第4話 魔獣との遭遇



 二日目はいよいよ外に出ることになった。


 服装はジグの衣装入れから適当に引っ張り出した物だ。流石にドレスを着るわけにはいかないので、魔術師が着てそうなローブと言うのだろうか。ゆったりとした服を貰った。下にパジャマは来ているが見てくれは大分ましだろう。


 靴のサイズはさすがに合わなかったけれど、皮のブーツに無理やり足を突っ込んで履いている。最後に水差しとランタンを布で包んで腰に巻いた。完璧である。気分はもう冒険家だ。後でいい感じの木の棒を拾おう。


「さて、今日は丘を下ってみようと思う」


(いいのではないか。城下町があった辺りならば野菜も紛れて繁殖しているやもしれん)


「うん。町は水ある所に作るって言うし、上手くすれば川とかもあるかも」


 昨日の夜にジグと話し合って方針は決まっていた。夜でも明かりや煙が見えない事から近くに人里は無い。なので不用意に旅立つのではなく、まずは拠点を利用して蓄えを作ることになっている。


 これからの俺の身の振り方を考えたが、やはり出来ることなら地球に帰りたい。

 その為には情報が必要で、きっと長い旅になる。


 蓄えるのは食料だけじゃない。体力も知識も経験も出来る限りのことを蓄えるのだ。もう引き籠れる家はない。


(正門から左に行き城壁沿いに歩けば馬車道があったはずだ。そこから見てみるといい。あと、ちゃんとやっておるか?)


「大丈夫バッチシ!」


 その場で垂直飛びをして見せる。軽くやったが、高さは1メートルに届きそうだ。ギネス超えたのではないだろうか。


 ジグルベインから教わった闘気法。所謂身体強化の成果だ。


 ジグからの課題の一つとしてこれの常用化がある。水差しを使うときは魔力を一か所に集める感じだけど、闘気法は全身に循環させるイメージで行う。


これにより昨日開いたばかりの霊脈と筋肉を同時に鍛えるらしい。個人的には火を出したりも早くやってみたい。


 身体強化のおかげもあって丘はサクサクと下りきった。若干遠回りになったが、硬い地面だったのも大きいだろう。


 下りきった先は若干開けていて、森というよりは草原という雰囲気に近かった。元は城下町があったらしいが、伸びきった草に完全に埋もれてしまっている。建物の名残か所々瓦礫が埋もれていて足場はあまり良くなさそうである。


「ところでさぁ、ジグは食べられる植物の見分けってつく?」


(んん? カカカ、無論よ……カカカ!)


「おお! さすがはジグ頼りになる!」


 これがつい1時間ほど前の会話だった。


 それからは草をかき分けながら目に入る植物を手当たり次第にかき集めた。色々な種類の植物を引っこ抜いてみて、種類を優先して一か所に纏める。草のないレンガの上で品評会をするのだ。それをウチの鑑定さんが評価してくれる。


 よくわからない植物の球根――マズそうだな、食えぬ。


 白い小さな実――んーいけるんじゃないか?


 ボコボコな芋っぽい物――これは芋かの?芋なら食えんことはなかろう。


 青いイガイガな木の実――いける……じゃろか?


 ゴボウみたいな太い根――いやじゃ食いたくない。


 食べたら大きくなりそうなキノコ――いける!


「いける! じゃねーよ。ただの感想じゃねーか! だいたい最後はどう見てもおかしいだろ」


(むう。しかし食べてみないとわからぬではないか)


 んんん。食べないために分けているのだがね。

 でも、こちらに来てからずっとジグに頼り切りなのも確かなのだ。自分の食べ物くらいは自分で確保すべきなのかもしれない。


「しょうがない。一口ずつ食べてみるよ。キノコ以外」


 とりあえず生で食べられそうなイガイガな木の実を割って中身を食べた。異世界で初めて口にした食事の味は、ただひたすらに酸っぱかった。



 三日が過ぎた。


 一体どれに当たったのか。お腹を下し、それは辛い時間だった。城壁の近くで穴を掘り半日ほどしゃがみ込む羽目になったのは誰が悪いのやら。


 とりあえずジグの放った大きくなったなというの発言の意味は考えてはいけないのだろう。


 魔法の水差しという清潔な水源があったからこそ、なんとか脱水症状にもならずに乗り越えられたが、この事件は一つ足りないものを浮き彫りにした。


(このままでは栄養が足らんな。ウサギであるまいし、ずっと草をチビチビ食ってるわけにもいくまい。肉を食えい肉を)


「やっぱりそうなるよなぁ。肉か魚か。いよいよ森に入るしかないか」


(うむ。何も狩りをしろと言っているのではないからな。小動物を取るなら罠でも足りるわ)


 肉。食べたいか食べたくないかで言えば、凄く食べたい。想像するだけで涎がでそうだ。


 でも、今の状況で肉を食べるということは生き物を殺すということで。そこまでして食べたいかと言うと……ちょっとわからない。


「よし。まずは行ってみよう」


 丘を下って前回来た草原にでる。森に入口らしい入口は無かったので、木の棒で小枝を払いながら樹海に足を踏み入れた。


 中は外から見るよりもずっと木の感覚は広くて、そして光の届かない場所だった。

 木の根が隆起し壁となり、幾つもの大木が倒れて苔むしている。土は肥えているのか足元は沈み込むほどに柔らかい。


 空気は湿っていてやたらと重いけれど、樹木の香ばし匂いが鼻をつく。静寂なその場所は、鳥の羽ばたきや、虫の鳴き声など、沢山の命の音がした。


「なんかモノノケの姫とか居そうな雰囲気」


(おらんおらん)


 歩いて30分程度は順調だった。石のナイフで幹にマーキングをしながらなので進みは遅いけれど、多少の障害は身体能力で突破出来てしまったからだ。


 動物を探しに張り出す根を飛び越えて、せりあがる岩を駆け上がり、小さい崖をよじ登る。まるで超人になった気分だった。闘気法最高!と無敵感を味わっていた。


 倒れていた巨大な大木がビクンと動くまでは。


 最初はなにが起こったのか分からなかったけれど、正体に気づいたときには、本当に本当に背筋が凍り付く思いだった。


 暗かったから、油断していたから。反省はあるのだろうけれど、自分の背丈ほどもあるそれが、蛇の胴体だと判断する常識は自分にはなく。


 結局はここが異世界だということを、甘く見ていたのだ。


(固まるなお前さん。急いで魔力を込めろ。それは違う)


 違う?違うって……違った!


 ずるりずるりと動く樹木と間違える巨体は、すでに頭が食いちぎられ絶命している。それを成したであろう一匹の猪の四つの瞳と目が合った。


 3メートルは優に超える黒くおぞましい何か。体毛を針金のように逆立てて、突き出た二つの牙で威嚇をしている。特有の豚鼻がなければ、あるいは猪とも判断が付かない存在だった。


 そして何よりも、その視線に俺は恐怖した。血走った赤い眼が足をすくませる。


 獲物を奪うなと言うのか、獲物を見つけたと言うのか。敵意と殺気に満ちた視線が、視線は、ダメなんだ。


(お前さん……お前さん……ツカサ!)


 ジグルべインの声が聞こえて、ふと現実に戻るが、頭の中は真っ白で脚も震えていて役に立ちそうにない。そうしている間にも前傾姿勢になった猪は、前足の蹄で地面を掻き始める。


「ごめん!ごめん!ごめん!動かない~!」


(ええい、魔力だ、早よう魔力を込めい!)


 目を瞑り、精一杯に身体に魔力を流した。死が大地を揺るがす音が聞こえる。


「安心せいよ。今日は猪肉を食わせてやるでな」



 魂の区別とはなにでつけているのだろう。一つの身体に二つの魂があったとしよう。もし身体で区別しているのだとしたら、魂が入れ替わったならば、身体はどうなるのだろうか。


 相模司の体に、同時に自分とジグルべインが同量の魔力を込める。そうすると二つの魂の見分けが付かなくなるとしたら。それが本来この世界に無い異物の体と魂だとしたら?


 世界の機構は相模司を見失い、残る片方を本物だと間違える。相模司の体をジグルべインの形に合わせて塗り替える。


 正解は誰にも分からない。だって、本来はあり得ないことだから。でも、世界にバグがあるのだとしたら、チートだとしても俺はありがたく利用する。


 自分を殺し、息を潜めて、貴女を想う。


「安心せいよ。今日は猪肉を食わせてやるでな」


 白銀の髪を揺らしながら、黄金の瞳が睥睨する。呵呵大笑の余裕を持ってここに古の王が蘇る。


 重さでいうならば軽くトンを超える怪物だった。猪突猛進というが、樹木を小枝のようになぎ倒しながら真っ直ぐに進む姿はさながら戦車のようでもある。


 視界いっぱいにまで迫った魔猪は遠目で見るより何十倍にも大きく感じて、ジグに肉体の所有権を渡した俺はただ見ている事しか出来なくて。


 トラックに轢かれるのってこんな感じなのかな。死んだら異世界に行きたいな。あ、ここ異世界だったと錯乱していて。


 気がつけば猪は地面に頭をめり込ませてひっくり返っていた。


 何をしたかは分かる。踵落としだ。鼻先に強烈な一撃をいれた。木屑の多い柔らかい地面に大きな牙が突き刺さり、勢い余ってひっくり返ったのである。だが、その光景を頭が理解するのには時間がかかった。


 ジグが何気なく右手を前に伸ばす。何もない空間なのに、確かに何かを握ったのが伝わった。虚空から当然のように黒い細見の剣が引き抜かれる。


 まさに斬と擬音をつけたくなる一閃だった。ただ腕を振るうのではない。剣を振るう為に身体を駆動させる感覚。放たれた漆黒の刃はあまりに容易く首元を通り抜け、巨大猪に断末魔を上げさせることなく命を終わらせたのだった。


(え? 展開についていけない。終わったのこれ? 助かったの俺?)


「うむ。まぁ腹壊した分はこれで許せよ。しかし解体はお前さんの仕事だからな」


 正直な話。危険なら交代しろと言われていたけど、ジグルべインがこんなにも強いとは微塵も思っていなかったのだ。魔法でなんとかしてくれるかも、くらいの気持ちだった。


(……ちゃんと教えてね)


 嫌と言えるはずもなく、俺は生き物に刃を入れる覚悟を決めた。



 それから10分程度で俺の体は戻ってきた。交代前に込めた魔力が砂時計であり、戦闘に使うほどに時間は短くなる。今回はほぼ使わなかったらしいので、これが今の上限と考えていいだろう。試した時は5分くらいだったので少しは成長しているようだ。


「うわぁ体中の筋肉が痛い。霊脈もジグの魔力取り込みすぎたせいか上手く魔力が通らない」


(身体も魔力も話にならんな。ちょいと動いただけでこれとは脆すぎる。戦闘となると日に一度が限度といった所か。あまり頼りすぎるなということだな)


 そういう事なのだろう。魔獣がこのレベルばかりでないことを切に祈る。


「にしてもどうするかねぇこれ」


 血を出し切っていざ解体を!と体にも心にも気合を入れたものの、唯一の刃物である石のナイフでは皮を傷つけるだけで切ることは出来なかった。雄のイノシシは脂肪が固いと聞くし、このままでは肉に辿り着くことは難しそうだ。


「あのジグが持ってた剣貸してよー」


(馬鹿を言うな。如何におまえさんだろうとヴァニタスは貸せんよ。あれを手に入れる為に一体どれ程の苦労をしたか今度ジグルべインの大冒険を聞かせちゃる。大体アレは何処にもない虚無の剣。儂以外には扱うことなど出来ぬわ)


 カカカと上機嫌に笑い飛ばすジグだが、彼女に持てるのなら俺にも持てるのではないだろうか。何せ魂的には世界がバグを起こすほどに同一の存在なのだ。


 ジグルべインが剣を引き抜いた時の感覚を思い出しながらニギニギと指を動かす。

 出ろ出ろ出ろと思っていたら……掴んでしまった。剣を鞘から抜くようにスライドさせると、虚空からゾルゾルと黒い刀身が現れる。


「うお! 出た!」


(んにゃばかな!! 止めい、それは儂の剣じゃ!)


 その切れ味は凄まじく、使い手の腕が悪くても猪をザクザクと切ることができた。脂で切れなくなったら虚空に消してからまた出せば切れ味元通りという素敵仕様。これはジグが惚れるのもしょうがない。


 頑張って日暮れまでになんとか右足の一部を城に持ち帰ることが出来たのだった。


(うわーん。ツカサにヴァニタスをNTRれたー!!)


「お前どこで知ったそんな知識。え、母さん? 母さんからなの!?」


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