第7話 寿観25年冬・安藤巳幸との出会い(1)

 二十五年十二月。しんしんと雪が降る夜に、安藤あんどう巳幸みゆきがやってきた。

 安藤は桜刃組に使われている情報屋だ。猪沢を通して父に連絡をとって僕に会いに来た。それだけでもかなり異様だが、更に安藤は僕に和室で待っているように父を通して伝えてきた。

 予定されていた午後三時きっかりに襖が開けられた。

 安藤は正座していた。白いニットワンピースを着て、胸の辺りまである茶髪を緩く巻いていた。安藤は僕と数秒無言で見つめ合ってから優雅に礼をした。両耳にぶら下がったハートの真鍮のピアスが揺れた。

 そのまま黒革のボストンバックを持って膝立ちで進んだ。Eカップの胸の上で、真鍮の鍵に革紐を通したネックレスが揺れた。ワインレッドのタイツに包まれた脚は細かったが、足は男並みに大きかった。

 というか、正面に座ってはっきりと分かったのだが、安藤は僕と同じくらいの背丈がありそうだ。その後に分かったのだが、僕と同じ百七十五センチだった。

 安藤は僕を見つめてにこりと笑った。派手な顔立ちにナチュラルメイクが似合っていた。グロスが上品に塗られた桃色の唇が綺麗な弧を描いた。

「初めまして」

 僕がそう言うと、安藤は小さく頷いた。バックから真っ赤なノートパソコンを取り出し、机の上で開いた。数十秒操作して画面を僕に向けて自分の左側に置いた。

 黒い画面の中で、抽象的に描かれた赤一色の薔薇がくるくると回っていた。その下には「CV:西園寺さいおんじ奈央子なおこ」と赤字で表示されていた。

 安藤は更にバックから折り畳み式キーボードを出した。こちらは黒色で印字が赤色だった。

 僕が呆気にとられていると安藤は僕に笑みを向けたまま、ブラインドタッチで入力を始めた。桃色のグラデーションのネイルが優雅に踊った。

 パソコンから女の声が流れた。

『初めまして。安藤巳幸です。安藤と呼んでください。桜刃組御用達の情報屋であり、三ツ矢焔の友達です。訳合って声は出せませんので、このような形で失礼します。なお、この音声は桜刃組の紅一点・西園寺奈央子ちゃんの声から作ったものです。可愛い声でしょ』

 確かに小鳥が囀るような可愛らしい声だった。機械音声にしては滑らかであることや反応の速さに驚いてしまったが。

 目の前の安藤は女に見えた。それもかなりの日本人離れした美女だ。だがしかし、この不自然な状況で流石に分かってしまった。

「安藤は男なんだろう?」

 安藤は表情を崩さず、キーボードを叩いた。

『女である方が、男嫌いの大和さんには嬉しいでしょ?』

「いや、もう男って言っているようなものだよね」

 安藤は唇を尖らせ、眉を八の字に曲げた。

『僕としてはかなりの出来だと思うんですが』

「ああ、まあ、背丈以外のクオリティは高いね」

『じゃあ、このまま女って思い込んでくれませんかあ』

「この不自然極まりない状況じゃ無理だろ」

『そんなあ。頑張ったんですよ』

「凄さは分かる。でも、気に障るから止めてくれ」

『じゃあ、仕方ないですねえ』

 安藤はぱたんとキーボードを折り畳んだ。そして全く名残惜しげも無く、パソコンとキーボードをしまった。最後にちょこんと両手を机の上に揃えた。

 紅茶色のアーモンドアイが一旦僕を見つめた後、パチンとウインクを飛ばして来た。男なのが惜しい可愛らしさだ。

 すっと安藤の手が上がり、自分の偽乳を鷲掴みにした。

「触ってみます? かなりリアルですよ」

 その声は言い逃れできない程の男らしかった。

 何というか最近の男性声優っぽい声だ。女性向け恋愛ゲームアプリのコマーシャルで「俺のものになれよ」等と囁いてそうな声だった。

 しかも言動は小学生男子並みの下品さ。辟易とした。

 安藤は乗って来ない僕を見て、唇を尖らせた。

「触ってみたら、ちょっとは女性に思えちゃうかもしれませんのに」

「思わない」

 そっかあ、と安藤は手を下ろした。そのまま大人しくして欲しかったが、爆弾を投げてきた。

「所で、僕、バイなんですよ」

「は?」

「バイセクシャル。男性も女性も恋愛対象になりうる人ですよ」

「いや、意味は分かるんだが」

「この僕が、完璧と言える程のハイクオリティな女装をして見た目は女の子の僕が、好きな男性のタイプとか語ったら拒否反応無くなりませんか?」

 絶句した。自宅にいるのに帰りたくなった。どうしようもなくなって俯いたら、肯定ととられた。

 安藤はつんと僕の肩をついて、わあと声を出した。

「もっと筋肉ついてる方が好きだなあ」

 村の男共にも言われまくったことだった。当時、病気と引き籠りと薬によって太り衰えた体型から、大学時代の体型に既に戻していた。自分で言うのも何だが、細過ぎず筋肉質過ぎない女受けは良い体型だ。

「男らしい意見だね」

「駄目? じゃあ、好きな女性のタイプ言おうかな。僕は二十代から四十代ぐらいまでで、メンタルが健康な人が好き」

 またも絶句しかけたが、黙ったら更に悪い方へ行きそうなので無理矢理返事をする。

「僕も同じだ」

 針依の姿が脳裏を掠めた。同時に、晴海も見えた。

 苛立って安藤を睨むが、きょとんとしていた。悪意は無いらしい。救いようがない。

「……君は下らない話をする為に来たのか?」

 安藤がさあっと青くなった。僕の考えが漸く分かったらしく、彼がふるふると首を横に振った。違うんです、と消え入りそうな声で数度呟いた。

 皮肉なことにその様子が今まで一番女に近く見えた。

 安藤は自分の顔を覆って深呼吸を一度すると、初めて真面目な表情をした。

「貴方の話をする為に来ました」

「僕の話?」

「正確に言えば、貴方のお父様が桜刃組にいた頃の話と」

 安藤は襖の方に視線を一度投げてから、僕の隣に来た。僕の左肩に左手を置いて、右手で僕の左耳を覆った。距離感に嫌気がさしたが、拒絶する前に耳打ちされた言葉で動けなくなった。

「おじい様とおばあ様の話です」

 フラッシュバックが起きた。

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