第91話 下へ参ります



「うう。今どのくらい降りたのかしら」


「うーん。半分くらい来たかなぁ」


 カノンさんのウンザリとした声にフィーネちゃんは願望を持って答える。

 その声に、俺もそのくらい進んでいればいいですねとつい言葉が漏れた。


 勇者一行の戦いぶりは流石の一言で、4腕猿の襲撃を事もなく退けてしまう。

 幸いにもその時に魔女の放った魔法は天井に風穴を開けて、薄暗い森に一筋の光を落とした。この明かりのお陰で、俺たちの移動するペースは随分と速くなったと思う。


 ラウトゥーラの森の進み方は、樹高100メートル以上ある巨樹の枝の上を歩くという狂気のものだ。普通の森でさえ迷いやすいというのに、中は暗く、枝は天然の物なので完全に法則性が無いのである。


 真っすぐに進んでいるかなんて分からない。運が悪ければ道が途切れる。まさに樹海という迷宮に迷い込んだ気分だ。


 中でも質が悪いのは暗さである。生い茂る葉の厚い層が日を妨げる。高すぎる天井が日を遠ざける。ただでさえ足場に注意しながら進まなければならないのに、そんな状況で迷路を解けなど鬼畜が過ぎないだろうか。


「おい、イグニス。もう一発魔法で穴開けろよ」 


「あのなぁ、さっきより距離が離れてるんだ。ここまで来たら枝だけだって壊すの大変だぞ」


 もう一度日を取り込もうと提案するヴァンだが、イグニスが無茶を言うなと窘める。

 そう降りたのだ。少なくとも20~30メートルは進んでいると思う。天井とは距離が開いただけでなく、頭上には今まで歩いてきた丸太に劣らぬ枝が何十層にも重なっていた。


 そして降りた結果どうなったかと言うと、闇に飲み込まれた。

 日の届かぬ深海というのは、もしかしたらこの様な光景なのだろうか。


 電気暮らしをしていた日本人としては、言ってしまえばこちらの世界なんて全体的に薄暗い。せいぜいが蝋燭かランタンを光源として生活している為に、夜でなくても日がなければ真っ暗で。だからもう暗闇にもすっかり慣れたと思っていた。甘かったと言おう。


 見える景色は黒だ。黒一色だ。たまに上を見上げて見れば、木漏れ日が星の様に輝く事もあるが、明りになりえる事は無い。まるでランタンの灯りの外は世界が消え失せてしまったとすら思える漆黒の世界だった。


 この闇が存外に精神をガリガリと削る。それは俺以外の、暗闇での移動に慣れている勇者一行だろうと例外ではないらしく。気を張り巡らせているせいか、ふと照らされる顔には誰しも大粒の汗をかいていた。


 頼れる灯りは僅かに足元を照らす程度。踏み外すかもという恐怖は勿論ある。だが、それ以上に見えないという恐怖は恐ろしいのだ。見えない。分からない。情報が無い。


 道はあっているのだろうか。残りはどのくらいなのか。未知という不確定要素が不安を煽り、体は情報を得ようと神経を過敏にさせて。

 

「ねぇイグニス。この木は大丈夫なのよね?」


「うん。まぁメループよりは安全なはず」


 そして聞こえてくるのである。カサカサと。森の主が蠢く音が。


 ここで理科のお勉強なのだが、植物が光合成で何を作るか知っているだろうか。

 正解は糖だ。そして樹液とは、木の水分と糖分が混じり滲み出てくるもので。


 樹液は時間が経過すると、空気中の酵母とくっついて、発酵。つまり、アルコール臭を出す。その匂いがね、集めるらしいのですよ。ヤツらを。

 

 森なんてそもそもが生物の宝庫だ。ここに降りてくるまでにも猿以外に蛇や蜘蛛や蟷螂と、色んな生物と遭遇した。全部が全部相手取ったわけではないが、勇者一行は足場という不利を物ともせず勝利している。


 そんな強く勇敢な彼らでも、暗闇から聞こえる無数の足音だけには恐怖した。

 というか一回遭遇し、樹液に集る黒い塊を見てしまったのだからしょうがない。

 ヴァンのバカが「うわっ気持ち悪りぃ」などと言いながら枝を放り投げて、拳大の集団がザワザワと散開する様子を見れば、誰だって不安になるだろう。


(まるでまっくろくろ●けじゃったな)


 やめて。まじやめて。

 ちなみに好奇心で樹液を舐めてみたがかなり甘い。ちょっと薄めのメープルシロップくらいの糖度はあっただろうか。虫が集まるのも納得だった。地球の樹液は意外と甘くないと聞いた覚えがあるので、これも異世界の味だろうか。


「お? 今何か音したか?」


「ぶうぉ!」


「うわ。ツカサ大丈夫か?」


 突如顔面に固い何かが飛んできた。よろけた所を落ちては危ないと後ろに居たイグニスが支えてくれる。


 ひとまずは落ちなくて良かったと考えるべきなのだが、俺は感謝を言う前に慌てて飛来物を払い落とした。だって、だって、飛んできたのがもしあの黒光りするアイツだったら……。


「うわぁぁ! って何だコレ」


 楕円形の、大きさも形もラグビーボールぐらいの白い何か。枝に引っかかった物を拾い上げ、コンコンと叩いて見れば、ツルツルなそれは軽さの割に硬質そうだ。


 木の実か何かかと思い、こんな物が落ちてきたよとイグニスに見せると、「それはオドルニクスの!」と叫び、魔女の顔面にもラグビーボールがぶち当たる。


「敵襲! オドルニクスは卵を飛ばしてくるから注意して!」


 ああそうだ。牧場に居たバランスボールみたいな鳥、コドルニス。それの進化した個体がそんな名前だったか。


 フィーネちゃんの声でみんなが頭を守り卵の飛来に備えるが、ハッキリ言って状況は不味い。遠距離攻撃をされると相手の姿がまるで見えないのである。


 飛ばしてくるのは卵であり殺傷能力こそ低いが、勢いはかなりのもので、当たれば思い切り殴られたくらいの衝撃はあった。


「コドルニスは卵を囮にする性質のため素早く卵を生成し排出するのだけど、オドルニクスは排出の機能が進化していてね。発達した胸筋で体内に一気に圧をかけ噴出するんだ」


「いまそんな説明どうでもいいでしょ!? アンタ馬鹿!?」


「いやいや大事だよカノン」


 つまるところ、相手は尻をこちらに向けているので命中精度は良くないのだと。では何故当たったのか。それは敵が複数いるからだろうと魔女が言う。近くに巣でもあるんじゃないかという話だ。


「んん。それだと攻撃するのも可哀想かな」


「イグニス、何か打つ手は無いの?」


 聞けば臆病な魔獣だから相手にする必要もないのだけどと前置きをして、魔女は「ここらで一回周囲を見ておくのもいいかな」と展開と告げた。


 俺たちを囲むほどの大きな魔法陣は起点だったらしく、魔法陣の外では輪を描く炎の壁が渦巻き、円環を大きくしながら10メートル程を走る。


 不思議と中心に熱は無く、揺れる炎の眩しさには安堵すら覚えた。

 黒を燃やす様に世界を色づける赤。一気に晴れる視界は暗がりの部屋で蛍光灯を点けた様に鮮烈だった。


 立ち並ぶ塔と間違える程の樹木が相変わらずにひしめいている。ここを歩いてきたのかと見るだけでウンザリするほどに枝が縦横無尽に伸びている。


 上はもはや霞み、緑の帳はもう見えない。下は未だ霞み、底が知れない。この景色が木の上から見るものとはと呆れてしまう。


「あ、見つけたオドルニクス。1、2、3……うわ7羽もいる」


「ってギャー! 何かバリバリ食べてるんですけどー!!」


 明りに晒され見えた真実は、樹液に集った虫を食べに鳥が集まったようだ。甘い蜜が虫を誘い、虫が鳥を集める。あるいはこれも食物連鎖なのだろうか。急いで通り過ぎようかと物憂げな声で言う勇者に、俺たちは黙って頷く。


「待った! 今何か後ろで動いたぞ!」


 そうヴァンが叫ぶ。火が消える直前、俺も確かにそれを見た。虫を啄む鳥を、更に掻っ攫う影があったのだ。それはさながらに木を走る電車だった。巨大な大百足が猛スピードで巨木を駆け上がり、魔鳥を咥えて消えていった。


「ねぇ、私下に行くの嫌になってきたんだけど」


「奇遇ですね、俺もです」


「さぁ時間も無いしドンドン行こう!」



「どうだい。来て良かったと思わないかい?」


 魔女の囁きに、全員が思うと首を縦に振った。

 時間は一体どれくらい掛かっただろうか。永遠と続く闇は時間すらも曖昧に溶かしたが、それでも一日は経っていないだろう。


 俺たちは降りかかる困難に耐え抜き、深海の底へと到達した。


「冒険の醍醐味ってやつだなこりゃ」


「ええ、本当ね。綺麗」


「凄いね。こんな場所もあるんだね」


 登山をして、登頂から見る景色は踏破した者へのご褒美だろう。

 地球では写真や動画で遠くを知れたが、それでも実際に味わう感動はまた格別で、記憶という宝箱に思い出として放り込むべく風景を目に焼き付ける。


 なかば分かっていた事だが、樹海の底は苔の世界だった。ただし一面が蛍光塗料をぶちまけた様に、淡く輝いていたのだった。地球にも光苔という物のがあるらしいが、こっちは本当に発光しているようだ。


 もっと植物に覆われていると思いきや、日が当たらない為にあまり生えないのだろうか。

 足場は水気を含んでいてしっとりと柔らかく、隆起した巨木の根や岩がせり上がっている。


 まともに歩く道すら見当たらない程に障害物だらけの在り様は、暗闇だったらと考えると辟易するが、大地と植物の力強さを実感する景色だ。あるいは平坦な地なら、これ程に心を打つ景色には至らなかったかも知れない。


 立ち並ぶ樹木。地から踊りだす根。不揃いに突き出る岩。それにしだれ掛かる倒木。全てが天然のイルミネーションにより装飾されてこその大迫力。


 黒の世界でその輪郭を炙り出す様に輝く様は、まるで出来の良い影絵でも見ているように幻想的だった。


「凄いね、ジグ」


(ん? おお。凄い凄い)


 胸に沸くのは達成感だろうか。疲労すらも心地よく、しばし全員で魅入った。

 フィーネちゃんの食事にしようと言う掛け声はあまりに現実的で、ギャップに苦笑いをしたが、お腹は餌を寄越せと騒ぐので、擦りながら宥める。


 空腹は最高のスパイスというが、輝く自然を眺めながらの食事は最高に美味しかった。たまには困難というのも悪くはない。そう思えた。


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