第108話 大きな変化
灰色の吸血鬼は目の前の光景に理解が追い付かず、小さな口をポカンと開けて固まった。紫の瞳に映るのはメイド服に袖を通した一人の女性だ。
健康的な小麦色の肌に長くしなやかな肢体。黒真珠の様な艶やかな黒髪とエメラルドにも劣らぬ緑の瞳。【黒妖】シエル・ストレーガその人である。
「な、な、な」
混乱するのも無理がない。なんでメイド服を着ているかは知らないが、シエルさんの住処はラウトゥーラの森。過酷な秘境であり、おまけに本人は人間嫌いときたものだ。連れてくるねとは言ったが、シャルラさんとて本当に連れて来るとは思いもしなかっただろう。
ドッキリ成功かなとフィーネちゃん達と成り行きを見守っていれば、再起動した吸血鬼は大口を開けたままに金切声をあげた。
「なんでシエル様が使用人の恰好などを!?」
「フフン。私もまだまだいけるだろう? 私が来たからには塵一つ残らぬと思えよご主人様」
「やめてくださいよ! むしろお仕えしますから本当にやめて!」
いやいや。いやいやいやと。謎の譲り合いが始まる。
見かねて割り込めば、一体何故このような事にとシャルラさんは涙目で俺を揺すった。紹介状には食客として招かれてはくれないかと書いたようだ。主従を求めたつもりはないらしい。
「……何でですか?」
分からない事は聞くに限る。するとシエルさんは胸を張ってこう答えた。
「領主が直接出迎えるなど格に関わる。いいか、良き王とは良き臣下からだ。下がしっかりしていればジグルベインにだって王が務まる」
使用人の一人も居ない現状を憂いての行動らしい。先ほどの喜べというのはシエルさんが直々にメイドをするという事にではなく、シャルラさんにも今日から使用人が付くという意味なのだろう。
その言葉にほうほうと頷けば、隣ではイグニスもその通りだと太鼓判を押して。
そういうわけだと、背後に回り込み恭しく背を伸ばすメイドさんに、領主は思わず両手で顔を覆った。
(なあ、なんで儂ディスられたんじゃろ?)
◆
シャルラさんとフィーネちゃんは軽く自己紹介を終え、しばし談笑をした。
まぁお会いできて光栄ですとか、そんな当たり障りのない会話である。
せめて用事でもあれば話の取っ掛かりになったのだろうが、生憎とシエルさんを連れてきた時点で用は済んでいるのだった。
少しして会話にポツリポツリと間が空き始めた頃、勇者はそうだと手を叩き思い立った事を口にする。
「シャルラ様。私是非とも町を見て回りたいのです。お許し頂けますか?」
「勿論構いませんよ。ああ、ならば私が案内しましょう。ツカサ殿とイグニス殿にも変化を見て頂きたかった所です」
実に名案だ。俺はまだシャルラさんと知り合いなだけに会話にも混じれるが、ヴァンとカノンさんは相手が伯爵という事もあり話を遮らないよう口数は極端に少ない。
せいぜいが勇者に話を振られた時に相槌程度で、これでは同席するのも辛かろう。二人は外に出れると聞いて表情が露骨に明るくなっていた。
吸血鬼はでは早速と席を立ち、駄目だーと座る。
聞けば恥ずかしながらと前打って、食事の準備と部屋の準備をするので自由に見てきて欲しいと言う。
フンと脳天にチョップが落ちて、痛いとシャルラさんが後ろを向けば、メイドさんはそれ見た事かとしたり顔で放った。
「行って来なさい。やっておくよ」
緑の瞳には俺たちには決して見せない柔らかさがあった。それは孫でも眺める様な優しいものだ。シャルラさんが領主として本格的に活動するならば側近が必要という話はナンデヤでしたが、シエルさんこそまさに適任だったのかも知れない。
「面目の次第もありません」
なお館を出る途中にヴァンがシャルラさんはビックリするほど可愛いなと声を掛けてきた。きっと女の子らしい可愛さが好きなのだろう。可愛いのには同意したが、400歳近いぞと教えるとマジかと真顔になっていた。
(ちなみにシエルはもう600を超えたはずじゃ。BBA無理すんなと言ってやってくれい)
そんな事言ったら俺殺されちゃうよ。
◆
「はい、ではご覧ください!」
ツインテールの少女がムフフンとドヤ顔で披露したのは一軒の
分かれてから二週間程。建てるには早すぎるので元は空き家だろう。看板はちょび髭を丸で囲った簡素な物。広い店内に並べられる棚はまだスカスカで、置いてある品数は少ない。まさに田舎の個人商店という趣で。
それでも、おめでとうと言わずなんと言えというのだろうか。
「シャルラさん。ここはもしかして」
「はい! ラルキルド領の第一号店、ちょび髭商会です」
シャルラさんのアメジストの様な瞳がウルリと濡れて。釣られて俺まで目端が湿った。
残念ながらルーランさんは隣町に買い出し中らしい。明日には帰って来るので顔は合わせられそうだ。
カウンターには女性が居て、なんとルーランさんの奥さんだとか。シャルラさんと一緒に居る俺たちを見て商人の挨拶であるアイーンをしてくれた。
「流石に通貨の普及はまだまだですが、こうして他領の品を並べてくれているのです」
店に並んでいれば欲しくなるのは人心。珍しい物を欲しがる人は多いが対価はお金。
そこでルーランさんは布や皮、作物など売れそうな品を買い取り、シャルラさんは仕事を与える事で住人にお金を広めているそうだ。
「へぇ、記念に何か買ってこうかな」
話を聞いて興味を誘われたのかフィーネちゃんは店内でふらりと品定めを始めて。俺もお金を落とそうとアトミス家へのお土産を買い漁った。
「ジャジャーン! 次はこちらでーす!」
「おー」
勇者一行はもうノリでパチパチと拍手をするが実はまだ何も見ていない。何やら川辺の水車小屋に案内されたのだ。如何にも急造という掘っ立て小屋と、試しに作ってみたという歪な水車。シャルラさんはそれをニンマリと眺めると、早く早くと俺たちを急かす。
「邪魔するぞー」
「あらシャルラ様。おやツカサもいるじゃない、久しぶりね」
中では人蛇さん達が作業をしていた。どうもと頭を下げて、此処で何をしているのかと聞けばこれよこれと壺が差し出される。
フィーネちゃん達とワクワクしながら蓋を開ければ、中には薄黄色の半固体の物体が。そうマヨネーズである。水車を動力に撹拌しているのだ。
俺とイグニスは一発でここがマヨネーズ工場なのだと理解したが、勇者一行はそもそもマヨちゃんを知らなかった。シャルラさんが是非食べてみてくれとヘラから皆の指へとマヨを落とす。ちょっとはしたないが、そのままパクリと指を咥えれば、俺が伝えた通りの懐かしい日本の味がした。
「うわっ、滑らかな触感」
「塩加減がたまんねぇなこれ」
「へー初めての味ね」
勇者一行からの評価も上々でシャルラさんは表情を綻ばせた。
ルーランさんの提案で製法自体はルノアー商会に売り、今ではナンデヤの町でも製造をしているそうだ。
需要に供給が追い付かないらしい。作るには材料が必要でそれが絶対的に不足するのだとか。
将来を見越してラルキルドでも卵の為に家畜を増やしたり、オローグという油の取れる実がなる木を増やしてもみたが、発酵の必要な酢ばかりは時間が掛かるのだ。
買うという手もあるのだが、ならばと商人は舵を切った。ラルキルドは運ぶ時間がかかるため、そもそも展開に不利なのだ。なのでブランド化である。元祖マヨ。ラルキルドの調味料を売りに貴族相手に品質で売り込んでいく方針だ。
「繋がりを求めて売れるだろうけど、異物混入や食中毒には気を付けてと言われまして扱いはかなり気を配ってます」
「貴族との付き合い方を良く知ってますね。品質を上げるのは正解です。これなら高くてもきっと売れますよ。良い商人を引き当てたようで」
魔女が指を舐めながら吸血鬼を称賛する。シャルラさんは収入の大きな柱になったと二人のおかげだと、人目を憚る事もなく頭を下げた。
(儂からも礼を言うよ。ありがとうな、お前さん)
よせやい照れるぜ相棒。
それからイグニスが魔法陣を刻んだ畑に行って、すっかり緑に色付いた野菜を見た。
魔石の入る祠はちゃんと無事の様で、収穫に勤しむ人たちから感謝の声とお礼の野菜をたんまり貰う。
当のイグニスはフィーネちゃんから地脈を弄った?と険しい視線を浴びて、額に汗を浮かべながら知らないと首を横に振っていた。そういえば違法だったか。
勇者に嘘は通じないが、見なかった事にするくらいの器はあるようで。「イグニスらしいね」と実に呆れた顔をしていたけれど、声はなんとも優しいものだった。
その後もシャルラさんの案内でくるりと町を一周する。小さい町で特別見どころがあるわけでもないけれど、精一杯に町をアピールをしてくれた。
ナンデヤを模した牧場や、建設予定の宿屋に食事処。言葉足らずにあたふたと、けれど町が好きという気持ちは沢山に伝わってくる。
途中で子供たちに囲まれたり、イグニスを見て逃げ出す人がいたり、俺を見てニカリと怖い笑みを浮かべる獣人や、見て見てとちょび髭商会の商品を見せびらかす魔族と出会い。大きい変化も小さい変化も色々あったが、それが刺激か、住人は楽しそうに笑っていた。
最後にどうでしたかと、領主は恐る恐る勇者に尋ねて。
金髪の少女はその碧い瞳でシャッターを切る様に瞬きをする。まるで心に風景を焼き付けているようだった。
「素敵な町ですね。シャルラ様の好きと、住人のシャルラ様への好きが沢山伝わってきました」
「はい!」
何にもねぇなとボソリと呟く少年剣士は、俺が尻を蹴飛ばしておいた。
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