貧乏自転車 死んで欲しいジジイとババアとその息子達

横浜流人

第1話 貧乏自転車

 序章 ジジイとババアとその息子たち


 ご存じの日本人の方も多いと思いますが、世界調査において、「人を助ける」という観点からでは日本は126カ国中107位、先進国のなかでは最下位。

 金にもならない、話題にもならない、インスタ映えもしない同国人や弱者に、おもてなしなどしない。親切心など無い。


 マナーなどはアジアの国々の中ではマシな方というだけである。明治の時代より西洋諸国に下等な民族と思われたくないと思い続けていた。西洋諸国に植民地として侵略されて奴隷になることを恐れていた。国民については、同じように国家の奴隷なのだから良いが、自分達は困ると思う輩がいた。

昭和の高度成長期には、東京オリンピック、大阪万博で、世界から紳士淑女を呼び込まなければならなかった。近代化してゆくための資源も知識も、海外から入れる必要があった。無知な惰民たちから税として召し上げるだけでは足りなかった。かといって、自分達が出し、努力すことなど考えも及ばない輩、人達がいた。


今の電車の優先席などは、マナーを国民に強要しても分からないから存在する。自然に具合が悪そうな人、大変そうな人に、乗り合わせた誰でも席を譲れれば、優先席、とか書かなくてもよいのだ。我先に、障害のある、杖を突く者、弱者などには目もくれないで、座り込んで、股を開いて寝たふりをする。弱い奴など押しのけて座る。性根など卑しいが、強いふりをする。スマホを必死にみて、イヤホンをして、見えない聞こえないふりをする。突き指するのではないか、心配になる程、スマホの画面を必死でタップしている。


自転車とか、軽自動車とか、原チャリの運転マナーを観察してみると、その界隈の人種の道徳、マナー、学歴が分かる。右折優先とか、歩行者優先とか、表示されてあっても、自分優先!でしかない。


 今、困る人を見て見ぬふりをするどころか、その人々からむしり取ろうとしている根性の貧乏人と、教養なき、品無き貧乏の度合いを話してみたい。

そう、ワガモノ顔で、自転車を漕ぎ、車を運転し、スーパーなどの店員を召使扱いするような、死んでほしいジジイとババアとその息子たち。


 富治は、古希(70歳)間近の東京郊外の市に住む。今日も自転車を懸命にフラフラ、わきめも振らずに漕ぐ。パチンコ屋に急いでいるのだ。同じような仲間がいる。待っている?午前中は、病院だ。

 病院の待合室での会話。

「今日は、川田さん、来ないね?」

「具合でも、悪いのかね?」

「心配だね?」

病院の待合室での会話だ。このジジイとババアの医療費、薬剤費に市民から取り立てられた保険費、税金が使われている。若い時に、懸命に人の為に尽くした、日本の為、子供たちの為に働いて来たのであれば、社会は納得する。老後は、それで良い。働こうにも、人に貢献しようにも、身体が動かない、そう言う場合も、皆、納得する。


 最強最悪の貧乏は、遺伝性の貧乏。

 死んでほしいジジイとババアとその息子たち。

 生まれた時から貧乏で、その性質は、何の努力もせず、好き勝手に生きていれば、貧乏は、代々受け継がれてゆくもの。

 貧乏で、教育のないままに、ただ、ただマンガチックにくっつき、子供を作ってしまうと、しつけ、教育に影響がでてしまうのでしょう?

親となった自分達が、道徳心が無いうえに、道徳も知らなければ、礼儀と仁義を間違えている。親が、どうしようもない人格しか持ち合わせていない者だから、教育学を学んだ先生達も、この子を教育し、シツケようもない。シツケようとしようものなら、この子の親たちが何をしでかすか分からない⁉


 だから、教育しない。シツケない。見ないふり。


 教育されてない、道徳のない者同士では、気が合う。結婚する、子供が出来る。そして、貧乏のスパイラルに嵌って、自分達も気が付かない。


遺伝的貧乏で、道徳なく、マナーないジジイとババアの自転車とか自動車の運転は、前も横も関係ない。自分の行きたい方向にしか関心なく、邪魔者が自分とは気付かない。

「邪魔だ!邪魔だ!」とヨタヨタする。自動車にしても、原チャリにしても、自分以外は邪魔なやつ。その息子たちに至っては、どこかで盗んだか、やっと手に入れた自転車で、歩道であろうと、道路であろうと全速力で走る。ぶつかれるもんなら、ぶつかってみろ!的に一か八かで走っている。


 富治が、ある交差点で、歩道を走り自転車を止めて、信号待ちをしようとした時、全速力で、富治の自転車の前を通り過ぎた若者の自転車があった。富治は、

「危ねえな、この野郎・・・」

と、呟いた。それが、若者の耳に入った。

若者は、急ブレーキをかけ止まり、徳治に向って声を荒げる。

「そっちこそ、前も見ずに、フラフラ走ってんじゃねえよ!」

 どっちもどっち、周りに被害が飛び火しない様に、と周囲の人々は、眺めている。貧乏道徳無しには、マナーもルールも関係ない。

 信号が青に変わり、富治は、なにも無かったかのように、歩道をフラフラ自転車を進め始めた。若者も、別方向にそのまま、走り始める。周りの歩行者など目にも入っていない。

 富治は、パチンコ屋に入り、席を選んだ。ドンドン、玉は減り続けている。

「おいおい、入りもなんともしね~な」

 最後の千円札を突っ込んで、試合終了。

「くそ!」

と台を軽く小突いて、席を立ち、店を出る。


 これは、一時、流行った貧乏な人、金持ちの人の生き方、考え方、生活感を解くものではありません。そして、金持ちになる事を礼賛らいさんするものでもないし、貧乏を卑下ひげするものでもありません。どちらにしろ、よく言われる、あなたは、幸せですか?でもありません。

(多くの人に迷惑をかけている方、自分、分かってますか?)

を問いたいのです。

 金持ちを礼賛したり、お金の為に、人のうんこを舐めて、お金を一枚ずつ舐めるように数え、ワシの物じゃ、誰にもやらん!という生き様を考えているものではないのです!また、潜在意識を明確に持つことで、あなたの想いは叶う!夢は実現する!とか言いません。

止まない雨は無い!とか、明日は必ずくる!とか、でもありません。


(いい人を見極める知識を持って、その人に頼ってみては!)です。


 金持ちと貧乏の見分けはつきます。しかし、良い性格の金持ちと、悪党的な心をもった、心貧しき金持ちの見分けがつかない。

役所、官庁においても、人々の為に尽くす仕事がしたい!と働いている方や、特に何にもしないで大過無く過ごす、人の面倒など大嫌いな人と、自分だけ良ければ、それが一番、搾取だろうが、不正だろうが自分には関係ないという人、中々見分けがつきません。どの人に従ったほうが良いのかもナカナカ見分けられない。

 ただ、アナタの事を本当に考えている人は、アナタの状況を、データを、アナタ以上にじっくり細部まで読み取り、ひとつの答えに満足しません。


 金持ちは、時代のエリートたちの転覆によって変わってしまう。公家から、武士へ、武士から軍人へ、そして、軍人から鬼畜へ、悪党へと移り変わったのです。


 エリートたちは、教養と道徳があるので自分を犠牲にしてしまう。

前時代のエリートたちが人の為に死んでいったため、その家族たちは食うに困る。その時、鬼畜は、食い物と、食うに困った人の持っているものを交換して、また、奪い蓄財してゆくのです。


 戦後、第二次大戦後でありますが、廃墟となった日本の焼け野原、それも戦死して帰ってこない人達の土地を、「ワシの物だ!」と言って勝手に登記してゆくやからが、大金持ちになっていったのだとか。

 このように人の物、親の物、兄弟の物、友達の物などを奪い取った金持ちは、金持ちとしては遺伝しない。次の世代で、教養なく道徳のない馬鹿なその子供たちに食い散らかされるのである。親が困ろうが、兄弟が困ろうが、絶対に自分が手に入れたものを渡さない。助けない。困っている身内を助けるどころか、骨までしゃぶって奪いつくす。

 こんな息子たちは、土下座までして親からお小遣いをもらう。勉強などしている時間はないし、教養も道徳も必要ない。奪い取る!それが生きる知恵である。

 こんな金持ちは続かないのであろう。直ぐに、貧乏神という神様のご加護がある。

 そして、二番目の貧乏は、突然なる理不尽りふじんな貧乏。これは、親が、突然亡くなったなどという場合である。

 ご本人は、

(この世に神も仏もない)と思っているであろうが、居るのである。貧乏神という神様。

 しかし、もともと、教養とか、道徳とかある方々である。突然の悲しみは、なかなか去ってはくれないかもしれない。しかし、諦めない限りは幸せな人生は復活するでしょう。貧しい心根の人々から飛び出ねばなりません。正しい心を持った人たちを見分けなければなりません。その人たちに頼ることが、必要です。決して、教養なき、道徳無しに頼ってはならないのです。


 あなたは、実存する悪魔を知っていますでしょうか?


 別に、魔界から来たとか、そういう者ではないです。太宰の羅生門とか、宮沢賢治などが、警鐘を鳴らしても、減らないのです。この世の人の中に紛れている。

 それに、そう言う輩は、本など読まない!テレビも漫画も雑誌も、そう言う輩の購買、視聴を貪っているので、そんなことなどテーマにはしない。


 なんせ、その時代に生きる者の中に潜んでいます。それに、自分が悪魔とも思っていませんし、只々、身近な人間が、よく自殺するな?こんなに頻繁に葬式に行くのは面倒だな、くらいしか感じていません。

 自分は、人が良いようにふるまいます。しかし、人のことなどどうでも良くて、面倒くさいと思ってます。他人は、自分のために尽くすものであり、自分が何かするなど、考えたこともない人です。その悪魔の、優しそうな言葉を真面目に受け止め頼りにすると、絶望に叩き落されます。沼の中に沈められます。

 そんな人を信じないでください。現実世界に、確かに、鬼、悪魔は実存します。身内の死を食い散らかして、自分が裕福、楽であればいいと、思う人はいます。


そんな人を頼らないで下さい。


 政治家、官僚、皆の税金を気前良いようにばらまく。自分の金など絶対に使わないどころか、迂回して自分に入るようにする。蓄財する。人の金を集め、人にばらまくと見せて、自分が金を懐に入れる。他の者への献金と称し権力を集める。

そこまで人は浅ましい者か?そうです!浅ましい生き物は、いくらでもいます。そう言う者達に、抗えとも、戦えとも言いません。それなりの情報収集と、利用されない知識を身に着け、守ってくれる人に頼り、うまく立ち回ってください。

 沼の中にいつまでも居ないでください。

(沼の中に、うようよ弱った者が蠢いている)

と、沼の淵から沼の中を眺めている輩がいます。


 貧乏自転車は、パチンコ屋から家に帰るのだ。

 富治は、相変わらず立て付けの悪い、玄関の扉を開けて

「お~、帰ったぞ」

と、誰に言うでもなく呟いた。

 家の奥から、女房の貞子が飛び出してきて、

「お前さん、お兄さん、亡くなったって・・・・・・」

 それを聞いて富治は、

「あ~、ま、年だしな。しかし、この金の無い時に・・・香典とかないよ、全く」

と、愚痴りながらも、

「あ、兄貴の相続で、俺も少し貰えるんだよな?ま、殆ど養子に出した真治のものになるんだろうから、真治に電話して、少しコッチに分けるように言っとくか?」


 先祖の山、畑、全ては富治の兄が相続した。富治は、子供を授からない兄に、自分の子供の真治を養子に出した。食い扶持減らしのために。富治の兄は、高速道路、鉄道開発、住宅、工場設置の恩恵をうけ、莫大な資産を築いたのだ。

 真治は、そのおかげで、私立の一貫校に通わせてもらった。しかし、性根は富治由来である。大学で、資産家の娘を腹まして、さっさと結婚にこぎつけたのだった。

こちらの資産家も、山や畑が資産になった口の家柄だ。ただ、その娘の父親は人の嫌がることも、コツコツやっていく勤勉なタイプ。小さいながら、物作りの工場を営んでいた。で、そこら中の銀行員が、融資、産業育成、会社運営指導に走った。おかげで、みるみる会社は大きくなっていった。また、その田舎の土地にあった会社の工場の土地を住宅などに売却して東京都心に沢山のビルを建てた。自らが考えた事でもない。寄ってたかって投資の話が持ち込まれる。それに、ハンコを押し続けただけだ。昔では、考えたこともないような、屋敷に住み、妾を持つという生活。その中、娘がはらまされた。急いで、住居と適当な会社を相手の若造にあてがい、結婚させたのだった。自らの会社は、長男と次男に継がせる、資産は妾にやろうと考えている。


 富治は、真治に電話した。

「この度は、御愁傷様。葬儀の手筈は決まったかい?こっちに戻って来るか?」

「今更、親父ずら、親族ずら、しないでくれよ!遺言で、遺産は一切、俺が相続することになってるから、そっちには、一銭も行かない、ヤラナイよ!」

「なんだと、遺言だと?お前が勝手に作ったもんだろう?」

「あんたに、言われる筋合いはない!通夜にも、葬式にも来なくていいから」

「なんだと!俺の兄貴だぞ!」

「よく言うよ!爺さんの財産を少しでも多く相続のするために、裁判にして訴えたくせに!」

それを、聞いて、富治は電話を叩きつけるように切った。

 女房は、めんどくさそうに、声をかける。

「喪服とか、出しとくかい?香典は?」

 富治は、カリカリ、イライラとして、

「そんなもん、いらね~ヨ!」

と、言い放った。女房は、

「あ~、そうかい。また、裁判だ!なんてネ、勝つ見込みの無いのは、よしておくれよ。前の相続の裁判代だって、えらい高かったじゃないか!」

と、また、面倒くさそうに呟いた。




第二章 貧乏の匂い


 貧乏の匂いというのがある。

 香りではない、匂いである。

 貧乏臭いというのもある。

 貧乏自転車は、これを後ろ香とする。


 貧乏人は、なぜ、威嚇的な服(迷彩服のような)を着て、マナー悪く電車など、公共の場に居るのであろうか?そして、事故を起すような、人の迷惑になるような、人を傷付けるかもしれないような、自転車や自動車の乗り方をするのだろうか?

 なぜ、どこでも、どんな時でもスマホをいじっているのだろう? 


 そう、遺伝性貧乏人には人の迷惑、という概念はない。道徳がない。教育されていない。

 人に親切にするという概念もない。

 強く勝ったもん勝ち。

 他の人が、自分や他人に気を使っている、とか、社会のマナーを守る、ということを心掛けていることも想像すらできない。

 親から代々、道徳というものを知らない。

 弱ければやられる。

 自分にとって大切なことは、

(周りにカッコいいと思われたい!強いと尊敬されたい!自分がスゴイ奴と思われたい!)などであろう。

 自分が一番なのだ。他人のことなど関係ない。

 道徳を全く知らぬ者は、自分は自分!自分の勝手!自分が優先。

 そして、自分の価値感、責任、理想を相手に押し付ける。

 自分の思い通り、期待した通りに行かないと怒る。暴れる。

 手の届かないものは、自分の意識の中にない。幼い頃から自分の要求は理不尽に却下され続けてきたのである。


自分が一番、自分は自分!自分の勝手!自分が優先。

 社会で生きていく為には大事なことでもあるのかもしれない。


 貧乏は、金がないから悪いのではない。道徳も、社会モラルもない悪い循環に陥っている貧乏が悪いのである。迷惑なのである。

 そういう貧乏の駆る自転車、ボロ自動車、ボロバイクなどは、危なくてしかたがない。迷惑を被った相手への賠償金が無いどころか、保険にも入っていない。周囲にとって、貧乏自転車は狂気の獣でしかない。自分以外は、関係ない。自分優先。死んでほしいジジイ、とババア、とその息子たちであろう。

 今日も、貧乏自転車は、アチコチに現れる。自転車操業している。


 富治は、遺産の件で真治を訴えはしなかった。妻、貞子から忠告された通り、兄たちを父の遺産の分配について訴え、少しでも多く獲ろうとした過去がある。兄は、実家で老父、母の面倒をみていた。母が亡くなった時は、特に遺産も無かったので揉めもしなかったが、父が亡くなった時には、遺言で一切を兄に譲るとされていた。富治は、知り合いにそそのかされ、知り合いの弁護士まで紹介されて、(貰えるものは貰ってやろう)と、裁判をおこした。周囲では、実家で老いた父母の面倒を看ていた長男が継ぐのが当たり前!とは思われていたが、恥も外聞も無い、金も、知識も道徳も無い富治には、自分が貰って当然、としか思っていない。

「なんでも、諦めずやってみるもんだ!」

 富治には、老婆に賃貸中の土地の所有権が譲られた。賃貸中であるから、土地を売り払う事は出来ない。土地を売るために出て行くよう、老婆に脅しをかけ、弁護士にも説得させた。

老婆には、身よりもなく、行くところもないので、立ち退けないという。

 富治は、弁護士から、

「数百万、立ち退き料を払い、引っ越し先を斡旋して、出て行った貰うしかない。その上で数千万で、土地を売ってしまえば良い」

と進言された。

しかし、富治は他人に一円たりとも金をやるのが嫌なのだ。それで、その話は断った。土地家屋は富治に譲渡された。月、数万円の賃料が入る。

しかし、弁護報酬は土地家屋の資産価値で数百万請求された。おまけに、土地家屋の資産価値で相続税、固定資産税が後ほど税務署から請求される。

「なんじゃ、そりゃ、割に合わんじゃないか⁉」

と、富治は、弁護士への報酬を渋った。弁護士からは、遅延金まで請求され、告発状を出す旨の文章が届いた。その場合の損害賠償の金額をみて、富治は慌てて全てを払う算段をしたのだった。

 そんな経験から、富治は、遺産の件で真治を訴えはしなかった。それに、真治には、嫁さん側の会社弁護士がついている。

 富治は、

(子のくせに、親を思い図らんとは、人として、犬畜生より劣る奴だ!まったく、人の道理を知らん!兄貴の教育が悪いからだ!きっと)

と、自分が食い扶持減らしに養子に出したことも棚に上げて文句を言う。

 真治は、真治で、嫁さんのほうから莫大な資産を得ていたが、こちらも、親、兄弟、親戚であろうと一銭もやりたくない、助けたくもない方だった。

 工場を貰い、職人を貰い、客先まで貰った。また、畑だった荒地も貰ったが、近くに近代的工場が建設され、駐車場にした。その従業員めあてに、マンション、ショッピングモール、学校、等々、一気に発展し、常に駐車場は満車状態だ。義父から妻への譲渡ではあったが、妻は税金とか、経費、管理に疎い。俺がやってやると、妻に渡されたものは全て、自分の会社?名義にした。また、優秀な営業マンを(将来は君に社長をやってもらう!)と言葉巧みに入社させた。営業も製造も全て、社員まかせ。税理士に、利益を自分に、たんまり得させ、社員には、常に金が無いと嘯いた。自分だけが接待交際費、設備費、社員厚生費などとし会社の経費として使いまくっていた。妻にも、親戚にも、子供にも渡さない。

 そして、外車に乗り、ゴルフ三昧。青年商工会などに紹介で所属し、豪遊だ。有名人などに金をつぎ込み交友を計り、自分は地位も名誉も大会社のサラリーマン社長以上に在ると思い込むようになっていた。

 そうなると、集ってくる者も、多種多様。

元芸能有名人との対談取材と称して、どこに売られているかも分からない、誰も知らないボッタクリ詐欺雑誌の取材を受け、掲載料に三百万を請求される。


 今迄、取引をしたことのない新規の大銀行からは、国債、信託、外貨スワップなどカモにされた。挙句の果てには、既取引銀行に、これ以上高い金利は払えないと言えば、優良企業は、社債を発行しなければならないです!と騙され、社債発行手数料とともに、ちゃんと、社債償還として融資利息より高いものを取られ、それでも、社長、社長とおだてにのる。


 銀行員の融資ハンドブック、潰れる会社に記載されていること。


 潰れる会社とは、会社の前に、大型の外車が置いてある。

 社長室には、高級なゴルフ道具が置いてある。

 社長室には、社長が有名人と映った写真が飾られている。


 すべてが、真治の会社に整っているが、銀行員には、社長の人格だとか、事業成績など目にも入っていない。所有している土地、建屋だ。次から次に、いくらでも融資する。彼らには、会社など潰れてくれた方が良いのだ。莫大な、保証担保の土地が手に入る。


 あるカリスマ的経営者のお話です。

 とあるバカ坊ちゃん社長が、そのカリスマ経営者へ相談しました。

「私の周りには、ブンブンと、ハエのような奴ばかりですよ!」

と訴え困惑した表情で嘆き呟きました。

 その時、そのカリスマ経営者は、そのバカ社長に言いました。

「それは、あなた自身がウンコだからですよ。ハエや、ウジばかり集ってくるでしょう?」

と、言われたとか。




第三章 終焉


 真治の妻の父親、真治の義父は、会社と邸宅を家族、妻の弟二人に託し、半分の資産を自分名義として、妾の元に走った。残された者達は、放蕩三昧を止めることはしなかった。

 真治の妻の兄弟二人、母とともに事業を懸命に続けていく事はなかった。母は、腹いせの様に、デパートや老舗を毎日のように渡り歩き、お得意様として消費を続け勤めた。兄弟は二人とも、首から指先まで金だらけに装飾し、事業は社員まかせ。酒浸りの日々を過ごしていた。得意先が離れ、会社経営も陰りをみせたころ、弟は、兄を社長の席から追い出した。兄の子飼いの優秀な社員も追い出した。

「俺が社長だ!者ども、働けい!金を持って来い!」

と、銀行とタッグを組んで、事業のダルマ落とし。業績はピサの斜塔どころではなく、傾いた、と言うより、沼地にたてた柱の如く、みるみる倒れて行っている。それでも、知恵も、知識も、情報も、有能な部下もいないので、気付いてもいない。


幸せの極み!


 (なんか、金回りが悪くなった)と、真治の義理の弟が流石に気が付いた時、すり寄って来ていた銀行に融資を求めた。当面の運転資金、というか、今までの借金の毎月の返済と豪遊費だ。今までは、(幾らでも借りて下さい、貸させて下さい)と言っていた銀行が、今の毎月の返済を、月々ではなく、一括で全返済を迫って来たのだ。貸し渋りではなく、貸し剥しに打って出て来た。好業績の企業が、よく銀行に潰される手だ。毎月はちゃんと返せるが、いきなり今、全額返済を迫る手だ。工場や、屋敷周りの都市化が進み、保証人の、担保の土地が目当てだ。

 最初で最後の踏ん張り。会社所有にしてある資産を売り払い、会社、工場を縮小、僅かに

自分の物に戻して、銀行側に完済、会社は倒産させなかった。縮小と言うか、僅か、一社になったお得意様の地方の工場の傍に移転した。屋敷も売り払い、家族ともども、地方に移転したのだった。

 真治は、この妻の弟からの無心を断り、その兄からの借金の要請も断った。妻の兄弟たちは、昔、自分達の父親が、与えた資金、財産を返せ!と来たのだ。

 真治の方も同じような状況だ。その上、子供が生まれて間もない、赤子である。妻は、

「あげるのではなく、何とか、貸すだけでも」

と、真治に懇願したが、真治は断った。父親富治由来である。親だろうが、兄弟であろうが一銭もやらない!それが、信条、性根だ。


 真治も妻の兄弟達も、沼の淵から、沼の底で蠢くものを眺めていたつもりが、誰かに後ろから蹴落とされた気分になっていた。実際には、自分でどんどん嵌って行っただけだ。


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貧乏自転車 死んで欲しいジジイとババアとその息子達 横浜流人 @yokobamart

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