とうもろこし

止流うず

とうもろこし


「旦那様、お客様がいらっしゃってますが」

「お客様? 大騎士広告の人かい? マスコットキャラの大騎士くんの人気がどうとか言ってたからね。でも正直、アレはないと思うよ俺は。マスコットにしては、ちょっとグロすぎる」

「いえ、アポイントメントはありませんが、その、以前、旦那様が来たら通してくれとおっしゃっていた。リディスさん、という方のようで」

「リディス……――ああ、ああ! わかった。通してくれ。あと妻を呼んでおいてくれ。個人的な客なんだが、誤解があると困るからね」

「わかりました。応接室にお通しします」

「最高級のお茶とお菓子を出してやってね」

 了解いたしました、と部下である中年男性の秘書が下がっていく。

 俺はうきうきとした気分で机の中から古くなった写真を取り出した。十年以上前の写真。俺が冒険者だったころに一枚だけ撮った写真。

「双剣士のリディスに、大剣豪のオーグ、賢者のアルカナ、聖女のレベリリカ。そして、マッパー兼スカウト兼荷物持ちだった俺」

 S級冒険者パーティー『グランドブレイド』。S級ダンジョンである【大いなる旅路】の深層探索から帰ってきて、写真を一枚撮った。そのときのもの。


 ――グランドブレイドの最後の栄光。


 次の探索の直前で、幼馴染で恋人だったリディスと、同じく幼馴染で親友だと思っていたオーグとの浮気が発覚した。

 オーグ自体、アルカナとレベリリカの二人にも手を出していて、親友ではあるが、性欲猿のクソ野郎と内心思ってたけど、親友の彼女にまで手を出すようなクズだとは思わなかったから、すぐに殴り合いの喧嘩になった。もちろん前衛職のオーグに勝てるわけもなく、俺がボコボコにされて、でも罵り合いは続いた。結局、最後に奴が言ったのが「モンスター一匹倒せねぇクズの寄生虫が」。

 で、俺はグランドブレイドから出ていった。出ていったなんてのはまぁいい感じな表現で、実質追放、という奴だ。

 恋人だったリディスは出ていく俺を複雑そうな顔で見送っていたが、結局はオーグの傍に立っていて、残りの二人も俺を見下すように見ていた。

 懐かしい記憶。すべてが変わってしまったあの日。

「旦那様、お通ししました。奥様も、お伝えしたところ、応接室に向かうそうです」

「わかった。ありがとう。ああ、応接室には君自身もそうだが、誰も通さないように」

 わかりました、と返答があり、さて、と俺も立ち上がる。

 写真は机の中にしまう。大事に残しておく。得難くも、大事な教訓・・だ。

「グランドブレイドの栄光、か」

 俺は冒険者をやめて、今は商人だった妻の家に入婿で入っている。

 もはや俺では戦力にはならないだろうし、俺も冒険者なんてヤクザな商売をやるつもりもない。

 さて、想像はつくが、今更リディスが何の話をしにきたのだろうか。


                ◇◆◇◆◇


 扉の前で妻を見つける。手を上げれば、ちょっと複雑そうな顔で見られる。

「元カノと二人で会ったって人づてに聞いた君に、誤解されたくなかったからね」

「それならいいけど」

 じゃあ顔を見てやろうか、と応接室の扉を開ければ、かつてパーティーにいたときより少し歳を取った元恋人の姿がある。

「やぁ、リディス。久しぶり」

 十年以上顔を合わせなかった幼馴染は、さて、少しばかり荒み、疲れが滲んだ空気を纏っていた。

 袖の長い服を着ているものの、顔には隠しきれない大きな傷があった。あんなに美人だったのにな。もったいない。

 それに衣服もまぁその辺で買えるような安っぽい品だ。幼馴染相手とはいえ、俺も結構大きい商会の商会長だ。少しばかり見栄を張ってくれてもいいのにな。

「ええ……久しぶり、オルト」

「冒険稼業は順調か? まだ前線に立ってる? 俺はほら、ああ、こっちは妻のミシェルだ。美人だろ。性格も最高。あと子供も三人いてね。娘が二人に息子が一人。写真見るかい?」

 妻がぺこりとリディス相手に頭を下げる。俺は懐に入れている家族の写真をリディスに見せれば「可愛いわね」とだけ言われる。

 反応は何もかも薄い。人生に疲れ切った人間特有の、薄さ。

「なんだよ。つれないな。俺たちはああいう終わり方をしたが、俺はもう気にしてないんだが。まぁこうやって生きて再会できて嬉しいよ。オーグやアルカナ、レベリリカはどうしたんだ? グランドブレイドの名も俺が抜けて以降は聞かないもんだから、ちょっとばかし心配してたんだが」

「オルト……知らないの?」

「知らない? 何が? いくらうちがそれなりにでかい商会でも冒険者ギルドと商業ギルドは別組織だからね。前線の機密情報は入ってこないよ。君らはS級のグランドブレイドだろ? S級の動向は株価にも影響を与えるしね。あー、ほら、三年前にS級パーティーのテンプルナイツが前線のA級の超大型ダンジョンを3つばかし連続で崩壊させただろう? そのときに武器の値段が一気に下がって鍛冶屋街で首吊が続発して社会問題になってさ。うちは食料系だったからそこまで影響はなかったけど、保存食以外も取り扱うようになってよかったな、って思ったよ。ははは。しかし、なんだ。君もそろそろ結婚とかは考えてないのかい? 今は33、4だっけか? 子供だってそろそろ産んどかないとさ。いくら冒険者が身体張る仕事だからって、怪我したり、呪いにかかったらそろそろ産めなくなる歳だぞ」

 セクハラだろうか? なんて考えながら隣に座っている妻の手を取る。美容に金を掛けているため、妻の肌は若いときのように未だに瑞々しい。武器なんて持たせたこともないし、戦わせもしないから、商人の妻として指にペンだこはあるものの、傷は一つもない。俺の愛情の結果だ。夫婦仲も良く、夜も盛んだからな。時期を考えながらあと三、四人は産ませるつもりだ。

「子供――……ええ、まぁ、ほどほどに、考えてるわよ」

「君ももう若くないんだから、っと俺ばっかり話しすぎたか? で、なんの用だい? オーグとの結婚式があるとか? っていうか結婚したか流石に」

 ははは、と笑って言えば「まだ、よ」とだけ返される。

 沈黙。俺はテーブルの上にあったチョコレートソースのかかった、クッキー生地のケーキに手を伸ばす。フォークで押しつぶすように切って、口に運ぶ。美味い。コーヒーに口をつける。苦味が口に残っていたチョコレートの甘さを押し流した。

 渋々と、リディスはその言葉を口にした。

「オルト、貴方は、幸せそうね」

「幸せ、か。まぁ追放された直後は人生の終わり、みたいな感じもあったからね。失ったものをやっと取り戻せた、といった感じかな」

 にやり、と笑って見せれば「あのときは、ごめんなさい」とだけ言ってくる。

「いや、いいんだよ。おかげで命のかかった毎日から抜け出せて、こうして美しい妻を得られた」

 言いながら妻の手をもう一度取れば、もう、とだけ妻に言われる。リディスはそこに、失われたすべてを見たような顔をして「その、冒険者に対する援助をやっている、と聞いたのだけど」とだけ言ってくる。

「ああ、低級冒険者と中級冒険者向けにね。冒険者をやっていた経験から言うと、あの時期が一番金がかかるし、あのときに世話になった商会には今も恩を覚えるぐらいだからね。だから、うちもそういう駆け出し連中に金を出してやろうって話をして、俺が押し通したんだ」

 もちろん儲けにはならない。だが名声にはなる。大陸規模で商売をしていると、そういうことを考える必要に駆られるようになる。ただ儲けるだけの商売を考えても、金しか入ってこないからだ。

「こいつはそれなりの商会になったらやらないといけない社会貢献という奴さ。でもS級のリディスが気にするなんて、冒険者の間でも結構話題になってるのかい?」

「いえ――その……ああ、その、グランドブレイドはS級から落ちたのよ。それで、その」

「ああ、金が欲しい?」

「ごめんなさい。貴方にしたことを考えたら、頼める立場ではないのだけど」

「いいよ。Sから落ちたのか。低級向けのスポンサーってことはAではない。BかCかな。俺がそこまであそこで重責を担ってた、なんて自惚れるわけじゃないが、経験豊富なメンバーが揃ったグランドブレイドがそこまで落ちるとは何があったんだい? メンバーと喧嘩別れでもしたかい?」

「今は、E級よ。ごめんなさい。あれ・・は、あまり言いたくないわ」

「わかったよ。帰りに支援金を受け取るといい。ただ金を出す代わりに、うちの商会のマークのついたバックパックを背負って、うちの食料品を食べて活動してくれ。これはどの冒険者にもお願いしてることだから、リディスに意地悪してるわけじゃないよ?」

 手元にあった遠話の魔導具を起動して、受付に低級冒険者用のスポンサー契約をするように言っておく。低級冒険者からしたらそれなりの金と保存食が月に一度もらえるこのスポンサー契約だが、うちの商売規模から考えたら端金だ。

 その端金が、結構すごい効果を生むことに気づいたのは、この仕組を作ってから2、3年したらだったな。

 社会貢献をしているというポーズは、役所から得られる信頼を上げてくれた。結果、国が関わる入札で優遇措置を受けられるようになった。

 それに、スポンサーをしてやった冒険者が成り上がって、うちの製品を使い続けてくれるだけで冒険者間でのうちの評判がよくなった。

 ギルドもうちに気を使って、護衛依頼も信頼と実績のあるメンツを送ってくれるようになった。

 みんな喜ぶ良い仕組み。考えた俺はやっぱり商才があるのかも? そんなことを考えていれば、リディスが複雑そうに、それでも助かった、というように俺を見ていた。

「え、ええ、ありがとう。わかってるわ。そういう仕組みなのね?」

「S級の頃は俺がそういうスポンサー契約とってきたら君たちに怒られて、結局そういう話も流れてしまったしね」

 スカウトは情報収集が基本だ。なのでそういった関係で作った俺の伝手を使った割と有名な武具メーカーのスポンサー契約だった。

 今ではそのメーカーは国から受注された騎士向けの最高級ハイエンド品を専門にやるようになっていて、S級冒険者でもスポンサー契約は軽々に取れるものではなくなっている。ちょっと惜しいことしたな。あのときの伝手はまだ残っているが、あそこでスポンサーをされていたという実績があれば俺ももっと武具業界に食い込んで仕事ができただろう。

「ごめんなさい。世間知らずだったのよ」

「はは。まぁいいさ。それで、これだけかい?」

「……ごめんなさい。仕事があるから……」

 リディスは立ち上がる。俺はそうかい、とだけ言った。ぺこりと頭を下げたリディスは足早に部屋を出ていく。ケーキは一口も食べられず、冷えたコーヒーがあるだけだった。

 妻が隣で言う。

「惨めな女」

「そう? リディスっぽくて懐かしいよ。村でもそうだったな。失敗するとずっと引きずって、成功体験で埋め合わせてやらないとずっと気にしていた。オーグにはそういう甲斐性はなかったのかな」

「……本当に知らないの? グランドブレイド」

「いや、知ってるけどね」

「意地が悪いわ」

「そうかな」

「そうよ」

 寄りかかってくる妻の肩を抱き寄せる。

「今晩、どうだい?」

「復讐えっち、したいの?」

「そういうわけじゃないけどね。若い頃の屈辱を晴らしてやった、なんて考えたら燃え上がりそうで興奮する」

「悪い人」

「そんな俺が好き?」

「嫌いよ。でも愛してるから」

 ふふ、と俺は愛しい妻の額に頬を寄せるのだった。


                ◇◆◇◆◇


 グランドブレイドが壊滅したという噂を聞いたのは、パーティーを追放された俺が別の地方にある冒険者前線に行って、ソロのスカウトとしてあちこちのパーティーで臨時に仕事を貰っていたときのことだ。

 どれだけ腕が良くても、俺に悪評がなくても、ソロのスカウトなんて信用はあまりない。

 鍵開けだの聞き耳だのに優れたスカウト職は、どうしてもそういう・・・・疑念を持たれて、それがソロだと、やっぱり人品はどうなのかということになる。

 それでも腐らず信用を積んでいけばそのうち大手からも話があるだろうと、屈辱を我慢して最前線パーティーが攻略済みのダンジョン階層のマッピングと宝箱の開錠を二線級人材で組まれたパーティーでやっていたときに、その噂は流れてきた。

 曰く、グランドブレイドが探索中にテレポータートラップを踏んで、一階層下に飛ばされた・・・・・

 転移魔法が使える賢者が運悪く壁の中に埋まって即死。

 脱出すべく移動したところの初戦闘で蘇生魔法が使える聖女が流れ弾を食らって即死。

 聖女の死体を担いで逃走するも、マップがないため道に迷い、脱出できずに右往左往している間に新たにいれた新人の暗殺者が罠にかかって死亡。

 仲間の死体を打ち捨てて、大剣豪と双剣士だけで移動するも、道中の戦闘でふたりとも重症を負い、なんとか安全地帯を見つけて救助が来るまで二人で震えて過ごしていたらしい。


 ――よくある・・・・話だと思った。


 S級じゃない。中級であるD、C級の冒険者によくある話だ。

 打撃力特化型編成をしている戦闘特化パーティーがハマるのだ。こういうのは。

 技能から疑念を持たれやすい斥候スカウト職がなくならない理由でもある。

 スカウトがマップを作り、スカウトがトラップを見つけ、排除し、スカウトが宝箱の罠と鍵を解除して中身を回収する。

 冒険者の基本も基本。知らないほうが恥をかく知識。ただやはりスカウトの成り手は少ない。

 それでも一流パーティーには必ず斥候スカウト盗賊ローグが入る。

 戦闘で役に立つ暗殺者アサシンにも探索や鍵開け能力はあるが、アサシンの探索能力は戦闘能力のおまけ・・・で、戦闘力を捨ててそれらに特化したスカウトとローグに敵うものではない。

 そしてS級ダンジョンともなれば、モンスターもそうだが、罠が強烈に極悪だ。

 一発でパーティーが全滅しかねない転移罠テレポーターに石化ガス、触れてしまえば階層中のモンスターを呼び寄せてしまう階層ベル、手持ちの武具を劣化させ、皮膚も溶かす強酸ガス、食料品や巻物スクロールをすべてダメにする腐食ガスや燃焼ガスなど、一発でも食らったら終わりの罠が目白押しである。

 そこに探索能力がおまけでしかないアサシンを連れて挑むなどベテランのS級冒険者がやることではない。リーダーがそういう愚かな判断をするなら、仲間は止めるべきだったのだ。

 それを、元パーティーはやらなかった。当然の結末。当然の終わり・・・

 ふと、田舎の景色を思い出した。幼馴染五人で過ごした、懐かしい日々を。

(ああ――やめるか。冒険者)

 俺は途端に、冒険者をやるのが怖くなってしまった。

 俺がこうやって命を掛けて冒険者をやれたのは、幼馴染なかまのためならば、いの一番に危険を踏んでもいいと思っていたからだ。

 俺が身体を張ることで、あいつらが少しでも安全に戦えるなら、それでよかった。

 モンスターを倒してないからとあれこれ言われても、俺がこいつらを守ってるんだと、そういう自負があったから腐ることもなかった。

 それに、倒してなくても、戦っていないわけじゃなかった。

(新人のアサシンは、聖女のレベリリカを守らなかったんだろうな)

 思う。新人を加入させたあとに、戦闘の連携訓練をあいつらはやらなかったんだろう。近接戦闘職で、暴力で何もかも解決してきたオーグにはそういう事前準備を怠る雑さがあった。

 それに、オーグもそうだが、リディスもそうだ。前衛二人は戦闘になると前のめりになりすぎるところがあった。

 そこを俺は危険視し、スカウトの低い戦闘能力でも盾になることはできると、聖女と賢者の後衛二人を守りつつ、前衛二人がちょうどよく戦えるように後衛二人を指揮し、戦闘に貢献していた――つもりだった。

 追放のときに言われた。別に偉ぶろうとしたわけではないが、そういう上から指示が気に食わなかったと。戦えないくせに、指示をするな、と。

 それで死んでちゃ世話ないだろうに。

(それでも俺も悪かったんだろう)

 二人がイライラしないように、追放されるときに俺の味方になってくれるように、もうちょっと何かコミュニケーションをとった方がよかったんだろう。

 リディスを寝取られたのも、そういうすれ違いが重なった結果かもしれない。

 だけど、生き残った俺は思った。


 ――があるのは幸せなことだ。


 で、噂を聞いたあと、俺は伝手を使ってそれが本当か調べた。

 調べて、本当だとわかった俺は冒険者を引退した。もう命を掛けることはできなかったからだ。

 そして冒険者時代に食料品の購入をしていた商会にコネで入り、護衛の仕事をしたときから惚れられていた、そこの一人娘と交際をして、結婚して、商会を継いだ。

 結論として冒険者時代の経験もあったが、俺は商人に向いていた。

 商会はもともと大きかったが、俺はその商売の規模を、俺が商会長になってから十倍以上に大きくした。

 それだけじゃない。俺が冒険者時代に考えていたいろいろなアイデアを商品化したり、商会がうまく機能するようなシステムを作ったり、冒険者時代の情報網を使って投資で儲けたりした。

 もちろん冒険者時代の失敗は忘れない。仕事ばかりしないで妻に俺の愛が伝わるように努力した。誤解やすれ違いが起きないように、二人で話し合う機会をたくさん設けるようにした。休みも定期的に作って、養父や養母、子供たちを連れての家族旅行も忘れない。

 部下たちにもなんでも話してほしいと言っている。以前、失敗を隠して、自分でなんとかしようとして失敗していたような部下も、自分たちで解決できないことはきちんと俺に話してくれるようになった。

 また、独身の部下たちには結婚などを世話をしてやって恩を売ったりもしてやっている。

 結果として、皆を幸福にすればするほど、俺に忠実な仲間が増えていった。


 ――俺は、幸福になった。


 罠一発で死ぬような冒険者時代のヒリついたスリルある生活を捨て、自分に合った、才能を活かせる場所で俺は活躍している。

 もちろん、油断もしない。絶対に。

 裏切りや不運は突然にやってくるのではなく、どこかで俺が隙を見せたから仕込まれて、突然足元を崩落させるべく、虎視眈々と狙っているのだと知っているから。

 だから油断は絶対にしない。

 ただ、妻を抱いているとき、子供の世話をしているとき、仕事が成功したとき、ふと思うことがある。

(俺は幸福だ。追放されてよかった)

 本当に、商人になって成功すればわかる。

 最高の冒険者であるS級になっても一歩間違えれば全員死ぬような危険地帯に自分で足を踏み入れなければならないヤクザな商売なぞ一生をかけてやるものではない。


                ◇◆◇◆◇


 コーン商会。その本社社屋を背後に、リディスは足早に職場・・に向かって歩いていた。

(スポンサー条件は、月に三回のクエスト達成)

 クエストはEランクでもいいと言う。クリアしたらギルドの証明書を渡すだけでいい。

 Eランクなら大丈夫だ。ダンジョンに潜って、ゴブリンを見つけて殺して、達成すればいい。これを月に三回で済む。いつまで金を貰えるかわからないが、それでも、ちょっとだけ生活が楽になる。

 歓楽街にたどり着く。途中で金貸しのところに向かい、貰ったスポンサー費をすべて借金の返済に当てた。

 あとは、職場で身体を売る。娼婦だからだ。学もコネもない女では、娼婦しかなれなかったからだ。

 顔や身体に大きなキズがあっても、元Sランク冒険者、ということでそれなりに客はついた。

 EランクやDランクの冒険者が元Sランクの娼婦を抱いてやろうとやってくるから。


 ――どうしてこうなったんだろう。


 先程会った、冒険者の面影がなくなった、商人になった元恋人の姿を思い出す。

 裕福な家、安定した仕事、美しい妻、子供。元恋人の隣にいた美しい女が持っていたのは、幼い頃のリディスが夢見た幸福な人生そのものだった。

 あそこで浮気をしてしまったからダメだったんだろうか。彼を裏切らなければ自分にもそんな人生が得られたのだろうか。

(子供も産めたんだろうか)

 リディスは自分の腹に手を当てる。

 もう、リディスは子供を産むことはできない。

 子宮はとっくにダメになっていた。賢者と聖女の死体を回収するための費用を捻出するためにやった仕事で、腕の悪いスカウトにあたり、強酸と毒混じりのガスを喰らい、内臓が腐れ落ちたときに、そうなった。

 リディスもオーグも、元恋人オルトと違って貯蓄の習慣がなかった。

 それでもなけなしの貯蓄を絞り出し、手持ちの武具を売り払い、高額の治療費を払った。

 教会でなんとか生きていける程度の再生治療を受けられたものの、後遺症で剣をまともに握れなくなった。

 少なくとも以前のようにSランクダンジョンのモンスターと斬り合うだけの膂力は生み出せない。

 今ではせいぜいがゴブリンをいじめ倒す程度のものだ。

 だから、死体の回収にも失敗した。

 リディスとオーグは、聖女レベリリカ賢者アルカナ、幼馴染二人の死体を喪失ロストした。復活はできない。誰かが見つけてくれたかもしれないが、死体置き場に死体はなかった。

 それに高額の蘇生費用を誰かが払ってくれて、誰かが復活させてくれたなんて希望も持てない。

 そういう友人は、情報収集のためにあちこちに顔を売っていたオルトと違って二人にはいなかった。

 二人は消えてしまった。もう会うことはできない。

 ダンジョンに放置された死体は、時間経過でダンジョンに飲み込まれる。


 ――最近は、昔のことばかり思い出す。


 リディスたちは名前も知られてないような、小さな村出身で五人で過ごしてきた。

 十五歳で成人して、幼馴染同士でパーティーを組んで冒険者ギルドに登録した。

 苦労したけど、なんとか駆け出しを卒業して、そのときにオルトと恋人になった。

 自分がオルトと付き合ったせいで、失意に駆られた二人がオーグに身体を許してしまったのはちょっとびっくりして。

 それでも頭が良くて、人当たりもよくて、優しくてかっこいいオルトと付き合えて本当に幸せで、初めて抱かれたときは幸福で泣いてしまった。

 でもアルカナとレベリリカ、オーグと二人が肉体関係になってから、ちょっとずつパーティーの雰囲気がおかしくなっていった。

 オーグがオルトをけなすようになった。モンスターを一匹も倒せないグズと罵るようになった。オルトはいつだってパーティーの為に率先していろいろな負担を背負ってくれていたのに。

 オーグのいいざまをリディスはひどいと最初は思っていて、何度も噛み付いた。オルトはいいから、と言いながらも自分はきちんと仕事をしていると主張していた。

 それでも、いつしかリディスもオルトを内心で見下すようになっていて、戦闘系職業の悪い癖だと思いながらも、それでも優しいオルトに甘えて――でも、オーグと二人で前線に立ってモンスターと戦う優越感で、ああ、いつ身体をオーグに許したんだっけか。オーグに初めて身体を許したときにお前もオルトはカスだと思うだろ、と言われて、頷いてしまった。

(あれがきっと私の幸運を失わせたんだろうな)

 リディスは膣内に残った客の精液をシャワーを浴びながら掻き出して、家に帰る。家に帰るのは憂鬱だ。そこには、何も幸福がないから。

 家に帰ったら、おう、帰ったかと言われる。

 自分と同じように体中傷だらけの、無精髭にフケだらけの頭の、終わった男がいる。

 リディスがオーグと別れないのは、この何もかも変わらないオーグを見ていると五人でいた頃を思い出せるからだ。

「オーグ、また商売女を抱いたの?」

 寝室を兼ねている狭い居間には、安い化粧と安い女の残滓が残っていた。

「はッ、お前のくせぇマンコなんか使えるかよ!!」

 かつて自分を抱くためにパーティーに不和までばらまいた男がそんなことを言っていた。

 おい、金と言われて言われるままに財布から紙幣を出した。そのくせぇマンコで稼いだ金だ。これはオーグの酒代に変わる。

 オーグはもう剣を握れない。自分と同じように強酸ガスで内臓を焼かれて、自分よりひどい後遺症で二度と剣を握れなくなった。

 どうしてこうなったのかと調べてみればスカウトやローグのいない、もしくは腕の悪いスカウトしか雇えない、頭と性格の悪い戦闘特化パーティーが中級に上がったときによくある終わりだと聞いた。

 自分たちは貯蓄があったから回復できたが、普通はそのまま死ぬのだと言う。


 ――でも、たぶん、死んでた方が楽だった。


 リディスは台所に向かう。鞄から商会で貰った保存食を取り出した。

 とうもろこしを加工した、牛乳をかけて食べる保存食だ。『保存』の呪文のかかった一瓶一銅貨の、安い保存瓶に牛乳もついていた。

「なんだぁそいつは」

「ご飯。食べるでしょ」

「ああ、食うよ。ったく、でもよぉ、そんなもん買ってくるなら酒のつまみでも買ってこいよ」

 スポンサー契約のことは言わない。言ったら酒代に変わるからだ。オーグがギャンブルで作った借金が二人にはある。裏社会の制裁を受ける前に返済しなければならない。

 リディスはじゃらじゃらと一緒に貰ってきた木の皿に保存食を出していった。

 とうもろこしとお日様の匂いのする、それに牛乳をかける。皿についていたスプーンを突っ込んでオーグに差し出せば、ふるふると酒と後遺症で揺れる腕でオーグがスプーンをつかんで下品にかっこんでいく。

「まぁ食えるじゃねーか。うめぇな。また買ってこいよ」

 にやついた顔のオーグがそう言う。この男は酒を飲んで暮らして身体を悪くしていずれ死ぬのだろう。自分がたちの悪い性病にかかって死ぬのとどっちが早いだろうか。

「ええ、そうね」

 この保存食も、スポンサー契約で割引が効く。歓楽街で軽食を買うよりは安いだろう。保存が効くから、病気になって仕事に出られなくなったときのために備蓄してもいいかもしれない。

 ふと、商会で見た商会の情報誌の内容を思い出した。

 投資で成功して、南部の穀倉地帯に広大なとうもろこし畑をオルトは買って、そこに工場も作って、怪我して引退した元冒険者などを雇って、こういったものを安く生産できるようにしているのだとか。

 社会貢献だと言っていた。

 追放した元恋人の社会貢献に、自分は縋って、生きている。

 ふふ、と笑ってしまいそうになるリディスを、汚らしい姿の恋人が、不思議そうに眺めていた。


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