第85話 閑話 女子会



「おっばちゃーん。おひさー!」


 店内に響く快活な声を聴き、どうやら連れが来たようだと私は頭を抱えた。


 食事処‘蜥蜴の尻尾’は王都に並み居る飲食店の中でも貴族街のほど近くで看板を出している。服装規定のある様な高級志向な店ではないものの、料理の値段はと言えば、使われている材料を考えれば良心的、それでも庶民からすれば偶にの贅沢にといった具合か。


 そんな庶民には近づき難く、貴族の嗜好とも少しズレた場所なのだが、意外とある層には人気があった。貴族街に住む使用人達だ。彼彼女も生まれはまた貴族。爵位を継ぐ立場に無いだけで、同じ環境で同じ教育を受けてきた紳士淑女である。

 

 庶民は気軽に通えない。主たる貴族も足を運ばない。それが良いのだろう。さながらに隠れ家の様に同僚や友人と談笑する場として使われているのだ。

 

 文句が上がらないのはそういう者が混じる場だと承知されているから。逆を言えば、そういう者が混じるから貴族の会席には使われないのだが、それはそれとして、安らぎを求めてやって来る場に大声は些か作法がなっていまい。


「カノンこっちだ。後、少し声が大きいぞ」


 私は友人を席に招きつつ窘める。「いやーごめんごめん」と言う声は、それでも少し大きい程で、果たして分かったのやら分かっていないのやら。けれどもこの場でそんなやり取りをするのもどこか懐かしく、変わらぬ友人の姿に安堵を覚えた。


「注文はもうしたの?」


「つまみくらいだよ。好きなの頼めばいいさ」


「……奢り?」


「ああ。君たちの偉業を祝して」


 しゃあ!とカノンは品書きに目を走らせる。彼女を縛るは三教の教えの一つ清貧。勇者一行としてそれなりに収入はあるだろうに、変わらずお金を持たない様だ。


 勿体無いなと思った事は何度もある。カノンは器量が良い。しかし玉も磨かなければ光らない。鍛え上げた身体は同性でも惚れ惚れする程に美しいのだが、肌も髪も手入れは甘いのだ。


 本人は嫌がるだろうが、いつか飾り立てやろうと画策していると、しまったと慌てて持ち上げた顔は髪の色程に表情を青く染めていた。

 

「やっば。フィーネとヴァンに連絡するのすっかり忘れてたわ」


「君にそんな豆な事を期待する訳ないだろう。ちょうどアルス様に会ったから伝言しといたよ」


「あ、なんだ。なら良かった。ありがとね」


 フィーネにはきっと彼が伝えてくれるだろう。私よりもアトミスについて行った黒髪の少年が。彼は自分の剣があの戦闘狂を刺激するとは何故考えなかったのだろうか。


 恐らく熱烈に歓迎されるだろうなと状況を想像し、言い訳に食事会を使えないように意地悪をしてきた。健闘を祈る。


「ところでこれはおさけですか?」


「いいえそれはぶどうのかじゅうです」


「じゃあ飲めるわね!」


 と酒を禁じられているカノンは豪快に葡萄酒を煽った。無論そんな言い訳は人には通じようと三柱には通じない。天罰上等の見事な破戒僧ぶりだが、私はそこを気に入っていたりする。


 彼女は教えの言いなりではない。自分の正義を通す為なら貴族でも殴る。それでこそ我が友人だと、こちらも葡萄の果汁・・・・・を煽り微笑んだ。


「ごめん遅れたー!」


 艶やかな金髪を振り乱しフィーネがやってきたのはそれから少し後だった。

 走った所で息を切らすような鍛え方はしていないが、毛先がまだ若干に濡れているところを見るに、身を清めてすぐなのだろう。


「お疲れ。災難だったわね」


 カノンがおいでおいでと席に招くと、疲れたよーとごくごくと葡萄酒で喉を潤し、ぷはっと一息ついた所でフィーネは言う。


「あれ? ツカサ君は居ないんだね。ハンカチ返そうと思ったんだけど」


「うん。ヴァンに連絡つかなかったから今日は女子会さ」


 預かろうかと手を差し出すも、碧の瞳は一瞬思量し、「ううん。自分で返すよ」と言うものだから、私もそれ以上は何も言わなかった。


 顔ぶれが揃った所で本格的に注文を始める。店員を呼び出し、コレとコレとと読み上げていると、ちょっとアンタ食べきれるのとカノンが口を挟んできた。


 食べきれるわけがないではないか。カノンは腹減らしのくせに人の金だろうと贅沢はしないので押し付けるくらいで丁度いい。それに正直、私は量より種類が食べたい派だ。


「んでさー? 実際ツカサとはどんな関係なのよ。ん~?」


「そうそう。乙女なの? 恋に目覚めちゃったの!?」


 おかしい。話題は豊富にあるはずだった。それこそ主題である、勇者一行の特異点攻略。これだけでも話が尽きる事は無いはずなのだ。


 ウェントゥス領の絶対凍土と言えば、魔王の爪痕でも有名な場所である。

 かの【氷獄】が【混沌】に敗れた場所であり、今もなお当時のままに凍り付く不毛の地だ。そこを解き放ってきたのだから、存分に冒険譚を語るといい。むしろ語って欲しい。


「く、口づけはもうしたの? まさか、もっと先に行っちゃった?」


「結婚式を開くならフェヌア教がお勧めよ。門弟全員が正拳突きでお祝いしてくれるわ」


「してません! というか恋人前提なのはおかしいだろう!?」


 そうだ。私はけして彼とやましい関係などではない。こちらにも貴族令嬢としての貞操観念というものがあるのだ。夫になるもの以外にみだりに肌など見せるものか。事実無根だとハッと鼻で疑惑を吹き飛ばす。

 

「裁判長、いかがでしょうか」


「うーん。嘘は言っていませんね」


「分かっただろう。ツカサとは仲は良いけど、健全な関係だよ」


 勇者であるフィーネは嘘を見抜く力があるだけに潔白の証明は容易だ。さあ彼の話はお終いと、別の話題に移ろうとした。だがカノンが余計な事を言う。


「えーでも二人乗りで移動するくらいだし、逢引したり手くらいは繋いでるんじゃないの?」


「そんなわけないだろう」


「検事、嘘です! 被告は今嘘をつきました!」


「イグニース、逮捕だー!」


 それは飲み会の方向性を決めるには十分な出来事だった。



「はいでは馴れ初め……は知ってるから、どの辺を好きになったか、かな」


「どきどきわくわく」


「言わないと駄目?」


「「駄目」」

 

 その返答は同時であり、またあまりに早かった。私はちっと分かりやすく舌打ちする。

 勇者の嘘感知は直感に分類されるものだ。言葉や表情に出さなくても気配で感じ取るのである。対策は色々試したが、皆無。一番は嘘を言わない事だと経験づけている。


「あくまで友人としての好きなところだからね」


 頭にそうつけてから、私はツカサの良いところかと思案した。

 第一印象は内気な少年だった。黒目黒髪と、この国では珍しい特徴を持っていて、どこの出身なのだろう程度は気になった。


 だが、彼個人への関心などどうでもよくなるほどの物を少年は身に着けていたのだ。

 真銀ミスリル糸を織り込んだ上衣だ。そんな物は王族にだって自慢が出来る国宝級の一品である。


 加えて刺繍は模様から見るにエルデンス時代より前の流行で。確信する。彼は混沌の遺産を手に入れたに違いないと。


 だから欲しかったのは混沌の情報だけだ。家に連れて帰り情報を吐かせ、後は小遣いでも渡してカノンに面倒を見て貰うつもりだった。つまり、私はその時、ツカサの事なんて心底興味が無かったのである。

 

 契機はやはり、あの晩だろう。

 先に行け。その言葉を聞いてから、腹に穴を空け倒れるツカサを見た時は、罪悪感で吐き気がした。


 私は彼の持つ情報だけに固執して、彼自身を一切見ていなかった事に後悔する。

 町を訪れた時だって彼は少女一人の為に盗賊団と戦っていて。骨竜に挑む時だって何の得も無しに私と来てくれた。この勇敢な少年を死なせてはいけない。私はまだ未完成だった回復魔法に全霊で取り組んだ。


 目が覚めてからも彼は私を驚かせてばかりだ。

 異なる世界からやってきた。混沌の生まれ変わり。そして入れ替わる事が出来る。学会に発表すればたちまち解剖されかねない、余りにも荒唐無稽な真実だった。


 言葉がわからないのは当然である。常識が無いのも当然である。彼はこの広い世界にひとりぼっちだったのだ。だから無事帰れるように手を引いてあげようと思った。色んな場所を見せてあげて、この世界を嫌いになって欲しくないと思った。それが始まり。


 振り返れば彼と過ごしたのはまだ一月ばかりか。もはや一年くらい一緒に居たとしても信じられるくらい濃密な時間を共にした。


 彼の命を投げ捨てる様な行為に泣いた時もあった。母上に責められる私を庇ってくれた時もあった。彼の色んな顔を見てきたから言える。愛とかは置いておいて、私は確かにツカサ・サガミという人間が好ましい。


 だからこそ、カノンやフィーネの求める恋物語など、私の口からは語れないだろう。

 何せ、ツカサを家に帰してあげる旅なのだから、私は彼との別れが決まってしまっているのである。知っていたはずの事実がキュッと胸を締め上げた。


「勇気かな。彼は恐怖に蓋をして立ち上がれる。そこは評価するよ」


「ああ、ツカサくん勇気あるよね。今日も師匠に挑んでてびっくりしちゃった」


「それは無謀って言わないの?」


「言う。うちの母上にもエルツィオーネの格が知れるって啖呵きってた」


「「ひー!!」」


 なんて恐ろしい事をと二人が悲鳴を上げた。そうだろうそうだろう。彼は普段の気弱な態度が嘘の様に無茶をするのだ。だが不覚にも、私の味方として立ち上がってくれた姿にはえも言われぬ感動があったのは内緒である。


「あとは、そうだなぁ。結構努力家だよ。最近は頼りになる事も増えてきた」


 悪い点を指摘すれば直そうとするし、一緒に行動していると男性的な逞しさも垣間見える時がある。彼は知らないだろうが、騎乗の時に強く抱きしめられたりするとこちらも結構ドキドキなのだ。


「そうだね。活性も装魔も普通に使ってたから凄く努力したと思う」


「へぇー。体つきががっしりして来たとは思ったけど、やるわねぇ」


「気は済んだ? じゃあ彼の話はもういいだろう」


「裁判長いかがですか?」


「うーん。私はもっと嬉し恥ずかしい話が聞きたいなぁ」


「だ、そうだ。逢引と手を繋いだ時の話を詳しく」


 左を見ればカノンがニヤニヤと。右を見ればフィーネがニタニタと。不幸にも自分には弁護士が付いておらず、ヒクリと頬を引きつかせても、沙汰はどうやらひっくり返らないらしい。


 酔っ払い共にはそんな面白い話でもないよと言うのに、餌をお預けされた犬の様に早く早くと乞う姿に私は両手を挙げて降参した。フヘヘもうどうにでもなーれ!

 

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