ラウトゥーラの森

第88話 フォレストオブラウトゥーラ



「ラウトゥーラ。獣人の言葉で低き大地という意味なのだけど。はは。なるほど壮観じゃないか」

 

 魔女はトレードマークのとんがり帽子を深くかぶり、ソコを見下ろし言った。

 俺も隣で名前の意味を実感しながら覗き込む。吹き上げる風が顔を叩き、頬が自然と吊り上がる。


 低き台地の森。その正体はクレーターの跡に出来た大森林だ。

 平原のど真ん中にそそり立つ大樹を目印に歩いてくれば、木の周囲はさながらゴルフのホールカップの様にポッコリと抉れていて。


 突如途切れる大地。対岸果てなく遠く、しかし確かに輪郭を残し。だからこそコレが穴なのだと認識が出来た。


 隕石でも落ちたのだろう。巨大なクレーターの縁に立てば、そこはまるで地の果てに着いてしまったかの様な喪失感だ。一体何十キロの直径か。一体何百メートルの深さか。自然はいつだって俺のちっぽけな想像など軽々と飛び越えていく。


 そして肝心の森。いくら広大とはいえ、穴の中にある以上は無限ではないのだろう。そう意味では終わりが見える分だけ想像のスケールは下がった。しかし冒険の難易度が下がるかと言えば、そうではない。


 見渡す木々のざわざわと葉を揺らす姿は水面に立つ白波にも似て、初めて樹の海という言葉を理解したように思う。これはそう、クレーターという穴に溜まる、水溜まりならぬ植物溜まりなのだ。

 

 俺達は崖を下り、文字通りの樹海へと飛び込もうとしている。その世界は日が届くのかすら怪しい、深く、暗い、植物の園。


 事前の情報で過酷な環境とは聞いていたが、踏み込む前だと言うのに、早くも人類未踏の地が残る場所という事を実感した。


「あ、見て! 虹が出てる!」


 フィーネちゃんの弾む声はとても同じ光景を見ている台詞とは思えないものだった。

 険しい自然を前にしようと怯みもしない姿勢はさすが勇者といったところか。その声に励まされ、ひょっこりと顔を出した弱虫を奥底に封じ込めると、どれどれと細い指が示す先を見た。


 小さいながらも七色の光が描く橋は確かに虹だ。しかし天気は快晴で、どこからか雨でも流れてきたのだろうか。不思議なものだと眺めていると、カノンさんがポンポンと俺とフィーネちゃんの肩を叩く。


「残念ですが、あれをご覧ください」


 少し離れた崖の縁からヴァンが虹を作っていた。高所から用を足すのはさぞ気分がいいのか、小便小僧は恍惚の顔を浮かべている。一瞬でも綺麗だなと思ってしまった自分が恥ずかしい。


 魔女がアイツ燃やしても構わないよなと物騒な事を聞くが、否定するものは誰もいなかった。


(ちっちぇえな)


 何がとは聞くまい。なお、ちょっと真似したいなとか思ったのは秘密である。


「頼むよツカサ。イグニスを止めてくれ!」


「馬鹿が! 恥を知れ恥を!」



「しかし馬を置いてきたのは正解だったなこりゃ」


「そうだね。縄とか何に使うのかと思ったけど納得だよ」


 日もまだ高かったので、俺たちは早速に森への侵入を試みた。

 こんな場所でも冒険家や探索隊の手が入っているというのは本当らしく、崖にはなんとか人が通れる程度に道が作られている。


 道と言ってもなだらかな傾斜とは程遠く、土を削り足場を作ってみたという雰囲気だ。

 岩を飛びながら進んで、行き詰まったなと感じた時によく観察をすると、ああここを通ったのかと察せる程度のものである。


 草原のど真ん中という事もあり、土質は赤土や粘土の層が多いだろうか。たまにせり出た岩の層もあるが、専門装備が要らないのはありがたい。


「ツカサ。私は大丈夫だから、もう少しイグニスの手助けお願い」


「わかりました。ほら、荷物持つから貸して」


「ありがとう、はぁ。助かるよ、はぁ」


 隊列はヴァンを先頭にフィーネちゃん、イグニスと続き、俺、そして最後尾がカノンさんだ。

 今回は馬を最寄りの町に置いてきた事もあり全員が荷物を背負っての移動である。

 

 荷物の重量はそれなりにあるのだけれど、魔女以外は身体強化のおかげで意外と進みの足は早い。イグニスも身体強化自体は出来るのだが、そもそも体力が無いし、その場しのぎの強化のため操作感が掴めないのだろう。


 けれど冒険好きの変態は、息を切らそうとも額に汗を浮かばせようとも、けして弱音は吐かずに己の足で進んでいく。ニヨニヨと悪だくみする彼女も嫌いではないが、イグニスは真剣な時の横顔が格別に綺麗だ。


「あーダメだなぁ。こっちも降りれるような道は無え! ちっと上で探してみてくれー!」


「りょーかーい。ヴァンはそのまま下おねがーい!」


 先導するヴァンが岩下で叫ぶ。もう50メートルほどは下っただろうか。冒険家も当然のように魔力使いなのだろう。道程は中々に険しい。


 傾斜の強い土を下り、小さな足場を渡り歩き、時には岩から跳ね降り、また下り。

 平時なら苦でも無い作業も、踏み外せば崖底という環境では立っているだけで心的負荷となり、ガリガリと体力と精神力を削っていった。


 ヴァンが下調べをして進めそうならば通るという方針で進んでいるが、結構な頻度で足が止まる様になってくる。


 それと言うのも、いよいよ樹海の中まで下ってきたのである。

 木の葉で道が見えなくなってしまったり、あるいは足場からも草や苔が生えてきたせいで慎重性が増してくる。地面はまだ遠い。一体後何十メートルあるのだろうか。


 だが、まだそれはよく。


「どうする? 少し登るけど、来た道戻ってみる?」


 俺の肩口からカノンさんが顔を覗かせ、しゃがみ込む魔女に話しかける。

 俺は俺で素人なりに道を探そうと下を覗き込んいるが、見えるのは木だけである。

 

 イグニスの予想では、土の層が崩れてネズミ返しの様になったのだろうと言う事だ。

 クレーターなので半円の形をしていると思っていたが、その実、下に進むにつれて広がるフラスコ状をしていたのだ。つまり、足場が消えた。


「ふむ。探索は森まで出来ているからと楽観視しすぎたかな」


 口を濁らせるイグニス。それも仕方がないだろう。

 初見の俺たちとは違い、前人は何回も挑戦し難所に対する対策を立てているのだから前提条件が違う。苦労するのは準備不足に情報不足と言ったところか。


「情報の中に地図とかは無かったわけ?」


「地図なんてそれこそ財産じゃないか。親元のテネドール家にならあるだろうけどさ」


 お手上げだねと言うわりには魔女の口は軽く、さしもにカノンさんも呆れ果てる。

 その時、情報という言葉を聞いて、何か大事な事を忘れている様な気がして。


(のうお前さん。もう木を伝った方が早くないかや?)


 ジグルベインが言った。木登りならぬ木降りをしろと。

 なるほど強引に見えるが妙案だ。何せ木ならば辿れば間違いなく地面に根をつけているではないか。あるいは途切れた道などよりも、より確実な方法なのではないだろうか。


「ねぇ、ここから木に飛び移れないかな?」


 それだと!と、魔女と僧侶は声を揃えて言う。

 下に降りていたヴァンと道を捜索していたフィーネちゃんも合流して、真剣に木降りを検討した。


「で、実際いけんのかそれ?」


「うーん。小枝は無理だろうけど、太い枝ならいけるかも。帰りがちょっと大変かなぁ」


「どうなのよイグニス」


 みんなの視線が集まる中、頭脳担当はそれで正解だろうと花丸をくれた。やったねジグ。

 魔女が根拠として上げたのは、ここには人が住んでいるということだ。一行が首を捻るなか、俺はその言葉にポンと手のひらを打つ。

 

 そうとも。俺の忘れてた件がまさにそれだ。

 俺たちはここにシエルという人に会いに来ていて、その人は稀にふらりとラルキルドに現れるという。空を飛ぶなど非常識な事をしない限りは、必ずどこかに道があるはずなのだ。

 

「道が途切れた理由はそう、相手が木だったからさ」


 シエルさんは100年に一度ラルキルドに訪れる。前に来たのは50年前。50年あれば木はどうなるか?答え合わせといこうと、魔女の杖より炎の槍が放たれた。

 

 茂る緑を蹴散らし駆ける紅蓮の槍は、手近な葉と枝の全てを吹き飛ばし、暗い森の中に日を注ぐ穴を開ける。


「そりゃ木は成長するもんな。道が隠れるわけだ」


「前の探検家はうまい時期にコレを見つけたのかもね」


 森の中はまるでジャングルジムの様に複雑に枝が走っていた。ツタが絡みあい、木々が溶け合い、天然の迷路の様に伸びている。


 元となる樹木は太く、一本一本が鉄塔ほどの。伸びる枝さえも並みの丸太より逞しく、大量の大蛇がうねっていると見間違うほどに。


 ラウトゥーラ。獣人の言葉で低き大地。


 それは、クレーターで大地が陥没しているという意味では無いのかもしれない。

 高くそびえる樹木の歩道から下を見たとき、あまりに地面が遠いという理由から付いた名前なのではないだろうか。


 そこに真の樹海迷宮の姿があった。


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