第105話 秘密の時間



 ジグルベインはかつての部下シエル・ストレーガとじゃれ合う様に戦った。

 元よりジグとの交代は魔力制限のある裏技だ。闘気という燃費の悪い大技を使ったせいで魔力はバケツをひっくり返した様に急激に0となる。


 まるで時間を守れなかったシンデレラか。黒妖の目の前で魔法は解けて、麗しき魔王の姿から貧相な日本人へと姿は戻ってしまう。


 驚きに目を見開く黒髪の女性。おいどういう事だと胸倉を掴み詰め寄ってくる。

 それは王様が小僧に化けたら文句の一言も言いたくはなるだろう。俺は目を逸らしながら一体なんて説明をしようかと思索する。


「ぬぐぁああ!!」


 語らなければならない事は多いのだが、しかし口から出たのは言葉にもならない苦悶だった。別に何かをされたわけではない。強いて言うならば、ジグルベインが無茶をしやがったのだ。


 魔王という理外の者に体を明け渡したツケが来る。力の代償に骨が軋み砕けた。筋肉が限界だと音を上げ裂けて、血管が破裂し皮膚が弾ける。

 

(お、お前さん!? 大丈夫か!?)


「ちょっと……だいじょばない……かも……」


「お、おい?」


 普段より魔力を多く渡したせいだろうか。闘気を維持し戦ったせいだろか。ジグの出力した力に耐えきれずに肉体が崩壊したようだ。立っている事など到底に叶わず、地面に転げ、陸に上げた魚の様にピチピチと見悶えた。


 どれくらいそうしていたか。顔面が涙と唾と鼻水とついでに土でぐちゃぐちゃになり、もう叫ぶ気力も無くなった頃だ。上から覗き込む新緑の瞳と目が合った。

 

「落ち着いたか。取り合えずフェヌア教の娘の所にでも運べばいいか?」


 俺はお願いしますとコクリコクリと首を振り、子猫でも摘まむようにヒョイと運ばれる事になる。



 流石は森の主か、シエルさんはジグに適当に蹴飛ばされたにもかかわらず、迷うことなく中心地へと戻ってきた。


「おーい居たかー?」


「こっちも駄目ね。おーいツカサー居たら返事しなさーい!」


 ジグ達が暴れている間、勇者一行はといえば、なんと俺を捜索してくれていたようだ。

 必死に地面に積み重なる木を撤去してくれている4人になんとも申し訳ない気持ちで一杯になる。もっともイグニスは全て知っているはずなので、アイツの場合はただの時間稼ぎだろうが。 


「探し物はこの小僧だろ。治してやれ」


 人を、それも怪我人をヒョイとボール感覚で投げるのは如何なものだろう。運んでくれた手前があるといえ、地面に落ちていたら俺だって泣いちゃうところだった。その分カノンさんが優しく受け止めてくれたので文句は言わないが。


「なによ酷い怪我じゃない。アイツにやられたの?」


「ああいえ違うんです。なんと言えばいいのか」


「森に落ちてたんだ。犯人はあの被り物した変態だろう」


(ぐぬぬ。覚えておれよ)


 シエルさんの言い分に嘘は無い。フィーネちゃんもそれを確認するとお礼を告げた。


「後、先ほどの話だがな。気が変わった。受けようじゃないか」


「……一体どのような心変わりでしょうか」


「なぁに。よく考えれば寝床も壊され、守るべき物も無くなったのだ。この森に拘る必要が消えただけさ」


 フンと黒い髪を揺らし告げるシエルさん。別に勇者と握手をするわけでもないが、ラルキルド領への移住と国との和解の言質は確かに取った。


 イグニスがやったのだなと赤い瞳を向けてくる。うんと微笑んで見せれば、良くやったねと言わんばかりの温かい眼差しが注がれる。


「ありがとうね、ジグ。助かったよ」


(なぁに。お前さんの頼みなのだから当然よ。カカカ)


 その後はフィーネちゃんの判断でこの場に野営地を作る事が決まった。

 人面樹との戦闘後という事もあり、体力的にも移動は無理だと判断したのだ。


 水の抜けた湖跡という立地であるがやはり木材には困らないもので。乾いた丸太を並べて足場を作ろうという事になる。中心にあった巨大樹が倒れた事で、久々に青空の下でのキャンプである。

 

 肉体的には僧侶の神聖術で回復したのだが、霊脈の損傷が酷い俺は、皆が整地したり木材を運ぶ様を横になり眺めていた。


 隣にはシエルさんが静かに座っている。勇者一行からは手伝えという非難の目もあったのだが、家を燃やした事を引き合いに出されては強く出れるはずもなく。むしろイグニスが犯人という事が知れて、もう一度殺し合いに成りかけた。魔王軍とエルツィオーネの溝は深い。


「なるほどな。ジグルベインの魂はお前の、いや、ツカサの中にあるのか」


 折角二人きりで話す機会なので俺はジグルベインの事を包み隠さずこの人に話す事にした。ジグが地球という異世界に飛んだ事。今も俺の中に居る事。どういう理由か交代出来る事、全部だ。


 シエルさんは相槌も打たずただ黙々と俺の言葉に耳を傾け。話が終わる頃には両の瞳から静かに涙が伝っていた。拭う事もせずにとめどなく頬を濡らす透明な液体は溶けた宝石のように輝いていて。きっと言葉では言い表せない程の、とても大きな感情が溢れ出たのだろうと感じる。


「感謝する。長生きもするものだな、まさかもう一度アイツの声を聴けるとは思わなかった」


 どこか寂し気で、しかし晴れ晴れとした笑顔が痛々しい。

 ジグルベインが生きていると勘違いさせてしまったからだろうか。残念ながら、俺の報告はその真逆だ。出来るならば交代して思う存分に言葉を交わして欲しいところだが、勇者一行と行動する今はそれも難しい。


「人目が無い時なら会わせられますから」


「いや、いいさ。死人に口など要らないよ。うるさいだけだ」


(で、あるな)


 なんともシビアな死生観。ジグにしてもそうだが、死人は死人だと割り切っている様だ。

 或いは生き返らせたいなんて考える俺の方がおかしいのだろうか。でも、いつも隣に居て会話の出来るジグを見ていると、ついその温もりを感じたくなるのである。


「少し一人になりたい。上手く言っておいてくれ」


「……はい」



 日は少し傾いた程度で、時刻にすれば午後の2時3時辺りだろうか。

 しかし、日の届かない森を彷徨ってきた俺たちは、どうも時間の感覚がずれているらしい。疲れもあってか体感的にはもう深夜で、油断をすれば瞼が閉じかかる。


 食事は鍋に適当に食材を放り込んだ、料理を冒涜する様な何かを食べた。魔獣の肉とそこらに生えていた野草。誰が入れたのか柑橘類や山葡萄の様な果物に、ぶつ切りで放り込まれた魚と海老。味なんて纏まるはずもなく、魚臭い猪肉は特に最悪だった。


 それでも激しい戦闘の後という事もあり、もう胃を満たせればいいモードに入っていた戦士達は、虚ろな瞳でバリボリモシャモシャと口に入れては咀嚼して。そしてあっという間に夢の世界へと落ちていってしまう。

 

 本当に驚く程に早かった。の●太くんともいい勝負をしそうだ。

 料理を食べ終わり食器を置いて、ふぅ食べた食べたとお腹を擦りながら横になれば、もう寝息が聞こえてきたのである。


 せっかく作ったのだからせめて寝床で寝ろよと思うのだが、無邪気な寝顔を見ては到底に起こす気にもなれず。フィーネちゃんとカノンさんとヴァンの三人を、そっとテントまで運び、お疲れ様と布団を掛ける。


「なんだか二人きりというのも久しぶりだね」


 火番にはイグニスが付き合ってくれた。俺にはジグがついているので休んでいいよとは言ったのだが、体力的には余裕があるからと話し相手になってくれている。言わば起きているのは戦闘で活躍しなかった組だ。いや、イグニスは魔法も知識も活躍はしたが。


「ごめんね。君には負担を掛けたようだ」


「お礼はジグにね。俺は体を貸しただけだし」


「それが負担だったと言っているんだろう。もう大丈夫かい? 何なら回復魔法を掛けてあげるよ?」


 気遣いで言ってくれているのだろうが、この魔女の魔法には燃やされるイメージが強いのでやんわりと断った。あ、そうと若干に不貞腐れるイグニスはチビチビと金属の水筒を口にする。


 匂いを嗅いでまさかと思い中身を聞けば、やはり入っているのは酒のようだ。なんでも蒸留酒らしい。荷物になるからと量を少なくする代わりに度数を上げたみたいだ。


「まさか今までも隠れて飲んでたのか……」


「違うよ。踏破したら現地で飲もうと思って楽しみにしてたのさ」


 君もどうだいと差し出される容器。思わず俺は眉をしかめる。注ぎ口から漂う強烈なアルコール臭に躊躇ったのだ。


 けれどもここはクレーターのど真ん中。地下数百メートルの場所であり、巨大樹生える大樹海ラウトゥーラの森の最深地。そんな場所で飲むお酒には、なんとも言えぬ浪漫を感じる。


「乾杯になるのかな?」


「乾すなよ私のだ。ここはそうだな、お疲れ様、でいいんじゃないかな」


「そっか。じゃあ、お疲れ様」


 覚悟を決めてグイと口に含めば粘度すらも感じる液体が下を焼く。なんともまろやかで、真っ先に感じるのは苦みか辛みか。しかし仄かに甘味を感じ、ごくりと嚥下すれば、後味は爽やかな果実の様でもあった。


 何よりも思わずほうとため息を付きたくなる程に芳醇な香りが鼻を衝き抜ける。どこか森林を思わせる、深く香ばしい匂いだ。胃の中に溜まる熱を感じながら、ふと上見れば、どこまでどこまでも木は高く伸びていて、いつもよりほんの少し空が遠くに感じた。


「低き大地を味わえる最高の一杯だね」


「ふふん。みんなには内緒だぞ?」


 なお俺の顔が赤くて交代するカノンさんとヴァンにはバレる事になり、見張りの最中に酒を飲むとは何事かと二人揃い頭に拳骨が落ちた。


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