第90話 潜森



 この世界での冒険者とは、バイト生活で暮らす住所不定の無職だ。

 所謂流れ者であり、訳ありで旅する者や町に居られなくなった者が該当する。俺などだ。


 しかして冒険家なる者も存在するらしい。たった一文字違いではあるが、こっちは依頼を受けて未知なる秘境の調査に赴くのだという。これだよ。俺の、いや、男の子の憧れる冒険者っていうのはこっちなんだよ。


 冒険者ギルドに行く度に体格の良いお兄さんに肩を捕まれる事を思い出し、俺の理想の職業はここにあったのだと感涙が目に溜まる。魔女はその様子を鼻で笑い、にやりと赤い瞳を向けてきた。


「はい、じゃあ問題だ。この木の名前はなんでしょう?」


「気になる木」


(名前も知らない木じゃな)


 イグニスから君では冒険家には成れないなと、落第判決を受けた。

 この世界の冒険家は何を仕事にしているのか。その答えは情報を持ち帰る事である。


 依頼主は大体がその土地を所有する領主だそうだ。依頼に応じて、土地を探索し地図を書き上げたり、魔獣の分布と生態を把握したり、自生する植物を調査するのだ。


 求められるのは高等知識であり、戦力が欲しければそりゃ騎士団に頼むだろうと言われる。俺は少しこの世界が嫌いである。


「じゃあイグニスが冒険家になればいいじゃないかよう」


「拗ねないの。それと冒険家っていうのは愛称みたいなものだよ。探索の要求に応じる物好きを冒険家って呼ぶのさ」


 イグニスの父プロクスさんなども若い頃は調査の仕事を受けることもあったようである。サラマンダーに挑んだと言っていたし、血は争えないようだ。物好きめ。


「それでイグニス。木を見るだけで何か分かったりするの?」


 長々と講釈を垂れるイグニスにフィーネちゃんがお茶を啜りながら聞いた。

 朝食を取りながら今日の行動方針を決めようという時に、魔女がちょっと待ってくれとタイムを掛けたのである。


「はっはっは。残念ながらなにも分からん」


 そのあっけらかんとした言葉に俺を含め勇者一行は眉をひそめるが、イグニスはそんな俺たちの反応など気にもしないように続ける。


「種類は複数。どれも一般的な高さは20メトル程の樹木だ。成長促進の魔法があるとはいえ、これは少しばかり大きすぎる」


 そもそも、その魔力はどこから引っ張ってきているのかと。

 魔女が例えに挙げたのは廃城だった。地脈で言えば一等地のデルグラッド城。確かに周囲は森林に包まれているが、ここまで異常な成長はしていなかったよねと。


「つまり、この木の成長には別の要因があるって事?」


 勇者の言葉にそうなるねと魔女が頷くとフィーネちゃんは顎に手を当て思慮に耽る。

 その様子に業を煮やしたのか、頬にパンを詰め込むヴァンが口を挟んだ。


「とりあえず、真ん中にあるデッカイ木を目指せばいいんじゃねえの?」


「アンタ馬鹿ねぇ。それを今から決めるんでしょう」


「なんだと?」


「あん? やるの?」


 睨み合うヴァンとカノンさんは置いておいて、行動方針は重要だ。

 何せこの場所は未だ踏破者が存在せず、加えて魔王の幹部が住まう土地なのだ。数多の挑戦者を退けてきた何かしらの脅威があると考えていいだろう。


 真っ先に目指したくなるのは、クレーターを作った飛来物がある中心地。そこにはヴァンの言う、草原からも見えた一本の巨大樹がある。


 当初は俺たちもそこを目指すつもりでいたのだが、イグニスは先にこの不可解な森の原因を調べたいと言う。


「そうだね。イグニスの言う通り情報は多い方がいいね。元魔王軍幹部が居座る理由も、ひょっとしたらそこにあるのかも」


 勇者の鶴の一声にて、木を下り地上経由で中心地に向かう事が決定した。

 木の枝の上を歩いて移動するというのは中々に稀有な体験なので、少し残念に思っていると、俺の顔見たカノンさんは下を指差し言う。


「心配しなくてもこれから嫌ってほど歩くわよ」


 そうだった。ここは地上100メートル。しかも下に降りるには、上手い具合に下へと繋がっている枝を探しながらである。俺は下を覗き込み、無限に連なる枝道にひくりと頬がひくついた。

 

(この時は誰も思わなかった。まさかあんな事になるだなんて)


 ちょっとジグ、へんなフラグ立てるのやめてよー。



「うらぁああ!」


 その様子を見てヴァンが呟く。大猩猩が大猩猩と戦っていると。聞こえたら殺されるぞ。

 大猩猩とはまぁゴリラの事なのだが、カノンさんの細腕が自身より巨大な大猿を軽々と殴り飛ばした。


 俺はゴリラとまでは言わないが、僧侶という概念には疑問を覚える光景だった。なにあれ、筋肉でも信仰しているのだろうか。


(しちょるぞ)


「まじかー」


「ツカサ、ぼさっとしない! まだまだ来るわよ!」


「はい!」


 薄暗い森、高い標高、細い足場。これだけでも十分に過酷な環境なのだが、今日はそこに下りが加わった。状況としては夜に斜めに傾いた丸太渡りをしている様なものだ。落ちれば当然に死ぬ。


 進む速度はもう諦めた。順調というならば、5人全員揃っていることがもう順調だろう。

 だが、これはあくまで環境で、ただの自然を相手にしているだけに過ぎない。


 魔獣は町の付近ならば騎士やハンターが間引きもしよう。町は人の領域だからだ。

 ならば人の訪れぬこの領域は……そう、魔獣の領域である。


 森に踏み込んだ時点で、俺たちは容赦なく食物連鎖の鎖に縛られる。弱肉強食という、おためごかしのない、摂理が牙を剥く。


 出会った魔獣は懐かしき4腕猿。

 体長は2メートルほどと魔獣にしては小柄で。ゴリラのような短い毛と、マンドリルに似た長い顔をした魔猿。


 最大の特徴は、4本の腕と、4本の脚。さながら猿のケンタウロスとでもいうべき異形さだろう。なんとこの猿、手を自由にしたまま木を垂直に走る。まさに森に特化した生態。加えて、知能が高いのか集団で狩猟をするし、物だって投げる、非常に厄介な相手だ。


 個体の強さで言えば、まだ活性も使えない時にジグルベインが倒しているのだから、あるいは今の俺ならば勝てるかもしれない。


 だが、それはあくまでも地上でならばの話だ。体の向きを変えるのさえ躊躇う木の上で、木々を自由に走る猿が相手。それも数は20を超えている。笑ってしまうしかない状況に、黒剣を引く抜くも、俺にはイグニスを庇うので精一杯だった。


「ツカサ。無理はしなくていいよ」


 魔法を唱えるから護衛を頼むというイグニスの言葉に甘えながら、俺は勇者一行という集団の戦闘能力を目の当たりする。


「どうした! 遅えぞ遅えぞ猿野郎!」


 双剣の剣士は落下など知らぬと自身を風にした。纏による脚力強化で枝から枝へと飛び移り、投げつけたスーパーボールのように宙を駆ける。その姿は木を走るはずの猿よりも余程自由に森を走り回り、振るう二本の刃が一匹また一匹と魔猿を刻む。


「どっせい!」


 ドスンと木が揺れる衝撃はカノンさんが再び拳を放ったのだろう。

 木の上でも揺るがぬ体幹は日々の修練の賜物か。投げつけられる尖った棒を、俺とイグニスを背に庇いながらも的確に弾き、上から襲い来る4本の腕を潜り抜けながら獣の面に深々と拳を突き立てた。


「【始まりは小さな種火】【されど芯を焦がす不屈の芽】【風の誘いで嵐に至り】【もはや消せぬ劫火へ変わる】」


 普段の展開と叫ばぬ魔法は、魔女が今の為だけに起こす奇跡。掲げられた杖より飛び出すのは、視界一面を染める赤であり。蠢き、渦巻き、遡る。


 森の天井に風穴が開き、すでに恋しい日が差し込んだ。眩しさに目が眩むも肝心の猿はと探してみれば、飛んで火に入った虫の如く、その身を炎に包み落下していく姿が窺える。


「なんてことすんだ!」


「なんてことするの!」


 そういえばヴァンは上で飛び回っていたか。フィーネちゃんに抱えられてなんとか回避出来たようだ。生木だから燃え広がらなかったものの、周囲一面焦げ臭く、プスプスと黒い煙が立っていた。


「いや、フィーネと目が合ったからいいかなって」


「いいわけあるか!」


 カノンさんの鉄拳により悪は滅びた。

 

「まぁおかげで数は減ったかな」


 勇者は抱える剣士を降ろすとスラリと剣を構える。さすがに獅子の弟子か。構えも気迫もかの麗人を彷彿とさせて、バチリと魔力が迸れば豪快一閃。


 一太刀に三匹を捉える軌跡は魔獣の厚い体をものともせず両断しきり、いや、後ろの巨木までもを巻き込んで切り裂いて見せた。


「はは。すんげえや」


(お前さんは行かなくていいのか?)


「行くよ。お荷物は嫌だ」


(カカカ。そうでなくてわな)


 これはリベンジだ。以前は4腕猿に勝てなくてジグルベインを頼った。せめて一匹は倒して見せないと、他でもない自分が納得出来ないのだ。


「ごめんよ、暴力を振るう」


 手には異世界に来た当時と同じ黒き剣。しかし今は手に馴染み、魔力さえ帯びる凶き刃。闘気法は疑似だが大活性に届き、今や速度はおろか腕力さえも凌駕してみせよう。 


 体を弾丸へ変え距離を殺す。巨体が迫り壁の様にそびえる。獣の反応速度はそれでも俺を捉え、下二つの手が掴みに来る。


 剣術は身につかなかった。だが戦闘経験は魔王相手に嫌というほど積んだ。


 振るわれる手を足蹴に上に跳躍。すぐ様に追従するもう二本の腕は、蚊でも叩く様に、あるいはシンバルを叩く猿の玩具の様に俺を潰そうとして。振り落とす暴力の前にひれ伏した。黒い煌めきが頭上より落雷の如く突き抜けて、上半身を真っ二つにする。


「さようなら」


 かつて逃げた魔獣に勝ったからって満足感なんてないけれど、不思議と引き籠っていた頃の自分が懐かしくなった。今ならば、もっと頑張れ馬鹿野郎と殴ってやるところなのだけど、人はそれを後悔先に立たずというのだろう。


「さあ、行きましょう」


 そうして勇者一行は、樹の海の底を目指して沈んでいく。


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