第36話 王都到着



「つがざぐ~~ん!!」


「来るなー!」 


 鼻水まみれで抱き着こうとして来るちょび髭オヤジを断固拒絶した。目出度いと思うがそれとこれとは話が別である。


 しかしあの状況で良く勝てたものだと聞いてみる。未だに鼻をスンスンと鳴らしながらくしゃくしゃの笑顔で商人は言う。


「本当に、鼻先1つ分の差だったんだ。君の叱咤が、応援が、何か一つでも無かったらと思うと本当に……本当に!!」


 そうしてルーランさんはまた目元に涙を溜めるのだけれど。俺は何もしていない。

 鼻一つ分の差だと言うのなら、それはあの暗闇の中で進んだ一歩の差だ。自分の食料分軽くした差で、シュトラオスを労わった差。何より、やはり今日はルーランさんの日だったのだろう。


 優勝の祝いに一緒に昼食でもと誘ったのだけれど、どうやらまだレースの事後処理があるらしい。荷物の検分や駝鳥のタグを確認して不正がないか確認するのだそうだ。その後は夕刻まで他の参加者を待ち、皆で宴会をするのだとか。


 逆に宴会に誘われてしまったがイグニスが目でNOと言っているので断った。

 護衛費を金貨1枚と大盤振る舞いしてくれて、次の機会もまた頼むと言ってくれる。ガリラさんの仕事を取った形になってしまうので大丈夫なのかと思ったが、ゴブリン狩りを優先した時点でもう頼む気は無いそうだ。これが信用か。


「さて、じゃあまずは町に入ろう」


「え?」


 入ろうと言うがもうとっくに町の中である。証拠というほどではないが、木造の家がずらりと並んでいる。規模でいえばサマタイの居住区と同じくらいあるだろう。


「君、入門の手続きをした記憶があるのかい?」


 それは無いのだけれど。そこで一つの可能性に思い当たる。そう、町の中で商売が出来ないからと町の外で商売をしていた影市場である。


「もしかしてこれ影市なの?」


「市ではないけどね。王都の住民には……含まれていないよ」


 王都周辺が安全だからこそ行われる荒業であるが、逆を言えば危険が迫った時に外の住人には何の保証も無いということか。


 町の外に居ると言うことは住民権がない。住民権がないと言う事はギルドに入れない。ギルドに入れないという事は、商売が出来ないという事だ。

 つまりここはスラム街なのだ。それも町と見間違う程の大きな規模の。


「これが王都?」


「違うよ。ここはまだ町の中ではない」


 赤髪の少女はキッパリと言い切る。いや、そうだ。彼女は貴族。それも正しく民を守ろうとする人だ。だからこそ、守る順位を間違えてはいけない。壁の中にこそ、正規の手順を踏んだ民が居るのだから。


「ごめん。馬鹿言った」


「ん。いいよ、気持ちは分かる。人は人だよな」


 その町から門までの距離は一キロくらいはあっただろうか。これが不正に住み着いている人だと言われるとなんとも言えない気持ちだった。確かに良く見れば家は掘っ立て小屋で、路地も綺麗だとは言い難い。


「こっちは裏側なんだ。正門は他の商人達も使うからレースだけで占領する訳にはいかなくてね」


 差し詰め裏町といったところかな、とイグニスは町並みに目も向けることなく門へ向かった。

 

 イグニスは市民権を持っているということで難なく入門したが、俺は入門証を貰うのに五日で銀貨一枚取られた。一日辺り小銀貨一枚の計算だ。サマタイが10日で小銀貨一枚だった事を考えると見事なボッタクリ価格である。


「ようこそ。ここがランデレシア王国最大の都、シュフェレアンさ」


「おー!!」


(おー!!)


 門を抜ければ、そこは別世界だった。

 最初に綺麗だと感じた。

 石畳が何処までも伸びている。建物は汚れを許さぬ白塗りで、日差しを照り返すせいか町全体が光っている様な眩しさだ。


 そして美しいと実感する。水が豊かなのだろう。遠目に見える巨大な噴水と、至る所に流れる水路。適度に植物の緑も添えられて、町全体の景観が計算して作られているのが分かる。


 何より驚くのは流通だ。今まで見てきたどの町よりも圧倒的に品揃えが多く種類が豊富なのである。これだけ仕入れても掃ける程に客足が多いのだろう。市に入る前から目移りしてしまうではないか。


「ダメだぞ」


「まだ何も言ってないじゃないか!」


 なら言ってごらんと意地悪な顔をするイグニス。返ってくる答えが分かっているだけにぐぬぬと言葉を飲んだ。


「じゃあ、宿を決めたら来ていい?」


「ダーメ。親戚の家に泊めて貰う予定なんだ。明日ゆっくり来ようじゃないか」


 宿代も浮くしお風呂にも入れるぞと聞いて俺は陥落した。わーいお風呂だー。

 風呂屋はどの町にも普通にあるのだけれど男女は別だ。男湯に入ると俺と離れる事が出来ないジグルベインが地獄を見るのである。まぁ混浴でも俺が困るのだけど。


 という事でイグニスの親戚の家に向かう事になった。名残惜しい目抜き通りを歩き、噴水広場を超えて町中にあるもう一つの門へ。

 なんと貴族街という貴族専用の区画だそうだ。その更に奥に王城がデデンと居座っている。


「暴動起きればいいのに」


「滅多な事は言わないように!」


 この区画にはイグニスの実家であるエルツィオーネ家の別邸もあるそうだが近寄りたくないそうだ。


 サマタイの町での反応を見るに他の貴族には口外していないようだが、身内には指名手配が掛かっていると予想しているらしい。その身内の所にお世話になりに行くとは鋼の心臓をしているのだろうか。


 そうして辿り着いた庭付きの豪邸。出迎えてくれた壮年の執事は赤髪の少女を見てピクリと眉を動かすが、次にはようこそと扉を引いた。


「おやぁ本家の家出娘じゃないか。どうしたんだ、ん?」


 扉の先には一人の女性が居た。何故かわざとらしく驚いたふりをしている。

 年上そうだけどまだ若い。25~26くらいだろうか。

 小紫の長い髪をしていて、白い軍服の様なカッチリとした服を着ている。雰囲気として格好いいと怖いの中間くらいな硬い人というイメージだ。

 

 顔付きはそれほどイグニスと似ていないのだが、燃える様な深紅の瞳と底意地の悪そうな歪んだ笑みが実に血筋を訴えてくる。


「ちっ不在の時間を狙ったはずなんだが」


「何、随分暗躍してると耳に挟んでね。ならそろそろ顔を出すと思ったんだよ。それにしても男連れとは良い身分だな」


 チロリと視線だけを動かす仕草が笑ってしまう程にイグニスにそっくりだ。

 どうやら自己紹介の場を貰えた様なので名前だけ名乗った。親戚のお姉さんはアトミスさんと言うらしい。従姉妹の関係だそうだ。


「アト姉、話せば長くなる。とりあえず汗を流させて欲しい。後今日から泊まる」


「ああ、風呂も部屋も用意してある。好きに使えばいいさ」


 お前の行動など全部丸っとお見通しだ、と言わんばかりの準備の良さだ。

 先ほどの執事さんの反応は指名手配犯が来たからではなく訪問の予想が的中しての事なのだろう。


 久々の湯舟を堪能させて貰った後、イグニスと共にアトミスさんの私室へ訪れる。

 中では軍服を脱いでローブを羽織った妙齢の女性がワイングラスを揺らしていた。


 机を挟み長椅子に腰を下ろすと、目の前のグラスにもコポコポと軽妙な音を立てて赤い液体が注がれる。葡萄の果実酒だろうか、ジグに買って上げた安酒とは比べ物にならない芳醇な香りだ。これお高いんでしょう。


「誰も入るなと言ってある。寛ぐといい」

 

 それは多分俺に向けられたのだろう。何故ならイグニスは寝間着の様な薄着で、足を組み肘を掛けてグラスを煽っているからだ。これ以上寛ぎようはない。

 お堅い場でも無さそうなので、俺も少しだけ浅く座らせてもらった。


 面子は俺とイグニス、アトミスさんの三人らしい。

 イグニスが早速今までの事を報告しようと口を開くが、それをアトミスさんの手が制す。ゴゴゴと音に聞こえる様な圧を放つ妖女。俺は一体どんな言葉が出るのかと固唾を飲む。


「それじゃあイグニスの恥ずかしい思い出話でもしようか」


「何それ超聞きたいです!」


「やめろー!!」


 絶叫が響く。珍しく狼狽する魔女にニタニタと容赦ない視線が突き刺さる。その距離感はまさに仲のいい親戚のお姉ちゃんという雰囲気だった。そういえばイグニスを子供扱いする人を初めてみたかもしれない。


「何? じゃあお前、酒の肴になるような面白話があるんだろうな?」


「あのね先に真面目な話だろう」


「え、イグニスの昔話聞きたい……」


 黙ってろと般若の様な形相を魔女がする。チビリそうだった。そういえばなんで俺此処に居るんだろう。


「さて、何から話すかな」


「何からじゃない。話すなら家出の理由からだ馬鹿」


 アトミスさんから出る意外な言葉。てっきり深淵の情報を待っているのかと思っていた。何より家出の理由などエルツィオーネ家からとっくに知らされているだろうに。

 いや、正確には知りえない情報もあるか。イグニス本人の気持ちだ。


「それ、優先度高いの?」


「喋りたくなければ喋らなくていいよ。追い出すだけだ」


 わーお強い。禁止カードにしてもいいくらいだ。さしもの魔女も口が止まる。

 チラチラと俺の存在を気にするのはジグルベインの件だろうか。


「フィーネに誘われたんだろう。その少年は勇者よりも大切か?」


「……彼を、ツカサを故郷に返してあげたいんだ。目を離すとすぐに死んでしまうから、私が一緒に居てあげないと。こればかりはアト姉にも譲れない」


 ジグルベインという魔王の事と、裏の目的とやらを隠して全部俺に擦り付けてきた。

 かなり無理のある言い訳なのだが。


「そう。なら頑張りなさい」 


 あっさりと。聞いてみただけだと言うように肯定の言葉が返ってきた。俺もイグニスもこれには目を見開いた。許されたら許されたで不安になるのか、イグニスは悪戯後の子供の様に怒らないの?と伺いをたてて。


「無事でなにより」


 紫の妖女は心底安堵の表情を浮かべる。

 そうか。この人は今プライベートなのだ。思えば酒を飲んで寛げだなんて、分かり易い演出である。


 ならば野暮なのはイグニスだ。骨竜や小鬼の話をすれば、嫌でも責任だの義務だのと仕事の話になってしまうだろう。


 「貴族というのは面倒くさいんだ」過去にイグニスがそう言っていたように、公と私を分けないと親族の心配すら出来ないなんて。

 感じる愛情にふと両親が恋しくなった。あの二人も俺を心配してくれているだろうか。


「外はどうだった? 聞かせてくれ、二人の冒険を」


「聞いてよ。ツカサったらシュトラオスの卵を孵そうとしたんだ。無精卵だよ?」


「わー! 言うなー!」


 小難し話は明日にぶん投げたらしい。自分の過去をバラされる前に人の過去を掘り出してきた。赤い双眼が温かく見守るなか、ガパガパと瓶が開いていき、だんだんと暴露大会へと趣が変わっていく。


「聞いてくださいアトミスさん、コイツ寝る前に胸を大きくするマッサージをしてるんです!」


「まだやってるのか? 慎ましいのは胸だけなんだから大切にしろよ」


「ぎゃーいつ見たんだ!? いつ見たんだよ!」


 ジグルベインの前にプライベートなんてないのだよ。

 酒のせいもあるのだろうけど好き勝手言える時間は楽しかった。


 何よりイグニスの照れたり笑ったり怒ったりする表情が年相応のもので。ああ、こういう一面もあるのだなと新たな彼女を知ることが出来た。その顔は自宅に居るときより、余程生き生きとしているのが印象に残る。


「ふふ……イグニスが、ねぇ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る