第22話 バイト生活1日目



 次の日の朝、衣擦れの音で目を覚ました。張ったロープにシーツを掛けただけの間仕切りの中で影が踊っている。塊と言うには象形的で輪郭というには曖昧な影だが、その分シーツからはみ出る足元が、こう想像力を無性に掻き立てた。


 特別、足にフェチズムを抱く事は無かった自分だが、こちらでは寝るときくらいしか靴を脱ぐ習慣がないせいか、見慣れぬイグニスの華奢な素足にやたらとに目が行く。あれだろうか、隠されているぶんだけ価値が上がっているのだろうか。


 寝起きの冴えない頭のままボーっと生足を眺めていると、ふと宙で胡坐を掻いているジグルベインと目が合った。黄金の瞳が金属のように冷え込んでいる。


(……引くわぁ)


「誤解……でもないのが辛い」


 暫くして間仕切りがシャッと開かれる。中からは当然イグニスが出てくるのだが、その姿に俺は目を瞬いた。普段の彼女といえばワンピースの上から黒い外套ととんがり帽子を被った野暮ったい魔女スタイルなのだが……。


 香油が塗られた髪が艶やかに香る。目影の落とされた妖艶な目元と、紅で強調される形よい唇。何よりも自身の鮮やかな髪に負けない深紅のドレス。そして身に纏う高級そうな装飾品がより一層の彩を添えている。


「あのねぇ、ここはお世辞でも綺麗だの一言くらい添えるところだよ男の子」

 

「ああ、うん。本当に綺麗でびっくりしたよ」


「ん、ありがとう。面倒だが貴族のパーティーに顔を出すんだ。夕飯までには帰るから君もしっかり稼いでくるといい」


 そう言い甘い香りを残してイグニスは出て行った。窓から後ろ姿を追うと、馬車に乗り込む所が見える。


 見慣れぬ格好にドキリとしたし、綺麗だったのも本当だけれど、一番最初に思ったのは女性って怖いだったことは内緒にしとこう。


(して、お前さんはどうするのだ。筋肉パーティーか?)


「力仕事の事を言ってるなら最悪の言い回しだな」


 うーんと腕を組みベットに倒れこんだ。冒険者ギルドで得られる仕事は詰まるところバイトだ。既存の仕事はギルドのせいで簡単に始められない。これは親方、つまり店長になれないということ。同様に正社員になるにも市民権が必要である。


 ならばギルドのない新しい仕事はどうか。ぽくぽくぽくちーん。駄目だ思いつかない。そもそもどんな仕事があるか分からなかった。

 ではこう。俺が覚えたい仕事は何か。これから先覚えておけば役に立つことは何か。


「うん、どうせバイトするなら方向性はこっちだな。行ってみようか冒険者ギルド!」


(おう。頑張るとよいぞ)



 扉をそうっと静かに開けると、やや控えめにベルが鳴る。開いた隙間から中を覗けば、良かった走ってくる巨漢は見当たらないようだ。

 胸を撫で下ろしてギルドに入り、早速ニコニコのお姉さんの所に向かう。


「おはようございます。何か料理系の仕事ってありませんか?」


「はぁ料理系ですか。繁盛期なので、給仕の募集は何件かありますが……」


 が、何なのだろう。お姉さんはプロスマイルを崩して言い淀んだ。


(お前さん、お前さん。ちょいと後ろを見てみるとよい)


「うーわ。察した」


 本能が拒んでいるのか、振り向こうと思っても首がさび付いたようにギギギと抵抗した。

 イグニスの計らいで決闘を行った俺は、身体強化が使える事が知られている。

 剣の腕を見込んで魔獣狩りにでも誘ってくれるんなら嬉しいんだけれど、昨日の反応を見た限りだと需要はきっと別の所だろう。


 苦渋の思いで振り返れば、男達が並んでいた。その人達を一言で言い表すなら屈強。

 俺達はこれで食っているんだと、誇らしげに隆起する筋肉を見せつけていて。日々の仕事で鍛えられたであろう腕は、日焼けしこんがりと黒く、太く、そして逞しい。


「よう坊主!待ってたぜぇ!」


「仕事、探してるんだろ? 大丈夫だ分かってるよ!」


「俺たちに任せとけって。来いよ。ほらこっち来いって!」


「あ、いや。ちょっと……え」


 大きな手が腕をガシリと掴み、ぐいぐいと引っ張ってくる。大男に挟まれてズルズル引き摺られる俺は、思わず助けを求めて手を伸ばすがお姉さんは「いってらっしゃいませー」と手を振っていた。その顔はすっかりニコニコの笑顔に戻っている。ちくしょー!!



(お前さんも大概押しに弱いな。解こうと思えば解けたろうに)


「いや一応善意だしさ。それに……迫力に負けた」


 俺は男達に攫われて馬車の荷台に乗せられていた。

 こう言うと字面が危険だが、何のことはない畑へ作物の収穫に行くのだ。俺以外にも声を掛けていたのか、荷台一杯に人が詰められてガタガタと牛車は進む。どう言い訳しても完全に人身売買の絵面だった。


 本当に普通の畑にいくんだよね?育てているの危ない葉っぱじゃないよね!?


「少年、君は昨日決闘していた子だね。どこから来たんだい?」


 くぐもった声が響く。なるべく視界に入れない様にしていたのに声をかけられてしまった。外を眺めていた視線を正面に向けると、キラリと反射した日光が目に入る。

 正面の体育座りをした人は、何故か全身を甲冑で包んでいるのだ。暑くないのだろうか。


「ルギニアからです」


「おお、ルギニアからか! 噂では腐竜が出たと聞いたのだけど?」


 手短に話を終わらせようと思ったのに食いつかれてしまった。もしかして竜を狙ってやってきたハンターの人だろうか。


「ええまあ。でも運よく勇者がいてくれたので被害はありませんよ」


「そうかい。勇者がね。被害がないなら、それは何より」


 兜のせいで表情こそ見えないが声は陽気で良い人そうだった。同じ荷車に乗っているのでこの人も畑仕事だと思うのだけど、なんで鎧着ているのか聞いてもいいのだろうか。


 ジーっと見ていると察してくれたのか、実は……と鎧さんが勝手に語りだす。


「この鎧呪われててさぁ、オジサンも脱げなくて困ってるんだよね。ハハハ!」


「えーサラッととんでもないこと言い出した……」


(そりゃ脱げぬわなぁ。こやつ死人だ。鎧の中は恐らく空だぞ。しかし尋常ではない魔力。かなりの強者と見たがはてさて)


 ジグの発言で背筋に寒気がやってくる。脱げないんじゃなくて、もう体が無いんだ……。 本当に鎧の呪いなのか、或いはただの幽霊なのか。うわぁ心霊体験こわぁと思っていたら、ふよふよ浮かぶジグルベインが目に入る。


 どうやら俺には今更の話だったらしい。落ち着いたから言わせて貰おう。人体錬成に失敗したんですか?



 町を囲んでいるだけあって、その畑の規模は本当に大きなものだった。話を聞けば小麦や果物も別の区域で育てているらしく、近辺にいかに魔獣が少ないかが伺える。


 土は見慣れたものだと思っていたが、畑の土はまた別格だ。靴が沈み込むほどフカフカで、少し湿っていて肥料の匂いがして。何より緑に茂る植物から美味しそうな野菜が顔を覗かせている。


 少し見栄を張った。この世界の野菜はやたらカラフルで、美味しそうかというとちょっと……ね。


「ふんぬぁぁぁ!!」


 降ろされた畑では農家の人が収穫した野菜を既に木箱に詰めていて、どうやらこれを牛車に積み込んで一日ピストン運輸するらしい。試しに一箱持ち上げてみると、野菜とはいえ結構重い。木箱の重さもふくめて40~50キロぐらいあるだろうか。


 俺は身体強化のお陰でわりと楽に持ち上がるけど、素でこの作業を一日中やるのはかなりの重労働だ。お兄さん達の腕が太いのも、人手を欲しがるのもよく分かった。

 お、積むのが難しいけど三箱くらいなら持てる。四箱からは、持ち上がってもバランスとるのが大変そうだ。


「んぎぃいいい!!」


 畑は残酷な程に広い。置いてある木箱探して回るだけでも足腰にきそうである。

 ルギニアでは野菜が高かったことを考えると、もしかしたらこの領の野菜の大半をここで担っているのではないだろうか。試しに農家さんに聞いてみたら当たりらしい。領は王都は勿論、近くの獣人達まで買いに来る名物品だそうだ。


 いや。確かに大きな畑だが、その出荷量はあまりに多くないだろうか。荷物を運びながら、見渡していてあることに気づく。町に来るときに茶色だった部分に緑が生えているのだ。成長が早い。つまり魔王城にあった植物の成長を推進するような魔法が、ここにも施されているのかも知れない。


「ぬぅうううう!!」


 さすがに晴天の中での力仕事。汗がジトリと噴き出してくる。ひょいひょい身軽に運んでいるのは鎧さんくらいのものだ。

 

 そう言えば休憩中にお兄さん達とも話をした。こちらの世界ではハンターというのは男の子が一度は憧れる職業だと言う。


 基本町から出る機会が少ないのだそうだ。魔獣から身を守るために壁の中で暮らしているからこそ、余計に外に憧れて。度胸試しに森に探検に行くのが何より楽しかったと懐かしそうに話してくれた。


「らめぇえええ!!」


 明日も運ぶ、明後日も運ぶ。それが俺たちの仕事だと、胸を張って言うお兄さん達の背中がやたらと恰好良かった。俺は今日だけでも音を上げてしまいそうである。

 

 旅をするのは自由で格好いいなと、羨望の眼差しで見られたときは照れもしたけれど、明日は何をするんだ?と問われた時、俺は答えを返せなかった。


「うぉおおおお!!」


「「「これで最後だー!!」」」


 鎧さん以外はみんなして尻を付き、息を整える。迎えの牛車が返ってくるまでの間に、農家さんから取れたてのナスの様な野菜が配られて、その味は言うまでもなく格別に美味しかった。


 最後はお楽しみのお給料の時間だ。日当で小銀貨3枚。およそ3000円。

 そのはずなのに、手渡されたのは小銀貨4枚。俺と鎧さんのおかげで普段より大分早く終わったからと、内緒でサービスしてくれたらしい。


 初めてのバイトで初めての給料で、不覚にも目が潤んだが、ジグに弄られそうなので頑張って耐えた。


 体中汗だらけで泥だらけ。一日中重い物運ばせておいてなんて安い賃金だろうか。だというのに、右手に握りしめるたった四枚のコインの重さが、妙に誇らしかった。


 頑張って稼いだ貴重なお金なのだけれど、初任給と言うと思いつくのはやはり親孝行だろう。でも肝心な人達には会えないので、せめて大切な人に贈ろうと思う。


「ジグ。帰りに影市に寄ってこうよ。安物しか買えないけど何か買わせて」


(んん? せっかくの稼ぎを使ってしまっていいのかよ)


「いいんだ。こんな格言がある。明日から本気だす!」


(カカカ! ああ。では安酒の一杯でも食らわせて貰おう。楽しみだ、きっと何より美味だろうよ)


 ああ、きっとイグニスは眉を吊り上げて怒るんだろうな。馬鹿か君は。何のために稼ぎに行ったんだ!と言うに決まっている。言うな。絶対言う。

 そんな怒り顔を想像しながら、それでも懲りずに花形のブローチを買った。色は勿論、燃えるような赤である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る