第28話 寿観26年夏・一ノ宮時也のメッセージ

 あの日の昼、一ノ宮は裏鍛鍛冶屋で桜刃組としての仕事を終えた後、事務所にいた僕の首根っこを掴んだ。

 僕の隣に座っていた仁子は驚愕して凍り付いた。一ノ宮はずいと彼女に顔を近づけてにたにたと笑った。

「借りてくよ。夕方までには返す。馬鹿娘の玩具に重要な仕事なんかさせてないだろうから別に良いだろ」

 仁子は赤くなってぶるりと震えた後、青くなってぎこちなく肯いた。

 一ノ宮は鴉の鳴き声に似た笑い声を上げて、僕を連れだした。僕は一応抵抗したが、虚しく彼の車の助手席に押し込められた。

 彼は車を東に走らせた。村を取り囲む山の一つを指して怯える僕に問いかけた。

「あの山の麓でデートしよう。なあ色男」

 そこは村の中ではデートスポットとして有名だった。この時期、彼岸花が綺麗に咲いているが、人通りが少ないからだ。僕も何度か利用したことがある。

 中高生の時に恋人達と愛を囁き合った思い出の場所に僕は埋められるのか。僕はそう思い込んだ。頭は正常に動かず、思い出の恋人達とこの場をこれから利用するだろう村内のカップル達に心の中で詫びていた。

 一ノ宮は能天気にJITTERIN'JINNの夏祭りを繰り返し口ずさんでいた。十数回も聞かされた頃、漸く目的地に着いた。

 彼は僕を手荒く車から掴み出し、彼岸花が咲き誇る坂の下の小道の中央まで行くと手を放した。途端に、彼岸花に向かって両手を広げた。

「この景色をお前に捧げたかった。なあ、美しいだろう。一面真っ赤だ」

 肯いた方が良いかどうか迷っている間に、彼は陶酔しきった声を上げた。

「煤谷村もこうなればいい。……そうは思わないか」

 訳が分からなかった。彼は僕を見て目を眇めた。

「女を口説くのが上手い癖に詩的表現は苦手か? 経済学部って一応は文系じゃないのか?」

 彼はふんと鼻を鳴らし、手を更に広げた。

「煤谷村の奴等なんぞ桜刃組がいつでもぶち殺せるって言ってんだよ」

 予想外の言葉に思わず妙な声を出してしまった。無意識に数歩下がったが、彼は歩いてきて僕との距離を保った。

「お前は余所者だからピンと来ないのかもしれないが、あいつらはみーんな分かってる。どんな題目を並べても、初代の頃からずーっと真実は一つだ」

 彼が手を下げ、僕の眼前に右の人差し指だけを掲げた。

「桜刃組という暴力の塊に殺されたくないから、従っている」

 だから、と彼は踵を鳴らした。

「お前一人の為に、あいつ等が抱き続けている不安を現実にしてやってもいい」

 反射的に首を横に振っていた。がちがち鳴り出した歯の隙間から何とか声を捻り出す。

「な、な、何を言ってるんだ」

「お前を自由にしてやるって言ってるんだよ」

 彼が近づき、鼻先が触れそうになった。避けようとしたが、強張った体は言うことを聞かずに尻餅をついた。彼は腰を折って俯き、僕の顔を銀髪で撫で包んだ。

「去年の十二月、安藤巳幸がお前に会いに来ただろ。何故か分かるか」

 僕は腕で後退しようとしたが、彼が右足を踏みつけて逃さなかった。恐怖に呑み込まれながらも、必死に安藤とのことを思い出した。

「僕の話をする為に来たと言っていた」

「不十分な答えだ。おかしいと自分でも思わないのか?」

 正解は、と彼は言いながら体を起こして、手を差し出してきた。僕は嫌々ながらそれを掴んで立ち上がった。

 彼は僕の頭から足まで舐めるように見て、目を楽しそうに歪めた。

「お前を桜刃組に入れようとしてるんだよ。その一歩だよ、あれは」

 けたたましい笑い声が続いた。理解が追い付かなかったが、彼は畳みかけた。

「僕も大賛成なんだ。来いよ、桜刃組にさ。邪魔者は全部取っ払ってやるからさ」

 なあ、と彼がしつこく繰り返すから、無理矢理会話をした。

「何故僕なんだ」

「お前、可哀想だもん。信濃と針依に人生無茶苦茶にされてさ」

「……桜刃組に入るだなんて今以上に無茶苦茶だろ」

「言うじゃん。まあ、言うか。じゃあ、入らなくていいや。入る振りだけしろよ。桜刃組を利用して煤谷村から脱出しろよ」

「はあ?」

 彼は腕を組んだ。

「桜刃組は許すぞ。それどころか狂喜乱舞するかもな。組長の在と若頭の猪沢のツートップは狂ってるからな。ヤクザなんぞ、全ての道が断たれた奴がやるものだと思ってやがる。喜んでお前を逃してくれるぞ。何なら他の職を用意してくれる。キャバクラのボーイとかな」

 急展開する話と暑さで眩暈がしてきた。彼はマイペースに話し続ける。

「何故そこまでしてくれるんだって思うだろ。まあ、可哀想だからなんだけどさ。僕に似てるんだよな。桜刃組の前の組長の淳さんに出会う前の僕にさ。僕は淳さんに出会わなきゃ自分自身の人生を歩めなかったからな」

 そこから彼は自分の人生を長々と語り出した。


 一ノ宮時也という男は、物心ついた時からずっとマンションの一室に閉じ込められて、家事と麻の栽培をやらされていた。

 父親は桜刃組と敵対していた組のヤクザだった。

 母は物心つく前には死んでいた。

 彼の精通が始まった頃に継母ができた。しかし、彼女は麻薬中毒者の上に色情魔だった。彼に手を出して、挙句に出産した。

 生まれた子は女だった。継母は彼の父との子だと言い張っていたが、父は気付いていた。しかし、何も言わなかった。ただ、生まれた忌み子を愛そうとはしなかった。それは継母も同じだった。

 結局、彼一人が己の娘を世話することになった。

 泣き喚く赤子と、その隣で平然と薬物接種と性交を行う両親。そんな狂った日常が永遠に続くと彼は信じて疑わなかった。

 しかし、十五歳の時、組長になる前の薬師神子淳が他の構成員と共に彼の自宅を襲った。

 まず継母が銃殺された。

 父は刀を振り回して応戦した。

 彼は娘と共に麻を栽培していた部屋に逃げ込んだ。

 麻に隠れるように隅で娘を抱きながら震えていると、淳だけがやってきた。

 淳は彼の頭を撫でて銃を渡した。使い方を教えて、そして甘く囁いた。

 ――気に入った。君が父を殺せたら、連れて行ってあげよう。

 彼は淳の言うことを聞かなければ己が死ぬと思い込んだ。

 淳に連れられて父のもとへ行った。

 父は構成員に両足を打たれて、地面を這いつくばっていた。構成員達は淳の指示のもと、家を出た。

 淳が父の頭を指さした。彼はその通りに撃った。しかし、狙いはそれて右耳を掠めただけだった。

 父は泣き叫んだ。獣のように、或いは赤子のように、父親の威厳を全て打ち捨てて、みっともなく命乞いをした。

 彼は、悦楽を得た。心の奥から湧き上がるサディズムと爽快感に従って、わざとゆっくりと急所以外を狙って撃ち抜いた。

 父が涙も声も枯れた頃、銃弾は残り一発になった。その頃には彼は銃に慣れていた。見事に眉間を撃ち抜いて、父を絶命させた。

 確実に死んだかどうかは当時の彼には分からず、父の亡骸を何度も蹴り付けた。全く反応が返って来ないことに満足した彼は思った。

 ――今から自分自身の本当のスタートだ。

 彼は娘と共に意気揚々と淳についていった。

 淳は同じサディストとして彼をますます気に入った。淳が二代目組長になったからは、彼は破格の扱いを受けた。


「二代目の時代は楽しかった。淳さんの命令に従ってたけどさ、どれもこれも僕にとっては遊びだった。毎日楽しくて嬉しくて笑ってたよ」

 そして、彼は懐かしむことを止めて、僕に問いかけた。

「お前と似てるだろ? 羨ましいだろ?」

 僕は恐怖から言葉が出てこなかったが、何とか首を横に振った。彼は僕の顔を両手で固定した。

「本音を言えよ」

 否定したかったが、狂人相手に言える筈が無かった。代わりに必死に話を逸らした。

「む、娘はどうなったんだ」

「お! 流石ミサンドリーのプレイボーイ。そんなつまらないことが気になるのか」

 吐き気がしてきた。彼は僕の頭を前後に揺さぶってから言葉を続けた。

「僕はさあ、淳さんが大好きだった。僕が女だったらセックスしたいなあって思うくらいにさ。僕も淳さんもゲイやバイじゃないから、まあ自分の体ではしたくなかった。だから、娘にやってもらった。初潮が来たらすぐに。そしたら、壊れて死んだ」

 ――意図的に当時の自分と今の自分を切り離す。当時と違う視点で物事を整理する。替はその時に生まれたのだろう。

 しかし、彼は替のことは一切言わなかった。

「あいつはお前の二つ上だったぞ。ガキだったからよく分からなかったけど、そこそこ美人に育ったんじゃないかな。両親ともに悪くない顔だからな。残念だなあ。生きてたらやらせてやったのに」

 当時の僕の精神は限界を迎えた。彼はそれに気付いたらしく、僕を激しく揺さぶった。

「何だあ。疲れたか。早いな。お前、鬱病だもんな。仕方ないよな。帰してやるよ」

 彼は僕の脇の下に腕を入れて体を支えながら、車に連れて行った。彼は僕を助手席に放り込み、シートベルトをつけながら耳元に唇を寄せた。

「すぐ決めろって話じゃないからさ。覚えておくだけでいいよ。今は」

 それが僕への最後の言葉だった。

 その後、彼は一切口を開かずに裏鍛鍛冶屋まで運転した。ぼろぼろの僕を物のように仁子に放り渡した。

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