第46話 家庭問題
扉の先には執事と女中をお供に引き連れた一人の女性が居た。
ウェーブの掛かった薄茶色のふんわりとした髪が印象的な人で、垂れ目のせいか、柔らかい表情のせいか、第一印象はとても優しそうな人だと感じる。
しかしだ。何よりもだ。露出の低い灰色のローブを着ているのだが、体系が分かりづらい服装でありながら、なお主張する胸部の膨らみはメロンでも隠しているのではないかと勘ぐるほどでだ。
「げっ! 母上!?」
後ろでそんな声でも上がらなければ、ついつい凝視してしまっただろう。恐ろしい魔法だった。魅了の力を振り切るべく、この人がイグニスのお母さんなの?と振り返り魔女の顔を見るつもりが、視線はついつい下へ。
思わず似てないねと口から出てしまった。失敗した。自分の口がこんなにも軽いとは思いもしなかった。
「余計なお世話だ!」
(このスケベめ)
鳩尾への華麗な一撃を食らい言葉も出ず悶絶。すまないと思うし、謝りもする。けれどやはり似てないのでは?ぐふ。
「これはターニャ様。先日は茶会へのお招きありがとうございました。何もない所ですがどうぞお席へ」
アトミスさんから招きを受けると、執事がスッと椅子を引き、イグニスママが話の席に座る。城から逃げだそうとしていた俺達だが紫の妖女の空気を読めという圧に従い渋々踵を返した。
それは正解だった。俺の後ろに居たはずのイグニスの姿が無く、あの野郎一人で逃げたかと憤慨していると、アルスさんに担がれて帰還した赤い魔女。ざまぁ見ろ。周りは化け物ばかりで最初から逃げ場など無かったのである。
「あーお客さんも来た様だし、僕はそろそろ失礼するよ」
しかしそんな中、教授がフェードアウト。アルスさんがチラリとアトミスさんを窺うが、苦い顔で首を横に振る。許されたらしい。上手いことやりやがったなと俺も団長も目を剥く。俺も真似をしようと思ったが、笑顔のイグニスに裾を掴まれた。蜘蛛の糸の悲哀を見る。
「さあ。やっとイグニスちゃんに会えた事だし、お父さんからのお手紙を渡しとくわね」
場の空気を分かっているのかいないのか。この魔女の母親にしてはポヤポヤとした緊張感の無い声で手紙を取り出し。家出娘は下される沙汰を待つ罪人の様に神妙な顔つきでそれを受け取った。
ハーと深く息を吐きだしてから文字に目を走らせるイグニスだが、途中からプルプルと震えだし最後にはフン!と紙を縦に引き裂いてしまう。
一体何が書いてあったのか。俺と団長だけでなくアルスさんまで固唾を飲むが、その一言が出て来ない。
「で、内容は?」
切り込むのはアトミスさん。強い。本当に頼りになる人だ。見習え団長。などと思ったがアトミスさんは親族だ。それは家庭問題にも首を突っ込みやすいはずである。
「ああ、部屋代とシュトラオス代の請求書。代わりに私が集めた魔導書貰うって。よほど魔法で負けたの悔しかったんだな」
「あらまぁあの人ったら」
ウフフなどと笑うママさんに比べて俺は内心ズッコケた。父が家出の娘に出す手紙の内容など説得か絶縁くらいしかないと思ったからだ。声に出さなくても皆同じような心境なのだろう。良かったけど良くない。そんな表情だ。
「そしてこれが絶縁状なのですが」
やおらに鞄から取り出される手紙。先ほどの物とは違い、蝋で封印が押された代物である。やはりそうなってしまうのか。
イグニスは貴族でも恐らく上位である領主の娘。その生まれの少女が家を飛び出す。その事実が重くないはずもなく。
本当にいいのか?とまだ謝れば間に合うのではないかと、イグニスに視線を向ける。
意図を酌んだのか真っ赤なルビーの様な瞳は笑った。焦りも戸惑いも、後悔すらも感じさせないとても澄んだ目だった。
「これは一旦破棄します」
目の前で開かれる事なく破かれる絶縁状。まさかプロクスさんも手紙を二通とも破り捨てられるとは思うまい。いや違う。そんな事はどうでも良くて。
「いいのですか、母上?」
「しょうがないでしょう。貴女が今エルツィオーネの後ろ盾を無くしたら直ぐに他の貴族に取られてしまうわ」
移り変わる状況に付いて行けずに目をぱちくりする。しかし他の貴族の方々は得心が言ったようで顔が真顔だ。恐らく政治的な話なのだろう。
「賢明な判断です。火炎竜王の使い手とあらば、野放ししておくにしても首輪を付けておくべきだ」
「でしょう? これ以上あの人が薄毛に悩んだらイグニスちゃんのせいなんだから」
その時は育毛剤でも送るよと軽口が魔女から飛び出す。
雰囲気が一瞬弛緩した時に、今どうなってるのかとイグニスに尋ねるが、答えてくれたのはアトミスさん。心なしか台詞を取られてイグニスが拗ねている。
「火炎竜王とは、先ほどイグニスが見せた魔法のことだよ少年」
旅立ちの時、プロクスさんも示威行為の為に放った火竜の魔法。
では、火で竜を模す意味は?と問われて考えた。格好いいからだろうか。
部屋にいる全員から笑いが零れたが、どうやら半分正解のようだ。
答えは力量を見せつける為。魔力の制御とは即ち魔法使いの腕前。魔法で巨大な炎の竜を作る事はそれは恐ろしい難易度の様だ。
「所謂、象徴だな。強い魔法使いが、エルツィオーネがいるぞ。そんな魔法なんだ」
奇しくもイグニスは決闘にて自身の魔法使いとしての能力を示したのだ。
勇者一行への選抜の疑問を黙らせるだけでなく、名家の生まれとしても恥ずかしくないだけの実力を。
「しかし、です。当主から正式に判断が来るまでの猶予です。母からはそのくらいしか出来ません。当然社交界での活動も禁止です。いいわね」
「……はい」
取りあえずは絶縁は猶予。本来ならここで無理やりにでもイグニスを家に連れ帰るかと思ったが、言い方からして拘束はされないのだろうか。
「横からですみません婦人。聞いた所、イグニスちゃんには勇者一行という旅の名目がある。それは今別行動の様だが、何で絶縁なんて大きな話になっているのか」
団長から疑問の声が上がる。そうだろう。この人達には家の許可なく飛び出してきたくだりを話していないのだから。今度はイグニスとアトミスさんが黙り込み、それをアルスさんが胡乱な瞳で見つめている。
「恥ずかしい話なのだけれどイグニスちゃんはね、家督乗っ取り騒動を起こしていて、本来ならフィーネちゃんへの同行も許可しないはずだったのよ」
乗っ取り騒動?聞いてないぞ。ギギギと首を魔女へ向けると、イグニスも同じ様にギギギと首を回し顔を背ける。オイこっちを見ろ。
「はぁ。私が話そう。事の発端は8年前。私が兄から家督を奪い取った事が始まりだ」
爵位は基本長男が継ぐ。それは以前聞いた話である。でも女性にも貴族になる機会はある。そう結婚だ。
家同士を結び付ける役割もあるため、名家の令嬢を求める者は多いそうだ。
当然名家の生まれであるイグニスちゃんにも当時8歳にかかわらず婚約者の候補は多かったらしい。
しかし、アトミスさんのお家騒動により、アトミスさんは結婚を忌避されたと言う。つまり貴族たちに干されたのだろう。それを受けて、イグニスも自粛するという形で結婚の話は消えたようだ。
「だが、そこで当時8歳のイグニスたんは考えたんだよ。結婚しなくていい、跡も継がなくていい。なら自由だよなと」
元から魔法やら歴史やらが好きだった少女。この頃から旅への憧れは有ったようだ。
それでも貴族の令嬢。流石に自由に旅が出来る立場ではない。では一番近い立場は何か。そう勇者一行だ。偶然にも近い年ごろに勇者が居たため勇者一行になる事を決意する。
「……そこは正義感とかじゃないのかよ」
「あの頃は若かったんだ」
「そこからの行動が問題なんだよ」
勇者のパーティーに入る為に幼女イグニスがした事。それは社交界へのデビューだった。
何故?と事情を知らない俺と団長とアルスさんが首を傾げる。
「貴族院の為の布石だ」
要するに顔を売りたかったらしい。奥様方に見て見てと魔法を見せびらかし、まぁ賢いのねと褒められながら、良かったらみんなにも教えるよと同年代の少年少女に布教を始めたという。
「そして10歳。エルツィオーネ領の子供達を洗脳したコイツはイグニス派という派閥を作り上げていた」
「「「……!?……!?」」」
貴族院では魔法科に入らず、親の伝手で魔導士団や研究所に顔を売りながら更に勉強。
12の時には名実共に立派な魔法使いになりフィーネちゃんと接触するも、彼女の嘘と悪意を見抜く能力により仲たがいする。
バレちまったらしょうがねぇと開き直り、勇者と決闘の後、敗北して和解。これが13の時らしく、それから交友関係にあるようだ。
信用を勝ち取り、申し分ない実力も身に着け、ある意味イグニスは目標を達成したと言えるだろう。
だが、裏で膨れ上がった派閥と名声。そして実績。
その話が父プロクスの耳に入る頃には、エルツィオーネ家はイグニスを跡取りにするのではないかと囁かれ始める。
そう。アトミスさんの前例と結婚を自粛していた事が裏目に出たのだ。
旅が目的とは知らない大人達には、イグニスがコツコツと家督を継ぐ準備をしている様にしか見えず、加えて派閥の影響で今でもイグニスを当主にするべきと言う声はあると言う。
「そんな訳で、成人後は誤解を解くためにも領で謹慎中だったはずだ。確か18までだったか?」
「そう……だね」
プロクスさんがイグニスを家から出したく無かった理由。兄のフランさんに実績が欲しいから勇者一行に入れたいと言った理由。ついでに派閥まであれば名前だけ売れているのも納得が出来る。
いやどうなんだ。動きは悪役っぽいが、あくまで実力も名声もイグニス本人が勝ち取ったものである。強いて言うなら、アトミスさんの後とタイミングが悪かった事か。
一番早いのは絶縁して家とは関係無いとする事。しかし親としては余りに忍びない。故に謹慎。開けたらきっと彼女は潔白を証明する為に結婚でもさせられていたのではないか。
イグニスがフィーネちゃんとの旅に期待したわけだ。俺と共に家を飛び出た理由も垣間見える。彼女が自由を手にする為には、あのタイミングしか無かったのだ。
「せっかく少し落ち着いたのに、皆の前で火炎竜王なんて使うのですもの。また暫く五月蠅いのでしょうね」
「良く分かりました」
その言い草にカチンと来て。少し声を荒げてしまった。
人の家庭問題に首を突っ込みたく無かったのだけど、言わなければ。言ってあげなければ。
「ごめんなさい。でも、俺には今の話。イグニスが凄いって事しか分からなかった」
俺も親に負い目があって。理想の親子関係とかを夢見ていて。だから頑張ろうって思えて。だから、だから……もし俺が家に帰った時に親に歓迎されなかったらと考えてしまったら耐えられなくて。
「問題はあったのかも知れない。誤解もあったかも知れない。でも! 勇者一行に選ばれる事も、火炎竜王? を使える事も、それって凄い事なんじゃないですか? 面倒みたいに言わないでください。ちょっとは褒めてあげてください。イグニスは頑張ってます」
「……ありがとう」
消え入りそうなか細い声。しかし耳慣れたハスキーな声が確かに聞こえた。
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