第38話 三ツ矢奏の大騒動

 安藤が真っ青になって走り出したので、僕も追いかけた。ピンヒールを履いているとは思えない機動性で、車で送らなくても良かったなと軽く後悔した。

 事務所の前では、奏がビリーと鎌三郎に羽交い絞めにされていた。その向かいで眞上が土下座して喚いていた。彼の後ろで直正と玉男が仁王立ちしていた。彼らの更に後ろでは刀太郎が腕組みをして眺めていた。その隣で窯次郎と仁子がおろおろしていた。

 安藤と僕が来たことにより、全員の視線が僕に集中して、水を打ったように静かになった。

 しかし、奏がすぐに静寂を打ち破った。集中を逸らしたビリーと鎌三郎を蹴散らした。素早い動きだった為、素人目には何が起こったのか分からなかった。

 鎌三郎はよろめいて尻餅をついた。ビリーは僕らの方によろめいて安藤の偽乳に頭を埋める形で寄りかかって来た。多分わざとだ。安藤は安藤で無言でビリーの体を支えて頭を撫でた。

 奏はいつの間にやら右手に持っていた扇子で安藤を差した。

「安藤さん、この人達を黙らせてくれませんか。奏の言葉は通じないようなので」

 安藤は何故か僕の方を向いてウインクした。僕が反応する前に、奏が大きめの声で話した。

「安藤さん、このまま黙り続けるならば、痛い目を見せます」

 奏は言った途端、安藤の一歩前まで素早く駆けた。そのまま扇子を大きく振りかぶった。

 安藤が「ひい」と叫んで、後ろに大きく跳ねた。

 バランスを崩したビリーが地面に倒れた。

 安藤は奏に向かって両手を翳しつつ横に振って喋り出した。

「鉄扇は洒落にならないよ! だいたい僕に頼む立場でしょ。僕は優しいから、言葉だけで動いてあげるよ。今だって大和さんに合図送ったの見たでしょ⁉」

 奏が鉄扇をベルトポーチにしまった。

 直正と玉男と眞上が「鉄扇」と呟いた。同時に、他の人間は「男」と呟いた。

 ビリーが最も衝撃を受けたようで、「No」だとか「Oh my god」だとか繰り返した後、「fucking」を多用して安藤を罵った。

 安藤はビリーに投げキッスをした後、素知らぬ顔で奏に話しかけた。

「謝罪と説明をちょうだいよ」

 奏は真顔で坦々と返した。

「申し訳ございません。言葉が伝わらない此方の方々が奏に刀を注文しろと騒ぐのです」

「したらいいじゃん」

「貴方も敵ですか?」

 安藤が肩を竦めた。

「君、一応は日本刀も使うんでしょ。しかも、その刀はイタリアにいた頃に素人の恋人さんがよく分からないマーケットで得たものだとか。思い出はあるだろうけれど、此処で打って貰ったものの方は絶対良いよ。質は勿論、桜刃組の一員として君が使う際に生じる意味も。ねえ、注文してあげなよ」

 刀太郎が拍手をした。他の裏鍛鍛冶屋の面々も倣った。

 目を見開いた奏に対して、安藤は留めの一言を放った。

「何なら若頭に今すぐ電話してみる? 優作さんも僕と同じ意見だよ」

 奏がぐっと歯を噛み締めて、踵を返した。未だ地面に額を擦りつけている眞上を見下ろして言葉を投げた。

「頼みましょう」

 眞上が飛び上がって立った。蛙のような動きで気味が悪かった。滅多に感情を露にしない直正と玉男も顔を赤くした。三人は素早く奏を取り囲んだ。

「絶対良いもんにしたるからな」

「どんなんがええか、言うてみ?」

「イタリアで手に入れたものも見せて下さい」

 唾が飛ぶ勢いで騒がれた奏は細い首を動かして三人をゆっくりと見た。防犯カメラを連想させる動きだった。

「屋内で座ってお茶の一つでも出して話し合う。そういう常識はこの村には一片たりとも無いんですね」

 冷たい声に三人が凍り付く。

 刀太郎が彼等を見て哄笑した。あと六年で米寿を迎える男だとは思えない、弾けた声だった。顔中の皺が隆起し、細められた瞳も皺の一部と化す。大きく開かれた口には未だしっかりと生えそろった白い歯が目についた。あまりに人工的な部分が無くて驚いた。

「そうやな」

 刀太郎はそう言って、灰色の髪を几帳面に撫でつけた己の頭をこつんと小突いて、舌を出した。

 普段の鯱張った態度からは想像さえできない戯画的な行動に、村民達は唖然としていた。無論、僕もその一人だった。

 奏の顔が刀太郎へと向く。すると、刀太郎は嬉しそうな声を上げた。

「焔君にやっぱり似とるな。あの子が桜刃組で使ってた杖、見たことあるか?」

「……あります。携帯しやすいように分離できるものですよね」

 奏の顔は僕からは見えなかったが、ぎこちない声から戸惑いが伝わった。刀太郎も気付いているだろうに、顎を擦りながらマイペースに話を続けた。

「それはうちでつくる筈やったんや。まあ、すぐにあまりにも専門外やと判断して別の所に回ってもうた」

「残念ですね」

 奏はそう言って裏鍛鍛冶屋の事務所の扉に顔を向けた。刀太郎は構わずに話を続けた。

「八年前の話や。桜刃組の一員の為につくる話は今まではそれが最後やった。他の組に売りつける分の仕事は持ってきてくれはるんやがな、やっぱりうちとしては物足りんかった。せやから、騒いでもうた。すまんな」

 奏ははっきりと苛立ちを声に含ませて捲くし立てた。

「焔の下りは必要でしたか? 貴方方にははっきりと言わないと伝わらないようなので、わざわざ言ってあげますね。三ツ矢奏は三ツ矢焔と比較されることが嫌いなんですよ。家族ですが、貴方方のようにべったりと依存し合ってないので不快でしかありません」

「そっかあ。すまんかったなあ」

 嬉しそうな刀太郎に奏がついに舌打ちをした。真っ先に反応したのは安藤だった。大袈裟に肩を跳ねさせた。他の人間も遅れて青ざめた。しかし、刀太郎自身は調子を崩さなかった。

 奏が喋る速度を上げる。

「ええ。二度としないで下さいね。さあ、さっさと終わらせましょう。奏には次の予定がありますので、長居はできません。必要なことだけ集中して話しましょう」

 安藤が突然「かなちゃん」と大きく呼びかけた。奏だけでなく全員の目が安藤に向いた。

 安藤はぷるぷると無理に笑みをつくった。

 奏の傍若無人ぶりを諫める為だろう。嫌な仕事だ。

 何となく彼から一歩距離を置こうとすると、腕を掴まれた。それだけでなく、僕の真横に立ち、僕の腕に女みたいに両腕を絡めて偽乳の側面を押し付けてきた。

「僕さ、大和さんに送ってもらうよ。そしたら、君はゆっくりお話しできるでしょ」

 奏が唇を噛み締めた。村民達が安藤の言葉にざわついた。

 奏が不思議そうにあたりを見渡すも、誰も答えなかった。

 僕自身も言えなかった。「村を出る時は必ず父と一緒じゃないと駄目なんだ」なんて情けなくて口にできなかった。羞恥に俯くも、安藤は撤回しなかった。

「此処までも車で送ってもらったもん」

 ね、と安藤が僕の顎の下に右手を入れて上向かせた。

「へっちゃらでしょ。こんなことくらい」

 その言葉で僕は自分の決意を思い出した。それに比べれば何てことも無い。安藤の右手を払いながら彼を睨んだ。

「当然だ」

 村民がどよめく。爽快感があった。

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