第16話 裏鍛家の男共
体が揺らされていることに気付いて、覚醒した。そして、気絶していたことに気付いた。
揺さぶっていた槌男は舌打ちをして僕を放し、また舌打ちをした。その双眸が僕の義眼に向いていることに気付いた。急いで前髪で隠した。すると、槌男はしゃがみ込んだまま唾を地面に吐き捨てた。
槌男が立ち上がると共に、僕も立ち上がった。槌男はくるりと背を向けた。
「はよう大人の男になれや」
そう言い残して槌男は鍛冶場の方へと駆けて行った。
一人取り残された僕は苛立ちを覚え、中身を存分に砂利に吐きだした缶コーヒーを蹴り付けた。
缶は自動販売機に当たり、ごみ箱の横に転がった。それを拾って捨てた。
深呼吸を繰り返して事務所に戻った。仁子の不安げな顔を見ると漸く落ち着いた。しかし、一人になりたくなったから、倉庫に行くことにした。
そこでネット通販で注文された分の商品の梱包をした。量は多くなかったが、馬鹿みたいに丁寧にやって時間を潰した。
定時を迎えて家に帰ろうと事務所に戻ると、仁子と窯次郎が笑みを貼り付けて僕を迎えた。
「針依がねえ、御馳走つくってくれたんやて」
「大和君も食べに来いや」
二人の提案をはねのける権利は僕には無かった。
裏鍛家の人間達に囲まれてすぐ隣の裏鍛宅に連れて行かれた。
居間へと向かう廊下で隣を歩いていた
鎌三郎は窯次郎の弟で針依の叔父にあたる。裏鍛冶鍛冶屋では鍛冶職人として働いている。自身の叔父である刀匠の直正に憧れており、いずれはその後を継ぎたいと四十六の今でも夢見ている。才能が無いらしく、直正からは距離を置かれている――もっとも直正は堅物の社会不適合者で殆どの者とは口をきかないが――にも関わらず、めげていない。その図々しさは他においても否応なく発揮されている。勿論、僕に対してもだ。
「大和君はあ、幸せな男やなあ! 針依ちゃんが花嫁修業の為にわざわざ栄養士の資格まで取るまでして尽くしてくれるなんてなあ!」
あまりにも見方が異なって吐き気がする。針依も裏鍛家も高校卒業後すぐさま結婚する勢いだったが、僕が必死に説得して家庭教師まで無償でしてやって京都の私立大学まで行かせたのだ。
だいたい僕が高校一年生の時に裏鍛
自慢のごつごつとした大型バイクを唸らせて僕達の横を通り抜けると、急に曲がって停止した。土埃を舞い上げながら通せんぼしたのだ。僕達が咽ていると、鎌三郎はフルフェイスヘルメットのバイザーを上げた後、両手でハートを象って、その合間から僕達を眺めた。
「いやあ、お似合いやなあ! 村一のベストカップルやあ!」
僕は返事に困っていたが、美恵子は恥ずかしそうに口を開いた。しかし、鎌三郎はお構いなしに喋り続けた。
「でも、まだ学生やからな、エッチの時はちゃんとゴムつけるんやで! 生は大人になるまでお預けや!」
僕と美恵子が絶句すると、鎌三郎はガハハハと下品に大笑いして、両手でサムズアップした。
「直正さんによろしく頼むでえ!」
鎌三郎は左目を完全に瞑るも右目も釣られて細くなる下手くそなウインクを見せて、勢いよくバイザーを下ろした。そして、ブオンブオンと轟音を響かせて走り去っていった。
僕達はまたも土埃に咽るはめになった。落ち着くと、二人で顔を見合わせて溜息を吐いた。
「よろしく頼むって今の悪行を言われたいのかよ……」
恵美子はんふふと笑った後、溜息を吐いた。
「だから、この村、嫌なんよね」
恵美子は鎌三郎が向かった先にある裏鍛家や裏鍛冶鍛冶屋の更に先にある山々を見据えながら、あーあと零した。
「早く大学生なりたいわあ。その後、絶対に東京の会社で働いたるんやから」
恵美子は僕を見つめて悪戯気に笑った。僕は彼女に合わせて抱いていた夢を語ってやった。
「僕も一緒にね」
無論、この夢は叶わなくなった。この一か月後に僕達は破局した。今や恵美子一人がその夢を叶えて東京で新しい家庭を築き上げている。大学の頃から彼女は理由をつけては村に帰ってくることを避けだした。しかし、子どもが生まれてからは流石に盆と年末年始には村に戻ってくるようになった。
鎌三郎は恵美子に対しても、僕に対しても各々の今の関係を冷やかしてくる。まるで過去を忘れているかのようだ。
男というものは無神経であるが、鎌三郎は特に酷い。しかも、しつこい。
僕が曖昧な返事を返すと、更に追撃してきた。
「針依ちゃん、小学校の頃はデブやったけど、大和君の為に痩せたやん。あれも熱いあっつい愛よなあ」
鎌三郎がぐりぐりと肩で肩を抉りにかかってくる。一歩離れたら、指でわき腹を突き始めた。うざったるい。
「針依の努力は認めますが、僕の為だけではなく自分の為でもあるんですよ。針依に失礼です」
自分で言いながら、納得した。針依は僕が気に入るであろう女性像を勝手につくり、それに向かって努力したに過ぎない。今の体型だって本当は僕好みではない。
だいたい、針依は肥満児で、そのままであれば生活習慣病になっていただろう。
僕が自室から出て、三年ぶりに針依を見て驚いた。
中学二年生になっていた針依はすっかり痩せていてスレンダーと呼べる体型になっていた。背は勿論伸びていたし、胸もAカップにまで成長していたし、腰まである長い三つ編みを垂らして、視力が落ちて生真面目そうな黒縁眼鏡を掛けていた。僕と対面してすぐは驚きのあまり声も出せずにただ紅潮していた。
僕は落ち着いた少女になったと誤解した。
三年前の晴海と米子と僕に対する暴力やそれを金の力と村ぐるみでなあなあにした事に対する怒りは勿論あった。しかし、三年という歳月は怒りをかなり小さくさせてしまっていて、目の前の驚きの方が勝った。
それまで父か亜久里経由で針依が押し付けて来た手紙やら手作りのお菓子やらを捨てて来たことに対して罪悪感まで湧いた。
あと、落ち着いたとはいえ、また暴れられては嫌だなという安全弁も働いてしまった。
結果として、僕は針依を褒めた。女を褒めるのは僕のコミュニケーションの方法としては様子見の初手だった。しかし、針依は必要以上に重く受け止めて、舞い上がった。
それから針依は僕に従順になり、体型をキープし続けている。
鎌三郎はそういう事情を慮ることを一切せずに囃し立てた。
「よっ! 色男!」
大きな声に目の前を歩いていたビリーが筋肉隆々の暑苦しい体を僕に向けて立ち止った。
ビリーは針依の叔父だ。針夫の妹で窯次郎と鎌三郎の姉である
ブロンドの角刈りが似合わない角ばった顔についた小さな青い目が爛々と僕を見つめる。そして、割れた顎を際立たせるように喋り出した。
「ヤマト、今日は男の頑張り時ヤヨッ! 結婚も間近なんダカラア、シッカリと針依チャンを満足させてやらなアキマセーンッ!」
いつまで経っても下手くそな発音に苛立つが、愛想笑いで隠した。
ビリーは右の親指と人さし指でケツ顎を持ち上げ、唸りながら僕の頭から足先まで舐め回すように見た。
「ヤマトはお姫様抱っこできるカア? 女性の憧れヨオ。今日はやってあげなサアイ」
ビリーの隣にいた槌男が彼の膝を軽く蹴った。
「モヤシにゃ無茶言うたんなや」
ビリーの前にいた窯次郎が反応する。
「今の針依ちゃん相手には流石にできるやろ。大和君は案外鍛えとるしな」
ビリーがまた僕を査定して、肩を竦めた。唇をへの字に曲げて斜め上に視線をやって首を横に振った後、僕に注目した。
「そうは見えまセンッ」
「ビリーから見たらそう見えるかもしれんけど」
困惑する窯次郎の声を掻き消すように鎌三郎が意気揚々と提案し出した。
「実際やったら分かるやろ! やろやろ!」
鎌三郎はぐいぐいと僕の背中を押した。ビリーと槌男と窯次郎が急ぎ足になる。彼らの先を行っていた針夫も何やと繰り返しながら速度を上げた。
半ば突っ込むようにして全員で居間に入った。
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