第26話 白雪姫が僕の前に現れた理由
「山羊ですよね、この子。可愛いですね」
奈央子の声だった。どうやらぬいぐるみの話をしているようだった。和やかな雰囲気なんだろう。そうかと思ったら、在の深刻そうな声が続いた。
「山羊なの……?」
「山羊ですよ。角が無いから子ヤギちゃんですかねえ。牧場で買ったのでしょうか」
奈央子は女らしい朗らかさで返事をした。空気をあえて読まない所に優しさを感じた。
しかし、奏がそれをぶち壊す。
「山羊と言えば、スケープゴートですね。生贄ってことでしょうか」
在が「生贄」と繰り返した。
奈央子が声を張り上げた。
「何ですか、二人とも。手作りのこんな可愛いお洋服まで着せてもらって愛されてるのに、不穏な意味がある訳ないじゃないですか」
「意味が無い訳無いじゃないですか。あの一ノ宮さんですよ。面倒な性格の彼のことです。愛されていようといまいと、死に際に替さんに山羊を持ってこさせたことには絶対何か意味がある筈です」
奏の不躾な発言を在が肯定する。
「僕もそうだと思う。でも、まだ一ノ宮達の死の意味が分からないの」
奈央子ちゃんが不思議そうな声をあげた。
「遺言書に書いてあった通りのことじゃないんですか」
「大きな理由はそうだと思う。でも、他にも理由がある筈よ。奏もそう思うんでしょう?」
そうですね、と奏が相槌を打った。
「信濃さんが言うには、村の方々はどうやら一ノ宮さんの車は気付かなかったようです。轍を辿ってみましたが、どうやら村を通らないルートから来たようです。村から行くよりもかなり無茶な道だそうで」
今日午前三時のドライブを思い出す。かなりの悪路だったが、スピードが出せただけマシだったのだろうか。
それに、と奏が言葉を続けた。
「死に方もやはり気になります。湖まで来たのなら、入水が普通でしょう」
在が相槌を打って話を続けた。
「僕と最期の寸前まで話したかったみたいだから、それで練炭を使ったんでしょう」
「貴方と死に際寸前まで話したいだけなら、銃を使う方が確実で容易い筈ですね」
「内容的にも僕との話はそこまで重要なものではなかった」
奈央子が一ノ宮との会話の内容を恐る恐る尋ねた。在は平坦答えた。
「そもそも会話が成立しなかった。僕の言葉は無視して、全て一方的だった。まず、遺言書とほぼ同じ内容を話した。次に、場所の位置を説明してくれた。その後は話せなくなるまで同じ言葉の繰り返し。『淳さんの時代は終わった』。それだけよ」
奈央子が悲痛そうな声を上げたのに対して、奏はほうと関心を示して、声を弾ませた。
「一酸化炭素中毒での自殺は死体がそれ程醜くならない、という説があります。現に二人とも色は異様ですが、苦しんだような後はありません。穏やかにすら見えます。一ノ宮さんとしては、この煤谷村の誰かに自分とお孫さんの綺麗な屍を見せたかったことになりませんか。二人の死は誰かに対する生贄だということを言いたかったのではありませんか」
奈央子は狼狽えたが、在ははっきりと肯定した。奏は生き生きと話し続けた。
「信濃さんに一ノ宮さんとの仲を聞きましたが、一緒に桜刃組にいた時期からそれ程の仲では無いそうです。少なくとも、信濃さんは一ノ宮さんをずっとよくは思ってなかったようですし、避けてすらいたそうです」
ええ、と在が補足を始めた。
「父の時代では真面に接していない筈よ。僕の時代になってからも、この村については殆ど猪沢に任せているし」
「ならば、裏鍛家の誰かでしょうか。初代の――薬師神子さんのお祖父さんの頃からの付き合いでしょう。裏鍛家のつくった刀で桜刃組は戦ってきた訳でしょう」
在が溜息を吐いた。
「二代目の――父の時代の初めまでね。後は銃よ。数的にも銃弾での殺害の方が多い」
「貴方の剣鉈と猪沢さんの刀があるじゃないですか。それに、二代目の頃でも初代の影響を受けている人は刀を使っていたのでは?」
「使い続けた人は殆どいなかった。銃の方が楽でしょう。精神的に。それに、父が刀よりも銃を奨励していたこともあって少ないの。猪沢は父の時代のかなり初期から殺しとは無縁の役割を与えられた。僕が組長になってからすぐは、まあ使わざるを得ない状況だったけど、その時ぐらいしか使ってないの」
在は二度目の溜息を吐いてから、言葉を続けた。
「僕の剣鉈は父の時代にかなり使ったし、象徴的なものにもなってしまった」
では、と奏が口を挟むも、在は口を止めなかった。
「一ノ宮は一切、裏鍛家のものを使ってない。裏鍛家自体に拘りは無いと見て良い」
そうですね、と奈央子が応戦した。
「私から見ても一ノ宮さんは思い入れが無いようでした。…………でも、安藤さんがこの村に一度行った後には興味を持っていたことが……」
ありましたね、と消え入りそうになりながら続いた。彼女が考え付いたことが瞬間的に分かった。
――生贄は僕、鹿村大和に向けたものだ。
「……止めましょう。此処で話すことでは無かった」
続いた在の声で心臓が跳ねた。僕は駆け出した。階段を上がり、自室に転がり込んだ。
奈央子の憶測を忘れようと、別のことを考えようと本を手に取った。読める精神状態ではなかったから、すぐに放り出した。
息が苦しい。過呼吸になりかけていると分かったが、部屋の空気が悪いと自分に言い聞かせる。カーテンと窓を開く。
――ザアザアザアザア。
生暖かく激しい風と共に、家を囲む柊が、煤谷村の木々が揺れる音が入り込んだ。
――ザアザアザアザア。
そのノイズの中、記憶は揺らめきながらも蘇る。
真っ赤な彼岸花の群生。残暑の昼の白い陽光。雲一つない水色一色の空。
それらに不似合いな中央の男。青々とした雑草を惜しげも無く踏み敷いている黒い革靴は几帳面に磨かれて光っていた。こちらが汗を垂れ流す程に暑いのに、涼し気に着こなされた紺のスーツには白い線が何本も走っている。白いワイシャツに臙脂色のネクタイがしてあり、銀のネクタイピンが煩わしく反射している。紫がかった銀髪は普段はマンバンにしているのに、この日は下ろされていて微かな風に機敏に揺れている。
彼こそが、一ノ宮時也だった。
にやりと細められた目は僕を見据えている。大きな薄い唇が裂けんばかりに暴れ、二人きりの空の下に大きな声が轟く。
――ザアザアザアザア。
窓から入り込んでくるノイズが記憶を掻き消そうとする。
――ザアザアザアザア。
いや、何であれ、思い出さなければいけない。替の命が賭けられてしまったから。
――ザアザアザアザア。
思い出したくない。僕に見せる為に替が殺されただなんて受け入れられない。
――ザアザアザアザア。
そもそも、僕はあの時、真面に彼の言葉を聞いていなかった。
――ザアザアザアザア。
聞けなかったのだ。
――ザアザアザアザア。
ノイズが当時の僕の言い訳に変換されていく。
「今更桜刃組に関わりたくない」
「男の声なんか聞きたくない」
「鬱病の人間に選択を迫るな」
「ヤクザの男なんざ人殺しに決まっている。話したくはない」
「ヤクザの男なんざ正気な筈がない。話したくない」
「早く村に帰してほしい」
「暑い中、日向で喋るなんて無神経だ」
「だから男は嫌いだ」
「熱中症になりかけていて集中できない」
「気付きもしないのか。男だから馬鹿なんだな」
「男なんて嫌いだ」
「男の話なんざ聞く価値が無い」
煩い。煩い。煩い。煩い。煩い。煩い。煩い。煩い。煩い。煩い。煩い。煩い。
意識的に一度大きく呼吸をした。硝子の棺で眠る替を思い浮かべる。
――怖いの。
彼女の死を無駄にしてはならない。唇を噛み、痛みで逃げかけた正気を掴む。
ノイズから逃れようと窓を閉める。鍵とカーテンもきっちり閉じた。
なのに、聞こえるのだ。
――ザアザアザアザア。
――ザアザアザアザア。
――ザアザアザアザア。
――ザアザアザアザア。
――ザアザアザアザア。
――ザアザアザアザア。
――ザアザアザアザア。
――ザアザアザアザア。
――ザアザアザアザア。
ベッドに飛び込み、掛布団に包まった。正座をして、隙間一つ作らないように内側から布団を巻き込んだ。それから、耳を両手で抑え、歯を食いしばった。
そこまでして、漸く静寂を得た。
しかし、瞼の裏に浮かぶのは一ノ宮では無かった。眩むような暑さの中、咲き誇る多くの彼岸花だった。鮮血のような紅が脳を焼いていく。
自分を律しながら彼岸花の前に立つ一ノ宮にフォーカスしていく。
そのにやけ面を捉えた瞬間、父の声が響いた。
「大和! 見送るぞ!」
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