第110話 屋根裏部屋の密会1
深夜に始まる密談の参加者は三名。俺とイグニスとシエルさんだ。
屋根裏部屋という狭い空間でランタンを囲み行われる会議は、いかにも後ろめたい気持ちの表れか。
議題はずばり混沌の魔王。
魔王軍の幹部であり、この400年の生き証人であるシエル・ストレーガにその所存を問うていた。
シエルさんは端整な顔を歪ませ答える。まさか遺体が残っているとは思わなかった。知っていれば何としても確保していただろうと。
やはりジグルベインの体は行方不明だったのだ。その言により体の存在は俺が見たままに保存されているのではという説が一層に濃厚になった。
だがそこで浮かび上がる疑問。ジグルベインは本当に死んでいるのかというものだ。
理由は着飾っているからという細い線であるが、体に損傷がなく魔力も通す状態ならば仮死状態に近いのではとシエルさんは考えを口にする。
色々と聞きたいことはあるのだが、広げすぎても収まりがつかなくなるので、どうやらイグニスはその辺りから纏めていくようだ。
「よし。ではまず混沌の遺体を持ち去った犯人候補の筋から追おう」
ハンカチの上に尻を落とし胡坐をかく魔女は、漂う埃を鬱陶しそうに手で払いながら、ピンと人差し指を立てる。ジグルベインの状態なんて考えるだけ無駄だと。
「私はお前の話に付き合うつもりはない。ツカサに付き合っているのだ」
「当時を振り返り、怪しい奴はいないのか」
緑の瞳が放つ険呑な視線を受けてなお魔女は主導権を握ろうと被せてきた。
話を聞かない赤髪の少女にシエルさんは拳を握りしめたので、俺はまぁまぁと止めに入り、イグニスにさっさと話の続きを促す。
「私としては生き死にはどっちでもいいんだ。肉体と魂の分離が死ならば、死と仮死との違いなんて保存状態の良し悪しでしかないからね」
それは蘇生が出来ようと死体は死体という話だった。SFで定番のコールドスリープ、体温を低温にし肉体の劣化を防ぐという所謂人工冬眠という技術も、解凍出来なければただの凍った死体という事である。
「まぁ、魂をツカサが握っている以上は蘇生はありえないのだろうけど」
それについてはシエルさんもコクリと首を縦に振る。イグニスはそれを確認したうえで、ならばと話を進めた。
「だから犯人からだ。人物を想定しなければ動機も目的も見えてはこない」
魔女は真摯な視線をシエルさんに向ける。それでも褐色美女は知った事かとふいと顔逸らし、代わりに俺の瞳をのぞき込んできた。お前もそれを望むのかと。俺はお願いしますと目を合わせれば、薄い唇は僅かに吊り上がった。
「よし。ツカサが求めるならば仕方があるまい」
「私と対応が全然ちがーう!」
「そうだな。とりあえず、ジグルベインが居なくなってからの話を聞いてくれ」
いかにも不満げなイグニスをよしよしと慰めながら彼女の隣に移動した。二人でシエルさんと向き合う形である。なんとなしに胡坐から体育座りに変えて話を聞く体勢をとれば、高く澄み渡る声がツラツラと流れる。まるでハープの演奏会でも聞いている様な心地だった。
「私とて何もずっとあの森に引き籠っていたわけではないのだ。むしろ100年程は世界中を奔走していた」
何故ですかと相槌を打てば、カカンと「決まっている尻ぬぐいだよと」言葉が打たれる。
「敵がね、多すぎたんだ。ジグルベインの馬鹿は勢力図などお構いなしに喧嘩を売っていたから、それはもう大変な規模の戦闘になった」
その言葉に待ったをかけるのは赤髪の少女。胡坐かく膝を若干に揺すりながら、話に割り込んで、瞳には好奇の色が映っていた。
「混沌が落ちた後の大陸戦争の事だな? 各地で争いがあったのは知っているが、それ程大規模ではなかったはずだ」
「それは人間側からの視点だな。確かにそちらから見れば魔族同士が潰しあっている様にしか見えなかったかも知れない」
なるほどと顎に手を当て頷く魔女に、どういう事と尋ねれば、ハスキーな声が弾みながらに答えてくれた。
「うん。黒妖の言う通りだ。人間から見れば魔族は魔族だったという事だろう」
当時の勢力として、この大陸は混沌の配下とし魔族の他に人類が暮らしていた。そこまでは理解が出来る。そしてジグが死んだ後の話だ。
人間側の記録では、大陸を取り戻す為に人類が大量に流れ込んでいるそうだ。勇者側の勢力である。俺はほほうと頷いた。
考えて見ればジグと戦った勇者ファルスはこの大陸の人間ではないのだろう。ならばイグニスの血族であるエルツィオーネも元は他の地の生まれなのだろうと察する。
そして人類が結託して戦った魔族というのも、混沌軍の他に様々な勢力が混じっていたという事だ。それだけ敵味方が入り乱れての戦いならば、確かに嫌でも大規模な争いになることだろう。
「じゃあ人側が戦った魔族というのは、なにもジグ側だけの勢力じゃなかったって事か」
視点を変えればシエルさん達混沌側は、大陸内外の人間と大陸外の魔族に挟撃されたという事になる。良く無事に生き残っていてくれたものだ。
「幸いこちらには神が二柱も味方していてくれたからな。クロノ・クリアとフィルド・エリアスには世話になった。もっともこれを契機に縁を切られてしまったがね」
やはり元はジグルベインの一枚岩の組織。大将を失った後は組織に求心力は無かったようだ。
シエルさんはそれでも残った盟友の場所に赴き調停していたらしい。その時の記憶を思い出すのか、シエルさんの顔は非常に苦々しいものである。
「まぁ私の苦労話などどうでもいいな。話を戻そう。ジグルベインの遺体を運びだす機会があったとするならば、デルグラッドでの乱戦の時以外あり得ないだろう」
デルグラッド。俺がこの世界で最初に地を踏んだ場所だ。魔王の根城があっただけにイグニスからも大きな争いがあったとは聞いている。俺の知る景色にしても、城こそかろうじて原型を残すが、塔も城壁も崩れ、城下町は跡形も残ってはいなかった。
「酷かった。混沌軍と軍勢軍と勇者一行が率いる人間軍との三つ巴の戦いだ。恐らく最も大きな戦力が集まった場所だ」
影縫い事、初代ラルキルド領領主が撤退を余儀なくされた戦いらしい。思えば人間側の大軍からは町人を守り切った人物なのでそれ程に過酷な戦場だったのだろう。
人間側は勇者の弔い合戦にやってきた勇者一行達。魔族側はなんと敵の魔王が直々に出向いていて、それを迎え撃つのは混沌軍の四天王だったそうだ。
「錚々たる面子だな。そしてつまり、その場に集まっていた者の誰かこそ、ジグルベインを手に入れた奴という訳か」
シエルさんは黒真珠のような艶を持つ長い髪を掻き上げて、そういう事になるなと肯定した。
「だが言ったろう。その後私はしばらく世界を奔走した。当時の魔族側の情勢は大方把握していたつもりだ。だから怪しいのは人間と、そして身内なのさ……」
「なるほど。ラルキルド卿も手記に【堕天】が不穏だと残しているが、やはりお前の目から見ても怪しいのか?」
「手記? ほうそんなものがあるのか。正直アイツがジグルベインを手に入れていたならば、埋葬せずに保存して蘇生を考えてもおかしくはないし、何なら着飾らせている事にも納得する」
シエルさんが話してくれたのはまさに手記の補足をする様な内容で、断片だった情報が繋がっていく。しかしどうでもいい事なのだが若干の差異が気になったので、俺も質問をしてみる事にした。
「あの、手記では確かシエルさんは里帰りしたとか、可愛い子王国作るとか書いてあったんですが……」
(おお! あったのあったの!)
「……」
饒舌に過去を語っていた時とは打って変わり、能面を思わせる無表情ぶりだった。緑の瞳の半分を閉ざし、細められた視線は所在なさげに宙を舞う。か細い声が「何の事か分からない」と告げるが、それはフィーネちゃんでなくても嘘ですと言いたくなる音色だった。
「堕天……ドゥオルオの話に戻るぞ」
脇道に逸れた発言だったのは分かるが、余程に話したくないのか、シエルさんは強引に軌道修正を掛ける。イグニスは弱みを見つけたからかニタニタと情報が合わないのは良くないと詰め寄り、ジグルベインまで便乗して変われ変われと囃し立ててきた。
俺はそういえばジグとシエルさんの会話出来る少ない機会かと思い、あくまで善意でジグと交代した。微量の魔力しか渡してないので何もしなくても一時間程で戻るだろう。
「!? ツカサ、貴様!?」
「おおん? 儂が居ては都合が悪いのかにゃあシエル~」
魔女と魔王に挟まれた魔王軍幹部は「もう帰る!」と腰を浮かすが、そうは問屋が卸さない。イグニスが準備良く夜食と飲み物を用意していたので小休止を取りながら夜は更けていく。
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