第32話 安藤巳幸と三ツ矢奏の到着

 ハイエースからすぐに安藤が降りてきた。

 紺のスリーピースのパンツスーツ姿で黒いピンヒールを履いていた。歩き慣れないのか、車に手を這わせながら僕の前に来た。ヒールは十センチ程あり、圧迫感を与えて来た。黒髪はきっちりと簪で纏め上げられているが、右横の髪は胸元まで垂らされていた。簪についた真鍮の鍵の飾りが彼の右耳の上で揺れていた。前髪は左へと流され、左眉の端を隠した後、纏められた髪に合流している。左耳には赤い組紐のピアスがぶら下がっていた。白いワイシャツには紺のネクタイが結ばれていた。

 奇抜な彼の姿を眺めて、メールに書かれていたお願いを思い出した。

「その姿を完全に見せたかったから、門で待って欲しかったのか」

 彼はにっこりと笑んだ。四年前と違って化粧は濃いめだった。緋色のアイシャドウや紅色の口紅が目を惹く。女が好みそうな格好良い女を意識しているようだ。

「似合うでしょ」

 分かっていても、喋った瞬間にやはり気落ちしてしまう。顔に出たのか、安藤は右の横髪をくるくる指に巻き付けた。

「女声出せるようにした方が良かったでしょうか。でも、段々本来の僕の姿に近付けたかったんです。慣れてもらう為に」

 よく分からない理屈だった。タイプの違う女の真似をしているようにしか見えない。だいたい、元の姿に近付けるならピンヒールは余計だろう。

 僕の視線に気付いたのか、安藤は右足を外側へ曲げた。下ろして、僕の隣へと立った。

「清ちゃんがこれくらいなんだよね。百八十五センチ。大きいでしょ」

 驚きの声が出てしまうと、安藤は偽乳を僕の肩に押し付けた。柔らかさの再現度が高かった為、不覚にもどきっとしてしまった。

「止めろよ」

 誤魔化しの言葉に安藤がにやついた。冷やかしてくるかと身構えたが、安藤は僕の前を通り過ぎて、運転席の扉を開いた。

「ほら、かなちゃんも挨拶しようよ」

 安藤が奏の右腕を引っ張った。

 僕の後ろで家の扉が開き、足音が響いた。

 奏が安藤の腕を振り解き、エンジンを切って車から降りた。奏は男らしくないデザインの黒のトップスを着ていた。首の後ろで結んで固定する服で、腕どころか背中も剥き出しのようだ。右腕には曲線が太さを変えてびっしりと描かれていた。オリーブ色の膝丈のパンツを履き、そこから覗いた左足は雲のようなタトゥーに覆われていた。青いスポーツサンダルから覗く足の甲には雲の合間に円が描かれていた。その姿に心理的距離を更に置きたくなった。

 門が開き、僕の腕が掴まれた。骨を折ろうとしているかのように強い力だった。

 奏が僕の隣に立った父を見上げた。

「六月はご迷惑をお掛けし、申し訳ございません。今後、このようなことが無いとお約束致します」

 奏は素早く礼をして、何かを言いかけた父の声に被せて堂々と喋った。

「奏は裏鍛鍛冶屋に向かいます。此方で安藤の用が終わりましたら、裏鍛鍛冶屋の方に送ってやって下さい」

 奏は横目で一度安藤を睨みつけて父に向き直った。

「では、よろしくお願いします。さようなら」

 そう言って奏は踵を返した。が、安藤に横から抱きつかれた。偽胸に顔が埋もれた。

 僕からは奏の左側が見えた。左腰には黒革のベルトポーチがぶら下がっていた。腕は何も無いが、背中には黒い半月状のものがばらまかれている。何を示しているか分からず、奏への不信感が更に高まった。

 奏は藻掻いて、安藤を突き放した。そして、一気に捲くし立てた。

「うざくて嘘吐きな安藤さんは、奏に嫌われることが趣味なんですか? これ以上好感度下げられますと、奏の視界に入る度に舌打ちせざるを得ません。されたいんですか? メンタル雑魚のくせに耐えられるんですか?」

「可愛くないなあ。今の僕の姿は君の好みに合ってるでしょ? 最初みたいに、僕だって分かってない時みたいに目をキラキラさせてよ。好みなんでしょ、こういうお姉さん」

「失態でした。うざい嘘吐き変態おじさんがそこまでの奇行に走るとは思っておりませんでした」

「おじさんなんてひどいなあ。まだ二十四歳だよ。焔と一緒だよ」

「焔と一緒で今年二十五歳でしょう。アラサーですよ。日本ではアラサーはおじさん扱いして良いようですよ。空気が読めないんですから、せめて世間のムーブは理解してください」

「二十代をおじさん扱いするのはどうかという声もあるよ。それに、おじさんとして愛されてる俳優なんかだいたい五十代以上だよ」

「焔は自称してますよ」

「焔はね、二児の父になったり、道場継いだりで背伸びしたいんだよ。もし独身でお父様がご存命だったら、おじさんなんて呼んだら怒るよ。営業スマイル貼り付けて露骨に距離置いて来るよ。想像できちゃうでしょう。ねえ」

「できちゃいますねえ……。その点だけは」

 僕は焔の更なる飛躍に驚いたが、精一杯表に出さないように堪えた。

 奏と安藤の、互いにマシンガンで撃ち合うような会話は延々と続きそうだった。しかし、父が二人に近付いて会話に入った。

「奏君の用が終わったら、うちにおいでよ。お昼ごはん用意してるんだ」

 奏は無機質な目を父に向けた。

「遠慮します。他に用がありますので」

 父が食い下がろうとした時、また安藤が奏の顔を胸に埋めさせた。ギャアという悲鳴を無視して、自分の体ごと奏の背中全面をこちらに向けた。抵抗する奏の首元に腕を差し込んで、ポニーテールを肩にかけ、首に結ばれていた服の紐をほどいた。

 露となった小さな白い背中には大きな鳥が抽象的に描かれていた。ちょうど項あたりに頭があり、その目玉はチョーカーで覆われていた。

 父が感嘆の声を漏らした。安藤が父に笑んだ。

「信濃さんと一緒で背中にも刺青があるんですよ」

 安藤はそう言うと直ぐに服の紐を結んでやり、奏を解放した。途端、奏が安藤の右足のヒールを蹴った。安藤はよろめくも、五歩程ステップを踏んでやり過ごした。

 奏が早口で捲くし立てた。

「何するんですか。ただでさえうざい嘘吐き変態さんなのに、更に人に迷惑をかけるだなんて、人間として虚しくならないんですか」

「何するんですか、は僕が言いたいよ。あのねえ、これから裏鍛鍛冶屋との仕事に関わる時は信濃さんが主に相手になるんだよ。人見知りしてる場合じゃないでしょ」

「してませんよ。必要最低限の対応はしてますよ」

「駄目だよ。折角、共通点見出してあげたんだがら、そこから雑談でもしてみなよ」

「大きなお世話です。だいたい貴方は誰においても過干渉で」

 安藤は奏が話している途中に大声で父に呼びかけた。

「ねえ、信濃さん。貴方の刺青は和彫りでしたっけ?」

 父は嬉しそうに話し出した。

「ああ、匣織市の彫師に入れてもらった鬼子母神だよ。奏君は花鳥風月がモチーフなのかな」

 父が奏の頭へと手を伸ばす。言われてみれば左額の模様は花に見えた。目の下から顎にかけて描かれた模様は葉と茎と根なのだろうか。

 奏は安藤の後ろまで下がった。

「そうですよ。裏鍛鍛冶屋の刀匠さん達との待ち合わせに遅れますので、これで失礼します」

 そう言うや否や奏は運転席に飛び込み、一気にバックし、高速でUターンして走り出した。

 僕も父も唖然としていたが、安藤は車の尻を一頻り眺めた後に切り替えた。

「では、僕も仕事をしましょう。お邪魔します」

 安藤がパチンとウインクを弾けさせると、僕と父はやっと動けるようになった。

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