第69話 クーダオレ家
2の鐘。時間にして午前9時に、連絡の通り馬車が宿の前へと止まった。
肉叉の紋章を掲げた車から姿を現すのは執事らしき老紳士。
「クーダオレ家の遣いで御座います。ラルキルド伯爵、及びエルツィオーネ智爵家ご令嬢をお迎えに参上致しました」
「ご苦労様です。よろしくお願いしますね」
先頭に立つのはシャルラさん。
今日は編み込んだ髪を後ろで纏めた大人っぽい髪形で、化粧から立ち振る舞いまで監修はイグニスである。
300年以上を生きる彼女だが、外見は12歳くらいで止まっているために、口調と仕草をやや硬めにする事で雰囲気だけでも成人に近づけた様だ。
服装は普段から着ている黒いワンピースの上から外衣を羽織っている。靴や小物は昨日の買い物で手に入れたのだろう。
外衣は俺が廃城で着ていた物で、上質な紺碧の生地と意匠の凝った銀糸の刺繍はまさに最上級の一品。そう、ジグルベインの服だ。
イグニスに転移を明かした夜、残りの遺産は燃やした事も告げたが、国宝級の品に何たる事をと責められて、売ることも出来ずに鞄の底で眠っていたのである。
昨晩ジグの許可を貰って彼女に委ねたのだ。女性物だし俺が腐らせるよりは有意義だろう。
「お手をどうぞ当主様」
そして今日の俺の役割は伯爵の執事役だったりする。
夕飯の後にシャルラさん共々一夜漬けの指導を受けたのだ。ちなみに口酸っぱく念を押された事は基本黙ってろだ。酷い。
美しく着飾った灰色の少女の手を取り馬車まで導く。緊張の色濃く、動きが多少ぎこちないが、階段を踏み外す事なく無事に乗れた様である。
エスコートなどと言うと胡散臭く感じるかも知れないが、馬車の階段というのは案外踏み場が小さく、そして段が高い。踵の高い靴と裾の長いドレスを着こむ女性には案外危ない場所なのだ。
聞けば当然の優しさなのだが、しかしそれに気付けるのが紳士なのだと教わった。
ならば淑女とは紳士の優しさを甘受するだけなのかと。
否否否。華であるのだと。指し伸ばされる手に釣り合う程に、身も心も美しく居ようと。
何とも時代錯誤な価値観であるが、貴族令嬢の言うその説得力だ。
「お手を」
「ん。ありがとう」
鮮烈な紅緋の髪と燃え盛る炎の様な赤い瞳をした少女。纏うドレスの色もまた深紅であり、初対面の時には思ったものだ。触れたら火傷しそうな女性であると。
よもや旅する仲になるとは思いもしなかったが、当時の自分に一言申したい。そいつ、触らなくても火傷するよ。
「本日も大変美しゅうございますお嬢様」
「ふふ。なんだよその口調は。君もまぁ、それなりだ」
そいつはどうも。朝早くから化粧台に座らされた甲斐もあるものだ。
女性陣に混じって顔に粉を叩き影を引いた。髪には香油を撫でつけて爪までピカピカに磨きと、慣れないお洒落には苦労した。
香水は手巾に微かに香る程度と教わったが、その意味を理解するのは馬車に乗ってからだ。狭い密閉空間で全員が匂いを纏っていたら獣人で無くても顔を顰めた事だろう。
ああ、獣人と言えばティグは残念ながら、いや羨ましい事にお留守番である。
大人しくしていろよと窓辺に視線を投げている内に、車輪がガタゴトと音を立てて回りだした。
◆
移動の隙に、少しばかり話を整理しておこう。
これから会いに行くのはクーダオレ子爵。この領の領主である。
シャルラさんの治めるラルキルド領とは隣領ながらも付き合いは無かった様だ。
ラルキルド領が魔族の町と言うことで、静かに引き篭もっている間は干渉を避けたかったのだろう。
しかし、最近になって何故かシャルラさんに縁談を持ち込んだらしい。
お見合いは実行されたものの、シャルラさんが子爵の息子を白いオークと呼んだ事で相手が怒り破断となった。だがこの件が尾を引き、後の流行り病では援助が行われなかったという来歴がある。
今回の訪問の目的はそこをすり合わせ、より良い関係を築く為の物だ。
……という表向きだ。
深淵と名乗る勢力があれやこれやと暗躍している中で、こうもタイミングの良い縁談の話を疑わない魔女ではない。
丁度良いので、この国の爵位の話をしたい。
並べて男爵、子爵、伯爵、侯爵、王族という順になる。
男爵が一番低い爵位。子爵は伯爵以上の直属の配下という事で、後ろ盾がある分男爵より偉い。伯爵になると土地を預かる領主のレベルで、侯爵ともなれば大領地を治めるそうだ。
やはり土地の面積や収益が権力に影響するみたいだが、ここで紛らわしいのが役職である。
騎士や魔導士は入隊すれば貴族の末端に数えられ、団長や副団長クラスになれば侯爵並みの権力があるそうで。お馴染み辺境伯の他にも勇者の血筋には
イグニスの生家であるエルツィオーネ家は大領地を治める侯爵でありながら智爵も兼任しているので国では上から数えられる程偉いそうだ。
イグニスママに格不足といった件取り消してもらえないかな。もらえないよね。今度あったら必死にゴマをすろうと思う。
話がズレたが別に覚える必要は無い。
今大事なのは子爵には必ず後ろ盾が有ると言う事だ。
王都では人間の予定に詳しい事から貴族に敵が居ると仮定したが、その答え合わせ。
面会の内容いかんでは、貴族が人間が敵に回るぞと怖い魔女が嗤っていた。
◆
馬車が止まったのは宿からそれ程離れない場所だった。
建築の様式はこの町の建物らしい板張りの外見で、広くはあるが豪華では無いといった具合のお家だ。
いや、嘘だ。十分豪邸なのだろう。廃城から続き大きな建物を見すぎて感覚が狂っているのだ。日本だったらと考えれば確実にお金持ちの住処である。
そして御者が外で階段を用意し、執事さんが扉を開く。
俺が一番に降りて手を貸す予定だったのだが、どうやらその必要は無いようだ。
「お手をどうぞお嬢様」
「まぁ。これはありがとうございます」
飴色の髪をした青年がシャルラさんの手を取り、イグニスも続く。勿論俺は対象外なので音を立てないよう静かに降りた。
男性は子爵というには若い。そしてオークと呼ばれるほどに巨漢でもない。
特別に綺麗な顔立ちではないものの、温和な顔立ちとふくよかな体型から存在に角が無かった。何処に紛れても平気なタイプといった感じだろうか。
見ればもう屋敷の入り口から使用人がずらり並び頭を下げている。お出迎えの態勢だ。
俺は誰の使用人かハッキリさせる為に伯爵の後ろに立つ。背筋はピンとね。
「本日は遠い所よりお越し頂きありがとうございます。クーダオレ家が次男ルムトと申します。この出会いを三柱に感謝します」
手を胸に置き、軽く右足を下げての斜め45度のお辞儀。昨晩俺が必死で練習した所作の内の一つなのだが、ルムトさんはさすがに手慣れた感じの挨拶だった。
負けじとシャルラさんもスカートの裾を摘みお辞儀をする。昨日一緒に練習したので心境は学友の発表会を見守る気分だ。がんばー。
「シャルラ・ラルキルドと申します。出会いに恵まれ、ここに辿り着けた事を嬉しく思います」
内心ホッと一息。本来は領主に向けた文句だったのだが問題無いだろう。
イグニスから見ても合格点だった様で、シャルラさんに続き満足気な顔で前に出る。
「ルムト殿、お久しぶりです。学院以来でしょうか。急な申し出にかかわらず歓迎して頂きありがとうございます」
「ふぁあああ!! イグニス様が私の名前ををを笑顔ををを!?」
赤い少女の満面の笑みは一人の男を発狂させた。
ガクリと土に膝を付き、三柱に感謝する以上に深い深い感謝である。何て安い最高神達だろうか。
ルムトさんはおっと取り乱しましたと平静を繕うがもう遅い。本当に、もう遅いのだ。
背景にお花畑の脳内イメージが見えるほどに有頂天な野郎を見て、俺もシャルラさんもドン引きである。
そんな様子に動いたのはルムトさんの隣に居た女性。
桃色の髪を巻いた、目力の強い。なんと言うかオーッホッホとでも笑いそうな悪役令嬢系彼女は、あくまでこの場の上位者がシャルラさんという事を理解して、絶頂する変態の変わりに前に出たのだ。
「オーッホッホ。シャルラ様、旦那がとんだ失礼をしました。あの人、貴族院の時からイグニス様の熱狂的な支持者でして、感極まってしまったようですわ」
「は、はぁ。流石はイグニス殿です」
言った!あ、いやどうでもいい。
ルムトさんは若い外見の割に妻帯者だった様で。それもとてもまともな人が奥さんだった様で。
メクルと名乗ったこの人の活躍によりすんなりと館に案内されて、頭を下げたまま放置だった使用人の皆さんもやっとご開放だ。
(のう、お前さん。気のせいかも知れんが……)
そう。俺も思った。気のせいだったら申し訳ないが、赤っぽい髪色や眼力がどこかイグニスを彷彿とさせるのである。世の中には気付いてはいけない事もある。
「シャルラ殿は知らないでしょうが、貴族院というのは学びながら
「ははあ。学び舎ですか。それは何とも興味深い」
「本当ですか! 興味ありますか! 学院時代のイグニス様の話を聞いて貰えますか!」
「貴方。いい加減にして下さる?」
何だか到着早々にとんでもない展開になったが、ラルキルド領でイグニスがちょろいと言っていた理由が判明する。あの女、子息をもう攻略済みだったのである。噂の黒歴史イグニス派の一員なのだろう。
イグニスの学院時代。聞きたい様な聞きたく無い様な。
とかく、悪役令嬢もどきに真の悪役の格を見せつけた魔女は、黒幕を暴く為に子爵と対面する事になるのだった。
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