第92話 森の底
イグニスの話では、この光る苔の名は七色苔と言うようだ。土地の持つ魔力の性質により特性を変化させるようで、火属性なら熱を帯びたり、地属性なら岩の様に硬く育ったりと、中々に面白い生態をしているらしい。これの表す所は、クレーターの底には光属性の魔力が充満しているとの事だった。
「ごめん、光属性って珍しいの?」
「そこまで珍くはないのだけどね。けどここに限って言えば異常だよ」
土地の持つ魔力、地脈という概念はラルキルドでの畑騒動の時に教わった。
そこから少し突っ込むと、四大元素という火水土風の要素があり、地脈は接する属性を帯びるとの事だ。あくまでもその属性の魔力が多少流れやすいという程度の話であり、土地に影響を及ぼす事は少ないそうだが。
「光の当たらない地に、光属性の魔力がある。そう言えば異常さが分かるかな?」
分かるような分からないような。とりあえず変なんだねと頷くと、魔女は愛玩動物にでも向ける様な視線でそういう事だと言った。どうやら理解は期待されていなかったようだ。
現在は食事を終えて周囲の探索中である。フィーネちゃんの判断で今日は周囲を軽く調査して、先には進まないという結論になった。
そろそろ休もうかという所で光る地上が見えてしまったので、実は多少無理をして降りてきたのだ。新しいエリアに来たというのもあるが、危険が無ければ休みたいという気持ちはみんな一緒だった。
やっぱりね、大地に居るという安心感は凄いんだ。
歩いてきた枝は太いとはいえ棒状で、誰しも一度や二度は足を滑らせた。それに、歩けて当然などと思っていると、細い枝を踏み抜き落ちかける事もあった。飛んでも跳ねてもびくともしない地面というのは本当に偉大である。
「こんなものかな。危険は無さそうだし戻ろうか」
「うん。俺もう、へとへとだよ」
イグニスと近辺をさっくり一回りして集合場所に戻った。
歩いた体感としたら生えている木が大きいくらいで普通の森だ。せいぜい足場が凹凸が多く歩きづらいくらいだろうか。なんだか小人にでもなった気分だ。
苔は一か所だけでなく、ほぼ森の地面を覆っているようである。光る苔で多少なりとも明るいのは助かる。なまじ光っている分足元の注意が疎かになり、段差に躓いたり、岩を蹴り飛ばしたりはしたが、暗闇で枝の上を歩く経験に比べたら何てことはない。
「おうツカサ、見ろよ大収穫だぜ!」
どうやら自分達が一番最後だったようで集合場所にはすでに三人が揃っていた。
フィーネちゃんが最初に気づいておかえりと声を掛けてくれて、ただいまと返すと、緑髪の少年が笑顔で近づいてきた。驚くなよと成果をやけに溜め、そしてジャーンと背に隠していたソレを見せつけて来る。
その手には30センチ程の黄金に輝く虫が捉えられていた。特徴はなんと言ってもその大きな二本の角だ。自身の体長ほどはある長く鋭い角が胸部から生えていて、頭部の角と並ぶと鳥の嘴の様に見えなくもないだろうか。地球ではギリシャ神話の英雄の名を与えられた甲虫に良く似ている。
「うっお! すっげーなヴァン!! それ超格好いいじゃん!」
「だろ!? だろ!? やべえよな、この戦槍虫!?」
(お前さん、Gは苦手な癖にこれは平気なのか)
一緒にしないでくれよジグ。カブト虫とクワガタは虫じゃないんだ、浪漫なんだ。
あの金属みたいな光沢とか強そうなフォルムとかはもうロボ。そう、生きたロボットみたいなものなんだ。
やいのやいのとヴァンと盛り上がり、後でもっと探しに行こうと約束をするも、女の子達からの理解は得られなかった。なぜだ、こんなに格好いいのに。見て、動くのよコイツ。
「ツカサくんとイグニスはどうだったの?」
「近場を見た限り危険は無かったよ。一応食用の茸と野草を取ってきた」
「あらさすがね。虫を見つけて喜んでたバカとは違うわ」
なんでもヴァンはカブト虫を見つけてからというもの調査を放り投げて虫を探し回っていたそうだ。そりゃ怒られるよ。
そしてフィーネちゃんとカノンさんは近くに水場を見つけたらしい。
クレーターの底に何故川がと疑問に思ったが、隕石が岩盤をぶち抜いたならばありえなくはないのだろうか。ひょっとしたらここは湖になっていた可能性もあると考えると面白いものだ。
魔女もその話を聞いて、ははんと崖がネズミ返しになっていた理由を話してくれた。
要するに土砂崩れなのだ。水気を含んだ脆い層が崩れ落ち、岩の層が残った結果だろうと。そしてそれが上手く森の土台を整えたのではないかと。
「ついでに私達も見つけた木の実を持って来たんだけど、ちょっと見てよ」
「うん。食べれそうとは思ったんだけど、一応イグニスに見てもらおうと思って」
これなんだけどとフィーネちゃんが見せてきたのは水色のピンポン玉くらいの果実だ。湧き水の流れる岩場に実っていたそうで、上着を袋がわりに20個ほど摘んできたらしい。
「へぇ水葡萄じゃないか。魔木の実だね。それで作る葡萄酒は高価なんだよ」
イグニスから食べても大丈夫とお墨付きを貰って、カノンさんがデザートにどうぞと配って周る。俺にも四粒分けてくれた。
葡萄という名前の通り、ツルツルの薄皮の下にたっぷり実が詰まっている様で持った感触はプルンプルンだ。弄んでいるだけでも楽しいのだが、せっかくの果物という事でポイと口に放り込む。
「んん!?」
一緒に口にしたカノンさんと見合う。彼女も同じ体験をしたのだろう。口の中で弾けたのだ。
どうやらかなり水分が多いらしく、まるで水風船でも噛み潰した気分だ。突如咥内に液体が満ちて驚いてしまった。
「うう、なにこれぇ」
一口で食べずに齧ったフィーネちゃんは口元で中身が噴出したらしく、手も顔もベタベタにして涙目だ。その光景に笑いが零れて思わず吹き出すところだったので、慌てて口に残る果汁を飲み干す。
「っはぁ。美味しいねこの果物」
中は完全な液状というよりは、少し繊維の混じった緩いゼリーのような口当たり。種も多少混じってはいたが、胡麻のようにプチプチと磨り潰せた。
驚くのは何といっても芳醇さ。皮は微かに香る程度だったのに、身は熟成したワインの様に香気が高く、それが一口で口いっぱいに満ちるのだから堪らない。
味は少し酸味が強いけど甘さも十分にあって、ゼリー状な事を考えると、丁度いい塩梅と言えるかもしれない。なるほどこれで葡萄酒を作ればさぞ美味しかろう。
「あ、あんまり一度に食べない方がいいよ。これお腹を緩くするから」
「アンタはさぁ! そういうのなんでもっと早く言えないのかなぁ!?」
既に四つ全部食べ終わっていたカノンさんが絶叫した。その後の彼女については、名誉の為に何も言うまい。
◆
「まったく。酷い目にあったわ」
「お腹は大丈夫ですか? 温かいお茶淹れたんで飲んで下さい」
「うわん。ツカサは良い子だね。お姉さん嬉しいよぅ」
今日の火番の相方はカノンさんである。一番手をフィーネちゃんとヴァンが務めてくれたので、俺は多少仮眠をとった後だ。
焚火の傍にはヴァンが作ったのか、木で組んだ虫籠があり、中ではワシワシと金色のヘラクレスさんが暴れていた。光属性の魔力の影響じゃないかという話だが、金色はズルいよなぁ。俺は普通のも見つけられなかったよ。
「アンタ達、よくそんなの捕まえようと思うわよね。虫じゃない」
虫籠を覗き込んでいると、藍色の瞳がドン引いた眼で見つめているのに気付く。
カノンさんは寝起きだからかいつものポニーテールを解いていて、逃げないようにしてよねと、虫から一歩引く姿は、なんというか普段の勇ましい姿からは想像出来ないほどに乙女だ。
「俺も別に好きじゃないんですけどね。カノンさんは虫嫌いだと、冒険は大変じゃないですか?」
こっちの虫はまた結構大きいので、造形がよく分かるというか、苦手な人はとことん苦手だろうなとは思う。てっきり「そうなのよ」とでも返してくると思いきや、カノンさんは恥ずかしそうに言った。
「いえ。苦手は苦手なんだけどね。ほら、虫って殴ったら潰れて体液飛び散るじゃない?」
だから嫌なのよと照れ笑いをする僧侶だが、絶対に照れる所が違うだろう。潰す前提で手が汚れるからってあなた……。
カノンさんはフェヌア教という宗教に入信している。その教義を簡単に言えば、健全な精神が健全な肉体に宿るなら、善良な精神は鍛えた身体に宿るといった感じだ。
戦いでも道具の使用は禁じられていて、己の肉体が唯一にして最強の武器である。一般的にはそれを武闘家というと思うのだが、俺には怖くてとても言えなかった。
「でもカノンさんは凄いですよね。神様を信じて教えを守るってなかなか出来ないと思います」
たとえこの世界の神様は目に見える加護をくれようと、自分の中で筋を通し続けるのは大変だ。俺はそこまで深く教義を知るわけではないが、それこそ武器を使ってはならないというのは旅ではかなりの縛りだと思う。なにせ巨大な魔獣はもとより、場合によっては剣や槍を相手にも素手で挑まなければならないのである。
「あ~うん。それはちょっと違うの。信仰というのはね、鏡なのよ」
「かがみ」
思わずオウム返しをするも、カノンさんは「そう」と言葉を飲み込んで。
貴方には誰か憧れる人や大切な人はいないかと問われ、俺の頭の中にはジグルベインと両親。そして何故か片隅に赤い魔女がちらついたが、そいつは蹴り飛ばした。
「悪い事をしたらさ、その人達に顔向けが出来ない事ってあるじゃない?」
「……あります」
引き籠っている時は、本当に親とは顔を合わせるだけでも罪悪感があった。だからジグルベインには情けない所を見られたくはなくて、彼女の前では頑張ろうって思ってる。カノンさんは、その気持ちを神様に向けているだけなのだと言う。
「教えに縛られているとは思いません。ただ、三柱に恥ずかしくない生き方を心掛けています」
教えとはあくまで心の支えで、自分を見直す鏡なのだと説く聖女。なるほどこれが聖職者かと関心するほどにカノンさんの声は不思議と心に染み渡った。
「なんてねー。正しく生きようとするなんて、人として当然の事なわけよ」
なははと笑い、茶化すように背中を叩いてくるカノンさん。真面目な話なんて柄ではありませんと、「そろそろ敬語やめろよー。お姉ちゃんって呼んでもいいんだぞ」なんて馬鹿な話題を振ってくるが、本人は気付いているのだろうか。
「それを当然って言えるのは、とても素敵な事ですよ。お姉ちゃん」
俺なりに冗談を言ったつもりなのだが、カノンさんは交代の時間まで悶絶していた。お姉ちゃんがクリティカルヒットだったのだろうか。危ない性癖をしていそうだ。
(なぁ、あれは恥ずかしくない生き方なのだろうか)
俺に聞かれても困るよ。
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