第17話 裏鍛家の食卓

 大きく威圧的な飴色の一枚板の座卓に料理が所狭しと並べられていた。鰹のたたきに様々な野菜の天ぷら、蛸と胡瓜の酢の物等僕の好物も多かった。

 上座には既に刀太郎が胡坐をかいていて、日本酒をぐい呑みで飲んでいた。もう風呂に入ったらしく、こざっぱりとしていた。青の木綿の甚兵衛を着ていた。

 彼の隣では、彼の妻である基子がお酌をしていた。普段通りに上品な着物をしっかりと来ていて、七十代とは思えない程しゃんと背筋を伸ばして正座していた。

 僕らが入って来た襖とは反対側の下座の襖の近くでは仁子がせっせと人数分の茶碗に米を豪快によそっていた。仁子の丸く重たげな尻が向けられた襖が開いた。

 針依が入って来た。真っ白な割烹着をこれ見よがしに着て、ばっちりとメイクをしている。黒目を際立たせる模様入りの度入りのコンタクトを入れた瞳は柔らかく大きく見えるように工夫されており、瞼には珊瑚色のアイシャドウで塗られていた。夜会巻きにした髪には蜘蛛の巣をモチーフにした銀の飾りがつけられている。前に僕が――半ばシニカルに――似合っていると褒めたものだ。彼女自身が飽きるまでそれは続くのだろう。

 針依は持っていたビールジョッキ六本を静かに机に置くと僕へと向かってきた。体重が減った分、あの事件の時よりも足音は静かだが、迫力はあった。

 彼女が割烹着とその下の白のワンピースはためかせ、銀のハートがぶら下がったネックレスを揺らして、僕の前で跳ねるようにして止まった。その途端、鎌三郎が僕を押し出した。転びそうになったのを針依の細くて薄っぺらい体が支えた。

 振り返ると鎌三郎が自分の頭上で猿みたいに手を叩き出した。

「お姫様抱っこ! お姫様抱っこ! お姫様抱っこ!」

 アメリカ人の癖に空気を読むという無駄な機能を搭載したビリーも真似をした。

「お姫様抱っこォッ! お姫様抱っこォッ! お姫様抱っこォッ!」

 槌男が音頭に合わせて大きな手拍子をした。

「やれ! やれるもんならやれ! やってみろ!」

 窯次郎と針夫が困惑した互いの顔を一瞥し、小さく手拍子を合わせた。迷うくらいならやらないという利口な考えは持てないのだろうか。

 なんとなしに仁子を見ると、少女のように目を輝かせていた。上座を見ると、基子ははにかんで俯いていた。刀太郎は持っていたぐい飲みを座卓に置くと、目を眇めてみせた。

 針依は顔を真っ赤にしながらも、桃色の紅で彩った口を窄めて上目遣いで僕を物欲しげに見つめていた。

 此処では、僕の権利など無い。乞われるまま、針依の軽いだけの体を抱きかかえた。

 わあという歓声と共に拍手が轟く。

 タスクを早く終わらせたくて、針依を下ろそうとするも上手くいかなかった。彼女は両腕を僕の首に巻き付けて顔を引き寄せ、唇を重ね合わせた。挙句、僕の唇をこじ開けようと舌を差し込んでいた。その舌先が前歯に触れた途端、ぞぞげだった。それを隠す為に顔を離し、俯きながら針依を下ろした。真っ青になっているだろう顔を見られないように素早く両手で覆った。初心そうな声音をつくる。

「人前では止めてほしい」

 ヒューと指笛の音が鳴った。そんな真似をするのは鎌三郎しかいない。ビリーと槌男の失礼極まりないどよめきも聞こえた。

 針依はねっとりと気持ちの悪い声で僕に囁いた。

「そやね、二人きりの時にしよね」

 さあ皆さんと針依が声を張り上げる。

「精いっぱい腕をふるったんよ。どうぞ召し上がれ」

 わいわいとそれぞれが決まりきった場所に座り始めた。僕は上座の刀太郎の左隣、針夫の向かいだった。右隣りには針依だ。

 針依はビールジョッキを配り終えると、麦茶が入ったグラス二つを自分と僕の為に持ってきた。

 それを見て刀太郎が残念そうな声を上げた。

「婿殿も早く一緒に酒が飲めるようになると良いんやが」

「申し訳ございません。……楽しみにしております」

 決まり切った返事を口にすると、抗うつ剤を体が求めた。こんな体になったのは、刀太郎のせいも大きい。

 刀太郎はあの事件に警察を関わらせなかった。被害者に大金を渡し、針依の悪行に箝口令を出した。挙句の果て、僕が焔に会ったお蔭で活発になっていくや否や、針依の婿は僕だという認識を村に染み渡らせた。僕の選択肢は自室から出た途端に消え失せており、僕の将来は既に刀太郎によって施工されていた。

 不服ではない筈がない。それは刀太郎自身も分かっているだろうに、敢えて僕の気持ちを黙殺するように動いている。「婿殿」という厭らしい呼び方もその一つだ。

 左からは刀太郎に「裏鍛家の婿殿」の型に収まっているかどうか注視されている。左斜め前からは基子に、前からは針夫に、右斜め前からは仁子に刀太郎の意に沿っているか監査されている。

 そんな堅苦しい中で料理の味など分かる筈がない。

 なのに、傲慢で空気の読めない――女としてはあまりにも不出来な性格の針依は料理を褒めろとアピールしてくる。彼女の説明に沿って指定された料理を口に運び、彼女の苦労話を労い、彼女の自慢話を褒めてやった。

 腹六分目あたりで吐き気が込み上げ、腹いっぱいだと嘘を吐いて茶を啜ることにした。僕が食べなくなると、針依も食事を止め、僕に寄りかかってきた。整髪料の匂いが鼻について吐き気が酷くなった。

「針依、明日も大学だろう? 朝早くに出なきゃならないだろう。今日はもう早めに眠ったらどうだい。此処の片づけは僕が代わりにするよ」

 仁子と基子がとんでもないと声をあげた。針依も不機嫌そうに唸った。

「今夜は大和君の家に桜刃組が来るんでしょ。元気になって貰わないと困るの」

「僕は十分元気だよ」

「嘘吐かんといて。針依には分かるの」

 針依がむくれた面を向けた。僕がお前を愛していないのは何故分からないのか。分かられても困るが。

「夫を支えるのが妻の役目やろ?」

「妻を労わらせてはくれないのかい」

 自分の歯の浮く台詞に鳥肌が立った。隠す為に言葉を捻り出して並べ立てる。

「大丈夫なんだよ。本当に。僕は針依が木曜日だというのにわざわざ来てくれただけでも十分に元気になったんだ。それに、桜刃組の相手をするのは主に父だ。張り切ってるんだ、あの人。きっと僕は顔を合わせるだけだよ。何も心配することじゃない」

 でもと針依が耳障りな声を上げたのと同時に、僕が入って来た襖が乱暴に開けられた。ぞろぞろと三人の薄汚れた男達が入って来た。

 先頭は刀匠であり、刀太郎の弟である直正。次は直正の弟で弟子でもある玉雄。最後は眞上誠也。

 眞上は大阪生まれで、去年工芸大学を卒業した後に直正に弟子入りする為に単身でこの村にやってきた。いつも不機嫌そうに黙っていて、いざ口を開けば刺々しい言葉しか出してこない。直正という村の中で最も偏屈で無口な変わり者と、二番目に変わり者の玉雄と何故か気が合う変人だ。

 直正はどかりと一番下座の席に腰を下ろした。そのまま隣に玉雄も腰を下ろした。続いて眞上が腰を屈めると、玉雄が「ん」と言った。眞上は堂々と腰を下ろして、自分より上座にいる裏鍛家の人間を見渡した。

「風呂が沸いているそうです。食っちゃべってないで早く入って下さいよ」

 眞上は裏鍛家に下宿している身で、風呂は最後に入らないといけない。その事情は分かるのだが、居候の身分でよくもまあ此処まで偉そうに出来るものだ。

 裏鍛家の男共が一斉に刀太郎に目を向けた。刀太郎はあっさりと返事した。

「俺は既に入った」

 じゃあと誰ともなく口にして男共は立ち上がった。針依は平たい胸を僕の腕に擦り付けながら囁いた。

「部屋で待ってるわ」

 拒絶の言葉は胸の奥にしまい込んで曖昧に頷いて立ち上がった。槌男がやってきて僕の腕を引っ張った。

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