第35話 レースの行方
畑を抜け草原を走破し、いよいよ山に迫った。
レースというには余りに微速。開く差も開かず、50組の参加者達は、一つの商隊、列車、いやカルガモの親子の様に連なり王都を目指す。
王都への最短ルートは山を巻く峠道だ。この道が出来た事により麓から大きく迂回していた道程を大幅に短くする事が出来たらしい。
なので分岐路では多くの馬車が当然という様に山道を駆け上っていった。
しかし以外にも森ルートを選んだのは俺たちだけではない。
聞けば、運んでいる荷物の事情で平坦な道を選ぶ人もいるそうだ。何でレースに出ているのだろう。
とはいえ、やはり森を選ぶのは圧倒的な少数派だ。敵が見えなくなった事により心理的圧力は増す一方である。
一位は今何処を。このペースで間に合うのか。如何に策があろうと空想の敵は強大で。恐怖と不安で徐々に速まる足を、ルーランさんは大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせる事で必死に落ち着かせていた。
そして、森に入った事で俺も警戒態勢を取る。馬車になるべく道の真ん中を走らせて左右の木陰と睨めっこである。
畑や草原、見晴らしの良い場所と違い木々が並ぶ林道は獣飛び出し注意だ。なんと言っても不意に3m越えの魔獣と遭遇する世界。注意なんて、してもし足りないのだから。
「そう気張らなくても大丈夫だよ。この辺に魔獣はほぼいないからね」
「そうですね。まぁそれでも本当に稀に遭遇するから厄介なのですが」
サマタイの町付近でも魔獣は大分少なかったが、やはり王都に近づくに連れてどんどん数は減るらしい。これは安全の為に意図的に数を減らしているようだ。
何でも騎士見習いの実践経験を魔獣でさせているらしく、ハンターが仕事不足で嘆くほどだそうだ。
「えーじゃあ何で護衛なんて雇うのさ。俺何すればいいの」
「怖いのは魔獣だけじゃないだろう」
危険が少ないから商人が頻繁に行き来する。商人は多くの荷物を積んでいる。とヒントでも出すようにイグニスが言う。なるほど。盗賊か。
(人間という奴は賢いのか愚かなのか)
何も言い返せなかった。安全の為に魔獣を倒すのに、安全になったら人間が襲ってくるとは皮肉にもほどがある。
◆
適度に休憩を挟みつつ、夕暮れまで走った。
日が暮れる前に早めの夕食を取りつつ、3時間ほどの長めの休憩を取るそうだ。ここでシュトラオスに睡眠を取らせるのだという。
夕食はパンとスープと質素なものだ。ルーランさんは本当に必要最低限の荷物しか持ってこなかったようだ。自分達も一晩だから大した食糧を持って来なくて、分け与えるほどの量は無いので合わせたのだ。
その分シュトラオスの餌は随分と奮発した様で、サマタイ特産の野菜や焼いた鹿肉を与えている。正直自分にはボコの餌に奮発するという発想が無かったので王都に着いたら買ってあげようと思う。
そして日も暮れ、夜の帳が周囲を闇に包み込む。
街灯など存在しない時代だ。その闇の深さは、月はおろか星々の輝きでさえ頼もしいと思うほどに天と地の境目を溶かす。
暗い。足元が覚束ない。隣の人の顔さえ隠されて、手の届く範囲にすら自由はない。普段視力を頼りに生きる人間にとって、闇とはまさしく恐怖である。
だから人は恐れを払う様に、火を焚くのだ。
「では、行きましょう」
ルーランさんの馬車はスライムがたっぷりと染み込んだ松明を掲げてる。こちらは自前の魔法ランタンだ。どんな小さな火でも明かりがあると無いとでは雲泥の差ではある。しかしこれで走れと言われれば何とも心許ない。
人が集まり灯りの数が増えればまた違うのだろうが、少なくともこんな状態では峠道を進む組はいないだろう。ここからが日の出までの間にどれだけ進めるかが勝負だ。
ちなみにイグニスは荷車の中で寝ている。餞別代わりに置いていったのは兵糧丸とでも言うべきだろうか。徹夜になるなら食べるといいと滋養強壮栄養満点の怪しげな丸薬を置いていった。お陰でギンギンだった。
やはり日中程の速度は出ない。昼が走るくらいなら、夜は小走り程度の速さだ。
暗闇の中の移動は神経を酷くすり減らした。分岐で道を間違えてはいけない。魔獣は居ないと分かっていても警戒せずにはいられない。
そして何より、どれだけリードを出来たか分からぬままにただ結果を信じて進むしかなかった。
◆
「嘘だろ……」
だからこそ、その結果は受け入れがたかった。
ガタガタゴロゴロと響く、自分達以外の車輪の音色。今間違いなく一番聞きたくなくて、聞いてはいけない音だった。
「一体何故!? 追いつかれる訳がないのに」
暁の道を照らす光に胸を撫で下ろし、夜明け独特の冷たい空気と朝靄の中で勝利を確信していた。距離こそまだあるが、王都を目視できる。あと一歩。そんなところで響く絶望だった。
ルーランさんは言った。峠道が開通するまでは森の夜駆けが最速だった。
では、峠道が開通した後は?確かに山道を夜走るのは危険だ。しかし、それは森ルートを通らない理由にはならない。
詰まるところ、わざわざ夜に走る必要がなくなったのだ。暗闇の中、必死で森を走るのと同じ成果が出る近道が出来てしまったのだ。
絶望の色が濃い。そうだろう。こっちは徹夜で走り疲労困憊。対して相手は夜をたっぷりと休んでいる。残りの体力が違いすぎる。
「もう……もう駄目かぁ」
ハハハと乾いた笑い。また来年がありますから、と能面の様な顔が言う。胸が痛い。
努力が報われなかった。賭けに負けた。その結果が疲労に加わり心をへし折ろうとしてきた。でも。
「……どう思うジグ?」
(どうも何も、何故もう諦めとるのかさっぱり分からん)
だよなぁ。まだ、だよなぁ!
「ルーランさん。ルーランさん! まだ誰もゴールはしていない! 諦めたらそこでレース終了ですよ!」
「っ!!」
後ろから追手が来てはいるが、前に馬車の姿はない。つまり今は先頭だ。あと一歩なのだ。
何か、何か出来ることは。とりあえず荷台からイグニスを回収した。ラストスパートを掛けるにしても軽い方がいい。
そうしている内に道は長い直線に入った。馬車が4台は並ぶ広い道。その先には廃城以外で初めて見る大きな城が。その周りに壁が二層にあって、壁の外まで住居が乱立している。いよいよ王都が近づいてきた様だ。
まだ三つの町しか知らないが、今までとは比べ物にならないくらいに巨大な町だ。こんな時でなければ感動さえ覚えただろう。そう、こんな時でなければね!
ルーランさんが、いや後ろからきた三台も皆一斉にラストスパートを掛けたようだ。突然の加速に俺は一瞬置いて行かれてしまう。
さっきまで駆け足ほどの速度だったのが嘘の様な速度である。
60キロくらい出ているのだろうか。荷車が小さな段差で車体を揺らし、車輪は土埃を立てながら回転数を上げていく。
ああ、まずい。差が徐々に縮まっている。純粋に性能の差なのか、体力の差なのか。どちらにせよこのままではゴールを切る前には抜かれてしまうだろう。
「そうだ。疲れてるなら回復魔法は?」
イグニスなら使えたはずだと腕に抱える少女を揺らした。寝起きで攫った魔女は如何にも不機嫌に答えた。
「駄目だ。いや、意地悪で言ってるんじゃないよ」
回復魔法は怪我を治すためのものであり治療の為に寧ろ体力を使うのだという。
くそっそれでは駄目だ。何か一瞬でも体力を底上げする様な……。即効性があって、滋養強壮栄養満点な都合の良いものなんてあるわけが……あれ?
「イグニース!!」
「ああ。確かに無いよりは全然ましだな」
徹夜前に貰ったイグニス謹製の兵糧丸をルーランさんの馬車を引くシュトラオスに与える。与えると言っても相手は全速力で走っている最中だ。食べる余裕なんてあるわけ無いので並走そうしてその口の中に直接投げ込んだ。
「栄養剤です。このくらいしか出来ないけど、頑張れ! あと少し。いけるよ、頑張れ!」
「ありがとう。ありがとう! おじさん頑張っちゃうぞー!!」
俺とイグニスはここまでである。出来るなら一緒にゴールまで付き合いたいが、他の走者の邪魔になってしまう。
後続もドンドン姿を現して、最後のひと踏ん張りと駝鳥に鞭を打つ。俺たちは護衛。所詮レースの添え物だから、道を譲らなければならない。
門が見えてきた。あれがゴールなのだろうか。
距離が開いてしまった為に、この位置では順位の判別が出来ない。しかし最前列の4台にはほとんど差は無いようにみえた。
「ルーランさん、勝てるかな?」
「さあ。とりあえず君に抱えられながら人前に出るには恥ずかしい。一端止まってくれないか」
「諦めて」
人垣が沸き始めた。いよいよ決着か。或いはもう勝者が出たのか。
思わず手綱を強く握りしめる。結果だけを見れば、それは徒労だった。秘策ありと意気込んで勝負に挑んだのに、まさか追いつかれるとは笑い話もいいところだ。
それでも、俺はあの商人が嫌いではない。夢があって、努力している。あの人ならばいつか自分の店も持てるとそう思う。レースの賞金なんて宝くじの様なものなのだから、無くてもきっと立派に主人になることだろう。
「ああ、門も見えてきたね。こら、本当にそろそろ下ろしなさい」
努力が必ず報われるわけではない。そう言うのは、どちらかと言うと運の様なものだ。
それこそ物語の主人公にでもならなければ主役になんて成れないだろう。
主役なんて自分には縁のない話だが、一生に一日くらいは、もしかしたら自分もヒーローに成れるのかもしれない。その光景を見て、思った。
表彰台の一番上で、トレードマークのちょび髭を鼻水まみれにしているオッサンが、最高に格好よく見えたのだ。
「あ、なんで抱き着くの! やめてってもう!」
今日はルーランさんの日だった。俺はボコの上から精一杯に手を振ってその商人に祝福をした。
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