ルギニア 炎の魔女

第8話 魔王の名前



 夜明けまでの間、ジグルベインを通して女の子に遭った出来事を聞いていた。

 まず、女の子の名前はリリアと言うらしい。10歳だそうだ。想像の通り、両親は商人をしていたようだ。今は春先で、一年でも交易が盛んな繁盛期だとか。


 しかし、ここは魔獣のいる世界。街から街へと移動し仕入れや販売をする行商人は個人やギルドで護衛を雇うのが普通だそうで、リリアの親は複数の商人達と馬車を出すことになったが、そこでハンターギルドから三人の護衛を雇う。


 その一人がオールバックこと、ニコラ・クレアスという人物だ。ハンターギルドは兵士や護衛を斡旋する要は傭兵みたいなものだろう。

 ニコラは何度もリリアの親と契約をしていたらしいのでリリアも顔見知りの仲だったらしい。


 ミルドワという街で取引をし、その金で帰りに持って帰れるだけの商品を買い。

 そして……。最後はリリアが泣き出してしまって聞くことが出来なかったけれど、これ以上は必要ないだろう。


 日が昇り、長い夜がやっと終わった。


「じゃあ、いいんだね」


(おう。やってしまってくれ。これ以上荒らされてはたまらんでな)


 城を出るならば部屋を燃やしてくれと、ジグルベインに頼まれる。確かに次帰ってくる時に部屋の荷物の保証はない。


 俺は了承し家具や荷物を部屋の真ん中に集めて火を付ける。パチパチと音を立てて崩れていく思い出を前に、ジグルベインは何を思ったのだろう。その横顔から窺うことは出来なかった。さようならフカフカのお布団。


 リリアの手を取り、一応は警戒をしながら外まで出たのだが、盗賊達の姿は見当たらない。広間にはまだ荷物が散乱していて、駝鳥の様な大きな鳥シュトラオスもきちんと繋がれているあたり案外城の中にでも潜伏しているのかもしれない。


 命までは取らなかったはずだけど、足にはそれなりの傷を付けている。さすがに荷物を持って夜の森に、ということは無いだろう。


「放置しても大丈夫だよね?」


(今襲ってこないなら問題なかろう。もうお前さんが気の留めることではないさ)


 8台ある荷車と広間に残った荷物から価値のありそうなものを1台に纏めていく。そのへんの価値は全く判断が付かないので判断は少女に任せて俺はいそいそと手だけを動かした。これが結構な重労働で昨日の怪我やら霊脈の酷使が響く体には辛い作業である。


 その分朝食は豪華なものにありつく事が出来たのは役得というやつだろうか。

 どうしても積んでいく荷物の量を考えると食糧は最低限になる。そうすると荷車3台分の食材がまるまる無駄になるのでなるべく食べてしまおうというわけだ。


 俺が積み込みをしている間にリリアが用意してくれたのは固めのパンに、具がたっぷり入ったスープ、ベーコンやソーセージ、デザートに果物までついていて、空腹もあったのだろうけど、久しぶりに食べるまともな料理は本当に美味しくて。まさか食事で涙ぐむことになるとは思わなかった。


 食事を終えて、チョ……シュトラオスを2匹荷車に繋ぐ。御者台には俺とリリアの二人で座り、手綱はリリアが握っていた。


 ピッと、一回手綱を張れば二匹の陸鳥は苦もなく大きな荷車の車輪を回し始める。ブエーとブサイクな鳴き声が響き、地面を蹴る音と振動が次第に増していく。


「うおー動いた。動いた! はは、いっけー!」


「フフ、イタミモドコ」


 リリアが膝の上で何か言ったが意味は分からなかった。

 ちなみに他のシュトラオスは逃がしてあげた。



 まぁ楽しかったのは最初の30分くらいだったと言っておこう。


 サスペンションなんてまともになく、木を鉄で巻いた車輪は地面の凹凸を容赦無くお尻に伝えてくる。そして走るのは当然舗装されてない道である。最悪だ。


 お尻も勿論痛いのだけれど食後の胃を縦に揺さぶられたので全部口から出そうだった。膝に座る少女の為に我慢しましたとも。


 森は幸い盗賊達の来た轍を頼りに抜けることが出来た。森を抜けるのに半日くらい掛かっただろうか。何度か車輪が泥濘にハマることはあったけど、基本下り坂なのとシュトラオスが頑張ってくれたお陰でかなり順調だったと思う。


 最初は道も無いのに良く馬車が通れたなと思ったが、実は道があったのだ。

 初めてに森に入った時にも思ったけど、意外と木の間隔は広い。なぜなら3メートルを超える猪や大木と間違える大蛇などがうろついているから。


 そう。倒木さえどかしていけば、獣道が立派な道になってしまうのだ。恐ろしい。

 苦節2か月。やっと森を出ることになったのだが、感想はと言われると微妙なところ。周囲の風景はまだ木しかない。木、木、木と書いて森である。つまり変わらない。


 最大の変化といえば道に出たことだろう。

 獣道ではなく、何度も馬車が通り踏み固めた轍の残る道。この道を辿ればその先には街があるのだ。ひゃっほい。


 ここから街までは約三日ほどの道程だと言う。

 ガタガタコトコトと進む馬車。進む速度はだいたい15キロくらいは出ているのだろうか。景気良く飛ばしたい所だけど、鳥が疲れるし馬車も荷物も痛むから駄目だと小さい女の子に怒られた。しっかりしている子である。


 余りに暇なのでリリアに言葉を教えて貰いながら進む事にした。ジグルベインの翻訳もあって挨拶などの簡単な単語くらいはなんとか覚えることができた。言葉の伝わらないもどかしさと、身振り手振りで伝わる嬉しさは何とも言えないものがある。


 きっと英語の喋れない俺はアメリカに行っても同じ様な状況になるのだろうけれど、違うのだ。異世界で、異世界の人に意思が伝わる。それがこの世界でも自分の居場所があるようで、なんとも嬉しく感じた。


 街道の風景が山間部から平地に近づいてくると、何度か他の行商人とすれ違う事もあって、街に近づいているのだという実感が増す。その行商人はグリフォンのような魔獣を引いていて、それがシュトラオスの進化した姿なのだと聞いた。それでもやはり空は飛べないらしい。残念な奴である。


「見て見て! タキテエミ。ええと。私! 街!」


「リリアのマチ?」


「うん!」


 まるでリリアが街の支配者みたいな会話になってしまった。これにはジグも苦笑いである。


 道の先には大きな正門と屯所があり、そこに馬車が三台並んでいる。街への入り口なのだろう。街の作りは城壁で都市を囲む所謂城塞都市のようなものではなく、多少の防壁はあっても赤い屋根をした建物の綺麗な街並みが遠目からでも分かった。


「魔獣とかもいるのに城壁とかなくて平気なのかな」


(囲めばいいと言うものではあるまい。代わりに目の数は多そうだぞ)


「ふーん。そういうもんか」


 正門に着くころには前の馬車は捌けていて、道路を塞ぐ兵士らしき二人が手をこまねいている。


 リリアの話ではここで荷物を見せてお金を払うのだそうな。税金だろう。そして口ぶりからやったことはないだろう。当然か。どうするか。


「リリア? タアガニナイタイ!」


 ジグの通訳で上手く通過できないか考えていたら、道を塞いでいた内の一人の兵士が駆け寄ってきて、それを見た少女も膝からぴょんと飛び降りていく。


 薄緑の髪をした青年の腹に赤い頭を擦り付けて経緯を説明しているようだ。知り合いなのだろうか。


(兄妹みたいだぞ)


「まじで!?髪の色……いや。家族がいるなら良かったよ」


 やがて小さな手が俺を指差して、兄が目をパチクリさせてこちらを見る。あまり見て欲しくないので曖昧な笑みで誤魔化せば。兄妹揃って頭を下げるではないか。


 こちらには日本のように会釈する文化などはないが、感謝や謝罪をするときにはやはり頭を下げるようだ。


 別に感謝が欲しかったわけではないけれど、俺には見せた事のない表情で兄に泣きつく赤毛の子を見て、助けられて良かったと改めて思うと同時に胸に刺さっていた棘が少し抜けた気がした。


 さて、そんな兄妹の感動の再会は良かったのだが、問題は俺の扱いだった。

 今回の事は色々と厄介な出来事が重なり非常に面倒なことらしい。


 まず商人が個人ではなく商人ギルドの商隊だったことで、持ち帰った荷物の所有権の問題。討伐した盗賊の頭がハンターギルドからの派遣だったという問題。そして身分証明の無い俺が盗賊の一味ではないと証明できない問題。


 そして何よりも、ジグルベインの城が禁足地帯だったという大問題。


「えっと俺は一体どうしたらいいんだろうねぇ?」


(ふぅむ。人間の決め事はよう分からん)


 リリア兄が奔走してくれたおかげもあり、投獄にまでは至っていないが立場としてはすこぶる悪い。ギルドが二つも絡む話なので領主の沙汰が下るまで少なくとも街から出られないそうである。現在は屯所の客間に軟禁状態だ。


 俺個人の話で言えば、身分の証明と城に居た理由が解れば開放されそうだけれど、異世界から偶々城に飛ばされた……なんて話は聞いてくれないだろう。


 言われて見れば入ってはいけない場所に居た身元不詳の男とか怪しいよなぁ。そんな男が傭兵を倒して商人の荷物を持ち帰ってきたとくれば疑いたくもなるだろう。


「しかしなんでジグの城が立ち入り禁止なんだろうか」


(……さてなぁ。不思議よのう)


 客間に詰め込まれてどれくらい経ったか。ノックも無しに扉は開かれてその人は姿を現した。魔女が被るようなとんがり帽子と黒い外套を身に着けた女性だ。


 鮮やかな紅緋の髪と燃える炎の様な赤い瞳をした、触れたら火傷しそうな女の子が、眉間に皺を寄せて如何にも不機嫌という体を隠さずにやってきた。


「ハノタイニロシ。ナダミキ」


 さあ吐け!と警察の取り調べのような雰囲気で詰め寄られるが、言葉わかりませんという風に両手を挙げて頭を振る。ジロリと焦げそうな視線を向けられて、しかし俺の風貌で納得したのか一歩下がりスカートの裾を持ち上げる貴族的な挨拶をくれた。


 こちらも覚えたての挨拶。胸の前で手の平を下にする動作をする。これは武器を持っていないから危害は加えないという意味らしい。


 それを見て彼女は大きなため息と共に対面の椅子にドカンと座り、足を組み。態度悪いなこの人。


 ジグの通訳によれば、彼女の名前はイグニス・エルツィオーネ。この街の領主の娘だそうな。まずは無礼の謝罪とリリアを連れ帰った感謝の言葉があり。本題としては、領主のところまできた大慌ての兵士の話を聞いて、城に入った俺に興味を持ったらしい。


 リリア兄、本当に頑張ってくれているんだな。


(エルツィオーネときたか。聞きたくない名であった)


 俺も頑張って、城、迷う、知らない。と単語で何とか伝えようとするが、赤の瞳はより険を増し燃え盛り、しかし空気は凍てついて。伝わらないこの思い。どうしろってんだ!


「ナカルワタツ。ウイニキテンタ」


(……お前さん面倒だから直訳するぞ。400年前、デルグラッド城には魔王が居た。その時代の勇者が相打ちで何とか倒したが汚染が酷く近づけるものではない。だからエルツィオーネ家は城を禁足地として見張るためにこの街に居る。情報が欲しい。とさ)


 ははぁ。魔王に汚染ときたか。なんか突然スケールが大きくなったな。なら、城が真っ二つになっていたのは勇者がやったのかな……。じゃない!


 異世界に飛ばされるほど大きな戦いをした人物を、何より城の主を俺は知っているのではないだろうか。ちらりとジグを見れば悪戯がばれた子供のような顔をしている。


「な、名前。名前は?」


 イグニスさんは名前という単語を聞いて、一瞬なんの名前か思索する。そして少しハスキーだけど耳心地のいい声が返ってきた。


「ウオマの名はジグルべイン。カオス・ジグルべインだよ」


 やっぱりな!


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