第10話 町をぶらぶら
朝、日の出の頃の空気はまだ冷たくて、火照る身体に丁度いい。
こちらの世界に来てから自分の一面に気付いたことが幾つかあった。そのうちの一つが俺は意外と体を動かすのが嫌いではないということ。
「ふあっ!ぬらぁ!死ねぇ!」
(カカカ。遅い遅い、そんなんではいつまで経っても当たらんなぁ~)
黒剣が縦横無尽に空を走る。相手はそれを飄々と躱すジグルベインだ。
ジグの剣術に型は無い。振るいたいように振るだけ、だから彼女は自分の剣を暴力だと言う。俺も、それに倣う。魔力をぶち込み霊脈をメリメリと拡張させて暴れる力をより強く、より強大にして刃に乗せる。
「むっきーなんで当たらないんだよ」
(いや初心者にしてはなかなか。だがそうさな。お前さんの剣では獣は斬れても人は斬れんな。経験が圧倒的に足りぬわ)
それ、と。剣の振り終わりに拳が顔をぶち抜いた。ジグは霊体だからこちらにダメージは無いけれど、これで何回殺されたことか。
集中力はプツリと切れて地面に尻をつく。熱持つ身体とバクバク脈打つ心臓を深呼吸でゆっくり宥めていくと、じっとりと汗が吹き出してきて、残る疲労が心地良い。
「はぁ全く嫌になるよ」
朝に剣を振るう習慣は続けてもう二か月。剣の重さにも慣れて、筋肉も以前よりは付いてきた。強くなっていると思った。自惚れだった。
もう、ではなく、たった二か月なんだ。この世界では子供の頃から剣を握っている奴らがいて、上は見えない程に遠い。まぁ俺は魔獣に食べられないくらいの力があればいいのだけれど。
「ナイシラバス」
地面に寝転んでいると拍手をしながら若い男の人が顔を見せる。品の良い顔立ちをしていて、イグニスさんより濃い赤い髪をした男性。父親というほどの年には見えないのでお兄さんあたりだろうか。
起き上がり挨拶をすると、相手も同じ様に胸の前で手の平を下にする。人がやっているのを見ると、まるでアイーンだなこれ。
やはりイグニスさんのお兄さんだったようで、フランさんと言うようだ。本当に誰かと戦っているようだと褒めてくれた。本当に戦ってますからね。
お兄さんはイグニスさんの様な妙な圧力は無く、当たりの柔らかい好青年だった。掛けてくれる言葉も不便は無いかと、こちらを気遣う言葉ばかりで逆に恐縮である。良い人だ。
「ダウソ、イグニスが君をタイデンヨ」
「ありがとう」
なんとなく意味が伝わったのでジグに確認してみると、正解だった。どうもイグニスさんがお呼びのようだ。出掛けるフランさんの背中を見送り、溜息をつく。
ああ、面倒くさい。廃城に居た頃は食べる物の心配くらいだったというのに、町に来た途端に人間関係というものに巻き込まれる。何年も引き籠っていた弊害なのだろうけれど、一人の方が気は楽だ。ジグはノーカンである。
「おはよう、ツカサ」
多少身体を小綺麗にしてからイグニスさんの部屋に案内してもらえば、掛けられたのはそんな素っ気の無い挨拶だった。言葉をくれる時はさすがにこちらを見ていたが、もう視線は書き物に落ちている。
こちらも挨拶を返すと、ピッとテーブルを指されて。たぶん座って待っていろと言うのだろう。
手持ち無沙汰に失礼だと思いながらも部屋を見渡してしまう。けして女の子の部屋だからとかそんな下心ではない。
沢山の本棚にギッシリと詰め込まれた分厚い本。秤やフラスコという怪しげな実験道具の数々と、散乱する魔法陣。さながら研究室の様な風景が男の子の琴線を刺激するのだ。
(ほう。どうやら魔法は存外発展しているようだな。これは面白い回復魔法だ。魂から肉体へのアプローチ。確かに理屈では欠損とて治るやもしれん)
「魔法陣から効果がわかるの?」
(追っていけば当然意味はあるさ。通常は偽装を入れるがこれはまだそれがない)
魔法って頭が良くないと使えなさそうだな。そういえば闘気法の習得ばかりやらされているけど、魔法はどう使うのだろう。もう部分的に魔力を集めたりは出来るけど火や水が出た試しはなかった。
「ところでジグ、魔法はまだ教えてくれないの?」
(最初が肝心なのだ。変な癖がつきそうだからまだ早い。今度理屈は教えちゃる)
ふーむ。授業を楽しみにしていよう。
「イナマスネタセタマ」
さして時間の経たない内に区切りを付けたイグニスさんが席にやってきた。部屋着なのか薄地の白いワンピースを着ていて、女の子の部屋に二人きりだという事実に緊張してしまう。呼びつけた本人は気にもしていないようだが、昨日よりは少し雰囲気は柔らかい気がした。
待ち人が居るからもう少し待って欲しいという事で部屋に居座ることになるのだが、何せ話題がない。そこでつい魔法について聞いてしまったのだが、それが運の尽きだった。長い講釈が始まる。
(いいかい、まず魔力というのはだね世界を構成する要素の一つだ。虚無の次に魔素というものがある。ならば逆説的に魔素は万物の源ということになり、これを動かす力のことを魔力という。遡れば天使は肉体を持たなかったという時代があり、人は魂の恰好に肉体を得ているという説が今は有力だが、少なくとも魂が肉体に影響を及ぼすのは事実だ。人体に魔力が流れる経路のことを霊脈というのだが、これが肉体にあるということが魂)
姿勢もやや前景なり完全に語りモードだ。ジグが思いのほか食いつき興味深そうに聞くが、こっちは翻訳してもらっても専門用語が多くてさっぱり分からない。
ざっくり言うと魔素という万能の元を魂を介して使っているということだろうか。
よほどイグニスさんに魔法の話題を振る人は居なかったのだろう。声色を変えて喜々と捲し立てるイグニスさんを見て、理由は分かった気がした。
「ヨダメダ。イグニスにハノルフシナハノウホマ」
一方的に喋られ続けてどのくらい経っただろう。やっと待ち人が来たらしい。2回ノックがあり、3回目は扉を蹴っているのかと思うほど激しく叩いてもイグニスさんは気付かなかったので、業を煮やしたのかその人は乗り込んできた。救いの女神に見えた。
瑠璃色の長い髪を後ろで結っているお姉さんは浅緑の功夫服のような服を着ていて、ハキハキと喋る快活な人である。
「ノウユンシ、カノン」
「カノン・ハルサルヒ。クシロヨ!」
「ツカサ・サガミです」
カノンさんと自己紹介を終えれば、じゃあそういう事でとイグニスさんは作業机に戻って行った。カノンさんが首根っこを捕まえて戻ってきた。
どうやらイグニスさんは昨日俺が町を眺めていたのを覚えていたらしく、案内をカノンさんに頼んだみたいだ。
眺めていたのは確かなのだけど、人の視線が苦手だから行きたくないとは言えなくなってしまう。
「ウコイクソツサアヤジ」
(よいのよいの。市場をひやかすのは儂も好きだぞ)
あふ。予定が勝手に決まっていく。
◆
時間はあるので市場までは歩いて行くことになった。
実際に石畳の上を歩くと、馬車からの風景とはまた違い、外国に来た!という気がする。
道にゴミが散乱しているわけではないけれど、色々な匂いが混じって良い匂いとは言えなかった。
文明のレベルで言うとどの位なのだろう。石造りの町を見るとつい中世ヨーロッパという単語が出てくるが、明確な区分を知らないし、硝子細工や鉄の加工品を見ると技術力は高そうだ。
「ジグ。町の様子はどう?」
(いやさ、お前さんの世界を見た後だとなぁ。儂の時代ではガラスなど庶民の物ではなかったし、少しは発達はしとるようじゃがの)
「あー城でも窓少なかったもんね」
まぁ地球を基準に考えても仕方がない。魔法があって魔獣がいてなのだから歴史も発展する様子も違うだろう。ジグから貰った魔道具でさえ400年前の物なのに、水を作れる水差しとか現代技術には無いものである。
(あとは値段で大体の想像はつくがな)
「俺にはなんて書いてあるか分からないんだなぁ」
道具なんかはまだ形で使い方の想像が付くけれど、やたらカラフルな野菜や果実は名前も味も想像がつかない。今まで料理を食べた限りだと人参もどきと玉ねぎもどきなどはあったか。
まず、肉より野菜のほうが高いらしい。ん?と思ったが、安い肉の大半は魔獣のようだ。狩らないと進化していくし巨体が多いから供給が多いのだそうで。
そして野菜はというと畑の大半が町の外である。値段が高いということは収穫量が低いか輸入に頼っているのだろうという。
「なるほど?」
(分かっとらんようだの。まぁ分かる必要もないが)
「つまり、肉が安いってことだろ」
(うむうむ)
ジグの話を聞きながら果物の屋台を見ていると、何やらオジサンがスマホ位の大きさの分厚い葉っぱを見せてきて指を5本立ててくる。
買えと言うんだろうが、そもそもお金を持っていないから買えない。いらないと手を横に振ると、その様子を見ていたカノンさんが間に入ってくれて、銅貨らしいもの2枚で買ってくれる。オッサン足元見やがったな。
「イグニスから」
スポンサーがいたようでジャラジャラと鳴る袋を見せてくれた。でもこの葉っぱをどうするんだろう。まごまごしていると、カノンさんが葉をバナナの皮のようにペロンと剥いてくれる。中には透明な葉肉がギッシリと詰まっていて美味しそうだ。
一口齧ってみれば、その食感が溜まらない。太く重なる繊維は歯切れよく、まるで分厚いステーキを食べている様で、一噛みごとに甘い果汁が溢れてくる。まさに葉肉といった食べ応え。味はアロエ……かな。うん大きなアロエだなコレ!
「これ美味しい!ジグも!」
差し出してから止まる。ああ。食べれないんだよな。城に居た頃は交代してオムレツとか現代料理もどきを作っては食べさせたけど、今はマズイ。
差し出した手が宙で迷っているうちに勘違いしたカノンさんがパクリと一口。その後ジグが少し不貞腐れた。
ベラエーバという植物型の魔獣の葉らしく、食べても美味しいがお茶にも薬にもなるなるらしい。その後はカノンさんに連れられて少し食べ歩きをした。
出店ではその場で調理をするのではなく完成品が置いてある。量は多いが、香辛料は高いのか味は薄味で香草の匂いがキツイものもあった。イグニスさんの家で食べたものは貴族だけあり高いものを使っているようだ。
「ツカサー!」
目抜き通りをぶらぶら歩いていると声を掛けられて。名前を呼んでくれる人物など一人しか心当たりがない。探せば道の反対側で手をブンブン振る赤毛の少女が。
「リリア!」
そうか。お父さんが商人だったのならお店を出していて当然だ。
お店は周囲と比べれば小奇麗な二階建ての建物で一階が店舗になっている。置いてある品物は服飾を中心に鞄などの小物も売っているようだ。
リリアは店の奥に駆けていくと、薄緑の髪をした青年を引っ張てくる。リリア兄だった。
兵士だったはずだが、店の事があるので休んでいるらしい。ギルドとのいざこざが終われば本格的に後を継ぐようだ。
いつの間にかいなくなった俺を心配していたらしく、イグニスさんの所に滞在していることを伝えると複雑な顔で納得していた。
どうやらあのお嬢さん、リリア兄の乗ってきた馬で屯所まで来て、違う兵士に馬を館まで走らせついでに帰りの馬車を呼ばせたそうな。やりたい放題だね。
俺の為に奔走してくれことにお礼を言って別れようとした時、リリアが袋を手に渡してくる。掌に伝わる重みと感触で中身は容易に想像が出来る。これは……受け取れないよな。
中身は見ずリリアの手に握り返し、頑張れと伝えた。
一文無しの身で格好を付け過ぎなのは分かるが、この後お金が必要なのはどう考えてもあの兄妹だろう。
去り際、なぜかカノンさんに思い切り背中を叩かれた。
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