第109話 寝静まった夜に



 それはみんなが寝静まった夜遅くの出来事だった。

 特別に寝苦しい夜というわけでもないのだが、はたと意識が浮上する。


 微睡みの気怠さが心地よく、しかし、布団の中で寝返りを打っているうちに、ゆっくりと頭は覚醒していった。


 シエルさんが急遽に用意した寝床は牧草にシーツを被せた簡素なものだった。多少チクチクとするのだけど、思いの他寝心地は良く、顔を押し付け深呼吸をすれば干された草の優しい香りがたっぷりとして。それがどこか畳を思い出し懐かしい気持ちになれる。


 重い瞼をようやっとに持ち上げる。まだぼんやりする眼に映るのは真っ暗な夜の世界。思わずふぁと零れた欠伸が目元に涙を浮かべ、視界は一層に掠れてしまう。目を指でぐにぐにと擦り焦点を取り戻せば、薄闇に包まれた室内をなんとか見る事が出来た。


「で、どうかしたのジグ」


 お月様のような金色の瞳が俺を覗き込んでいた。場所はあろうことか頭上だ。天井から銀髪の女性の生首が生えているのである。寝起き一番にこの光景が目に飛び込んできたら俺はきっと悲鳴を上げていた事だろう。


(おう起こしてすまんの。何やら上でシエルが呼んでいてな)


 上と聞いて疑問が浮かぶ。洋館は二階建てなのだ。どういう事だとポカンと天井を見つめていると、ジグから屋根裏部屋じゃいと答えが貰えた。なるほど、どうもまだ頭は起きていないようだ。


(別に無視しても構わんのだが……)


「まぁお前の話だよなぁ」


 チラリと視線を移せば隣のベッドではヴァンがガーガーとイビキを立てている。そう同室なのだ。


 ラルキルド領では、領主の家といえ6人分の寝具の準備は無い。泊まる人が居ないのだからしょうがない。だからこんな回りくどい呼び出しをしたのだろう。


(んむ。お前さんと添い寝しとったら窓から花が投げ込まれてのう)


 それで出所を探していたら屋根裏部屋に居るシエルさんを見つけたのだそうな。経緯を聞けば確かにジグの霊体を上手く利用した呼び出しである。俺はんーと大きく伸びをし、隣で眠る少年を起こなさいように部屋を出た。



「やあ来たか」


 屋根裏部屋に辿り着けば、そこにはシエルさんの他にイグニスの姿もあった。

 何故にと頭を捻っていると、魔女にこっちこっちと手招きをされて、招かれるままに少女の隣に座り込む。


 屋根裏部屋は名前の通りに屋根と部屋の隙間の空間だ。天井は低く、普段は倉庫なのか多少埃っぽい。しかしそれがまた秘密基地を思わせて、内心少しワクワクしてしまう。


「それで、これは一体なんの集まりですか?」


「さてな。それはこっちが聞きたいものだ」


 黒髪美人はややウンザリとした顔で言った。なんとシエルさんも呼び出された側という。すると主犯は一人という事になるので、どういう事だおいとイグニスに視線を投げかけた。


「しょうがないだろ。今日はフィーネ達も居るんだ、夜遅くに部屋を訪れて夜這いと勘違いされるだなんてごめんだ」


「違いますー。場所の話をしてるんじゃありませんー」


「え? ……なぁ君さ、一体なんのためにラウトゥーラの森まで行ったか覚えてるかい?」


 赤い目の生ゴミを見る様な視線に晒されながら少し考えてみた。俺はシャルラさんが側近を探していたので伝言役をした。そのシエルさんをラルキルド領まで連れてきたのでお役御免かと思ったのだが。


 話はもっと前。そう、ちょうどラルキルド領で影縫の手記に黒妖の名前が出たからラウトゥーラの森に行く事になった訳で……。


「あー! 俺シエルさんに聞きたい事あったんだ!」


「だよな? 私達は一度はこうして集まる必要があったわけだよ」


 ここで俺は今日の趣旨をようやく理解した。苦労したにもかかわらず危うく何の情報も得ずに別れてしまうところだったのである。危ない危ない。


「ふぅん、私に聞きたい事とはなんだい」


 ランタンを囲み密会が始まる。揺らめく炎が微かに三人の顔を照らし、背後で影が躍る。

 この話題は確かに勇者がいては出来ないものだ。集まりを悟られたくないから直前まで知らせが無かったのである。


「ジグルベインの事を教えて欲しいんです」


 俺の尋ねた事は二つ。世界を渡る方法とそして混沌の魔王の遺体の所存だ。

 シエルさんはエメラルドの様な瞳をすぅと細めると、俺の真意を見定める様に視線を強めた。


「なんだその質問は。まだこの世にあるというのかアイツの肉体が。もう400年も前の話だぞ」


「俺はジグの異界を経由してこの世界に来ました。その時、異界で確かに触れました」


「……すまない。異世界に戻る方法も、ジグルベインの体も私は知らない」


 知っていれば何としても確保しただろうと臣下は後悔を顔に出す。そんなシエルさんの反応を伺いながら、魔女はつまりだ、と口を挟んできた。


「お前達は埋葬していないんだな? 混沌の死は、誰も確認していないと」


「そうだ。あの決戦の後、誰も魔王と勇者を確認した者はいない」


 シエルさんは言う。魔王城には部屋が保存してあっただろうと。俺はそのお陰で今日まで生きているのでコクリと頷く。

 

「あれは、時神がジグルベインはきっと生きているからと残したものだよ」


 生死不明だからこそ残されたのだと。ならばきっと帰ってくると願いが込められていたのである。その愛情に胸が痛くなった。きっと俺の両親も、部屋をそのままに帰還を待ちわびているだろうから。待っていてくれたら、いいなぁ。


「ならさシエル。遺体を持ち去りそうな奴に心当たりはないのか?」


 もし当時の人間が手に入れていたならば首を晒され記録が残るだろう。400年という期間表に出てこない事を考えれば魔族の誰かしらが回収したのではないか。


 イグニスの言葉に顎に手を当て考え込む仕草をするシエルさん。俺にジグの本体を見た時の情報をくれと言うので、俺はあの日の事を思い出しながら、なるべく細かく伝えた。


 彼女を見たのは混沌世界。暗く明るい銀河の様な場所だった。真ん中にポツリと存在する王座に黒いドレスで着飾ったその人は鎮座して居て。今でも鮮明に思い出す肌の冷たさ、血の気の無い顔色と、吐息をしない唇。


「身体が無事という前提。異界能力を使える状態。黒衣で着飾っている……か。一つ気になったのだがジグルベインは本当に死んでいたのか?」


「ふぇえ!?」


(ジデマ!?)


 シエルさんの言葉に俺とジグは目玉を飛び出した。理由なくそんな事は言わないだろうから、はよはよと続きを促す。


「いや、気になっただけなのだが。着飾るというのは道具扱いにしては扱いが良すぎる」


 死体を道具として利用したいだけならばそれこそ裸でも効果は同じだ。だから実は仮死状態なのではないかと推測したらしい。


 吐息をしないのは勿論、肌が冷たかったのは冷凍保存に似た延命処置であり、魔力を込める事で蘇生を狙っているのではないかという考えだ。


「まてまて。死体を着飾る奴も崇拝する奴も世の中にはいるぞ」


「だから気になっただけだと言っているだろう。それにな」


 魔王を道具として扱いその力を振るえるならば、それはもう魔王と同義だろうと。

 しかし被害がないのである。この400の間に混沌の魔王の再来など風の噂にも聞いたことがないと。


 一つは体の所有者が力ではなく蘇生を試みているから。もう一つは、俺がこの世界に来た事で初めて能力が発現したかだ。 どちらにせよ長い期間保存が行われているのは確定で、ジグルベインに道具以上の価値を見出しているだろうという事である。


 イグニスはその推測を聞き、口を手で覆い思考に耽る。なので俺が代わりに喋らせて貰った。


「もしかしたらジグが息を吹き返す可能性もあるってことですね!」


 加えて目的が同じであれば争う必要もないのである。持ち主を探し出せればの話だが。


「さてね。でも死体か。それは考えもしなかった事だ。これはアイツを問いただす必要があるかもしれんな」


 シエルさんの話では、ジグの死の後すぐに行方を眩ませた四天王が居るらしい。

 いつぞか手記に書いてあった【堕天】という人物だろう。


「そうドゥオルオという奴なのだが、ジグルベインと同じ村の出身でな。気持ち悪いくらいに混沌に傾倒していたんだ。アイツならやりかねない」


 それはいつぞか聞いたジグルベインと同じ言葉で。一体どんな人なのかと想像しているとジグとシエルさんは声を被らせ変態だと言い切った。


「風呂の残り湯を飲み干したいと聞いた記憶がある」


(足を拭きますと言って平然と舌で舐めようとしたことがあるの)


 俺は早くジグの体を見つけなければと、揺らめく炎を眺めながら思った。


「なぁシエル。ついでに聞きたい事があるのだけど、深淵という言葉に聞き覚えは?」


「深淵? 聞かない名前だな。それがジグルベインと関係でも?」


 シエルさんと同じに俺もイグニスの顔を見る。なんとも険しい表情を浮べていて、それが好奇心でないことは伺えた。


 

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