第47話 月夜の晩



 イグニスを庇う発言をした為にママさんの視線がこちらを向く。今までは敢えて無視をしていたのか、恐らくこの部屋に来て初めての事だ。


 敵意ある視線に晒されるのは中々に辛く、ぐっと下唇を噛みこんだが、目だけは意地でも外さなかった。


「貴族を知らない小僧が吠えるのね。我が子なのです。愛もあれば情もあります。しかし如何に優秀だろうと火種を撒いて歩く娘を褒める親がありますか」


 今回にしてもそうだと、ため息交じりに溢す。騎士団と魔導師団が見ている決闘で御家秘伝の技を使うその意味。イグニスならば分からぬはずがないのだと。


「決闘を逆手に取り、衆人を利用したのでしょう? 良い保身です。秘伝を持つ者を他家には渡せませんもの」


 しかしその行為。イグニスは良くとも兄はどうなるのかと。

 妹が優秀であり、妹こそ領主に相応しいと声のある中で、更に逆風が吹くだろうと。


 男であれば後継ぎにも成れるが、大貴族として慣例を守る為にイグニスを領主には出来ないし、本人にその気もない。だからこそ、逆にその能力を持て余すのだと俺を諭す様に言った。


「大人しく時を待ち、嫁に出るのが一番波風が立たなかったでしょう。個人の能力はどうあれ、貴族としては失格ですよ」 


 団長もアルスさんも口を噤ぐ。理解出来てしまうのだろう。

 長男を後継ぎに添えたいのに、妹の出来が良すぎるせいで外野の声が大きいというのが現状で、イグニスはそこに油を注いで火を点けたのだ。


 ギリギリの均衡。ママさんが言うように、フランさんを領主にしたいのであれば、イグニスを絶縁するなり嫁に出すなりして領主になる権利を奪うのが一番早いのだろう。

 しかし、勇者一行という名誉と魔法使いとしての実力が家から出すには余りにも惜しいのだ。


 成程。出来すぎた状況である。

 これはイグニスがどうせ目立つならと強引に持ち込んだ状況なのだろう。そうとしか考えられない。ならば、その意図は何だろう。


 思うのだ。この魔女様は別に貴族に固執していない。むしろ、能力を考えれば何をしても大成する未来しか見えないではないか。それこそ魔導師団でも何でもだ。別に家に拘る理由は無い。


 「笑うか混沌。これはエルツィオーネの悲願。たとえ後ろ指を差されようと成さねばならないんだ。これは魔法使いとしての矜持なんだよ」そんなイグニスの言葉を思い出す。


 仮に固執しているものがあるとすれば、それは恐らく名前なのではないか。彼女はエルツィオーネと言う名を背負い、何かを成したいのだろう。気づけば可愛い、いや可愛くはないけど。いじらしい。


 ああ、ジグルベイン。勇気をくれ。膝上で震える手をぎゅっと握りしめて、相手の目をちゃんと見据えて俺は言う。


「おっしゃる通り、貴族の貴の字も知らない小僧です。でも優秀だから困る? それこそ家の格が知れるでしょう。イグニスに家督を継ぐ意思がないならば、親としてドンと構えていればいいんです。結局はただ信用出来なくて、その才能が怖いから厄介者払いしたいだけじゃないですか」


「!?……本当に減らず口を」


「アハハハハ!! 言うに事を欠いてエルツィオーネが格不足と来たか!」


 凍える空気をなお冷やす高笑い。俺が、ママさんが、一斉に声の主に振り向けば、アトミスさんが笑い転げていた。普段の礼儀正しい姿から想像出来ない程に大口を開けて、しかし赤い瞳を爛々と輝かせて。


「ターニャ様。今日の所は貴女の負けですよ。事実だ。今まで一度でもイグニスに家督を奪われる事を想像しなかったならば少年を咎めるといい」


 なんとも底意地の悪い事を言う。出来る訳がないだろう。エルツィオーネの親戚であり、女性でありながらシャルール家の家督を継いだ才女がここに居るのだ。

 正に疑惑の根を作った張本人ではないか。きっと誰もが思う。お前が言うなと。


「……いいでしょう。用事は済みましたし、お暇します。アトミスさん、匿うならちゃんと責任はお持ちくださいね」


 ではご機嫌よう。そう別れの言葉を告げイグニスママは席を立った。

 パタリと扉が閉まった事を確認し、そこで全員がフハーと大きく息を継いだのだった。


「いや~上級貴族相手に良く言ったよ少年」


 ポンポンと肩を叩く団長だが、そう思うなら少しは庇って欲しかった。少しばかり恨みがましい視線になったか、アルスさんが弁明する。


「立場的にも強くは言えないのですが、あくまで家庭問題。我々が口を挟む事ではないし、そして婦人は後継の観念から言えば決して間違ってはいないのですよ」


「そうだなぁ。イグニスちゃんには同情するが間違ってねえ。周りが納得しなければ後を継ごうが不満が出るだけだ。フラン君頑張れってとこだな」


 貴族というのはどうやら本当に面倒くさいようだ。

 イグニスが愚物だというのならまだ成果を上げれば挽回出来る。しかし成果を上げれば上げるほど疎まれるとあっては、一体どうしろというのだろうか。


 俺ならば頑張ったら褒めて欲しい。成果を上げたら認めてほしい。いくらイグニスが大人でもそこは変わらないのではないか。貴族を敵に回したいとは思わない。でも、この少女の味方ではありたかった。あ~頑張ったよジグ、褒めて。


「いっそ本当に家を出た方がまだ自由だったのだがな。まぁ猶予が出来たのだ、身の振り方でも考えておきなさい。家出娘」


「そうだね。皆様もお時間を取らせて申し訳ございません。……あとツカサ、ありがと」


 珍しく照れながらニヘリと笑うイグニスの顔は、年相応と言った雰囲気で。その顔を見れただけでも良かったと思えた。


「か、勘違いしないでよね。別にイグニスの為に言ったんじゃないんだからね!」


(なーんでツンデレとるのじゃお前さん)


 昔話には普通にドン引きだったからだよ。なんで8歳が裏工作から始めるんだよ。おかしいだろ。



 その後はイグニスと共に早々に城を後にした。アトミスさんは残ってお仕事だ。俺達のせいで進まなかったし、俺達のせいで一杯あるらしい。いや、半分は深淵のせいだよね。


 興味本位で訪れた城であったが、騎士団の見学という目的以外にも敵への牽制が含まれていて。しかし敵の多い魔女は魔導師団から喧嘩を売られ、教授の余計なお世話によりそれは決闘にまで発展し、結果エルツィオーネ家に見つかる始末。


 とんだ登城になったものである。いや、イグニスママの早い行動を見るに実は王都の滞在は気づかれていたのではないだろうか。なにせイグニスの赤髪は良く目立つし、それを隠そうともせず出歩いていたのだ。


 だとしたら、おっとりとした優しそうな顔をしているのにとんだ食わせ物だ。ある意味はイグニスの母らしいと思いつつ、どこか貴族社会の闇を見た気がした。


 貴族の妻を務めるにはそのくらいの腹芸が出来なければならないのだろうか。どちらにせよ嫌な世界である。


 そして、イグニスの家族に見つかってしまった事により、王都から逃げる必要は無くなった。無くなったのだけれど、気分転換に出掛けようと言う話で収まった。


 なので、明日には予定通り魔族の町へ向かって旅立つつもりだ。

 そこはこの国で唯一の貴族の魔族であり、元はジグルベインの部下だった人が居るらしい。何か良い情報がある事を祈りたい。


 明日は晴れれば良いな。忘れ物無かったかな。遠いのかな。どんな人なのかな。しばらくフカフカのお布団もお預けかな。色々な思考が頭を過る。


 まるで遠足前の子供だ。新しい場所に行く楽しみと、知らない場所に行く不安と。そんな気持ちを抱いて布団に潜る。


 未だ春先。昼はポカポカ陽気でも、日が暮れれば少しばかり肌寒く。布団の中でぶるりと身震いをした。俺は冷えた布団が徐々に自分の体温で温まっていく瞬間が地味に好きだったりする。


「ジグ? どうかしたの?」


 いや、それにしても寒すぎた。骨髄に直接氷を当てられたかと思う程の寒気は、気温ではなく、ジグルベインから放たれる圧だと気づく。


(んん? 起こしてしもうたか? それは邪魔した。何でもないからゆっくり休めよ)


 外を眺めていたのだろうか。月明りに照らされる白銀の髪は光に透けて、夜空を彩る星の様に煌めいた。なんて綺麗な髪なのだろう。触れぬのは承知でも思わず手を伸ばしてしまう程に幻想的で。


 衣擦れの音が立ったか。気づいたジグルベインの月にも似た金の瞳が落ちてくる。それに思わず伸ばした手を引っ込めた。


 それは俺の知らない貌だった。少なくともカラカラと陽気に笑う普段の彼女ではない。あるいはそう。俺が見たことが無いだけで、敵には向けられているだろう、混沌の魔王の貌である。


(ぬお!? なんじゃ、なんで怯えおるか!? 傷ついたぞ儂)


「今、めっちゃ怖い顔してたよ」


(ふーむ。であるか? カカカ、今夜は月が綺麗だ。どうにも血が騒いでいかん)


 その話を聞いて、どうせ寝付けなそうだったので散歩を提案してみた。

 ジグの事なので即答するかと思いきや、目を瞑り眉を寄せて、どうにも煮え切らない態度で答える。


(儂に行かせて貰っても良いか?)


「まぁ夜中だし、コッソリ出てくれるなら」


(すまんの)


 そして闇に踊りだす様にジグルベインは窓から飛んだ。

 何気に夜に変身するのは初めての経験だったが、夜目が凄い。猫の視界かと思う程に暗がりでもクッキリと見える。黒に沈む貴族街を我が物顔で、王様顔で進んでいく。


 散歩。というには足取りがハッキリとしていた。何処に向かうの?と聞いても「さての」としか言わない割に、何かに引き寄せられるかのように歩みは止まる事がない。心なしか歩調も浮足だっていて、今にも歌いだしそうな程に上機嫌で。


「名を、聞いてもよろしいでしょうか」


「カカカ。月に惹かれたただの獣よ」


 どの辺だろうか。門は潜ってないから貴族街。開けた土地を見るに騎士団の訓練場か。

 そこに居たのは月下の剣士。寒空の下だと言うのに汗を滴らせ、息を切らせる事野犬の如く。奇しくもその瞳はジグルベインとお揃いの金色で、しかしギラギラと太陽の様な熱を持ち。


「であれば、獣殿。共に月に向かって吠えようか」


 出会ってしまった。いや、最初からこの人に誘われて来たのか。

 何せ二人は両想い。言葉は交わせずとも互いに恋焦がれていた仲である。


「我が名はアルス・オルトリア。同じくただの獣でございます」


 月が綺麗ですね。


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