第29話 メッセージを受けとめて
不愉快極まりない記憶だ。
しかし、目を背ける訳にはいかない。何度も何度も繰り返し思い出した。そして、一ノ宮時也のメッセージだけを必死に抽出した。
――桜刃組を使ってこの村から脱出しろ。
たったそれだけのことを伝える為に自分だけでなく、替を生贄にするだなんて信じられなかった。娘にも父にも愛が無かった彼のことだから、替を愛していなかったと予想はつく。わざわざ僕に彼女の屍を見せる意味を、見いだせる程に彼は替を重要視していたのだろうか。
いや、意味が無いなんて訳が無い。
替を虚しい存在にしたくない。
自分の倫理を一旦捨てて、一ノ宮時也に思考を添わせる。
嫌なことにそうするとすぐに答えは見つかった。
僕はミサンドリーだ。一ノ宮時也は僕が在という男をも嫌っていると仮定していたとする。替は在という男に瓜二つの女だ。替を見せることで僕が在を――桜刃組組長を受け入れられる可能性があると考えたのではないか。
現に今、僕は在を嫌ってはいない。寧ろ好感を抱いてると言っても良い。
それは在に男らしくない、寧ろ女らしい慈愛を感じたからである。そもそも二代目の時代の「お人形さんみたい」な時代からそれ程嫌いではなかった。
――本当にそれだけだろうか。
替という女を見たから、僕は在を受け入れられたのではなかろうか。彼の温もりに慈愛を見出すことができたのではないか。
その仮定を肯定するか否か。判断しようとすれば、思考は停止した。
ただ、絶対譲れない条件がある。
――一ノ宮時也による二人の命を賭した絡繰りが、生贄となった替が無駄であったとは思いたくない。
だから、僕は肯定するしかないのだった。
そんな結論が出た頃には既に普段起床する時間になっていた。
特に考えることも無く僕は朝の支度を始めた。
幾度も繰り返された無味乾燥である筈のルーティンだった。
けれども、体内の歯車が微かにずれていっているような気がした。
父と亜久里が目覚めて一緒に朝食をとった。三人共あえて昨夜のことは触れずに天気だのニュースだのを話題にあげた。
その間も歯車は軋んでいった。
三人で玄関にいる時、父に肩を掴まれた。父はじっと僕を見つめた。言葉を促すと、首を横に振った。
「……いや何でもない。気にするな」
父の手が離れて肩にあった彼の温もりが完全に冷めた途端、僕は歯車の一つが零れ落ちたのを感じた。
裏鍛鍛冶屋で働いていても、歯車は徐々に噛み合わなくなっていた。
六月三日と四日の土日全てを針依に捧げた時に歯車が二つは外れた。
ゆっくりと自壊していっていたが、取り立てて人に告げなかった。努力をしなくても、僕の表面は日常に対して変わらない動きを返した。
同時に感情の起伏は小さくなっていった。まるでまわりに膜が張ってあるようにぼんやりとしか刺激が伝わらなくなった。日を経るごとに、壊れていくごとに膜は厚くなっていた。
それらに対して僕は何も思わなかった。心はただ虚ろになっていた。
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