所など残されていなかったんだよ」


 黒妖は静かに語る。魔族は人間に負けたのだと。

 元はと言えばジグルベインが侵略した土地なのだ。魔王が討たれたのならば人間が反旗を翻すのは当然だった。


 思えばイグニスもいつかこの国の成り立ちを語っていた。魔王城こそ大きな争いがあったが、四天王が戦争に介入しなかったため泥沼の戦いにはならなかったと。だからここランデレシア王国は早くに国を組織し、軍を持って開拓が出来たのだろう。


「だが戦禍というのは付き纏うものでな。多くの難民や孤児が居た。そんな者達をせめて救おうと思い、森人の里に連れ帰ったのだ。にべもなく追い出されたがな」


「……そりゃそうだろうな」 


「だから暫く私が飼った。この場所に連れてくる事も考えたが、顔を出してみればまだごたついていたのでな。それだけの話さ」


 これが可愛い子王国建設の行方らしい。手記には美少年を侍らせてなど下心満載な事柄が書かれていたが、なんてことはない。戦争孤児を救いたいというシエルさんの優しさだったのである。


 情報的にも手記と一致するのではないだろうか。要するにシエルさんは先に住民を連れて逃げたラルキルド卿のもとへその後の情報を伝えながら、移民を受け入れられる状況か下見に訪れたのだ。


(あれ、今飼ったとか言ってなかった?)


「うむ言った。して、そやつらどした?」


「どうと言われてもな。少し出かけている間に皆居なくなってしまったんだ。どうなったかなんて私が知りたい」


 そこで真実を察したのかイグニスは遠い目をしてこう言った。「少しってどのくらいだ?」と。シエルさんはきょとんとした顔して答える。「少しと言ったら少しだ。ほんの10年くらい」と。


 なんて悲しい時間間隔のすれ違いだろう。ジグと交代している間は表情も動かせないが、心の中で泣いてしまいそうだった。思えばシャルラさんも100年を事もなさげに語っていたが、やはり寿命が長いと時間の価値というのは薄れるのだろうか。


「うーむ。今になって気になってきた。魔獣にでも食われたのだろうか」


「ん? 何故死んだ前提なのだ。人里に降りた可能性もあるだろうに」


「……出られていればいいがな。匿っていたのはラウトゥーラの森だ」


「そりゃ全滅じゃろうなぁ! カカカ!」


 あの秘境に10年の放置。実に笑えない話だった。

 魔獣だけならば或いは戦士ならば戦えるかも知れないが、難民や孤児では難しかろう。そして何より日も届かない深い森は、到底に人の生きていける環境とも思えなかった。これもあるいはすれ違いなのだろうか。シエルさんは個としても種としても強すぎるのだ。


「まったくな。個ではこんなにも貧弱な種族に負けるとは皮肉なものだ」


「ふむ。つまらん話じゃった」


「だから面白い話でもないと言ったろうに」


 肩を竦めたシエルさんは瓶をジグへと返し、ジグはすぐさまに酒を口に運んだ。

 会話が途切れたそのタイミングで、イグニスが「ならば」と再び話題を誘導する。


「わりと早くからラウトゥーラの森を拠点として世界を放浪していたわけか。あの場所を選んだのはやはり聖剣か?」


「他にあるまい。あればかりは人間に渡すには惜しい代物だしな」


 どうやらシエルさんが見つけた時にはもう大地に刺さり抜けなかったそうだ。

 巨大なクレーターも既にあり、後は俺の知る様に聖剣の魔力とシエルさんの魔力で森を育てたらしい。


 イグニスは勇者は一緒に居なかったのかと聞くが、シエルさんは知らんと首を横に振る。

だが生きていたら剣を置いていかないだろうと言って、魔女は納得した。


「ふぅむ。つまりあれか。勇者が遠くに飛ばされたのならば、儂も遠くに飛んだのではないかと」


 そういう事だろう。シエルさんがジグの体を持ち去った犯人は決戦に参加した顔ぶれだろうと言ったのに対し、そもそも体は何処にあったのかと言う意見だ。


 事実聖剣は魔王城から離れた位置に飛来しているので分からなくもない話だが、これ以上推測を重ねても根拠が無くなってしまうのではないかと俺には思える。


「まぁ昔の話すぎて根拠も証拠も探しようが無いか。とするならばやはり怪しい奴を順に探っていくしかないな」


 イグニスの言に対し、ジグは「それなんじゃがのう。正直儂の身体の行方など、どうでもよくないか?」など言う。それには俺を含め全員がいいわけあるかと反論した。


「ま、結局そこに戻ってくるわけだな。【混沌】の一番の忠臣だった【堕天】が仇討ちの戦争に参加もせず消えた。目撃されたのはジグルベインの生まれた地である天と地の境。これ以上に怪しい奴はいない。そうだな?」


「そういう事だな。かく言う私もあれから一度も会って居ないが、確かめる価値はあるはずだ」


 そしてシエルさんは緑の瞳をジグへと向けて。アイツに一番詳しいのはお前だろうと語りの役を明け渡す。


「カッ。であろうな。ドゥオルオとは同族であり、故郷ジグルベインを共に滅ぼした儂の最初の臣下であるわ」


 ジグルベインは何から語るかとしばし思案に耽け、やがてこう口にした。


「悪魔が強き体を求める生き物ならば、儂らの一族は真逆。肉体からの解放を試みる種族でな。身体溢れる濃密な魔力は羽となり、暮らしていた場所が場所だけに、天の使いなどと呼ばれとった」


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