第27話 桜刃組との別れ

 急いで飛び出して一階に向かった。一階まであと数段という所で階段に向かってきた父と出くわした。

 父はむくれていて、僕の腕を掴もうとしてきた。僕はなんとなしに避けた。自分でも不自然さを覚え、誤魔化すように言葉を並べた。

「ごめん。少し調子悪くって……もう玄関にいるの?」

 父が苛立ちを隠しもしない声で肯定した。僕は気まずさのあまり逃げるように走り出した。

 玄関の手前の廊下で亜久里が在達を引き留めていた。三人共手ぶらだった。

「替は……?」

 思わず出た問いに、奏が答えた。

「二人共もう車に載せました。後は帰るだけです」

 突き放すような言い方にたじろぐと、後ろから父に背中を叩かれた。

「いや、すみませんね。大和が手伝えなくて」

 在が父から僕へと目線を移動させた。眉が下がっており、何処となく申し訳なさそうだった。ゆっくりと口が開いた。

 何を言おうとしてるかは分かった。だから、先手を打つことにした。

「今日のことは……替のことは忘れない」

 在は瞬いた。唇を結び、一旦目を伏せた。

 替も話す時はこんな感じだったのだろうか。眼前の在から替の生前の姿を想像する。

 腰まで伸びた黒髪を紺色のリボンの飾りがついたクリップで纏め上げ、銀のシンプルなネックレスを下げている。紺色の小洒落たワンピースを着て、革の編み込みのサンダルを履いている。後ろ手に持った籠バックを揺らし、左足と右足をゆったりとしたリズムで組み替えながら、言葉を探している。

 そんな事も奇跡が起きてあり得たかもしれない。――僕の生贄にならなければ。

 在が如何にも男性的な低い声で妄想を断ち切った。

「安藤巳幸とはまだ連絡をとっているの?」

 予想外の人名に困惑した。毎年、律儀に新年の挨拶のメールだけは来る。もっとも、僕は返信していないが。

「一応は」

 在は下げていた眉を戻した。すっと表情が無くなった。

「彼に相談して。きっと貴方の力になってくれるだろうから」

 僕と在の間にあった温もり――慈愛の余韻がその言葉で消えた。代わりに、寂寥が押し寄せて、無意識に右手を在の方に差し出していた。

 空気が堅くなった。大抵の人は不思議そうにしていた。奏は敵意を剥き出しにして睨みつけてきた。僕自身は戸惑っていた。

 在は誰よりも柔軟で、僕の方に歩み寄ると両手で僕の手を包んだ。

 じんわりと在の温もりが体の奥へと染み渡っていく。

 在の手は男らしく、大きく骨ばって硬かった。しかし、僕はもうこの手を嫌いにはなれなかった。それどころか、安心の象徴にさえ思うのだった。

 手から顔へと視線を移せば、替と瓜二つの美貌があった。その肌の白さが、双眸の静かな輝きが替の死を引き立てた。次第に体の芯から冷え始めた。在はそれを察したかのように口を開いた。

「では」

 あっさりとした二音の響きと共に、手が放された。そのまま、在は軽く礼をして身を引き、簡素な別れの言葉を告げた。

 他の二人も彼に続いた。

 父が少しでも引き留めようとしたが、彼等は躊躇することなく外へ出た。父が彼らを追いかけたので、僕もそうした。

 奈央子が如何にも女らしい曖昧な言葉で僕達親子と心理的な距離を築いた。僕達はその距離を埋めようと、少しでも立ち止まらせようと言葉を重ねた。

 しかし、三人の足を止めたのは、今の状況とは無関係で不躾な来訪者だった。

 門の前で眞上が仁王立ちしていた。

 無論、玄関を出た時点で僕らは気付いていた。同時に、思い違いをしていた。

 先頭を行っていた奏が門を開くが、眞上は退く気配がない。走って来たのか、犬のように荒く湿っぽい息を繰り返していた。

 奏が眞上を見上げる。僕からは後頭部しか見えなかったが、排他的な表情を浮かべているのは想像に難くなかった。

「桜刃組の用は終わりました。どうぞ鹿村さんとお話下さい」

 いや、と眞上は奏を見ずに答えた。門の仄かな明かりにぎらついた瞳は意外なことに在に向けられていた。

「お初お目にかかります。眞上誠也です。桜刃組組長、薬師神子在様。刀匠、裏鍛直正の弟子としてお願いしたいことがあります」

 震えながらもやけに耳に刺さる声と対照的に在は柔らかく答えた。

「すぐに済むことであれば、どうぞ」

「貴方の剣鉈を――私の師匠の最高峰を見せていただきたい」

「そう。車から持ってきましょう」

 眞上が目を丸くした。奏が彼に押しのけるように門を開けると、彼は隅に寄った。

 在は早足で門の横に止めてあった黒のハイエースに近付いた。バッグドアを僅かに開くと、左腕だけ差し込んですぐに剣鉈を取り出した。そして、躊躇なく眞上に手渡した。

 剣鉈は、三十センチ程はあろう刃を革の鞘に隠していた。

 眞上が狂喜の声を漏らしながら鞘から出そうとした時、在は話しかけた。

「暗い所で見てもよく分からないでしょう。いずれ此方から取りに行くから、それまで預かっていて」

 眞上と父がほぼ同時に素っ頓狂な声を上げた。奏が大袈裟な溜息で打ち消した。

「まだスペアがありますから、何ら支障はありませんよね?」

 在が短く肯定する。僕は「スペア」という言葉に嫌な心地がした。眞上が更に不愉快にしていく。

「これは、スペア……あまり使われていないものですか」

「今一番よく使っているものよ」

 在の元々ゆっくりだった低い声は更に高度と速度を落としていった。反対に眞上の声は高く、速くなっていく。

「それは、この剣鉈も人の血を吸っているということですか」

「……ええ」

「どれ程ですか」

「……多くはない」

「では、人を殺していますか」

「貴方には答えられない」

 眞上は倒れるような勢いで土下座した。剣鉈はしっかりと腹に包まれていた。

「お願いします。教えてください」

「……直正さんの思想は聞いたことがある。彼に見てもらえば分かるんじゃないかしら」

「どうしてそう隠されるのですか。今更でしょう」

「貴方には関係のない事情があるの」

「私は見なければならないんです。師の技を継ぎ、貴方達の役に立つ為に」

 在が何かを言いかけたが、眞上は言葉を重ねた。

「道具は求められた役割を果たして完成する! 貴方の剣鉈は人を殺してこそ漸く完成するんです!」

 じゃあ、人間はどうなんだろう。――眞上の腹に抱えられた剣鉈と、替を重ねて見てしまった。僕の非道な考えを射抜くかのように在の低い声が響いた。

「違う。僕の代ではそうじゃない」

 眞上は首を横に振り回した後、在の左足に手を伸ばした。奏が右足を上げ、彼の頭へと下ろしかけた。在が奏の前に腕を突き出す。

 奏は標的まであと数センチ程に達していた足を渋々と戻した。代わりに口が出た。

「此方は貴方のような狂人に付き合っている暇などありません。さっさと退いてください」

 眞上は顔を上げ、奏を見た。どんな恐ろしい表情だったのか、眞上はひゅっと喉を鳴らした。跳ねるように立ち上がると、深く礼をした。剣鉈には彼の両腕がしっかりと絡みついていた。

「後日、お待ちしております」

 震える声で言い終えるや否や、踵を返して猛然と走り出した。

 僕と父と奈央子は呆気にとられた。一方、奏と在はすぐに動き出した。

 奏はハイエースの前に止められていた一ノ宮の車に乗り込んだ。在はハイエースに乗り込んだ。二つの扉がほぼ同時に閉まる音を聞いて、奈央子ははっとした。

 彼女は僕達に向かって深々と礼をしてから、ハイエースの助手席に乗り込んだ。

 僕達親子は突然の非日常の終わりに頭がついて行かず、車の音が聞こえなくなるまで駐車されていた場所を眺め続けた。

 父の頭の方が早く動き、ぼんやりとしたままの僕の腕を掴んで家の中へと帰った。

 僕自身が漸くはっきりしたのは、自室で一人になってからだった。

 いつもの習慣でフルニトラゼパムを手に出した。口まで持っていて気付いた。今夜はこの青い錠剤で深い眠りに落ちる訳にはいかなかった。

 水だけを飲んで布団の中に潜り込んだ。またノイズに惑わされない為に正座をして布団を巻き込んで密閉した。

 そうして、僕は三年前の夏の終わりの記憶にやっと向き合うのだった。

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