第67話 彷徨う視線



「あれは一体何の集まりですか? 祭りでもあるのでしょうか?」


 牛の引く荷車から顔を覗かせて灰色の髪をした少女が声を上げる。指す先に在るのは、町の前に広がる市場だ。


 弾む声色から初めての町に気分を高揚させているのが窺えて、自分が影市の存在を知った時の事を思い出す。


「あれは影市場ですよ。他所の町の人とかが外でお店を広げているんです」


 なるほどという感心の声に少しばかり鼻が高い。

 一方後ろで背にしがみつく魔女はサマタイで俺に同じ説明をしたご本人。表情が見たく無かったので振り返らなかったが、クスクスと笑い声が漏れているのでお察しである。


 入門待ちの馬車列に並べば、吸血鬼と虎は市場を見たいと言い出すと思いきや、人の流れを目で追うばかりで口数は少ない。


 ははんさては緊張しているのだなと、場を和ませる冗談のつもりで言ったのだけど、どうして普段は威勢のいい虎男も借りてきた猫の様に背を丸めて小さくなって。


「こんなに大勢の人が居るとは思わなかった。外は本当に人間ばかりなんだな」


 今になってようやっと領の外に出たという実感が沸いて来たのだろう。

 怖いのだろうか。心細いのだろうか。想像とはどう違ったのだろうか。人混みに圧倒されるティグを眺めながら、とりあえず美味しい食べ物でもご馳走してあげようと思った。


 入門はもう慣れたものである。

 門にある屯所で兵士さんに左腕と鞄の中身を見せて入門料を払うだけだ。

 そうすると問題無ければ入門証が貰えるので、後は期限を忘れない様にするだけである。


 左腕を見せるのは、犯罪歴があると焼き印を捺される場所だかららしい。そこでふと思う。焼き印だと回復魔法で消えてしまうのではないだろうか。

 ちなみに入門料は10日で銀貨1枚だった。タマサイと同じ値段である事を見るにやはり王都が高いのだろう。


「ねえイグニス。焼き印って魔法で消えちゃわないの?」


「良いところに気が付いたね。そうだよ、火傷なのだから治るさ。でも、犯罪歴がある者には基本神聖術を施して貰えないんだ」


 それも罰なのだと。なお回復魔法を使える魔法使いは少ないそうだが、重犯罪者には消えない様に入れ墨が施されるらしい。

 そのレベルの犯罪者だと投獄されたり奴隷として労働を科されているそうで、まぁ焼き印は外を歩ける程度の罪という事だ。

 

 どうでもいい話をしている内にシャルラさん達も門を潜って来た。

 身軽な俺達と違い、馬車を牽いていた分だけ検分に時間が掛かったようだ。


 馬車から降りてとてとてと自分の足で門を潜る、黒いワンピースを着た少女。

 紫の瞳に町並みを焼き付ける様に、ゆっくりとゆっくりと視線を右から左へ彷徨わせて。

 漂う匂いを鼻孔で、何気ない雑踏を耳で。五感の全部を使い、営みを味わっていた。 


「なんという規模の町でしょう。立派な建築に数えられぬくらいに多い住民。香りは嗅いだ事無く、道はとても賑やかで。もはや比べる事も出来ない程に、ただただ凄い」


 観賞に浸るシャルラさんの瞳の軌跡を追う様に俺も町を眺めてみる。


 建築は少し独特で木造の建築が多かった。ログハウスの様な丸太組の建物ではなく板張りの外壁である。広い道路に比べて建物は隙間なく並んでいて、背の高い家は少ないだろうか。


 路面は舗装されておらず、しかしサマタイの肥料の匂いがする赤土とはまた違う、乾いて少し砂利つく感じの地面。全体的な雰囲気で言うと、何というかこう。


(西部劇にでも出てきそうな町じゃな)


 それだ!ただし雰囲気は全然違う。今にも撃ち合いが始まりそうな殺伐とした雰囲気は微塵もない。


 露店こそ見かけないが、料理店が多いのかどこからともなく美味しそうな匂いが漂ってくる。通行人には商人と傭兵が多いのだろうか。団体行動が目立ち、喋る声が少し大きい。賑やかと言うかうるさいと言うかの境目である。


 総じて言えば、新しい町に来たのだなという感じだ。


「ツカサ」


 ジトリと赤い瞳が向く。俺が市場と騒ぐ前に釘を刺そうというのだろう。言われなくても分かっている。そんな目付きはどこかのメイドだけで十分である。


 その上で、分かってる市場だなと言うと、まさかまさかの良いよと言うお返事が。

 俺はガッツポーズを決めて、シャルラさんとティグを観光に誘おうとした。そしたら魔女は真顔で言い放つ。

 

「嘘だ」


「嘘だー!」


 くっ、分かってた。分かってたよ。でもほんの少しばかり期待してしまうではないか。


「イグニスさぁ、最近ちょっと意地悪過ぎない!?」


「ごめん。そこまで落ち込むとは思わなかったよ」


 まぁ冗談抜きでまずは宿なのは分かっている。御者が居ないのでボコや牛を預けなければ街中では動き辛いのだ。


 付け加えるなら着替えたいという理由もあるだろう。

 イグニスはこれでも生粋のお嬢様。俺の前では足を組んだり胡坐をかいたりと態度の悪い女だが、肌だけはまず露出しない。太ももはおろか脚さえも極力見せはしない。

 

 そのせいで最近脚フェチに目覚めかけている事は置いといて、彼女も騎乗する時はワンピースではなく騎乗服を着ているのだ。革製のわりとピチピチで足のラインが丸わかりな奴を。


 似合っていて素敵なのだけれど、それで外を歩くのはイグニス的には、はしたない判定に入るのだろう。


 なおスカートで騎乗する方法が無い訳でも無く、短距離ならば腰かけて器用にボコに乗っていたりもする。


「今回はシャルラ殿も居るし、少し良い宿に泊まろうね。お風呂付だよ」


「愛してます」


 毎日身体を拭いていたとは言え、7日も入浴していなければお風呂が恋しい。

 野宿だろうと魔道具で水が使いたい放題なので髪も洗えるし洗濯も出来る。なので清潔なはずなのだが、気分的にどこか不潔なのだ。


 それはイグニスとて同様なのか、特に酒と引き換えに香水を手放した魔女は頻りに匂いを気にしていた。


 冗談で臭いと言ったら顔を真っ赤にしてプルプルとしていた。殺されるかと思った。

 流石に冗談だと言い直ぐに謝ったが、正直女の子だろうと臭う時はあるよね。


「ちょ、ちょっと待って下さい。私の為に良い宿だなんて。普通で大丈夫ですから!」


 会話が聞こえたのかシャルラさんが慌てて割り込んできた。虎はもうおっかなびっくり周囲を見渡すだけだ。


「駄目ですよシャルラ殿。長旅をしたのです。ちゃんと身を清めねば相手に失礼というもの。なぁに宿代は私と同じ部屋であれば実質半額ですから大丈夫大丈夫。何も心配はいらないのですよ」


「し、失礼。なるほど。半額……半額なら、大丈夫?」


 シャルラさんが知らないのを良いことにペラペラと嘘を並べる魔女。イグニスが良い宿と言うからには本当に良い宿なのだろう。懐事情を把握していないはずが無いので、言い包めて奢るつもりと見た。


 次には町のあれやこれやを説明していて、伯爵も目新しい物を片っ端から魔女に聞いている。どうやら上手く話題をすり替えたようだ。詐欺、いや話術も貴族には必須なのだろうか。シャルラさんには綺麗な心で居て貰いたいものである。



 イグニスの先導でたどり着いた宿は確かに一目で高そうと分かる建物だった。


 木造の建築が多いこの町で王都風な白い石造りなのだが、町でも中央付近にあり喧噪が遠い。敷物がフカフカ。従業員も質が高く、扉をノックすれば数人がさっと現れて手荷物と上着を預かってくれた。


 待遇的には貴族の館と遜色無く、明らかに貴族用の宿泊施設という事が分かる。

 余りのサービスと場違い感にシャルラさんもティグもカチコチで固まっているが、これには俺も固まりたい。一泊お幾ら万円なのだろうか。


「四人だ。二部屋借りたい」


 受付は少女にも愛想を欠く事無く。しかし、ちらりと胸元に視線を移す。

 チャラリと見せるネックレスには家紋でも入っていたのか、ほんの一瞬息を呑んだが、何事も無かった様にお帰りなさいませお嬢様と常套句を口にした。


 部屋割りは当然イグニスとシャルラさん。俺とティグだ。

 室内はやはり綺麗である。窓にガラスは使われているし、床には敷物があるし、机にはペンとインクと紙のレターセットまで置いてある。


 地球の様に個室にトイレと風呂とはいかないが、大浴場は予約で貸し切りも出来るようだ。これは凄い事ですよ奥さん。しかしこの充実した環境に対し、値段の話が一切無かったのが少々不安である。イグニスと折半かなぁ。


 一度解散し着替えてから集合という事で、特に着替える予定の無い男組は部屋でダラダラとした。騎乗の連続でお尻が痛いのでベットに寝そべって、そのままだと寝てしまいそうなのでティグに感想などを聞いたりする。


「想像とはまるで違ったよ。その、町より少し大きいくらいだと思ってた」


 きっとお店に行ったらもっと驚くだろう。変な食材や変わった道具。地球に在る物から無い物まで並んでいて、町の違いが良く分かる。ジグが市場をひやかすのが好きなのも納得だ。これが冒険者の醍醐味だと思う。


「俺達の町もこんな風になるのか? いや、ここにアイツ等連れてきても大丈夫なのか?」


 返答に困った。無責任に成れるさ大丈夫さとは言えなかった。

 けれど、目指したいよねと言うと。虎は少し興奮気味に、ああと短く頷いた。


「そう言えば外の人間はみんなお前みたいに強いのか?」


 突然だなと苦笑し、俺なんて全然弱いよと伝えると喧嘩をするのはやめようと呟いて。シャルラさんに迷惑掛かるから当然だと諫める。


 ティグ自身は人間や獣人なら負けなし。けれど魔族にはもっと強い人がいっぱい居ると言う。その事実に少し引いた。魔族が怖がられる一端を垣間見た。


「オイ……オイ!」


 ふと声に振り向けば、主は獣人ではなく赤髪の少女。

 その格好は小綺麗な街着に着替えている。白いブラウスと黒いロングスカートだ。見渡せば部屋の入口には黄色いワンピースを着た灰色の少女の姿も。


 なるほど察した。どうやら寝落ちしたらしい。ジグルベインよなんで起こしてくれないのか。


(いや、気持ち良さそうじゃったし。寝顔可愛いなって思うて)


「……てへっ」


 同様に寝落ちしていたティグ共々雷が落ちた。



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