第40話 イグニスとの買い物2



 一緒に買い物をするとやはり男女では好みに差が出るようだ。

 こういう機会でもなければ、俺は化粧品や香水を扱う店に踏み入る事などまず無かっただろう。


 想像していたようなファンシーな空間でないのが救いだが、礼服屋さんの時と違ってこちらには他の買い物客の姿がある。言わずもがな客層は女性が中心だ。


 かと言って嫌悪の視線が注ぐかと言うとそうでもなかった。恐らくはイグニスの付き人として判断されたのだろう。騒がれるよりはましなのだが、扱いが余りにも空気というか、こう、人として見られている気がしなかった……。


「女性用の店なら早く言ってよ。俺外で待ってたのに」


「あのねぇ下着とかならともかく、化粧品も香水も男だって使うだろ。ツカサはもう少し堂々としたほうが良いよ」


 そう言って試供品の香りを試しに行ってはわ~と表情を蕩けさせる少女。そんなに良い匂いなのかと聞くと、瓶からパタパタと空気を扇いできて。

 はわ~。これめっちゃ良い香り!こんな香りが通りすがりに漂って来たら思わず惚れてしまいそうである。


(ほほう? 一体どんな香りなんだ?)


「どんな。なんだろ。柑橘系の爽やかさと花の甘い香りを足した様な感じ?」


「うん。まさにそんな感じだね。他に良いの無かったらコレにしようかな」


 さくっと2~3種類テイスティングしてどうやら新作のうち一つを買う事に決めたらしい。普段は香水など付けてないのにと疑問に思ったら、これから暑くなるからだそうだ。

 確かに汗を掻く季節に野宿をする事になると匂いは気になるかもしれない。


 店を出て早速使用していたのでイグニスに鼻を近づけたら怒られた。ジグルベインも味方をしてくれない。距離的には普段ボコに二人乗りしているほうがよほど近いはずなんだけれど、解せない。


 次に寄った店は魔道具屋である。隣の装飾品屋にも目もくれず魔道具である。実に良い趣味だと思う。


 そして扉をくぐり、駆け寄ってきた店員の第一声はひぃ!だった。ひぃ?

 若いお兄ちゃんはなんとか「ご所望の品はありますか?」と店の者としての言葉をひねり出したが、揉み手が祈りの姿と重なって見えた瞬間だ。


 イグニスが目当ては無い事を告げると「ごゆっくりどうぞ」と店の奥へ逃げて行った。


(コヤツ一体何をしおったのだ)


 ジグルベインが見事に俺の気持ちを代弁してくれるが、当の本人は顎に手をあて首をコテリと傾げている。


「いや、記憶に無い顔だ。年頃からして貴族院の中で会ったのかも知れない」


 余程興味が無かったのか、次の瞬間には商品に視線を落としている少女。過去の日頃の行いを垣間見た気がする。俺も忘れようとやや現実逃避気味に周囲に目を向けた。


 ここはまた高級そうなお店で商品は全てガラスのケースに入っている。その代わり品数は多くなく、展示されているのは30点くらいだろうか。一見美術品に思える壺などもあるが、これも全部魔法の効果があるのだろう。


「これは水瓶だね。君の水差しの大容量版だ。ただこれはお湯も出せる」


 効果で言えば地味だが、家にあれば確実に役立つだろう。俺の水差しでさえ新鮮な水がいつでも飲める超便利グッズである。へーと眺めていたら値段は金貨3枚だと耳打ちされた。高っけえ。15万もするのかよ。


「ほ、他にはどんなのあるの!」


「そうだねぇ。この列にあるのだと……」


 部屋の温度を上げ下げ出来る空調石像。光を放つ松明型の照明器具。熱風の出る扇子、等々。便利といえば便利だが、期待通りとは言えまい。


 期待外れなのが顔に出たのか、どんな品があると思ったのかと質問されて。

 やはり魔道具と言えば、空飛ぶ靴や透明になるマントなどではないだろうか。イグニスの事なので鼻で笑われるかと思いきや、存外に真面目に聞き入られた。


「ツカサの考える物も確かに魔道具だが、少し前提が違うかな」


 魔道具という物の最大のメリットは、魔力を使える者ならば誰でも使える事らしい。

 例えば、水魔法の使えない俺でも魔法の水差しを使えば水を出せると言った具合だ。なので市販に出される様な品は単一の効果で魔力の消費も少ない物が多いそうである。


 値段や魔力が必要な事を考えると購入層は主に貴族の館の使用人となるのだろう。そう考えればやけに生活感のある効果にも納得ができる。

 つまり、そもそもが魔力で動く家電の様な物を目指して作られているのだ。


(お前さんから見れば詰まらぬかも知れぬが、儂から見ればやはり随分と進歩しておるわな)


 ジグルベインの時代ではまず魔法を使える人間が少なかったようだ。そして魔法を使える人間はほぼ戦場に駆り出される為に生活にまで魔力を使う余力がない。


 限定的とは言えこうして市民にまで魔法が広がると、時代の流れを感じるそうだ。その言葉が魔王から出た事が俺には少し意外に感じた。


 その後も日暮れまで買い物を楽しんだ。服屋に寄ったのはそれから5件ほど後で、良い新古品の店を紹介して貰った。


 流行に合わせてコロコロ服装を変える貴族だが、爵位が低いとお給料も少ないようで、さして着てもいない流行遅れの服が売られるそうだ。

 新古品と言っても安い店なら新品が買える値段なのだけど、流石に生地や作りはしっかりしている。


 こちらはカノンさんやフィーネちゃんの良く来る場所らしく、イグニスと共に吟味していたら途中でアトミス家のメイドさんの姿も見た。

 ジト目で圧を掛けてくる子だが私服なので休憩時間なのだろうか。友達と来たみたいだけど俺達を見てサッと帰ってしまった。……重ね重ねごめんなさい。



 そしてそろそろ晩御飯を食べて帰宅しようかと言う段にイグニスから飛び出した言葉はこうだ。


「行きつけの酒場があるんだ。今日はそこに行こう」


 という訳でやってきた酒場。どうやら本当に行きつけらしく、入店した時にお店のおばちゃんから「おや久しぶりだね!カノン達は元気かい」と話かけられていた。

 どうでもいいが、イグニスは16歳だ。一体何歳から酒場に入り浸っているのだろう。


「勘違いするなよ。ここは静かだし、料理が美味しいの! おい、その目信じてないだろ。本当だからな!」


 戯言は置いておいて確かに雰囲気の良いお店である。

 サマタイの安酒場ではうるさい、臭い、汚いとまあ酷い有様だったがここは違う。


 内装は木材の温かみのある雰囲気で、席は壁で区切られた半個室。夜のため店内は薄暗いが、机にはランタンが置かれていて逆に秘密基地のようで男心をくすぐるのだ。

 こちらの世界では珍しくメニューも置いてあり、客層は文字が読める層だと言うことが分かる。


 おかみさん直々に注文を取りに来てくれて、文字の読めない俺はイグニスにお任せだ。

 するとこの性悪は、わざわざメニューを指さして注文する。どうやら料理は来てからのお楽しみのようだ。唯一酒を飲むかと聞かれたが、今日は遠慮しておいた。


「さて、情報は無事アトミスに渡したし、私としては王都での用事はほぼほぼ終えたつもりだ」


 これからどうするかという話だろう。騎士団の見学とかは置いた今後の方針のほうだ。


「もう深淵とかはいいの?」


「ああ。元から深入りするつもりはないよ。そんなのは立場ある人に任せるのが一番だ」


 今までは事故みたいなものだ、とイグニス。言い方はあれだが納得する。確かに事故の様なもので、遭遇してしまったから対処に向け動いただけである。


「じゃあ出発も考えておいた方がいいね。準備始めるよ。次はどこに向かうの?」


「聞きたいのはまさにそこだね」


 イグニスの出発の希望としては騎士団へ行った後だそうだ。城へ行くと顔を見た人からお茶会の誘いが入るかもと言う。


 直接誘うのでは無く手紙で日にちを伺うのが常識だそうだが、なるほどそれは不味い。

 アトミス家に滞在していると知らない人は間違いなくエルツィオーネ家に手紙を出すことだろう。


「まぁそれは良いんだ。肝心なのは行先のほう」


 あくまで世界のへそを目指すならば、それは構わないと言う。


「だが、前にも言ったけどクロノ・クリアの知恵がどこまで役に立つかは分からないだろう? 時の神に会うのが目的ならば、予定通りに北上。地球に帰る方法を探すならば、この国にある魔族の村に行くのも手だよ」


 どうする?とジグルベインに視線を向けると相変わらず返って来るのは好きにしろ、だ。


(儂は急いでないし、そもそもクリアに用も無いでな。お前さんが面白いと思うほうでいい)


「うーん。それなら出来る事やっとこうか。寄り道コースで行こう」


「了解。じゃあ私もその予定で動くよ」


「……今更だけど、ありがとう。一人だとどっちに向かえば良いかも分からなかった。イグニスが居てくれて本当に助かってるよ」


「それはお互い様だね。こっちはこっちで目的がある。これは私の旅でもあるんだよ」


 薄暗い店内でランタンの揺れ動く炎に照らされる赤い魔女。ただでさえ紅い瞳が燃えて見える。‘目的’そう言葉にした時の凄絶な笑顔は筆舌にしがたく。場の雰囲気も込みで例えるならば、悪の女幹部というのが似合うだろうか。


 イグニスの目的って何?その言葉が喉から出る前に、机の上に料理がドスンと置かれる。

 まだ熱いのか鉄板はジュウジュウと音を立てていて音だけでもう美味しい。


 そして何よりも見た目がヤバい。20センチ位の分厚い円形の肉だ。真ん中に骨があるが、何かの尻尾だろうか。


「お邪魔だったかい?」


「いえいえそんな。ハハハハハ」


 もう目は料理にくぎ付けだった。ナイフを落とすと程よい弾力が伝わり、しかし引けばスッと刃が埋もれていく。焼き加減はミディアムレアといったところか、断面はまだ仄かに湿り気を帯びていて照り返しがなんとも官能的である。


 ああ、これを細かく切るだなんて勿体ない。これは齧り付かねば肉に失礼というものだろう。


「いっただきまーす!!」


「待って! それは分ける奴だから! あ~!!」


 イグニス一人では食べきれないと半分こする予定だったらしい。口の付いていない部分をいせいせと切り分けていた。ちなみに岩蜥蜴という魔獣の尻尾だそうな。


 肝心の肉はほぼ赤身でヒレ肉の様なしっとりとした食感だった。味付けは塩コショウだけだが、それがいい。零れる肉汁の味をそのままに伝えてきて、頬張れば今肉を食べてるのだという多幸感に満たされるのだ。


「あれ? 俺何か聞こうと思ったんだけど」


「知らない!」


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