第15話 寿観18年の惨劇(4)

 葬式を仕切っていたのは裏鍛家だった。米子の遺族として彼女の姪の家族が村外から来ていたが、最前列の左端に座っているだけだった。

 晴海の姿を探したが、勿論いなかった。

 大きく掛けられた遺影は見たことのある写真だった。晴海と一郎の結婚式の時に家族三人で撮った写真だ。リビングにあるテレビの右隣に置いてあった苺が彫られた木のフォトフレームに飾られていたものだった。三人がかしこまりながらも笑みを零していて、三人共この先の幸福を信じて疑っていないようだった。

 遺影とされたそれは晴海も一郎も排除し、米子だけが場に不釣り合いな表情を浮かべていた。

 その下に置かれた棺はぴったりと閉じられており、中の様子を想像し難かった。

 会場の何処かから噂話がひそひそと湧いていた。

「随分と惨いことになってたんやって」

「かろうじて顔が分かるぐらいやったんやろ?」

「首吊りってそんな惨いことなるんか」

「庭の木でやりよったから余計やで」

「何かに食われとったんやろ」

「熊やなきゃいいんやけど」

「はあ、嫌や嫌や」

「誰も見取らんのよ」

「鷹とかと違うの」

「仁子ちゃんが見つけたんやろ。可哀想やね」

「トラウマもんやろ」

「でも、まあ、針依ちゃんがね……」

「あんな子とは思わんかったわ」

「人見知りで大人しい子やったのにね」

「良い子やったのにね」

「葬式も通夜も来とらんね」

「刀太郎さんが来させへんやろ」

「凄い怒りようらしいね」

「当然や」

「座敷牢に入れとるんやろ」

「何も女の子にそこまでせんでええのに」

「殺した訳とちゃうもんな」

 焼香が始まると蔭口のさざ波は一旦収まった。刀太郎がまず焼香し、次に米子の姪の家族、裏鍛家の人間と続いた。

 針夫が立ち上がると、またひそひそ話が始まった。

 針夫は右腕を吊っており、その顔は痣だらけだった。足にも怪我があるのか、ギイギイと音でも鳴りそうな歩き方だった。

「針夫さんやったんも針依ちゃんか」

「……信濃さんや」

「……あの人、怒ると怖いもんな」

「腐っても元ヤクザやわ……」

 隣に座る父にも聞こえているだろうとその顔を横目で見ると、目が合った。父も横目で僕を見つめていたらしい。眉が下がり、心配そうな顔をしていた。無性に腹が立った。しかし、次に聞こえてきた言葉でその怒りが吹き飛んだ。

「大和君も大和君やわ」

「何も不倫せんでもええやん」

「不倫かあ?」

「悪いのは晴海やろ」

「暴れまわったんやろ」

「びくびく媚びてきとったのに本性見せたな」

「うちは最初からあの女嫌やったわ」

「京都の女は気取るから嫌やわ」

「男受けだけ良いタイプよな」

「仲いい女友達おらんかったしな」

「そういや米子さん以外の女と喋ってるとこそんな見たこと無いわ」

「村におること自体嫌やったわ」

「煤谷村にゃ合わんね」

「しょうみ遺産狙いの結婚やったよな」

「優しい米子さんと一郎君にようもまあつけ込みよって」

「一郎とはスナックで出会ったんやっけ」

「スナックの女とはまた違う気いするな」

「ソープと違うん?」

「下品な女や」

「大和君も色仕掛けやろ」

「うちの旦那もあの巨乳に惑わされかけとったわ」

「うちのもや」

「男はやらしいからな」

「男やったら見てまうんよ、あれは」

「それを分かって武器にするとこがなあ」

「米子さん人がいいから騙されはって」

「脅されてたんとちゃう」

「男数人がかりで漸く抑える込める狂人やもんな」

「まだ診療所におるんか」

「村にはもうおらん」

「今朝、お医者が男集めて無理矢理縛ってどっかやった」

「怖かったでえ」

「べっぴんさんが台無しや」

「腕噛まれたわ」

「俺なんぞ顔引っ掛かれたぞ」

「蚯蚓腫れが痛くてしゃあない」

「俺は金的蹴られた」

「ご褒美やないか」

「変態」

「俺は乳触ってもうた。柔らかかったぞお」

「俺は尻や」

「きっしょ」

「触らんとやってられんで、あんなん」

「今頃は精神病棟か」

「入院できるんか、あれは」

「治るんか」

「薬漬けにされて終わりやろ」

「なら安心やな」

「はよ死んだらええねん」

 声が聞こえる度に、声の主の顔が醜く思い浮かんだ。心臓が凍っていき、呼吸するのが難しくなっていった。なのに、聴覚だけは研ぎ澄まされていき、どんなに小さな罵倒も聞き漏らすことはなかった。段々と罵倒は激しさを増し、顰められた声は高速でいきかい、ザアザアザアザアザアザアと耳朶を舐め回した。

 僕の列が焼香を始めて立ち上がると、前の五列がよく見渡せた。男共は――普段は男らしさというつまらないものを誇りにして胸を張って威圧してくる男共は、一様に女達と同じように身を縮こまらせていた。

 切り取られた米子が花々に囲まれながら彼らに向かって笑っていた。

 異様な光景に目が眩んだ。

 次に気付いたら自室の天井が見えた。

 夕陽によって橙色に染まったそこには僕以外は誰もいなかった。状況を頭の中で整理しながら喪服のネクタイを解いていると、夕陽さえも煩わしくなった。

 カーテンを閉めようと窓に近付くと、裏鍛家等の家々が見えた。無論、見たくは無かったからすぐにカーテンを閉めた。

 同時に、あの窓の外へは行きたくないという強い欲求に支配された。

 結果として、僕はその日から三ツ矢焔と出会うまでの間、基本的に日中は自室に籠り、通院する以外は夜中に家の中だけで動く生活が続いた。

 あの期間、夜中に父と出くわすことが度々会った。父は何も言わなかった。針依が父か亜久里経由で渡してきた手作りの菓子を捨てている所を見ても何も言わなかった。

 ただ、縋るように僕を見て静かに近づき、無言で僕をぎゅうと抱きしめるのだった。

 時折父は涙を溢した。何の気力も湧かない僕は父の感情をただ反映するだけの物体と成り、同じく涙を溢した。

 気持ちの悪いやり取りだった。

 父はけして僕を励まさなかった。鬱病と診断される前から一切僕の状況を批判しなかった。ただ受け止め、寄り添い続けた。


 揺さぶる事さえしなかった。

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