第68話 買い出し



 イグニスは待ち合わせの時間までに着替えるだけでなく手紙まで書いていたようだ。

 恐らくは面会の約束を取り付けるのだろう。確か王都で事前に手紙を送るのが常識と言っていたはずだ。


 そう思えば部屋に用意されていた紙と筆にも納得がいくもので。

 手紙を預かった宿の受付は、それとなく渡される銀貨を握りしめ深々と頭を下げていた。


 あれは料金というよりは袖の下なのだろう。

 目の前で行われる貴族式、というか大人の汚いやり取りにげんなりしつつ宿を後にする。


 従業員に見送られながらゾロゾロと外に出る俺達。

 時間は少し午後を回ったところ。昼食を取るには遅く、夕食を取るには少し早い時間。

 見慣れぬ街の景観を眺めつつ、さて、じゃあどうしましょうかと赤髪の少女に振る。


「んー。どうしようか、ねぇ。どうしたいと思う、当ててごらん?」


 つんつんと後ろから脇腹を突いてくる魔女。旅の最中ですっかりバレた弱点を突かれ、身をよじりながら振り返れば、街着に着替えてご機嫌な笑みが。

 答えによっては追撃するつもりなのか、蟷螂のように構える女を牽制しつつ言う。


「美味しい料理を食べて、美味しいお酒を飲んで、ぐっすり寝たい」


「お風呂が抜けているけど正解だ。ただしそれは願望のほうだね」

 

 そうだろう。そうだろう。それが出来れば最高の一日だ。

 だが子爵に連絡をしたのだから、面会を前提に動かなければならない。早ければ明日と考えれば観光をしている場合ではなく、今日中に必要な物を準備しなければならないだろう。


「イグニスは化粧品とか買いたいよね? 俺が準備するものはある?」


 急く理由は何となく察する。ラルキルド領から持ってきたマヨネーズの賞味期限である。

 酢と塩を使っているので傷みづらいはずなのだが、やはり消費は早い方が良い。牛の足が想定以上に遅かった分のしわ寄せだ。


「よろしい。寝ぼけてない様でなによりだ」


 観光と言ったら怒られていたのだと思う。俺だって流石に何をしに来たかは忘れていないのだ。


 1つ目はシャルラさんと子爵の橋渡し。2つ目はシャルラさんに人間の町を見て貰い、町の参考にしてもらう事。3つ目はマヨネーズを買い取ってくれる、いわばラルキルド領と取引してくれる商店を探す事。


 とりあえずはこれが大目標であり、更に願うならばシャルラさんを補佐してくれる貴族の生まれの人材を探す事だ。


「どこに行くのか決まったのですか?」


「ええ、買い物に行きましょう。時間が余ればそのまま市場を見て、夕飯ですね」


 買い物と聞いてシャルラさんの表情が綻ぶ。咲いた花の様に眩しい笑みだ。

 宿に付くまでの間、通り過ぎる店を興味深そうに覗き込んでいたので、足を運べるのが嬉しいのだろう。


 先導する魔女を灰色の髪を弾ませ追従するシャルラさん。

 ちなみに俺の後ろには虎が俺を盾にする様にぴったりと張り付いていた。


 女の子達が美容品を眺めている間、男子は外で待機である。

 いや、俺だけならば連れられていたかも知れないが、ティグが鼻が利きすぎる為に入店を拒否したのだ。


 そもそもに女性の多い場所に巨漢が居ても他のお客さんに迷惑だろうと思うので、或いはこれで良かったのかも知れない。


「外に居ても退屈だし、俺達も他の店に入ってみようよ」


「いいのか? シャルラ様に待ってろと言われたのだが」


(カー。獣人らしい従順ぶりよな。行け行け、儂もお前さんに賛成じゃ)


 ジグルベインならばそうだよねと、ティグの背を叩いて進んでいく。

 一瞬店内を見たティグも、置いて行かれるのは嫌なのか恐る恐るついて来る。その表情は良いのかなぁと迷っているのか罪悪感という字が書いてある。


 周囲は看板を見る限りに服屋や生地屋が多いだろうか。傾向としてはやはり町の中心に向かうほどに高級志向の店が多い様だ。


 宝石や家具、魔道具に本とお値段的にも冒険者には縁の無い店が並ぶのだけれど、ふと虎が立ち止まりキョロキョロとしだして。


「なんか、美味しそうな匂いがする」


 鼻に反応があった様だ。ならばそちらに行ってみようと、匂いを追いかけ路地を二つ程超えれば、一般の宿屋が立ち並ぶ通りと、その客を目当てとした露店街を見つけた。

 

 でかしたティグと、さっそく通りに顔を出す。

 宝石や家具にはいまいちな反応だった獣人も、食べ物は別か。人の混雑さに煩わしそうにするも、目は常に露店の料理や食材を追いかけていた。


「す、すげえな。見たこともない食べ物がいっぱいある!」


 そうだね。ぶっちゃけ俺も見たことがない物がいっぱいだよ、うふふ。

 この世界の物は相変わらずカラフルでゲテモノ臭が凄い。

 肉でも何の肉か分からないのに、野菜に至っては地球の面影も少ないので食べてみないと分からないし、下手をすれば食べてみても分からなかったりする。


「はい、ティグ。少ないけどコレあげる」


 大きな手に小銀貨一枚を握らせる。地球で言えば1000円相当だ。

 ちなみにティグの指は5本あった。毛で覆われていて、鋭い爪と肉球もある。せっかくなのでプニプニしといた。


「これはどうすればいいんだ?」


「物々交換と同じだよ。このお金の分だけ欲しい物と交換できるんだ」


 ならあれと交換出来るのかと、目を向けるのは屋台の料理。

 売っている物はなんだろう。分類的には粉物の生地で具を巻いてあるのでクレープになるのだろうか。ただし見た目はタコスである。


 赤い葉野菜とソーセージを巻いた物とチーズを巻いた物、緑色の果物を巻いた物があって見た目は中々に美味しそうだった。ちょっと見てなよと、仏頂面なおじさんに声を掛ける。


「おじさん、コレいくら?」


「どれも銅貨2枚と小銅貨5枚だよ」


 銅貨一枚100円。小銅貨一枚10円くらいの感覚なので250円だ。さすがに影市のぼったくりとは違い高くも安くもない値段である。

 ならば4つくれと、俺はソーセージ巻きを二つと果物巻きを二つ買って、ほいとティグに差し出した。


「本当にこんな金属で交換できるんだな」


 感動と言うよりは呆れ顔の虎に、そうだよと頷く。

 通貨とは言わば交換券だ。円だって正式名称は日本銀行券である。

 お金の良い所は価値が平等な事であり、その価値の分だけ好きな物と交換出来るのだよと伝えて。


 理解したのかしてないのか、虎はクレープを一口でペロリと食べた。俺も説明が上手い自覚は無いので、肩を竦めてかじりつく。昼食がまだなのでオヤツには丁度良いだろう。


 ソーセージのパリッとした歯ごたえの後に来るのは、粗挽きを超えた、もはや雑挽きと言いたくなる肉のゴリゴリとした食感。零れる肉汁と仄かな塩気が堪らない。


 緑のソースは刻んだ野菜を酢と塩で整えた物でサルサソースが近いだろうか。

 トマトとはまた違う尖った酸味が、油をスッと断ち切り、二口三口と食べる手が止まらなかった。


「美味しいーこれ!!」


 料理が美味しいとは聞いていたが、まさか適当に寄った屋台でこの味とはびっくりだ。

 王都の貴族料理と比べるのは可哀そうだけれど、値段と場所を考えるならば随分と質が高い。


 まだ通りの入口なのでついつい食べ歩きをしたくなるが、手に持つ二つのクレープが浮き立つ心に自制をかけた。


「やばい。そろそろ一回様子見に戻らないと燃やされる」


「わ、分かった。急ごう」


 尻尾がへにゃりと名残惜しさを語るが、回復魔法の嫌がらせを受けた虎は静かに頷く。

 帰り道ではお金に興味を持った様で、どうしたら手に入るのかと聞いてきたので売るのだと答えた。


 何も売り物は物品だけではない。時間も、力も知識でさえもお金で買いたい人は居る。

 時間があったら冒険者ギルドに連れて行ってあげようと思った。待っているのは肉体労働だろうが、お金の価値を知るには丁度良いだろう。


 何気なくさり気なく元居た場所に戻る。セーフだろうかアウトだろうか。

 少しだけソワソワしながら化粧品店の前で待っていると、道を挟んだ対面の本屋から赤髪の少女が出てくるのが見えた。アウトの様だ。


 俺はごめんなさいと90度に腰を折り、献上品のクレープを差し出す。

 

「こう言っておりますが、どうしますかシャルラ殿」


「そうですねイグニス殿。よもや婦女子を待たせるとは紳士として如何なものか」


 シャルラさんまでもがイグニスみたいな事を言い出して。

 えーと戸惑いながら顔を上げれば、頬を膨らませ笑いを耐える二人の姿が。


 どうやら一芝居された様だ。

 言いつけを守らずフラフラ出歩き主を待たせたティグにはクリティカルに刺さったようである。すまんかった。


「冗談だよ。怒っていないって。ちゃんと貢物もあるようだしね。ただし君の分の香水とかは勝手に選んだから文句は言わないように」


「わ、私がツカサ殿に似合う物をと思い選ばせて貰いました!」


 そう言われて何故反論出来ようか。ありがとうございますと、クレープを手渡して、初のお店体験の感想を聞いた。俺としては自分も化粧をさせられるという事にびっくりである。


「一つの物でもこれだけの種類があるのですね。選ぶのが何とも楽しかったです。あ、この食べ物美味しい!」


 かねがね好印象と言った所だろうか。領にも商人が訪れた事はあるらしいが、こうして町に店が並ぶ選択肢の多さに驚いている様だった。確かに、豊かさとは何かと問われたら選択肢の多さなのかも知れない。


「で、君達。夕飯はちゃんと入るんだろうね。買い物は終わったし、ちょっと早いけど美味しい料理とお酒でもと思っているんだが」


「待ってましたー!」


(良いなー羨ましいなー!)  


 間食のおかげでむしろ期待値は高く、胃袋も元気になった。

 食堂のピークは日暮れの5時から6時くらいなので空いている時間を狙うのだろう。ごはんごはんと、俺達は七日ぶりのまともな食事を味わうべく雑踏に踏み込んだ。


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