第106話 見納め



「やだやだ! いーやーだー!」


 そんな駄々を捏ねる子供の様な声で目が覚めた。

 身体に残る倦怠がもう一度目を閉じてしまえと二度寝を誘ってくるが、ゴツゴツ丸太の床にそこまでの魅力は無く、俺はもそりと身を起こして大きく欠伸をする。


 火番の関係で短い睡眠を何度か繰り返したが、昨日は夕方には床に就いたので睡眠時間だけは十分だ。だけ、というのはまぁ寝心地の問題である。床は固いし、湖跡のせいか湿度がやたらと高く、小虫も多いとで、けして快適な環境と呼べるものではなかった。


 疲労が勝り無事に朝となるのだが、汗で張り付いた服に不快感を覚えて、ああ町に着いたら風呂に入りたいなと、寝ぼけ眼で考える。


「おはようツカサ。朝食出来てるわよ。顔洗っちゃいなさい」


「あ、カノンさん。おはようございます」


 起きたのは俺が最後のようで、隣では僧侶がテキパキと空いた毛布を畳んでいた。

 まるで母親とのやり取りだなと思う。カノンさんは宗教上の理由で朝は早い。敬虔な信徒なので毎朝必ずお祈り型稽古をするのだ。その為かだいたいはカノンさんが朝の支度を済ませてくれていて、皆でそれに甘えてしまっていた。


 勧めの通りに顔を洗い歯を磨き、ついでにささっと身体を拭いて。「ぐへへ、手伝う?」なんて聖女らしからぬセクハラ発言もあったが、鍋が置いてある食卓というにはお粗末な切り株のもとに行く。どうやらヴァンもまだ朝食を食べている途中の様だった。


「はよ。なにか問題でもあったの?」


「おう。まぁ見ての通りだ……」


 少年は溜息交じりに顎で騒ぎの中心を指す。そこには今にも地面に大の字に寝そべりそうな、膨れっ面の魔女の姿が。


 フィーネちゃんは子供をあやす様にまぁまぁと優しく根気強く声を掛けるが、相手は精神年齢を3歳くらいまで落としているのか聞く耳なく、勇者もほとほとに困り果てている様子が伺える。


「割といつも通りでは?」


「テメェかあの女を甘やかしたのは!」

 

 食事をしながら話の内容に耳を澄ませれば、どうやらイグニスは森を探索したいようだ。

 聖剣の魔力で異常な成長をしていた人面樹しかり、光る植物や黄金色の甲虫など、魔力の影響は大きい。そして素材採取を行うならば今なのだと。


 最も影響の大きい森の中心部に居る事。そして聖剣を引き抜いたのだから、時間が経つにつれいずれは普通の森に戻るだろうという事。森を調べるいう点において、イグニスの言う事は正しいと思う。ただしそれは勇者一行で調べる必要も無いので、完全に彼女の趣味の話なのだが。


「フィーネちゃんは踏破の後は探索していいって言ってなかったっけ?」


「おう言ったな。だがその後ろには余裕があればとも言ってるんだぜ」


 勇者一行だけならば時間の都合もついただろうが、今はシエルさんという同行者が居るのだ。

 ラルキルド領までの移住を頼んでおいてやっぱりちょっと待っててねというのは余りにも体裁が悪い。ついでに本人は荷物が全部燃えた為、手ぶらだし、早く出発しようとせかしている。


「もう! あんまり悪い子だと置いて行っちゃうよ!」


 ごほりとパンで咽た。まさかこちらでもお母さんの常套句が飛び出すとは。ちなみに勇者より魔女のほうが年上だ。


 イグニスはフィーネちゃんの言葉に説得不可能と見たのか、グリンと首を回し、今度は赤い瞳でシエルさんに狙いを定めていた。


「おい黒妖。このまま森を出ちゃって本当にいいのか? やる事あるんじゃないか?」


「ああ。今お前をこの森に埋めていった方がいいのではと考えていたところだ」


「はい違いますー」


 腕でバッテンを作るイグニスと額に青筋を浮かべるシエルさん。アイツは昨日殺されかけたというのに何故あのような態度が取れるのか。


 魔女は言う。成長促進の魔法陣を破棄してこいと。

 聖剣という魔力リソースを失った以上、術式があっては土地がすぐさまに枯れ果て森が朽ちるぞと。


 この森の住人だったシエルさんはおもむろに木々を見上げ、少し時間を貰うと姿を消した。やはり愛着はあるのだろう。


「という訳だけど!」


「はぁ。シエルさんが帰ってくるまでだよもう」


 わーいと喜び勇んで森に飛び込んでいくイグニス。護衛にはヴァンが買収された。

 行かねえよバカなんてツンケンしていた少年は、私なら樹液が出る木が分かるぞと言われイクーと即落ちを決めたのだ。


 俺が行っても良かったのだが、食事中だし洗い物や出発の準備もしたいと思う。フィーネちゃんは行きたそうだったが、リーダーとして集合場所からは動かないそうだ。そしてカノンさんも時間があるならやりたい事があると断った。


 用事があるという僧侶に片付けはやっておくと告げれば、そう悪いわねとフラリと消える。手短に食事を終え、調理器具と食器を洗い鞄に詰めて、ついでに毛布も丸めて括りつけて。もはや手慣れた荷造りに時間はそう掛からなかった。

 

 纏めた荷物を皆と同じ置き場に並べて、さて時間が余ったなと周囲を見渡せば、気づけばフィーネちゃんの姿まで見当たらないではないか。


「ジグ、どこに行ったか見てない?」


(さて、向こうに消えたが、小便ではないか?)


 ……まぁその可能性も無くはないか。でもカノンさんも居ないのだ。集合場所からそんなに遠くには行くまいと、木の根によじ登って二人を探してみた。


「ああ、そっか。やる事ってそういう」


 カノンさんは丸太を使いゴリゴリと地面を掘っていた。その穴にフィーネちゃんが一つづつ丁寧に白い物を並べている。人間の頭蓋骨である。人面樹の犠牲になった、過去の冒険家の物と思われる遺体だ。


 俺は手伝いますと僧侶に駆け寄った。

 冒険家というのはわざわざ危険地帯にいくのだからその生死は自己責任だと思う。魔獣に殺されたにして、それを恨むのもお門違い。それでもだ。死を悼むことくらいは許されるのではないだろうか。なにせ明日は我が身という奴だ。


「ごめんなさい。俺はそこまで気が回りませんでした」


「気にしないで。私の自己満足よ。だいたいこんな所に来る人達は墓に入ろうなんて思ってないわ」


「耳が痛いです。これは私が気づくべきでした」


 人面樹に埋まる白骨はほとんどが根元の幹に集中していて、思ったよりは膨大な数ではなかった。それでも人骨と分かるだけで数百は軽くあり、今までこの森に挑んできた勇士達の数が伺える。


 ガツリガツリと掘り堀り掘り。幾ら掘ってもすぐさま白で埋め尽くされて。何とか人面樹の幹にあった分は全部土に収めた。倒す際に飛び散った物は、見える範囲で回収したが、枝の隙間に転げ落ちた物までは流石に無理だと判断する。


「主フェヌアの言葉を告げよう。迷うなかれ。恨むなかれ。汝は生を全うした。剣を置き、悔いを飲み込み、どうか安らかに眠れ」


 流石にフェヌア教でも死者の前でまで正拳突きをする事はないようだ。カノンさんは土に片膝を付いてしゃがみ込み、拳を顔の前に運んで祈りと思えわれる文句を告げる。


 俺はどうしたらいいかと専門家に聞けば、大事なのは気持ちだから自分の風習でと言われたので大人しく手の平を合わせて冥福を祈った。貴方達の悲願は勇者が果たしてくれましたよと。


 気が付けば太陽はもう真上に昇り、アイツら帰って来ないねと三人で顔を見合わせていると、「オーイ」とはしゃぐ少年の元気な声が聞こえた。噂をすればなんとやらだと声する方に向けば、掲げる手の先には小金色に光る何かが。


「見ろよ! 鋸鋏のこぎりはさみ虫ー!」


「のあー! 格好いいー! ずるいー! なんでお前だけー!」


「男って馬鹿よね」


 思わず俺も探してくると森に駆け出そうとしたら、すかさず首根っこをフィーネちゃんに抑えられた。駄目だよと真顔で言われ子犬の様な目を向けてみる。碧の瞳はニコリともせず、駄目と両断した。キュ~ン。


「いやー大漁大漁。もう目に付く限り全部取ってきた」


 続くホクホク顔の魔女も満足の行く成果があったようで鞄をパンパン。いや、少しはみ出しす程に詰め込んでいた。お墓の件は別に話す事でもないので、どんな物があったのかと聞けば、赤髪の少女は上機嫌に収穫物の説明をしてくれる。


「おや。どうやら私が最後か」


 しばらくしてシエルさんも帰ってきた。もう何百年も前の魔法陣なので探すのに手間取っていたようだ。


「じゃあ行きましょうか。ラウトゥーラの森もこれで見納めですね」


 勇者の言葉に全員で頷いた。本当に終わりなのだ。もはや聖剣は無くなり、魔法陣も消えた。

 もう樹高100メートル以上の木が育つ事はなく、暗闇に光る一面の苔世界も次第に光を失うとの事だ。何年か何十年後かは分からないが、いずれここは普通のクレーター跡の森になるらしい。


「ちょっと寂しいね」


「そもそもが異常だったんだ。仕方ないよ」


「そうそう。それに出るまで後四日くらい掛かるんだから感傷なんて吹き飛ぶわよ」


 行きに通ったからと言って帰り道が易しくなるわけではない。そう言われやる気は一気に減衰した。今度は暗闇の中での木登りが待っているのである。


「ん? ああ、お前らだとそのくらい掛かるか。……着いてこい」


 黒髪の女性が歩みを始めれば、なんという事だろう。森が跪いた。

 巨大樹が幹をしならせ螺旋階段を作る。木々が枝を差し出し合い道を作る。まるで森がどうぞお通りくださいと、レッドカーペットでも敷いたみたいだ。


 この森に入る時シエルさんだって通る道があるはずだと魔女は推測したが、珍しくそれは大外れという事だろう。彼女にとっては、歩く場所が道になってしまうのだ。


森人エルフは魔力で木を育てるんだ。だからこの森ならば私の思うが儘さ」


 ニヤリと歪む妖艶な笑みに俺は思い出す。この森の最難関は人面樹などでは無かった。魔王軍幹部とランダムエンカウントするクソゲーぶりだったということを。俺たちは実に運が良かったのである。ともあれ、無事に帰れそうで良かった。

 

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