第89話 初心
タンッと地面を蹴りつけて、飛ぶ事距離はおよそ7メートルほど。荷物を置いてきたとはいえ俺の体重は50キロは軽く超えていて、それを受け止めようと幹から手を伸ばすのは森の樹木だ。
正直頼りなさはあった。しかし、逞しい木々はその程度の衝撃などそよ風くらいの扱いか。着地の瞬間に僅かにギシリと一揺れしたが、小枝でも十分に人間を受け止めるくらいの強度があった。念のためにとその場で飛び跳ねて枝を揺すってみたが、まったく問題はなさそうである。
「大丈夫! 乗っても平気そうだよ!」
「良かった。先に進めそうだね」
「よっしゃ、次俺行くー!」
崖に残る仲間に合図をして着地の空間を譲る。俺で届いたので当然なのだが、ヴァンもフィーネちゃんも余裕を持って崖から枝までを跳躍した。
イグニスは来れるだろうかと心配していると、カノンさんから「いくわよー」と掛け声があり、カノンさんが飛ぶのかと思いきや、魔女をひょいと持ち上げて。
「ぬぅお! カノン、おま、なんて事するんだぁ~!」
イグニスが空を舞う。不格好に飛ぶ。荷物を背負ったままの魔女は重量で言えば100キロ近いだろうに、僧侶はお手玉するくらいの感覚で放り投げたのだ。
不意打ちでの射出に姿勢も整えられないイグニスは、たすけてーと半泣きで叫び、一番近くにいたフィーネちゃんが慌てて受け止めた。無事に着いて良かった……ね?
「で、どうするの? 森には入れたけど日暮れも近いし、深入りはまずいんじゃない?」
イグニスを投げた後にみんなの荷物をポンポンと投げてからやってきたカノンさんが言った。フィーネちゃんはその言葉に頷き、周辺を調査して安全そうな所に拠点を作ると方針を打ち立てる。
「ん、異論はないよ。念のため目印にはコレを使ってくれ」
魔女が見せたのは焦げた枝だった。森の入り口を開く時に放った炎の槍で焦げたのだろう。
早速に調査に出ようとしていたヴァンが、一応に枝を拾うも、ナイフで傷をつけたのでは駄目かと疑問を問う。
「この木はね、ケブラというのだけど、まぁ割とどこにでも生えている品種だよ」
けど、これが普通の木には見えないだろうと剣士を諭す魔女。その言葉に確かにと俺は頷く。
樹高は100メートル以上あるだろう。東京タワーには及ばないとしても通天閣には並ぶ高さの木がとても普通だとは思えない。
先ほどはシエルさんが通ったのは50年前だと例に挙げたが、では50年もの間、他の探検隊が来なかったのかという話だ。それはありえないだろう。
前に他者が通ったのが一年前か一月前かは分からないが、1週間前だという可能性もあるのである。だと言うのに森の入り口は茂り姿を隠していた。
「成長が早い。だから傷だと消えて見えなくなってしまう可能性があるんだね」
「今日は冴えてるねツカサ。そういう事だよ」
馬鹿なと思いたいが、既にこれだけ樹木が成長している時点でおかしいのだ。考えられるのは成長促進の魔法。そういえば、廃城を森で包み込んだのは、他でもないそのシエルという人だったか。
「じゃあ先導はヴァンとツカサ君の二人に頼んでいいかな?」
「「かしこまり!」」
意気込みを汲んでくれたのかフィーネちゃんから先導を任命される。慎重にというのは心がけるがワクワクするなというのは難しい。
進む道は暗く、何層にも重なり合う枝と葉が木漏れ日すらも許さず日を妨げている。
間接照明に照らされたように頭上だけが緑に輝いていて、まるで水底から水面を見上げているような感覚に陥る。ここを樹海と例えたが、言い得て妙だろう。
足場の枝は、枝と呼ぶのが申し訳ないぐらいに太くって、バランスを取りながら歩くたびに、近所の公園にあった丸太の橋を思いだし、進むほどに心が若返る気がした。
足を滑らせたら一巻の終わり。それを理解はしているはずなのだが、木々が横に生えているかの様な滅茶苦茶な環境はどうにも好奇心を刺激する。
縦横に入り組む枝がジャングルジムに見える。斜めに生えている枝が滑り台に見える。
進路を妨げる枝を跨ぐのも潜るのも全部が全部面白くて、巨大なアスレチックにいるのではと錯覚してしまう。
森林特有の少しひんやりした空気も懐かしい。籠っているからか湿度は少ないのに重いと感じる空気は樹木の香りをふんだんに含んでいて、森林浴という言葉があるが、本当に森に包まれている気分にさせた。
(不思議だの。デルグラッドの森と似てないのに似ておる。あいつの趣味じゃろか)
「ああ、そっか。そのせいか」
廃城の森は俺がこの世界で一番最初に冒険した場所だ。同じ人の手で作られた森は、言われてみれば、どこか雰囲気が似ている。だからこそ、あの当時のワクワク感を思い出したのかも知れない。
◆
「ちょっとイグニス。遊んでないで動きなさいよー」
「遊ぶとは失礼な。虫除けを用意してるんだけど、カノンはいらない?」
「ごめん。それは欲しいわ」
一時間ほど探索をして発見したのが、前に来た探検家達が作ったと
丸太を組んだ物で、一見すると飛んできたイカダが枝に引っ掛かっている様なシュールなものだ。
しかしなるほど。確かに木材は豊富だ。歩いてきた道なだけあり、枝は太いものなら1メートル以上、平均しても50センチ以上のものばかりである。イカダの様に並べて組むだけでも足場としては十分なのだ。
勇者が今日はここで休もうかと提案をすれば、拒否するものは誰もいない。
それじゃあと行動に移し、繋いだ布を天幕として張れば、それとなく良い雰囲気の拠点が出来上がった。
布はテント用の防水のもので、旅をするには必須の品だ。俺とイグニスはどちらかが火番をするのでイグニスの物を共用していたが、今回の旅で買ってしまった。天幕を張るのはあれだ。雨の心配はないけど、虫が落ちてきたら嫌だからね。
「男子~そろそろ出来る~?」
料理を担当するのはカノンさんで、補助がフィーネちゃん。カノンさんは教会で炊き出しなどをしているおかげか、大雑把な性格の割に料理は美味しい。前に冒険した所が薪も無いような氷原だったらしく、勇者一行の調理器具は魔力式だ。それが今回も役に立った。
「机は出来てるんで料理運んで大丈夫ですよー」
俺とヴァンは机と椅子作りだ。木材が豊富なので折角だし作ってみた。
剣で板を切り出すのは無理なので、薪割の要領で丸太を半分に切っただけだけどね。
「そういえばイグニス。ラウトゥーラが獣人語って言ってたけど、ここには獣人が住んでたの?」
食事の際に魔女に気になった事を聞いてみる。ああそれはねと語るのは当時の勢力図だった。
過去、テネドール家が王都より東を開拓していたとは聞いた事がある。そこにラルキルド領も含まれているのだが、ラルキルド卿が爵位を貰ってからは更に東へ。つまりこの周辺を開拓したそうだ。
その時代にこの近辺に暮らしていたのが獣人達という訳だ。イグニスの話では魔王軍の残党なので戦闘にもなったが、戦う意思の無い者は当然に受け入れたという。
「いいかい。排斥派というのは、何も差別者だけじゃない。戦争時の根深い理由もあるんだ」
少しばかり歴史のお勉強をし、食事が終わったら明日に備えて早く休もうという事になった。
まぁ体を拭く時間もあったりはしたが、覗くなと釘を刺されなくても俺もヴァンも覗きなどしない。生憎まだ命は惜しいのだ。
「フィーネちゃんはニチク茶よりテア茶派だっけ?」
「私はどっちも好きだから平気だよー」
どんな時でも魔獣の存在がある限り、火の番は必要だ。今は俺とフィーネちゃんの番で、魔女の用意した虫除けを適度に焚いている。
ラウトゥーラに来るまでの間に7日在ったので、当初は困惑した二人きりの状況にもそれなりに慣れた。みんな良い人だし、冒険話などをすれば意外と打ち解けられた。とくにヴァンなどは男同士という事もあり、結構意気投合していたりする。男友達は良いものだ。
「あれ、フィーネちゃん何書いてるの? 日記?」
「あ、うん。似たようなものかな。この場所の光景が凄かったから忘れないうちにと思って」
草原から見渡せる一本の大樹。近づけば巨大な隕石のクレーター。そして穴の中には木の迷宮。通ってきた過程を思い浮かべる様に詩的に謳う勇者の言葉に聞き惚れながら、うん凄かったねと相槌を打つ。
そうだよねと、身を乗り出し予想外に興奮するフィーネちゃんに、イグニス味を感じながら、俺も森に入った時はワクワクしたなと伝えて。実はねと零す金髪の少女の声色は、初めて勇者がか弱い乙女の様に思えた。
「笑わないでね。私、将来小説家になりたいんだ」
意外すぎる告白にあっけに取られていると、「意外だった?」と聞かれ「そんな事ないよと」返せば「うそつき」と笑われて。
「一冊の本に救われたんだ」
それはフィーネちゃんがまだ勇者としての覚悟が無かった頃。修行が苦痛で逃げ出したかった頃に読んだ物語。架空の旅行記だったそうだ。仲間と見果てぬ世界に旅立つ、夢と希望に溢れた物語で。それに何より救われたそうだ。
「だからね、今度は私が見た景色を残したいなと思って。こんな勇者でがっかりかな?」
「ううん。それがフィーネちゃんなら、がっかりなんてするわけがないよ」
嘘偽りない気持ちで答え、勇者はもじもじと顔を赤くした。嘘が分かるというのも大変である。
この後も交代まで話をして、俺が廃城で過ごした二か月の話をすれば、フィーネちゃんもアルスさんと山籠もりをした経験を話してくれた。食べれる野草の話で盛り上がり、あの時イグニスが居ればと互いに歯噛みした。
俺とフィーネちゃんの代わりはイグニスとヴァンだ。
寝床に寝転がると嗅ぎなれた少し甘い匂いがして、まぁイグニスの後なのだろう。
一方フィーネちゃんは汗臭さに鼻をしかめ、もぞもぞとしているところで目が合った。
「おやすみなさい」
おやすみ勇者様。
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