第11話 槌男の説教

 昼休憩の後、隣の席の仁子に詰め寄られた。

「今夜、桜刃組が来るんやて? 早朝車動かしたんは気い付いてたけど、それも桜刃組関係なん?」

 嫌悪感が伝わらないよう人の好い笑みを浮かべてみせた。

「母から聞いたんですか」

「亜久里ちゃんは言わへんよ。信濃さんや。妙に浮足立ってるからな、針夫はりおが聞いたら答えはったわ。随分楽しみなんやねえ」

 針依の父であり、仁子の夫である針夫のいかにもナイーヴそうな細い顔が浮かんだ。同時にふつふつと肩を震わせるスーツ姿の父も浮かんだ。溜息が堪えきれなかった。仁子が丸々とした顔を突き出した。

「で、早朝のんと関係あるん? 随分荒い運転やったけど」

「……ちょっと桜刃組の方が言いづらいことをしまして」

「何よお。気になるやん。ほれ、ほれえ、お義母さんに話してみっ」

 仁子がふっくらとした薬指で僕の胸を数度突いた。大袈裟にくすぐったがってみると、臍やら腰やらも突かれた。そのまま遊びに移行させようとしたが、仁子は強めに追撃してきた。

「話してみーて」

「知らない方がよろしいことなので」

「家族にそれは無いやろ」

 仁子の強張った声に彼女もまた誰かから問い詰められていると気付いた。彼女もまたこの村の加害者であると同時に被害者であると思うと可哀想になった。仕方なく、彼女に手招きして身を屈めて顔を寄せった。隣の窯次郎が聞き耳を立てていることを承知でそこそこ聞こえる音量で声を潜ませる振りをした。

「一ノ宮さんが近くの湖で女と心中したんです。それで今夜遺体とかを引き取りに来るんですよ」

 キャーと甲高い悲鳴を上げながら仁子が身を引いた。コロ付きの椅子が勢いよく滑り、棚にぶつかった。窯次郎は立ち上がってカアーと奇声を上げて頭を掻いた。

「えらいこっちゃ……」

 適当に同意しながら、仁子の手を引っ張ってデスクまで戻した。仁子は顔を覆った。

「何も死なんでもええやろに……目の保養やったのになあ」

 窯次郎がぎょっと目をむいた。

「針夫とは全然違うタイプやないか。銀髪やし御団子やし派手な爬虫類顔やし過激な性格やし」

「村には何も迷惑かけとらんし、遠目から見る分には良かったんよお。あー、そう言えば」

 仁子が唇の下に二つの拳をつけて目をぱちくりさせた。

「今夜、組長君も来るんやろか。夜更かししてたら見れるやろか」

「阿呆。来る訳無いやろ。猪沢さんと最近入った若いのぐらいやろ」

 窯次郎の言葉に仁子が立ち上がった。

「見たことあるん? かっこいい?」

「お前なあ……アイドルやなくて極道やぞ」

「うちでは悪さしはらへんねんから似たようなもんよ。んで、見たん?」

「猪沢さんから聞いたて、信濃さんから聞いただけや」

 なあんや、と言いながら仁子が僕を見下ろした。

「大和君はもうちょっと聞いてへんの」

「残念ながら」

 聞きたくも無いがと心の中で呟く。この村の桜刃組の受け入れようには正直辟易する。

 仁子が唇を尖らせて、しょげた声を出してこの話題は終わった。

 しかし、午後三時頃、五人の老婆達がやってきた。彼女達の建前は、梅や枇杷等をおすそ分けする為だった。本音は桜刃組の話をする為だった。彼女達は事務所の接客スペースに腰を下ろして、僕と仁子相手にはしゃいだ。

「今夜はあんの綺麗な組長さんは来るんかね」

 一番若い聖子せいこの問いに仁子が窯次郎の言葉を残念そうに繰り返した。老婆達も悲し気な声をあげた。

「いやあ、んでも、一ノ宮さんゆうたら三番目に偉い人やろ。流石に来るんちゃう」

 そう聖子の右隣りの可南子かなこが言うと、左端の雅子まさこがぶんぶんと手を振った。

「五人しかおらんのやから偉さとかあんまないやろから、窯次郎さんの言う通りやろ」

 聖子と可南子と仁子が同時に溜息を吐いた。

 雅子の右隣りの澄子すみこは三人と違って機嫌良さそうに高い声で話し出した。

「猪沢君もええやないの。あんな感じのええ男はあんまおらんよ」

 いんや、と中央の最高齢で今年米寿を迎える多津子たつこが皺くちゃの顔に更に皺を作った。

「お父さんの克典は色男やったのに息子の優作は女々しくて嫌やわ。頼りない。若頭とは思えへん」

 そんなん言うてえ、と多津子の三歳下の澄子が揶揄い出した。

「五年前に本人と話した時、顔真っ赤にしとったやないの。多津子ちゃんが乙女になっとったわ」

 多津子の乾いた頬に朱がさした。

「阿呆言え。じっくり見ると克典さんに目元が似とったから戸惑っただけや」

 仁子があらあと声を上げた。他の面々も含み笑いをしていた。多津子は俯いてもごもごと口を数回動かした後、僕を見た。

「大和君も大変やね。あんな軟弱者の相手せなあかんなんて」

「父としか話さないと思いますよ」

 というか父が率先して桜刃組の相手をするだろう。裏鍛鍛冶屋でも自宅でもそれは変わらない。分かりきったことだ。僕にとっても、村民にとっても。

 ――そう思っていたのだが、五人の老婆は気まずそうに顔を合わせた。多津子が口をもごもごとさせ、自分の白髪を弄った。すると、聖子が薄い眉を顰めて僕を見た。

「大和君。大和君には分かりにくいかもしれへんから、はっきり言うわ。桜刃組はこの村にとってはとても大切なお客様や。信濃さんだけには任せておいちゃいかん。来年になったら裏鍛家のお婿さんになるんやから、大和君が仕切っていかなあかんのよ」

 予想もしなかった言葉に頭が真っ白になった。返事ができない僕に代わって、仁子がまあまあと繰り返す。

「今回は裏鍛家とは関係ないことやし、ちょっと今までと種類ちゃうことやからな、まあ……その……忌み事やし、やっぱり、その、なあ、信濃さんにな」

 そこまで言って仁子も黙って俯いた。老婆達も一様に黙って俯いた。突然訪れた冷えた空気に息がしづらくなった。

 父は――元ヤクザの父は村民として受け入れられきれてないのか。そんな疑問が浮かんだが、口にする勇気も無く、俯いた。

 誰も何も話せないでいると、刀太郎の末の弟であり、鍛冶職人である槌男つちおが事務所に入ってきて僕達に近付いてきた。

「婆共の相手するくらい暇なんやな。じゃあ、大和君借りてくぞ」

 槌男は僕を見て、おらと言いながら顎をしゃくって歩き出した。態度に苛立ったが、冷静な振りをして彼を追いかけた。

 そのまま無言で連れていかれたのは事務所の駐車場にある自動販売機だった。

 槌男はランニングシャツの下の薄汚れたズボンのポケットを弄ってから、何かを投げようと振りかぶった。慌ててその手を掴むと、数枚の百円玉と十円玉が渡された。

「お前も飲め」

 槌男は吐き捨てるようにそう言って、煙草を取り出して火を点けた。

 嫌なことに、この行為だけで僕には意味が通ってしまう。要するに、槌男は自分のお気に入りと僕の飲み物を自動販売機で買ってこいと言っているのだ。

 溜息を堪えながら従って槌男が好きな微糖コーヒーを二本買った。釣銭と共に渡すも真顔で「ん」と言われただけだった。僕も同程度の反応をしてやろうかと思ったが、同レベルになりたくなくて感謝の言葉を述べた。返答はまた「ん」だ。この男は呆れたことにコミュニケーション不足が男らしさとみなしているのだ。

 槌男は煙草と缶コーヒーをゆっくりと五往復程味わって漸く口を開いた。

「だあれもはっきり言わねえから俺が言うわ」

 槌男がじろりと僕を睨んだ。末っ子として生まれたからなのか、七十を超えてもなお紳士さが見て取れない目つきだった。

「お前は今夜で大人の男になれ」

 馬鹿にしているのかと心の中で叫んでから返答を考えようとしたら、彼の方が先に喋った。

「お前今年で何歳だ」

「三十二歳です」

 単純な回答に槌男が呆れ声とも驚き声ともとれる奇声をあげた。

「まだ二十代だと思ってたわ。いんや、二十代にしても針依ちゃんの夫には、裏鍛家の婿には相応しくねえ。自分で分かるだろ」

 針依との結婚は別に僕が望んでいたことでは無いし、寧ろ裏鍛家の方に強制されているようなものだ。はっきりとはとても口にはできないが。仕方なく当たり障りの無さそうなことを口にした。

「仕事の方はまだ頼りないかもしれません」

「仕事の話はしてねえ。男としての話をしとる」

 男だということを誇らしげにしている男ほど面倒なものは無い。それを他人に強要させるなど愚の骨頂だ。

 槌男は舌打ちして飲み干した缶を僕に向かって放った。受け取ってゴミ箱に捨ててやった。

 槌男の酒焼けした醜い声は感謝ではなく攻撃を始めた。

「いい加減大人になれ。いつまでも子どもっぽい真似は止めろ」

 槌男よりは僕の方が精神年齢は高い。だから、冷静に応えた。

「これでも精いっぱい大人らしく振舞っているつもりですが」

 槌男は足元に唾を吐き捨てて、僕を舐めるように睨み上げた。

「鬱病だからと仕方ねえってか」

 会話が成り立っていない。絶句したら、槌男は声の調子を上げた。

「十一年前から治療し続けて何で治らんのや。いつまでたってもお前が言い訳に使こうとるから治らんのや。裏鍛家に申し訳がねえと思わへんのか。針依ちゃんに――十歳も離れた女子に世話してもらって恥ずかしくないんか」

 裏鍛家が針依の面倒を僕に押し付けたんだろうが。そもそも、針依が僕を追い詰めたんだろうが。

 黙っていたが、苛立ちが顔に出ていたらしい。槌男は自動販売機を蹴り付けた。更に声のボリュームもスピードも上げて喚き散らし出した。

「俺はお前みたいな男の風上にも置けねえ男なんぞに裏鍛の血を汚されたくねえ! 俺だけやない、村の男は全員そう思っとる! でも、仕方ねえことも分かっとる! お前の左目を無くした責任を取らねばならねえ! だから、お前が大人になれ! お前が大人の男になれ!」

 無い筈の左目が痛痒くなった。この男が十一年前のことを理解していると確信すると嫌悪感と吐き気が込み上げた。しかし、フラッシュバックによって全てが打ち消された。

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