第70話 マヨちゃんお披露目



 案内された客間はそれなりに広いながらも、壁掛けや絵画、壺に魔獣を模した焼き物にと所狭しと飾られていて、美術館の一室を借り切った様な目に賑やかな空間だった。


 なんとも面白い部屋ですねとシャルラさんが呟くと、クーダオレ子爵はお気に召して何よりですと、笑いながら告げる。


 イグニスとシャルラさんが対面するのはクーダオレ夫妻と、その子息の夫妻の合わせて4人。机を挟み歓談する両者を俺は子爵家の使用人さん達と一緒に壁際で見守っていた。


 ハンメル・クーダオレ子爵。魔女曰く、食通の変人。

 息子のルムトさんを先に見たせいで体格のいい熊の様な人物を想像していたが、割りと細身で愛嬌のある顔をした人物だ。


 流石に爵位を持つ人で、礼服をさらりと着こなし、男性ながらに化粧が様になっている。

 しかし魔族の伯爵への対応は場慣れした子爵にも初の経験なのだろう。笑顔がぎこちないと言うよりは、笑顔に余裕が無い。


 会談の進行は魔女の想定通りで気味が悪いほどだ。

 まずは開幕の挨拶合戦。これはシャルラさんと言うよりもイグニスに向けられていて、この息子が跡を継ぐから宜しくねという意味で行われた。


 イグニスの信者ルムトさんは隣で奥さんに何かされているのか、若干に顔を歪めながらも暴走はしていない。


 そして続く、本日はどの様なご用件ですか。

 そうともこの一言は必ずある。特に上位者の訪問なのだ、先手が伯爵というのは作法である。ここで待ってましたとシャルラさんのターンだ。


 ラルキルド領の領主として交流したい。どうぞ良しなに。そんな旨の会話は、大きな拒絶こそないが、何ともやんわりと逃げられる。


 所謂タカリを嫌がっているのだろう。ラルキルド領は薬代を貸してくれないかとクーダオレ領を頼ったばかりなのだ。隣領として良い関係を築きたいと口にしながらも、自分は子爵で大きな決定権が無いよと、便宜は図ってあげられませんよと逃げ道を作っていた。


 笑ってしまう程に想定内だ。シャルラさんは用意していた台詞の通りに告げる。


「そうですか。商人の紹介だけでもお願いしたかったのですが」


 予想外のお願いの内容に商人ですか?とオウムの様に返し。

 ああ、そういえばお土産がまだでしたねと、伯爵は小さな手をパンパンと鳴らす。


 そこで俺。ささりと前に出て、布で包んだ壺を取り出して。正直この仕事の為に執事をやらされたと言っても過言ではない。


「何も無い領ですが、イグニス殿がコレをお気に召してくれまして。マヨネーズと言う調味料です。是非ご賞味ください」


「ほほう。ラルキルド領の調味料ですか」


 ラルキルド領の部分に副音声で魔族のと聞こえたが、興味津々の子爵は壺の中の白い半固体を覗き込んでから、オイと俺の隣に立っていた若い男性を呼んで。


「ああ、ハンメルさん。料理までは要りませんよ。肉でも野菜でも大体合うので、簡単な物の方が味が分かるでしょう」


 イグニスの添え口もあり、30分としない間に全員分。ここで言う全員は貴族の分だけだが、小皿が出てくる。ゆで卵にソーセージに野菜のスティック。そしてマヨちゃんの盛られた皿だ。


 この短い間で料理長が頑張ったのだろう。一目見て、なるほどこれはマヨに合うよねと言う絶妙な選択である。


 毒見という分には厨房で死ぬほど行われたはずだが、シャルラさんが食べ方の見本にと一口大に切った腸詰に匙でちょいちょいとマヨを掛けてパクリ。見届けた子爵達も、その様子を真似してパクリ。


「なんて滑らかな舌触り! なるほどこれは美味しい!」


 子爵だけでなく奥さんも、とりわけ息子のルムトさんは大絶賛だった。

 だが、ここで静かに皮算用をする子爵。


 ソーセージだけでなく、野菜にも、卵にも付けてウンウンと頷いているが、頭を駆け巡るのは他の事だろう。


 魔女の陰湿な嫌がらせである。

 シャルラさんは本当にマヨを扱ってくれる商人を紹介してくれとお願いしたのだが、子爵にはこう聞こえたはずだ。


 お前の使っている商人に優先して卸してやる。なら、分かるよな?ん?と。


 未だ味の選択肢が少ないこの世界で新たな調味料はそれだけの価値がある。特にマヨはメインには少し足りないが、とりあえず掛けとけくらいには万能の調味料だろう。欲しい。凄く欲しいのだけれど、見返りが怖い。そんな感じの表情である。


「ハンメルさん。どうか話だけでも聞いてはくれませんか」


 ここでイグニスが割り込んだ。語るのはラルキルド領の実情だ。シャルラさんが薬代を頼った経緯である。


 内部に悪魔が干渉し作物が駄目になった事。これは今王都でも問題になっている深淵という勢力の仕業だと言う事。何とか病を克服し、町を復興しようと初めて貴族として外交を行う吸血鬼のお涙頂戴物語。


 こういうのは本人が語るより外野が持ち上げた方がウケが良く、ついでに手助けするイグニスまでなんとお優しいと株が上がる悪魔の業だ。


「それではラルキルド卿の要求と言うのは」


「はい。私のお願いはただ一つ。私達を隣人として認めて欲しい。それだけなのです」


 それならばと折れるクーダオレ子爵。

 挨拶に来ただけのシャルラさんは嫌われなかっただけでも万々歳であり、ついでにマヨの販路も確保する事が出来そうだ。ハッキリ言ってこれだけでも今日は大成功だろう。


 喜ぶシャルラさんには悪いが、やり手なのは子爵である。


 決してイグニスの話に流されたのでは無いのだ。最後の最後に魔女に視線を投げたのが証拠。

 シャルラさんと推薦したイグニスの顔を立てる為に折れてくれた。あるいはマヨネーズという手土産で折れろ。そう諭されたのだろう。つまり空気を読んだ。


 そしてシャルラさんに要求が無い以上、子爵の一人勝ち。そう見えるが実は違う。


 子爵には子爵なりにごねる理由があり、結果だけを見れば無事に橋渡し役を遂げた魔女の勝ちなのだ。


 そもそもにして、このクーダオレ領はテネドール領という土地の分領らしい。

 そしてこの領を治めるテネドール伯爵こそ、過去にラルキルド領を攻めていた張本人である。


 軍人の家系らしく、王都から東を開拓したのはテネドール家の実績。そしてクーダオレ領は軍に食料を確保する食糧庫として機能していた過去があるようで。まぁつまりラルキルド領とは少なからず過去に因縁があるのだ。


 イグニスの話では騎士道精神を継ぐ高潔な一族という話だが、平定してからは軍事力をやや持て余しているらしく。


 有事に王の剣足るべしと何とか維持をしているが、最近はクーダオレ領の方が発展していて収入が良いという話まであるようで。子爵も上の伯爵に忠義を通す為に色々配慮しているのである。これが中間管理職という奴だろうか。


「時にハンメル殿。ブータ殿はお元気でしょうか。私の心無い一言で酷く傷付けてしまった様子。本日は謝罪も兼ねて参ったのです」


「ブータ? ああ、ブルタ。いえいえラルキルド卿。元はと言えばコチラの不躾な願いが発端なのです。どうかお気になさらず」


 衝撃の事実。ブータ氏の本名、ブルタだった。確かに言葉にすると聞き間違えても可笑しくないが、余程活舌が悪かったのだろうか。


 シャルラさんが持ち出したのは過去のお見合い騒動。このタイミングもまたイグニスの指示である。握手をしたばかりの人間に過去の傷を抉らせるとかどんな神経しているのだろうか。


「いえ、父上。これは天命です。どうかイグニス様にご相談を」


 そして思いのほか話題に食いついてきたのが、ブルタさんの弟ルムトさん。

 父のハンメルさんは何か疚しいことでもあるのか、早く話題を終わらせようと、黙ってるんだと口にして。

 

「この件は私も思う所がありましてね。よろしければ、何故見合いの話になったのか聞かせて貰えませんか」


 魔女は赤い瞳を爛々と輝かせ語る。イグニスがラルキルド伯爵が女性であると知ったのは対面してからだ。ある意味は当然。何せ300年領は閉じられていたのだから。けれどならばクーダオレ子爵は如何にその事実を知ったのか。


「それは……」


「いや、いい。税務官だ。漏れるなら年一回必ず対面する彼らだろう」


 問題は、そう。交友も無いのに何故見合いなどと突飛な話になるのか。それも先のテオドール伯爵の確執がありながら。それも決まっている。伯爵の指示なのだ。子爵の身分では立場上シャルラさんよりも下なのであると。


「……はい。助言を頂いたのは確かです」


 ほら捕まえたと口角を上げる魔女の凄絶な笑みに、ルムトさんの妻メルクさんは邪神でも目撃したかの様に顔を引き攣らせる。


 イグニスの話では最近になってテネドール伯爵は息子に爵位を譲ったらしい。

 しかしその息子の派閥は人間至上主義。所謂亜人排斥派だ。

 

「と、言うよりも考えが若い。騎士の家系に多い武功派だね。英雄譚に憧れるあまり敵が欲しいのさ」


(ああ、おるよな。そんな連中を何人返り討ちにしたか)


「さて。そこで最後のピースです。その件のブルタ氏。容姿が変貌したのではありませんか? たとえば、人豚と間違われる様な容姿にでも」


 お見合い騒動のイグニスの答えがそれだった。


 容姿が醜悪に変化した長男。それは魔族に間違える程で、亜人排斥派の主人に見るに堪えないから出てけと言われたのではないか。


 人間の町に行き場は無く、ブルタさんは最後の望みを掛けて魔族の町へと向かい。

 それでもオークと呼ばれるのだけは最後のプライドが許さず、禍根だけを残した。


 なるほど最後のピース。これが分かるのは深淵の騒動を知っている俺たちだけだろう。

 容姿が変貌する化け物を俺は知っている。つまりこれは、悪魔の仕業であり、深淵の陰謀なのだ。

 

 狂る狂ると、裏ではすでに大きな物が回り始めている。そう感じた。


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