第9話  ワカラナイ!




 赤い魔女が告げた魔王の名はカオス・ジグルベイン。師であり、友人であり、相棒である、俺の大切な人の名前だった。


(……儂を嫌うか?)


 いつも剽軽なジグが珍しく、しおらしい態度をしていた。唇を尖らせて、いかにもばつが悪そうである。俺はそんなに不安にさせる顔をしただろうか。


 カカカと笑っている印象が強い彼女だけに、ここで少し弄りたい気持ちもあるがそれは我慢だ。


 言いたく無かったのならそれで良いし、そもそも昔の話だし。何より俺の知っているジグルベインは頼りになる良い奴なのだ。


「気にしないよ。ジグはジグだろ」


(!であるよな。だいたい死んでるしチャラよな! カカカ!)


 驚きの軽さ。でも俺が根暗だから傍にいてくれる人はこの位でちょうどいい。


 さて、だ。


 今はジグよりも薄ら笑いで俺を見定めている人物の相手をしないといけない。


 赤い、炎のような人。イグニス・エルツィオーネ。領主の娘らしいけれど、どこまで決定権を持っているのか。ジグルベインの城の情報が欲しいらしいけど、どこまで話していいのか。まずはそこを見定めて交渉をしなければ。


 というかさっきまでやたら不機嫌だったのにこの不気味な薄ら笑いはなんだろう。視線を合わせるのは嫌だけど、つい赤い双眼を覗き込んでしまう。


「ネルイテシイカリ。バトコ、イカブミウヨキ」


(お前さんに言葉が伝わるのを不思議に思っているようだな)


 ああ。喋る言葉もおぼつかないのに内容だけは理解しているのは確かに変だ。でも通訳が居るとは言えない。


「ハミキ、ジグルベインを知っているのかい?」


 今のは俺でも分かった。ジグを知っているか聞いているのか。ええ、そこに居ます。

 コクリと首を縦に振り今度は俺が訪ねる。


「何、知りたい。知る。答える」


 迂闊なことは言いたくない。相手の欲することを、答えられることだけ答えようと思う。


 俺は今立ち入り禁止のはずの魔王城に居たことが問題になっているわけなのだけれど、もしジグルベインの魂があること、そしてジグルベインと入れ替われる事実が知られたらマズイ事になるのは目に見えている。


 それはつまり制約付きではあるが、魔王を蘇らせられるということだ。もう字面でダメだと俺でも分かる。


「ハデレソ。クナヨリンエ」


 イグニスさんはニコリと微笑んだはずなのに、なぜかニチャアという効果音が聞こえた気がした。


 それから矢継ぎ早に質問は飛んできて、本当に根ほり葉ほり聞かれたけれど、そもそも俺の知っている情報は少ない。


 とりあえず生まれた国とか過去の経歴とかは、一貫して記憶喪失で気づいたら城に居たという事にした。ワカラナイワカラナイと連呼する俺に笑顔が一層深まるイグニスさんだけれど、目が笑ってないのは何でだろう。ワカラナイ。


 渡せた情報で役に立つのは二か月くらい城に居たこと。異常らしい異常はなかったこと。城には何も残っていないこと。くらいだろうか。


 ジグルべインの事は部屋のことも含めて全て黙秘だ。


「ありがとう。バエイウソミキ、ネルイテキヲクフイイ」


 良い服を着ているね。そう言われてドキンとする。


 忘れていたけれど、今着ている紺碧のローブはジグルベインの着ていた服である。素材はシルクの様に滑らかで、だけど頑丈。落ち着いた色をしているが、よく見れば細かい刺繍があちこちに入っている。王様が着ていたのだから、それは良いものだろうさ。


 そしてこの服は時間の止められた部屋に有ったもの。つまり400年も前の物という事になる。価値が分かる人には不自然な一品かもしれない。


 一体どういう意図なんだ。単純に褒めてくれているのだろうか。なんて答えればいいのだろう。


(それは関係ないと言ってやれ。奴が欲しいのは城の情報なのだ。お前さんは十分果たしたぞ。逆に聞いてやるといい、白か、黒かとな)


 いや、黒なんだけどね。それも真っ黒ですよ魔王様、お前のせいでな。


 でもそうだ。渡せる情報はもう渡して、これはただの雑談。最悪盗賊から奪い取ったことにでもしてやろう。


 疑念は残るだろうが、俺は善意で戦い、リリアを守った。そこは胸を張っていいはずなんだ。少しは成果を主張してもいいだろう。


「ありがとう。俺、悪い? どうする?」


 相手の目を見て言ってやった。腕を組んで言ってやった。足をガクブルしながら言ってやった。


 ポカンとした顔するイグニスさん。次こそ屈託のない本当の笑みを浮かべて。


(勘違いさせてすまない。責めてたわけではないんだ。沙汰は領主が決めるが、三日もすれば潔白を証明できるだろう。しばらくは私の家に滞在するといい。だとさ)


 そうしてイグニスさんはギッと椅子から立ち上がり、手を伸ばしてくる。これは握手だろうか。


 俺も立ち上がり手を握り返した。想像していたよりその手は小っちゃくて、柔らかくて、温かい。


 ちゃんと対面すれば自分よりも背の低い普通の女の子だった。先ほどまでは妙に貫禄があり、魔女とでも会話をしている気分だったのに不思議である。


 連れられて屯所の外に出れば、疲れた顔の兵士さんと馬車が一台。来る時に使った荷車タイプの運搬用ではなく、座椅子がついた移動用の奴だ。


 イグニスさんはさっさと馬車に乗り込み、上から手でおいでおいでしている。なんだろうこの選択肢が無い感じ……。


 そして恐る恐る乗り込んでからジグが言った。


(儂の知るエルツィオーネはのう。賢者を名乗る爺だったが、世界樹を半焼させた馬鹿者よ。あんなん放火魔だ、放火魔。その血筋をどこまで信じていいやら)


 何それ聞いてない。いやー!降ろしてー!



 馬車から見える街の景色は最近緑ばかりを見てきたのでとても新鮮なものだった。


 正門から続く目抜き通りは馬車が何台も通れるほどの幅の広い道が、真っ直ぐに街の中心まで伸びている。建築の様式まではわからないが、石と木で出来た建物は町全体で統一感がありとても美しい。


「うおージグ見ろよ街だ街。人がいっぱい居る」


(うむうむ。そうだのおるの)


 やはり目抜き通りだけあって、店はこの通りに集中しているのだろう。出店には果物や野菜、肉などの食材や加工してある惣菜が並んでいたり、煙突の生えた店からパンを焼いている様子、露店で装飾品を売っている姿が見えた。


 ああ、良いな。文明があるって素晴らしいな。魔獣もいるのだし武器屋もあるのだろうか。良いな良いな。エクスカリバー売ってないかな。


「あー獣人いた!ほらほらあの人顔が犬だ~!」


(うむうむ。そうだの。可愛いのうお前さん)


 人込みを探せばチラホラと動物の特徴を持った人たちが確認できる。二足歩行する動物の姿から耳や尻尾だけが生えた姿まで様々だ。血の濃さで配分が変わるのだろうか。これは猫耳美少女にもいつか出会えるのでは。異世界来た気がするー!!


 外の風景に見惚れていると、通りの奥に少し背の高い建物が見えた。鐘が吊ってあるので教会か時計塔なのだろうか。そこには人影が見えて、気のせいでなければ鐘に向かって正拳突きをした。ゴーンと大きな音が届いたので間違いではないと思う。えぇ。


「なんか見てはいけないものを見た気がする。なんだあれ」


(あの浅緑はフェヌア教か。やはりまだおるんだな。あれの教義はな、健全な精神が健全な肉体に宿るなら、善良な精神は鍛えた身体に宿るんじゃない? という感じだ)


「何それ怖い。脳みそ筋肉で出来てそう」


 はっと我に返れば窓ガラスに張り付く俺をジグだけじゃなくイグニスさんまで眺めていたようで、恥ずかしくて下を向く。少しはしゃぎ過ぎたようだ。二人の生暖かい視線に耐えながら馬車が目的地に着くのを待った。


 しばらくして馬車が止まったのは広い庭のある豪邸だった。3階建ての建物は流石に城と比べると迫力は落ちるが、草木の茂る廃城とは違った意味で足を進めるのを躊躇う。


 場違い感がすごいのだ。庶民が足を踏み入れていいのだろうか。


「イサナキ。ウヨシイナンア」


 お嬢様は実家だけあり、慣れた様子で執事に帽子と外套を預けていて。俺にも近くにいたメイドさんが、預かりますよという感じで手を差し出してくれている。自作の不格好な革袋とマントを渡すのがなんだか非常に申し訳なかった。


 それから、こちらの世界に来て初のまともなお風呂に浸からせてもらい、綺麗な服を借りて、案内された部屋で食事を食べて。なにここ、天国だろうか。違うか。俺がまともな生活してなかったんだ。ああ、日本が恋しい。


 また出会えると思っていなかったフワフワのお布団を抱きしめているとイグニスさんが部屋にやってきた。部屋の入口に靴が脱いであるのをみて怪訝な顔している。


「ネダウヨルイデイロツク。レクテシリクツユ」


 お茶を用意してくれたみたいで、俺も席に座らせていただく。


 ハーブティーのようで、草のような独特な味がしたけれど香りはとても良い。お茶請けのラスクのような食感の焼き菓子は蜂蜜がタップリかかっていて、お茶を飲むのに丁度良かった。


 話を纏めれば、明日からは街の外に出なければ自由にしていいらしい。最低でも三日はここで過して欲しいとの事だが、先は見えないとか。悪くはしないつもりだとも言ってくれた。


 話の流れだけで言えば盗賊を倒して貴族の館にご招待という流れなのだから待遇はいいのかもしれない。


 正直この申し出はすごく助かるのだ。領主から許可がでるまで町を出れないと聞かされたけれど、俺は泊まる場所はおろか手持ちの通貨を持っていないのだから、狩りにも出れないようでは死んでしまう。


 けれども、歓迎というよりは逃がさないという意思を感じるのは気のせいだろうか。


 ちらりと、正面に座る人物を盗み見る。机に肘を置いて外を眺めている女性。年齢はたぶん俺より少し上くらいか。


目を惹くのは紅い髪と眼。リリアも赤毛だったけれど、この人のはより鮮やかで。陽の光が差せば本当に燃えてる様に美しい。例えるなら綺麗な紅葉に目を取られる気分だ。


 こうやって窓辺で物思いにでも耽っていればさぞ様になる女性だが、しかしこの人は何を考えているのかが分からない。底が見えない。


 今の立場は微妙なバランスだ。リリアを助けた功績。禁足地に足を踏み入れた罪。身元不詳による疑惑。


 ジグルべインの事は置いておいても、天秤はどちらに傾いてもおかしくない。そしてその天秤を傾けるのは、イグニスさんなのだろうと直感が告げている。


 屯所での問答での不気味な薄ら笑いが頭を離れなかった。


 そんな気持ちを知ってか知らずか、彼女は部屋を出ていく際に言葉を落としていった。

 ジグが閉まった扉を不機嫌そうに睨みながら、意味を教えてくれる。


(三日後に丁度勇者が来る予定があるらしい。くだらん。心の底からどうでもいいわ)


「勇者かぁ勇者なぁ。うーん勇者かぁ……」


 告白すれば、俺にはもう一つ目的があった。

 一つは地球の自分の家に帰ることだけど。もう一つはジグルべインを蘇らせてあげたかった。ジグ自体は生に興味はないみたいだが、異世界なら死者を蘇らせる方法もあるのではないかと漠然と思っていて。


 でもそれを世界は、勇者は、どう捉えるのだろうか。

 どちらにしろ明日も見えない身には果てしない目標だけれども。それにしても。


「ままならないなぁ」

 


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