第84話 訓練
勇者フィーネ・エントエンデとの再会はお互いが地面で敷物の様になっている時に果たされた。土埃に塗れ、くきゅうと目を回す少女に、最初は何があったのかと疑問に思ったものだが、同じ様に地面に倒されてみれば、成程彼女も竜巻に打ち上げられたのだと理解する。
大丈夫?と髪に付いた土を払ってあげながら頬をペチペチと叩くと、恐怖に染まった碧色の瞳が見開いた。「ひぃ」という短い悲鳴と、ネコ科を思わせる華麗なトンボ返り。
意識の復帰から即座に戦闘姿勢に戻る姿には、拍手を通り越して涙が出た。辛い経験をしたんだね。
「あ、あれ? ツカサくん? 良かった、
俺の顔を見て油断したのか、金髪碧眼の少女は表情からも身体からも力を抜くと、呑気に「久しぶりだね!」なんて可愛い声を上げて来て。そんな眩しい笑顔を見せられては、まだ訓練は続いているよとは伝えづらく。俺はすっと無言で後ろを指し示す。
フィーネちゃんの背後では、暴風を纏った男装の麗人が、火と水を駆使する妖女と張り合っていた。
濃い霧が出る。風が薙ぎ払う。水蒸気が爆発する。風が薙ぎ払う。追い込まれたアトミスさんがやめろと叫ぶ。風が薙ぎ払う。ひあ~という絹を裂く悲鳴も、しかし風に紛れて掻き消えた。控え目にいって地獄である。
「……帰りたい」
言葉とは不思議なものである。重ねるよりも、装飾するよりも、ただの一言に重みがある時がある。笑っては悪いのだが、勇者が漏らす意外な一言にむしろ親近感を感じた。
「休憩時間くらいは稼いでくるよ」
俺はフィーネちゃんにこれ使ってねとハンカチを渡し、じゃあいきますかねと、景気づけに活性化する霊脈に更に魔力を流し込む。
手には妖女にホイと気軽に渡された刃引きの軍刀。
異世界に来てからというもの、ずっとヴァニタスという魔王愛用のチート武器を使用していた為に、何気に初めての鉄製の武器だった。
握った感想はと言えば、違和感がある。重量が重い。刀身が長い。握りはまぁ、皮が巻かれていてそれなりで。だけれども、やはりどこかしっくり来ない。そして何より心細い。
手にある鋼の塊がまるでちゃちな玩具を握っている様に感じるのだ。例えるならば獅子を相手にこれで戦えと、木の棒を渡されたくらいに心許ない。
いや。あの人を相手にするならばどんな武器でもそう感じるのだろうか。少なくとも俺は自動小銃を渡されようとけして満足はしなかったと思う。
「次、よろしくお願いしまーす!」
魔力で地面を蹴る。足裏に加速装置でも搭載した気分になれる爆発的な推進力。
10メートルは離れていたライオンとの距離も、ただの2歩で踏みつぶし、3歩目、構えた剣に速度を載せて渾身の一振り。
「おや次は君ですか。さすが男の子ですね、元気でよろしい」
麗人はまさに麗らかに言う。とても迫る鋼に身体を晒しているとは思えぬおっとり具合。助走で勢いの付いた袈裟斬りを紙一重で躱し、撫でる剣圧をさながら扇で煽られた程度に涼やかだ。
流石にその反応は悔しくて、もっと構って下さいよと無理やりに剣筋を捻じ曲げた。刃の描く軌道は‘く’。肩口を狙った一刀が、跳ねる刃により脚へと落ちる。
ドヤンとドヤ顔を披露したいところだが、アルスさんは足を後ろに振りかぶり難なく避けて、剣が地面に着いた頃、反動で俺の顔面を軽く蹴り抜く。
「おや」
何か出来ないか。咄嗟の判断が下したのは頭突きだ。顔面に狙いを定めるその足の甲に精一杯の魔力を纏い迎撃した。人馬ならばいざしらず人間の蹴るという行為は、即ち片足で立つという意味だ。予想外の反撃に、刹那、剣鬼は確かに隙を見せて。
「うらぁ!」
好機をものにしろと身体が選んだのは、剣ではなく肩。
剣を振るうよりも体をぶつけた方が早い。右足が生む推進力は、至近距離では肉体を砲弾へと変えるのだ。
あわよくば片足の浮いた女性ならば押し倒せるのではないかと思った。しかしそれは、アルスさんに触れた瞬間に本能が無理だと理解した。
手ごたえはまるで巨木に身を当てた様だった。よく根を張るとかそんな比喩を聞くが、まさにそれだ。実は足裏から棘が生えていると言われても俺は信じる。
すぐさまに無意味さを知り、ならばと剣撃。密着姿勢の利を生かし身体の陰から刺突を放つ。不思議な手ごたえが有った。チラリと切っ先に視線を落とすと、先端が握られていた。嘘でしょ。なんで見えてないのに掴めるのさ。
「これはこれは。ああ、良いですねツカサ君。とても良いじゃないですか!」
褒められた。でもニパリという笑顔が肉食獣を連想させる。この人の迫力の前では、どこぞの虎男など猫に思えるほど可愛らしい。
良く出来ましたと、ご褒美に剣が構えられる。どうやら剣を抜く価値ありと判断されたようだ。こんなに嬉しくないご褒美があっていいのだろうか。
「安心してください。私手加減上手いので」
「ダウトー!」
手加減が上手い人は訓練場を吹き飛ばしたりしないのですよ。
瞬時ギアをトップギアに入れ替える。纏を全身に掛け、疑似的な大活性へと持ち込む。瞬間的な爆発力で言えば一点集中の纏に劣るが、機動力でいえば大幅な上昇である。
思い出すのは月夜の晩。
あの日はただ怖かった。この白百合の騎士が放つ剣気にジグルベインの中で震えていた。寄らば斬る。そんな剥きだしの敵意は向けられる真剣よりも鋭く冷ややかで、心を竦ませた。
そして今、獅子はジグルベインではなく俺に牙を剥く。
金の瞳が俺を捉えるのだ。素人にも分かるほどの残酷な死線が引かれる。さあおいでと、ほほ笑む姿すら慈愛に満ちた死神に感じた。
「……かかか」
でも、死地だろうと笑って臨むが混沌流。
いつもいつだって、だからどうしたと心に火を入れて足を前に進めるのだ。
「カカカのカっと!」
足取りはいとも容易く死線を踏み込え、アルスさんもあっけにとられる程の無形無型。
これは剣術ではない。だから型は不要。振りたいように振る。それがコツ。
しかして迸る一閃は正しく暴力。最低効率で発揮される最大威力はジグルベイン仕込みの魔王の一撃。
「あ、ごめんなさい。つい……」
今日初めて響かせる耳を劈く金属は俺が敵として認められた証だろうか。僅か一合。しかし確かに一振りをさせる。
結果を言うと剣が叩き折られて、肩から血が噴き出して、空を飛んだ。
これが手加減の上手な人のやる事だろうか。
暴風に晒され再びに宙を舞い、ああまた落下するのかと思っていると、衝撃こそあれ地面に叩きつけられた痛みは無い。
柔らかな物に包まれた感触におっかなびっくり薄目を開くと、赤い瞳が心配そうに覗き込んでいて、一瞬どこぞの魔女かと思ったが、サラリと流れる小紫の髪でそれが勘違いだと気づく。アトミスさんが受け止めてくれたようだ。女性にお姫様抱っこされてしまったよ。
「すまない……怪我をさせてしまったね」
「いえ。いい経験になったので」
どうやら運動は怪我人が出たので終わりらしい。アルスさんが凄い勢いで駆け寄ってきて、ペコペコと頭を下げながら訓練場にある医務室に運び込んでくれた。その態度は剣を構えている時と本当に同一人物かと疑いたくなるほどである。
なおフィーネちゃんは怪我を悲しむのと訓練の終わりを喜ぶ感情が同居しているようで、泣いている様な笑っている様なとても中途半端な表情だ。
俺はベットの並ぶこじんまりした部屋で青い法衣を着た人から回復魔法の手当てを受けたが、アトミスさんもフィーネちゃんも軽く消毒し軟膏を塗る程度だった。
手当して貰わないのかと聞くと、こんな傷は舐めておけば治ると笑う辺り、生傷の絶えない生活をしているのが窺える。もっとも活性のおかげで小傷なら直ぐに治るだろうが。
「おいアルス。お前なんで今日はあんなに機嫌が良かったんだ」
「ああ。剣が新しいから試し振りらしいですよ。私一人では足りなかったみたいですね」
「くそ、獣殿だったか。何から何まで余計な事をしてくれたな」
アトミスさんに睨まれアルスさんは気持ちばかり背を丸める。剣士なら実践で試し振りをしたい気持ちも分かるのだろうか。やりすぎと注意こそすれ、妖女からも恨みの節はない。むしろ良い運動にはなったという声さえあった。
「ところでツカサ君。剣は一体どこで習いましたか?」
アルスさんは身体を拭けば綺麗なもので、どうやら一人怪我もしていないようだ。ひょっこりと隣にやってきて、布団に寝ている俺を覗き込んでくる。
どうでもいいが、女性3人ともがインナーと思わしき生地の薄いタンクトップ姿なので少しばかり目のやり場に困った。
「そうだよ。ツカサ君ってばルギニアじゃあ活性も出来なかったのに」
我流でする。頑張ったのよと言い訳するが、勘の良い麗人の視線は穏やかではない。
彼女から見てあの晩に戦った獣殿と姿が被ったのならば、背を追うものとして嬉しくも思うが、同様の熱視線を送られるのは非常に迷惑だ。かなり露骨ではあったが、そういえばと話題をずらす。
「フィーネちゃん。カノンさんから後で食事に行くって聞いた? イグニスも来るよ」
「え、聞いてない!?」
そんな事だと思った。5の鐘と言っていたから、もう一時間もないくらいだ。いくら旅に慣れているとは言え、訓練で汗まみれ泥まみれで食事をしたくは無いだろう。
フィーネちゃんは師匠であるアルスさんをチワワの様な目で見つめると、解散の許可を貰いバタバタと医務室を後にした。
「という事で、俺も食事会があるので……」
「ん? イグニスから女子会だから男子は要らないと聞いたが」
馬鹿な。アルスさんに連れ去られる時点でこの状況を見越していたというのかあの魔女は……。置き去りにしたことの意趣返しとしてニタリと笑う赤髪の少女の姿がまざまざと目に浮かんだ。
金髪金眼の騎士が、じゃあ時間はあるのですねと、グイと顔を近づけてくる。
時に銀髪金眼の女性を知りませんかと。君にそっくりな剣を振るうのですがと、麗人は優しい声で語り、そして視線で人を刺す。
「おのれイグニース!」
(これがほんとのカカカのカ)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます