第29話 嫌じゃ


 トン、と。低い段差でも乗り越える程度の気軽さで右足が床を蹴った。その一蹴りで俺の落ちた穴から屋根にまで飛ぶ。


 上を見上げ視線が彷徨う。やがて定めたのは、相模司の死を見下す様に覗いていた悪鬼へと。

 その時、目の合った赤鬼の少女の表情は、鼠の逃げた穴から獅子が出てきたらあんな顔になるだろうか。


 右手が痛いほどに強く握られて。屋根を踏み場に行われたのは、跳躍を超えてもはや飛翔。驚きに目を丸くする鬼の顔面に深々と拳が突き刺さる。


 先ほど味わわされたグシャリという音を今度は拳で聞いた。

 あるいはジグなりの仕返しのつもりなのだろうか。強打により浮いた足を捕まえて、そのまま農具でも振るう様に地面に叩きつけて。苦痛に悶絶する赤鬼の腹を容赦なく蹴り飛ばし。どれも俺がやられた行為である。

 

(ジグ、コイツの事はいいからゴブリンを止めてくれよ)


「嫌じゃ!!」


(嫌じゃ!?)


 困った事にジグルベイン大暴走である。壁にめり込む赤鬼になお追撃しようとユラユラと進む。黒剣を抜かない辺りに痛めつけてやるという強い意志を感じた。


 頼もしい事この上ないのだが、しかし、しかしだ。今は本当に赤鬼はどうでもいい。沈黙しているのなら尚更である。


(でも、ジグ。このままだとゴブリンが村に!)


「知らぬわ。ああ、それよりもこの糞餓鬼よ。散々ツカサをしばいてくれおってからになぁ」


(何でそんなに怒ってるんだよ) 


「そういう所だ! 儂はお前さんにも怒っておるのだ」


 ジグルベインは限界なら言って欲しかったと溢した。ジグの見立てでは赤鬼の実力は俺なら良い勝負が出来たそうだ。

 勝負は時の運。その結果に口は挟まないけれど、戦士ならば引き際を弁えろと憤っている。


「何故もっと儂に甘えんてくれんのか! 儂の力を使えい! 頼れい! 傷つくお前さんを見てるだけなのは一番辛いぞ」


(……ごめん)


 そんなやり取りをしていると、鬼人がガラガラと岩を払いのけて起き上がる。

 まだ動くタフさには呆れるものがあるが、様子を見るにギリギリ起き上がれただけだろう。


 折れた鼻骨からは止めどなく流血し、もはや呼吸器官として役目を果たしていない。それでもダメージを負った肉体は酸素を欲しがるもので、ゼエハアと肩を使い大きく呼吸をしていた。


「ババアー!! やってくれたなぁ。あーしが誰の配下か知ってんのか!?」


「カッ。魔族が人の名前で粋がるとは世も末よ。これだから最近の若いもんは」


「あーしは、かの【軍勢】の」


 赤鬼の左腕が宙を舞った。ジグと感覚を共有している俺ですら終わった後で知るのだ。本人ですらまだ何があったのか理解が追い付かないようで、ポカンと無くなった腕を眺め。頭が現実に追いついた時、少女は絶叫した。


「アアアアアア!!!」


「カカカ! レギオンとはのう。なんだまだ生きていたのかあの骸骨め!」


 腕を亡くした少女を見下ろし高笑いする図は完全に悪役の図なのだが、そこはどうして元魔王様。相手は跪いて当然という態で、悪びれる事はない。


 今回の相手が、前に戦った悪魔よりも弱いというのはあるがそれにしても圧倒的な強さだった。俺の魔力が活性に至った事が原因だろうか。ジグも同様に魔力が活性化しているようだ。

 

 後は霊脈の差だろう。俺もジグも魔力量を1000としよう。霊脈により俺が一度に組み上げる事が出来るのは100。対してジグは一度で500使える。この差が大きいのだと思う。


 交代が俺とジグの魔力が釣り合うという条件で発生するバグだ。ジグルベイン自体は俺100ジグ100の合わせて200の魔力の中で戦わなければいけない枷がある。


 だが、着々と力を取り戻す混沌の魔王に、頼もしさと共に何か取返しの付かない様な事をしている気もした。


「おい餓鬼。謀を吐けい。そしたら命だけは助けてやるわ」


 黒剣の切っ先を向けられた鬼は、唇を咬みながら苦渋の表情で吐き出した。

 今自分の命が戯れに生かされている事を理解しているのだろう。


 計画の内容は実に簡素なものだった。深淵側より預かったゴブリンクイーンで小鬼を繁殖させ約束の日に暴走を起こす。それだけだった。橋渡しは倒した悪魔が暗躍していたようで、深い干渉はしていないらしい。対して軍勢の対価は鉱山から取れる魔石と、大陸を跨ぐ転移陣の所在である。


 肝心の何故暴走を起こしたのかを問い詰めたかったが、この様子では知ることは無いだろう。


 骨竜の時は盗賊を使って解放を企んでいたが、今回は魔族を使って事件を起こしていたのだ。尻尾が見えそうで、捕まえてみたら尻尾は切られた後である。これでまた情報は途切れてしまった。


「覚えてろし! この借りは必ず返してやるんだからな!」


 赤鬼は結局名乗る事もなく、見事な捨て台詞を吐いて転移陣があるだろう岩山に姿を消した。そうだ、転移陣も後で壊さなければ。


 思えば、俺は結局何も出来なかった。

 我武者羅に走ってみたが、巨鬼を倒した事で暴走の引き金を引いた感すらある。自己嫌悪で潰れてしまいそうだ。


(ねえジグ、お願いだ)


「言うなよお前さん。順序があるのだ。あの餓鬼を退かさねば全力を振るえぬだろう」


 そうして避難者が隠れていた、鉱山を一望出来る山に駆けた。

 高所より蠢く緑を見下ろしながら、体内にこれまで体感した事がない程の魔力が駆け巡る。


「5000はおるか。この量を潰すとなると、今の魔力で足りるか分らんでな。お前さんの安全を確保しとかないとマズかろう?」


 そうか。俺が動けなくなるからと交代を温存していたように、ジグも俺が倒れた時の事を考えてくれていたのか。


(ありがとう)


「カカカ! なんじゃ湿った声をしおってからに。さては儂が渋ると思うたか。聞けよお前さん。もはやこの唇は吐息をしなけれど、魂が朽ちる時まで相模司の力であるわ。今はそれが儂のノブレスオブリージュよ」


 ジグルベインはたとえ世界を敵に回そうと味方でいるぞと微笑んで。


「【黒き野望は今潰える。しょせん届かぬ陽炎よ、水面の月に飛び込み沈め】」


 荒れ狂う魔力が一句事に整流されていく。初めて味わう魔法の感覚だ。体内で霊脈の中を回すではなく、掌から放出されていく魔力。世界に干渉している。事象が上書きされていく。


「【破滅の因果に晒されようと、まかり通るが王道ならば、虹を追いかけ崖底へ】


 無限から、魔力という釣り糸を持って有を引っ張り出す?

 いや、いやいや。この感覚をなんと例えたらいいのだろう。落書きが現実になるような、けれどもそこには理が確かにあって。


「【天に吠える者よ。汝の理想は穢れた手では届くまい】」


 詠唱が終わり魔王が左手を掲げれば、大地が揺れた。その現象を起こす事による負荷なのか強大な反発力がのしかかり、それを出力でねじ伏せる。


 緑が浮いた。いや、ゴブリンだけではない。鉱山一帯を包み込む広大な範囲で小石などの軽いもの全てが浮き上がっている。


「本当はこれだけでも串刺しに出来るのだがな、小鬼を浮かせるのが精一杯とはいやはや」


 そして、右手が振り下ろされる。浮き上がったゴブリンを挟む様に今度は重力の鉄槌が降ろされた。本来ならば、浮力の牙と重力の牙が顎となって噛み砕く魔法なのだろう。

 微妙に力点がズレている異なる力に挟まれて小鬼の群れが空中でひしゃげていく。


 手が浮き、肘が沈み、肩が浮き。ボコボコになった空き缶のように形を変えながら、およそ半数以上の個体が空中で見えない牙に潰された。


(むう。全部は仕留めきれなんだかよ)


「ぐうぅ。ジグ、もう一発行けない?」


 魔力を使い切って身体が戻ってくる。同時に身体が思い出した様に怪我の痛みを訴えてきた。鼻が潰れていて呼吸が苦しい。アバラも折れているのか芯から刺す痛みがある。5、6本いってそうだ。けれども。


(駄目だて。お前さんは一体何に突き動かされとる、怖いわ!)


「そういや、何でだろうね。でも、出来ることはやっておきたい」


(ん? ああ、それならば大丈夫なようだぞ)


 地面に這いずりながらゴブリンの動きを見ていると、炎の渦が緑の群れを薙ぎ払った。

 白い駝鳥が土煙を立てながら走っている。その背には、黒いとんがり帽子と外套を羽織った人物が乗っていて。


 その脇を走るのは、槍を振り回し小鬼などものともしない狼の獣人。そして何故だか銀の甲冑を着た人物までもが駆けつけてくれている。


(良う、良う頑張ったのうお前さん。村を守った。クイーンを倒した。鬼を引かせた。時を稼いだ。カカカ! 戦果としては上々であろうさ!)


「ほとんどジグのおかげなんだけど」


(なあに儂はお前さん以外を守る気などないのでな。上手く使ったお前さんの手柄だ)


 頑張った。その言葉だけ受け取っておこうと思う。

 本当は来てくれた皆に声を上げて手を振りたかったのだけれど、緊張の糸が切れたのか身体は動かなくて、なんとか意識だけは保っていた。


 やがて匂いを追ってきたのか、下からひょっこりと犬が顔を覗かせて。獣人のウルガさんだった。


「ツカサ! こんな所にいたのか。大丈夫か、酷い怪我だな」


 俺の代わりにウルガさんがイグニスと鎧さんに声をかけてくれた。これでボコが迎えに来てくれるだろう。帰りは歩かなくて済みそうである。

 安心してもう瞼が閉じそうなのだけれど、転移陣の件だけは誰かに伝えなくては。


「ウルガさん。俺、ウルガさんに大事な話が」


「な、なんだ。何でも言ってくれ」


「実は俺。猫派なんです」


 そう言ってガクリと項垂れてみた。ツカサー!と絶叫が聞こえた。それでもモフモフの腕で抱きしめてくれるウルガさんは優しい。


 茶番してるんじゃねえよと言わんばかりに赤い眼で睨んでいる少女にも見習って欲しい。


「やあツカサ。また随分と無茶をしたようだね。逃げるのは得意なんじゃなかったのか? ええ、おい?」


 死んだふりは通じないようだ。逃げたい。



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