第14話 寿観18年の惨劇(3)

 僕は村の診療所のベッドで覚醒した。

 状況が分からず戸惑い、おーいと声をあげてみた。すると、看護師が駆けてきた。

「ああ、大和君。良かった。すぐに連絡するから待っててね」

 看護師はそう言って簡単に僕を点検すると、医者を呼んだ。

 還暦を迎えたばかりの医者と話しているうちに、漸く自分の左目が無いことに気付かされた。義眼の話をされたが、頭に入って来なかった。

「晴海と米子さんはどうなったんですか?」

 大きな疑問をぶつけると、医者は言い淀んだ。男の癖にはっきりと言えないのかと苛立った。きつい言い方で追求していたら、刀太郎が黒の紋付袴姿でやってきた。

 医者が自分の座っていた椅子を譲ると、刀太郎は腰を落として、開いた両膝を掴んで頭を下げた。整髪料で撫でつけられた白髪が数本重力に従って乱れた。

「大和君、すまんかった。君の将来は裏鍛家が保証する」

 村で一番偉い男は下手に出てもなお、傲慢に見えた。医者以上にきつい言い方で晴海と米子の安否を問いただした。医者は隣の誰もいないベッドに腰かけて青い顔で黙りこくっていた。

 刀太郎は鷲に似た脂肪が無い顔を上げ、一度口をへの字に結んだ。

「まず、米子さんのことや。今朝、自殺しとったんが見つかった」

 言葉を失った。刀太郎は精悍な眼差しを逸らさずに言葉を続けた。

「今夜、裏鍛家で通夜を行う。米子さんは君をいたく心配しとった。遺書には君と晴海ちゃんに対しての謝罪が書かれとった」

 「晴海」という単語に僕の神経が反応した。反射的に彼女の名前を呟いた。

 刀太郎は僅かに俯いてから、震えながら僕を見た。震えが治まると先程と同じきっぱりとした口調で話し出した。

「晴海ちゃんは、発狂した」

 ぐらりと視界が揺れた。刀太郎は僕の様子を気に留めていないかのように滔々と話を続けた。

「二日前、君が左目を失って気絶した後、彼女は急に人が変わったかのように怒り出したらしいわ。市橋家を偶然訪ねたうちの妻がその声を聞いとった。信じられん程大きな声で、針依への殺意を叫んどったらしいわ。それで、妻はうちの男らと市橋家に押し入ったんや。米子さんは茫然と失禁して座り込んで、晴海ちゃんは針依に馬乗りになって首を絞めとったらしいわ。男らが晴海ちゃんをどうにか抑え込んで、一番重傷の君を運ぼうとしたらしいんやが、晴海ちゃんがまたえらい暴れ出したらしいわ。皆敵やと思っていたんやろうな。妻が何とか説得して晴海ちゃんと一緒に君をこの診療所に連れて行った。今朝までは君の隣で何とか入院しとった。……かなり攻撃的で人相も変わってたんやが。それで、今朝、晴海ちゃんに米子さんのことを伝えたら……」

 刀太郎はぐっと歯を噛み締めて俯いた。すまんと微かな声が続いた。

 医者が咳払いし、淡々と言葉を続けた。

「誰も彼をも攻撃するような状態でした。妄想が出ているような言動もしておりました。とても此処では手に負えない状況でしたので、閉鎖病棟のある病院へ移送しました。今後暫くはコミュニケーションできるとは思わない方が良いでしょう」

 二人の言葉を上手く理解することはできなかった。僕の知らない場所で普段通りの穏やかな晴海がいる気さえしていた。

 刀太郎が椅子からずり落ちるようにして床に伏せた。

「謝って済むことでは無いとは分かっとるが、謝らせてくれ」

 苦し気な言葉で漸くそれが土下座だと認識できた。

「晴海ちゃんにも、米子さんにも、大和君にも、裏鍛家が必ず償う」

 その声は部屋中に響いたが、僕には届かなかった。訳もなく不愉快でしかなかった。――本当の意味なんかこの時点で知らないでいた方が結果的には良かったのだが。

 返事を考えて土下座を眺めていると、父が入って来た。父は三人を見るなり、吠えた。

「息子と二人きりにしてください!」

 医者と刀太郎は驚き、頭を下げながら出ていった。

 父は二人の背中を睨みつけた後、僕をぎゅうと抱きしめた。荒い息が耳朶を撫で、激しい心音が体に響いた。

 硬い体と強い力が嫌だったが、振りほどく元気も無かった。

 反応をしない僕に対して父は何を思ったのか、啜り泣きを始めた。

 不思議なもので泣かれると、こちらも同調して涙が出た。父が落ち着くまで止まることは無かった。

 その後、家に帰った。二階の自室でぼんやりと横たわると、いつの間にか眠りに落ちていた。この身に降りかかった不幸を受け止めきれていないまま、翌朝、米子の葬式に出た。

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