第23話 白雪姫の正体

 奈央子はまだぺたぺたと一ノ宮に触れていた。そして、震える声で在に尋ねた。

「……亡くなってしまったんですよね?」

 在が静かに肯くと、奈央子の口から鋭く息が零れた。一気に呼吸の速度が上がっていった。

 在が正座に座り直しながら、奈央子の背を擦った。顔もそちらを向いて僕からは表情が見えなくなった。

「……息を吐くことに集中して」

 奈央子が言われた通りに大袈裟に息を吐いた。吐き切ると吸い、また大袈裟に吐いた。それを四度程繰り返した。落ち着いていっているように見えたが、突然顔を覆った。

「ごめんなさい」

 在が首を僅かに横に振った。

「我慢しなくていいの」

「でも……」

「泣けるなら、泣いた方が良い」

「そ、んな……」

「きっとそれが悼むことになるから。君自身の為にも……泣けない僕らの為にも、堪えないで」

「……っはい」

 奈央子は倒れるように足を崩して一ノ宮の胸に覆いかぶさった。嗚咽が始まり、やがて叫びへと変わった。

 彼女の声は轟き、僕の体の奥まで揺さぶった。

 僕も話したことがあったがもうなるべく視界に入れたくない、村の近くで迷惑にも心中した男の屍。ただ、それだけのこととしか思えていなかったが、彼には僕の知らない長くて深い人生と奈央子に慕われる程の優しさがあったのだということに気付かされた。

 彼女の方を向いて背を擦る在で一ノ宮の顔がよく見えなかったので、一度立ち上がってその顔を確認した。

 変色した顔には穏やかで満足げな表情が固定されていた。

 今の状況とのアンバランスさに体の力が抜け、へたり込んだ。

 奈央子の声が段々と小さくなり、また嗚咽と呼べるものになってきた。漸く言葉が見つかったのか、彼女は嗚咽の合間に言葉を発した。

「どうして……どうして……心中なんかしてしまったんですか」

 その問いに在が彼女から手を放し、自身の膝の前にある一ノ宮の右手に向かって俯いた。在の前髪は鼻あたりまであり、そこから下のみから表情を察することができた。在は唇を一度きつく結んだ。

 一ノ宮が最期に話をしていたのは、おそらく在だった。そして、彼は必死に止めようとして、失敗したのだった。成功していれば、一ノ宮もそして二人から背を向けられている女も生きていられた。

 完全に部外者である僕には彼を責める権利は無かった。だが、無性に腹が立った。

 奈央子は在を見上げた。

「……私はどうすれば止められたんでしょうか」

 在が首を横に振った。

「君は寧ろ一ノ宮が此処まで生きていられた理由の一つ」

 在は膝の上で拳をつくり、低い声を更に低くした。

「一ノ宮が死を選んだのは、結局は八年前に亡くなった僕の父への献身よ」

「遺書の内容はそうでしたけど、でもっ」

「一ノ宮の父への――二代目組長への思いを僕はずっと知っていたの。どうあっても彼が好んでいた二代目の時代には戻らないことは何度も伝えたの。変わっていく桜刃組を一ノ宮は受け入れていると、僕が誤解していたの。だから、これは……」

 在はそこまで言って振り向いて初めて女の屍を見た。奈央子も僕もつられて見た。

「一ノ宮時也と一ノ宮替の死は僕の責任よ」

 初めて知った彼女の名前を反射的に繰り返した。僕の声で綴られたその名前は口腔で弾けた。

 衝動的に在の左肩を掴みかかった。

「お前が替を殺したのか!」

 在はすっと僕に顔を向けた。その目は見開かれており、二十八とは思えないあどけなさを見せていた。

「……貴方が会った時は、まだ生きていたの?」

 弱々しい問いに怒りが煽られた。見下ろされるのが嫌で、中腰になって両肩を掴んで頭ごなしに在を怒鳴りつけた。

「死んでた! 替はお前の妹か何かだろ! お前のせいで不自由な人生を送らされて、一ノ宮時也に殺されたんだろ! 僕は何も知らないが、それぐらいの検討はつく!」

 在は「そう」と呟いて、目を一瞬細めた。しかし、僕から逸らすことは無かった。彼は僕の右手を両手で包んだ。高めの体温と大きな手に戸惑うが、彼から目を逸らさないよう努めた。

「貴方のような優しい人が、彼女を見つけてくれて良かった」

 在の言葉の意味がとれないで返事ができないでいると、在は更に言葉を重ねた。

「一ノ宮は彼女の存在を隠していたの。だから、僕らも彼の遺書に書かれた通りにしか……」

 在はそこまで言って、口を噤んだ。

「何だ!」

「僕以外は、遺書に書かれた通りにしか知らない。僕は彼女と同じ役割を与えられていた人々を知っているから、より遺書の意味が分かるの」

「何がだ! はっきり言えよ!」

「彼女は『薬師神子在』のスペアよ」

 予想外の言葉に頭が真っ白になった。奈央子も涙を止めて見開いた目を在に向けた。

 在は一度目を伏せてから、また僕を見つめた。長い睫毛に縁どられた狐目は元々黒目がちであったが、僕により一層の注意を向けた今、瞳孔は大きく開かれて更に黒を深めていた。僕の手を掴む手も強張った。しかし、痛くは無く、寧ろ心地良ささえ感じられた。

 甘く低い声が部屋の空気を慎重に震わせる。

「一ノ宮時也の遺言書にはこう書いてあったの」

 在が語った内容は驚愕するものだった。ただ、在本人もまだ受け入れられていない上に後悔や混乱が強い為か、随分と分かり辛かった。在の立場だからこそ分かる事実も踏まえて語られた遺言書の内容は、既にそれを読んでいた奈央子にとっても新鮮味のあるものだったらしい。僕と彼女は驚きながらも質問を繰り返して、漸くある程度は理解できた。

 在によって補完された遺言書の内容は以下のようなことだった。


 一ノ宮替の母は一ノ宮時也の娘だった。父親は在と同じく、桜刃組の二代目組長だ。名前は薬師神子淳。

 この淳というのが狂人だった。

 淳は子沢山であったが、我が子を一切人間扱いしていなかった。在は彼の副次的な存在として育成された。実際、淳が桜刃組を治めていた頃、在は彼のサポートに徹した。

 在以外の――替を含めた――子は、殆ど在のスペアとして育成された。育成といっても、軟禁及び洗脳と言った方が良い状態だったそうだ。在も詳しくは知らないようだった。在が直接会ったスペア達は、在や淳を強く憎んでいるか、自ら死を望んでいるか、そのどちらかだった。

 在とスペア達は淳の副次的存在としての機能を求められた。成長するうちに機能は増えていき、大半のものは途中で基準を下回って殺された。醜悪なことに、淳の命令によって在自身が手をかけたケースもあった。

 十年前に、淳は在にスペアを全て処分したと告げた。理由は在がその時に到達した基準には誰も追いつけないと淳が判断した為だ。実際、その時から替が現れるまで他のスペアと会ったことは無かったそうだ。

 替はスペアの一つであったが、一ノ宮時也の血が流れているという事実が彼女をより複雑な環境に投げ込んだ。

 スペアが全員殺された時、淳と精神的な繋がりが誰よりも強かった一ノ宮時也が替を庇った。そして、在に知らされないまま、最後のスペアとして生き残った。

 しかし、八年前、淳が自殺した。後を追うように、淳の後を継ぐと指名されていた若頭の撫尾鏡哉も死を選んだ。他の構成員も、猪沢と一ノ宮時也以外は桜刃組を去った。

 在が三代目組長として桜刃組を存続させることになった。しかし、在は淳の副次的存在である為、淳の時代の桜刃組を存続させることはできなかった。桜刃組は全く別のものとなった。

 一ノ宮時也は文句を言いつつも、表面上はそれを受け入れていた。しかし、水面下では淳の時代の桜刃組を復興させようとしていた。

 彼は替が在に取って代われるように軟禁及び洗脳を続けた。いや、単純に続けたとは言い難い。正確に言うならば、一ノ宮時也と一ノ宮替で、薬師神子淳と薬師神子在を再現できるように準備していたらしい。

 だが、一ノ宮時也の密かな計画は今年の三月に打ち砕かれた。在が三ツ矢奏を自らスカウトして桜刃組に連れて来た。たったそれだけのことで、桜刃組が淳の時代に戻ることが決定的に不可能となってしまったと一ノ宮時也はみなした。

 そして、奏が桜刃組に完全に馴染んだと一ノ宮時也が認めたのが、五月三十日だった。現に、「奏が来て楽になったし、ここらで一週間程休みたい」と言った。そうして与えられた休暇中の六月一日、一ノ宮時也は自身と替の心中によって計画の完全破棄を行った。

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