第103話 騒めく心
まるで呼吸でもするかのように行われた動作は余りにも滑らかで、意表を突くどころの話ではなかった。彼女は勇者一行という強者達を前に、時間でも止めたのではないかと疑うほど完璧に意識の隙をついて見せたのだ。
シエル・ストレーガは通りすがる間際に、確かに一度イグニスを一瞥して。その視線を追えたからこそ俺は違和感を持てた。
魔女の横でピタリと止まる足。右手に凶器は無かれども、その手は刃を模している。
頭は空っぽのままに、何故か行われる行為の結果だけは予見して。庇う。間に合わない。抱き寄せる。届かない。一瞬の内に閃き消える選択肢は火花の様にチカチカと脳を駆け抜ける。
手刀が目指すは心臓への一突き。未だ命の危機を理解していないイグニスは案山子の様に立ち呆けいる。間に合え間に合えと意識だけは焦るも身体の動きは水中にいる様に鈍重で。
「なにしてんだお前ー!」
咄嗟に黒剣を握りこみ、虚無から引きずり出すまでもなく、抜きながらに斬りつけた。狙うのは手だ。何とか迫る魔手を弾こうと動いた身体は、踏み込みも何も剣術というものを忘れ、ただ手の延長の様にイグニスを守ろうと伸びる。
「ああ、私はとりあえず赤髪赤眼の人間は殺すと決めているんだ」
暢気な声だった。まるで昨日の夕飯を問われた程度に、まるで話の内容に興味というものをもっていない。
黒剣はギリギリに間に合い、刃を相手の腕へと届かせた。しかし、手応えは鋼鉄を叩いた様だ。弾く事は叶わず、結果は僅かに軌道を逸らせた程度。
イグニスの胸には四本の指が綺麗に埋まっていた。胸骨を容易くに貫いて、熟れた桃にでも指を差し込んだ様だ。
俺は青ざめ、イグニスの顔を見る。
突然に自身の胸に刺さる異物に困惑しながら赤い目を見開いていた。意識が追い付かなくも身体はしっかりと異常事態に反応する。ゴホリと咳き込み、唇を血液が濡らす。
やった。良くはないが、最悪は免れた。
そうだ息があればいい。即死でなければ、腸を溢してもなんとか治るのがこの世界だ。
「カノンさん!!」
俺は叫ぶ。一瞬の出来事にあっけに取られていた勇者一行が我に返り、時間は再び動き出す。重症を負う魔女のもとにすぐさま僧侶は駆けつけて。ジロリと動く敵の瞳。
カノンさんの着る浅緑色の服はフェヌア教である証明だ。魔獣ならばともかく人間の文化に触れていれば回復能力を持つ事は歴然。黒妖はイグニスの胸部に刺さった指をズポリと引き抜いて。しかし今度は剣士と勇者が僧侶を守るべく白刃を立てる。
「「動くな!!」」
俺は崩れ落ちるイグニスを抱きかかえ、力ない細指に指を絡ませながら懸命にもう大丈夫だよと声をかけ続けた。気管を損傷したのかヒューヒューと嫌な呼吸をする少女は、それでもコクリと強く頷いて。その姿に不覚に涙が滲む。
「ツカサ、良くやったわ。後は任せて」
カノンさんの声にどれほど安堵しただろう。
僧侶は俺からイグニスを受け取ると聖言を呟き、淡い光が赤髪の少女を包み込む。
強張りの解ける魔女の表情を見て安心した所で、キッと犯人に強い視線を向ければ、黒髪の隙間から覗く翠玉の瞳が、呆然と俺を見ている事に気づいた。
ヴァンとフィーネちゃんに剣を突き付けられ、なお剣士と勇者を存在しない様に振る舞う女性。刃に身を食い込ませながら進む姿は剣を構える方が動揺する程だ。
「ヴァニタス? 何故人間の小僧が失われた秘宝を?」
構える黒剣の切っ先を素手で無遠慮に掴まれた。
もの凄い力でグイと引っ張られ、腕ごと取られて前につんのめる。
「ツ、ツカサくん!?」
フィーネちゃんが声を荒げる。俺はそんなに慌てる程では無いと顔を上げた。ヴァニタスは虚無の剣。たとえ奪われようと何時でも俺の手元に戻せるのだ。むしろジグルベインの財宝の一つなのだから交渉の切り口になればいいとさえ思った。
だが、黒妖が奪った黒剣の柄には、おまけが付いていた。見慣れた袖を通した腕が一緒にぶら下がっていたのである。冗談だよなと思うも、直視するのは憚られ。恐る恐る左手で右肩に手を当てると……綺麗に無かった。
「おっと。腕なんて要らん。返す」
右腕は無造作に投げ捨てられた。自分の腕を受け取るというのは、なんとも現実感の無い光景で。人形遊びをしている中に一人力の加減が分からない子が混じったような。返せばいいんだろ程度の悪気ない言葉。
うふふお帰り。こんなに簡単に取れちゃうなんて知らなかったから、もっと大切にしないとね。ともあれあれだ、壊した側に悪意が無かろうと、壊された側が泣くのもまた常で。
「うっぐ」
血が止まらない。痛くて泣き叫びたくて、それでも後ろにはやっと安静になったイグニスがいるものだから、心配掛けてはなるまいと左腕を噛みしめ声を飲み込む。
「ばっかお前!」
痛みに耐える俺を見かねたのかヴァンに押し倒された。
右腕を肩に押し付けられて、早くくっつけろなんてカノンさんを急かすヴァン。その言葉を聞いて、本当に人形にでもなった様だと笑みが零れる。
「当方に戦闘の意思は無い! 対話を求める! 貴殿を【黒妖】シエル・ストレーガ殿とお見受けするが如何に!」
「剣を構えながら言われてもな。だが、そうだ。私がシエルだ。生憎と茶の一つも出せないが、本日はどの様なご用件かな勇者殿?」
情けの無い事に全員が勇者の背に庇われていた。
重症二人、治療要員一人に、護衛が一人。そもそもに人面樹との戦闘で疲弊しきっているだけに状況は最悪と言えるだろう。
カノンさんのお陰で既に腕は繋がり、勇んで体を起こそうとするも、寝てろと額を小突かれる。僧侶は成り行きを見守るも、腰を浮かせ、今にも殴り掛かりそうな雰囲気だった。
「私はランデレシア王国より遣わされた使者である。ラルキルド卿より紹介状を預かり、和平を求めてやってきた!」
全滅が相手の気まぐれ次第という場面ですら、勇者はあくまで気丈に対等に振る舞った。
懐から取り出すシャルラさんの書状は劣悪な環境を鑑みてか油紙に包まれていて。黒髪の女性は丁寧に包装を外すと、文面に視線を落としエメラルドの瞳を走らせる。
後ろ姿だというのにフィーネちゃんが唾を飲み込むのが理解できた。
あまりに反応が予想出来ないのだ。赤髪という身体的特徴だけで簡単に人を殺そうとし、うっかりで腕をもぎ取る。その無形さはジグルベインに通じるものさえあった。
「ほぅシャルラが人間に下ったか。なるほど、それで私にも声をなぁ」
なるほどなるほどと、手紙を見やる表情は孫からの手紙でも眺める様ななんとも柔和なものだった。けれども読み終わればビリビリと、これが答えだと言わんばかりに書状は縦に引き裂かれてしまう。
「つまり貴女の答えはそういう事だと受け取りますが?」
「ああ。シャルラは同志の娘として可愛がっている。別にもう人間に恨みはないし、勇者にも拘りはない。なんならその剣だってくれてやろう」
「では……何故?」
「分からんか? 私が【黒妖】だからだ。既に国は無く主も無い。それでもだ、我が王はただ一人よ。他の誰の指図も受けるものか」
勇者は右手に虹色の魔力を纏い、みんなは逃げろと声を上げる。「マキナか、面白い。今日は何発目なんだ」と涼しげな顔の相手。何なら今ならば見逃してやるぞと言った見え透いた挑発にフィーネちゃんは珍しく怒気を露わにする。
「無断で踏み入ったこちらにも非はあった。けどなぁ、仲間が傷つけられて簡単に引き下がると思うなよ!!」
「はーい。フィーネ、冷静にねー」
荒ぶる勇者を諭す様に後ろから優しく抱きしめるのは、長い瑠璃色の髪を後ろで結った女性。カノンさんは腕の中でもがくフィーネちゃんを俺たちの隣に投げつけると、顔も見せずに背中で語った。
「勇者が殿は無いわよね。交渉は決裂。ならお言葉に甘えて大人しく逃げさせて貰いましょうよ」
口ではそういうが両の拳は固く閉じ、追う事は許さぬとばかりに僧侶は魔王軍幹部に立ちはだかった。勇者は決断を求められている。チラリと表情を盗みみれば苦渋に塗れ、しかして秒で変化する状況に、悩むというほど贅沢な時間の使い方は無く。
「一時撤退します! 負傷者から先に避難を!」
相手の実力。疲弊した面子。戦いになれば勝ちの目はまず無い。だからこそ選択は正しかったと思う。
ヴァンがイグニスを担ぎ渋々に移動を始める。俺は後ろ髪を引かれるように振り返れば、カノンさんとフィーネちゃんが警戒をしていて。
それでも相手は、言葉の通りにこちらには微塵も興味がなさそうだった。このまま上手く引けるだろうか。そう思った矢先の事だ。
「ああ、待て。お前は駄目だ。聞きたい事がある」
ヴァニタスの件だろう。ご指名が入る。俺を追おうと踏み出す黒妖に今更それは無いだろうと拳を持ち上げる僧侶と、俺を引き離そうと駆け寄ってくるフィーネちゃん。
ところがだ、巨大な炎の槍が頭上を通り抜けたのだ。
標的はシエル・ストレーガ。撃ったのはもちろん、ウチの魔女様だろう。
火炎槍の爆風が敵も味方も吹き飛ばす。後で非難轟々間違い無し。
積み重なった木の足場は容易に崩れて四人は丸太に埋もれた。粉塵と土埃が立ち込め視界は最悪。この状態の意図する所はまぁそういう事なのだろう。俺は省みないイグニスの様子を思い浮かべてほくそ笑む。
「ジグ。どうやら久しぶりに出番みたいだ」
(汝力を欲するか? されば求めよ、なれば与えられん)
くっそう来たか。俺の心の闇が騒めいてやがる!
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